第十三章 江戸・一八二六(文政九)年四月 中山慶之助

 この国にコッヒー(珈琲)が何ゆえ広まっていないのか、シーボルト先生は不思議に思っておられるが、俺も同感だ。長崎を発って二か月近く、阿蘭陀使節に随行したお蔭で、すっかり癖になった。飲むと頭が冴えるのがいい。通詞として休む間もなく駆り出され、疲労が頂点に達した俺の眠気を覚ましてくれる。

 それにしても同じ日本人として恥ずかしい。

 使節は阿蘭陀式の設備が整っている江戸の定宿、長崎屋に五人の日本人を迎えた。江戸天文方の阿蘭陀通詞吉雄忠次郎夫妻。中津藩元藩主、奥平昌高侯。侯の侍医、神谷源内殿。侯の友人で商人の伊勢谷七左衛門殿。いずれも筋金入りの阿蘭陀好きで、かなり意気ごんでいた。

 中津侯などはまだ四十代にもかかわらず、このためだけに隠居したという。大名は外国人と親しい関係を結べないからだ。隠居すればシーボルト先生とも気兼ねなく交際できる。侯は前商館長から譲り受けた阿蘭陀の衣装を着て来た。

商館長の衣装は徳川幕府ができた昔から変わっていない。新任の阿蘭陀人は時代遅れの格好を見て驚くそうだ。二百年前に流行した金モールつきの赤ビロードの上着に、黄色い半ズボンと白タイツを身につけて得意げな丁髷姿の日本人を見て、一行が笑いをこらえたのではないかと思うと、俺は気が気でなかった。

 しかも商人の伊勢谷殿はフレデリック・ファン・ギュルヘンという阿蘭陀名を持つにかかわらず、ターフル(テーブル)につくのも慣れぬ感じだった。いざ皿が運ばれると、銀色の道具をきっと睨め回し、書で読んだ西洋料理の食べ方――「ホコは三股にして先は尖りて長く象牙の柄をつく。之を以って器中の肉を刺し、メスを取りて切さき、之をサジにすくい食す」を決死の形相で実践した。合間に阿蘭陀語を口にするのだが、緊張のせいか何を言っているのかよくわからない上、誤りが多い。いちいち俺が通訳すると、しらけた感じになった。医者の神谷殿が場を盛りあげようと、やたらと高笑いをあげる。歯が何本かぬけているので間ぬけに見えた。

 それに比べたら、コッヒー片手に、かすていらにボートル(バター)を塗って食べる俺は、われながら優雅と思う。――ま、所詮は部外者の負け惜しみだが。実際俺は中津侯を尊敬している。侯のような有力なお方が阿蘭陀を贔屓して下さればこそ、我ら蘭学者も守られるというものだ。

 幸い中津侯らの気持ちは伝わったようだ。ソファに移ってブランデーと煙草を口にしてからは、おたがい打ち解けた感じで、俺の出る幕などまったくなかった。部屋全体がなごやかな雰囲気に包まれていた。ただ一人、商館長のスチュルレルだけは不機嫌だった。この人はシーボルト先生が愉快にしているのが気に食わないらしい。先生が日本に着任したばかりの頃は大変協力的だったそうだが、しだいに能力と人望を羨むようになり、道中は何かというと自分が上の人間だと見せつける行動をとって邪魔ばかりしていた。今も中津侯が先生との会話に夢中なのが気に入らぬ様子で、

「ブランデーの味はいかがですか」

 強引に割り込んだ。愛想笑いを浮かべているが、目つきは軍人あがりらしく鋭い。

「実においしいです」中津侯が言った。

「私もそう思います。しかし日本ではなぜ流行らんのでしょう」

「それは血を思わせるからでしょう」シーボルト先生が答えた。

「日本人は血を連想させるものを飲むことを忌避しますから」

「知ったような」スチュルレルは舌打ちせんばかりの顔をしたが、

「先生の考えはあたっていると思います」中津侯が言った。

「色の濃いコッヒーなんかもそうです。日本は二百年以上も前からコッヒー商人と交易しているのに、流行っていない」

「ミルクも受け入れられていませんね。日本人は生れつきミルク嫌いでしょう」

 日本文化に無知なスチュルレルは、ふたたび蚊帳の外に置かれた。

「そうですね」中津侯が答える。

「ミルクを飲むことは仏教の戒律を犯すことになりますから。ミルクは白い血という連想なんですな。日本では血を流すことはもちろん、血を飲むことはもっと罪深いこととされている」

「しかしこの頃は、血が厭われているとは必ずしも言えませぬな」伊勢谷殿が言った。

「と、いいいますと?」

「江戸では近頃、血を使った薬が流行っているんです。人の血を薬にする者が現れまして」

「まさか、ご冗談でしょう」

「それが本当なんです。その血もただの血ではなく、婦人の月の障りのものだそうで」

「月の障りの血を薬に・・・・・・?」

「ええ、痾拉勝丸(あらかつまる)という名で万病に効くとか。浜松町四丁目の店から出ました。あわせて月精水という化粧水も売っていて、婦人の間でたいそう評判になりました。人気の点では、戯作者の式亭三馬が本町二丁目の店で売っている薬といい勝負ですよ」

「浜松町の方が勝っていたと思います」吉雄夫人が言った。

「店主は世にも珍しい女医者でしたから」

 動悸がした。

「女医者ですか?」思わず尋ねた。

「ええ、三十過ぎで、相当の器量でした」

「その人の名は、何ですか?」

「ええと、何でしたか・・・・・・」

「思い出してください」

 俺は食い入るように夫人の唇を見つめた。

「ケーノスキ」シーボルト先生がたしなめた。

「あ、ぶんほうです」夫人が口にした。

「ぶんはふみ、ほうは芳しと書きます」

 文芳・・・・・・俺は肩を落とした。だが最初の漢字は俺の求めていた名と一致する。あの女は名を変えたのかもしれない。

「店に行けば、そのお医者に会えますか」

「今はもうお店にはいらっしゃいませぬ。江戸で評判になったことがきっかけで江戸城大奥にとりたてられておいでで」

「え、では、奥医師になられたのですか」

「女が江戸城の奥医師になるのは無理です」

中津藩医神谷殿が、嫉妬を感じさせる語調で答えた。

「女中の名目で入ったんですよ。もっとも大奥では医者の役を務めていますが。文芳は女ながらやり手で、江戸っ子の関心を引く説を広めていましたね。すべての病の症状は、痾拉(アーラ)の兆候とか」

「何ですか、それは」

「痾拉とは、体全体の内部が完全に感染したあとに、ようやく症状が現れ、最後には神経もやられる恐ろしい病だそうです。文芳によれば、あらゆる病が痾拉にあてはまるが、痾拉勝丸を飲めば根本的に治療できる。神経をやわらげる力もある。その証拠に私が痾拉勝丸を井戸に入れたら、町中の喧嘩が減ったなどと申しております」

「うさんくさいですね」

 スチュルレルが嘲ったが、神谷殿はうなずいて、

「同感です。唐から二百年前に伝わった漢方薬の基本書『本草綱目』などには三十五種の人体由来薬が記されていて、その中には婦人月水も含まれていますが、本当に効果があるとは思えません。なにせ尿や汗、唾から歯かすまで、人間の排泄物なら何でも薬としているんですから」

「でも文芳は多くの患者を信じさせてますね――月水は水で薄めて振るほど、治癒力を増すと」

 吉雄通詞が言った。

「薄めたら効く? 普通、逆じゃないですか。阿蘭陀の常識ではありえない」

「まったくわけがわかりませんが、あまり下手なことは言えません。なにしろ御台所がお信じになっているので」

「将軍の奥方が?」スチュルレルは食いついた。

「あくまで噂でして」神谷殿は言った。

「シーボルト先生は、文芳の説をどう思われます?」

「興味深い、です」言葉とは裏腹に顔がこわばっていた。

「痾拉勝丸をご覧になりたければ、今度私がお持ちしますが」

「いえ、けっこうです」

 耳を疑った。日本のすべてに関心を持ち、どんなつまらぬものでも喜んでもらう先生が断るとは、いったいどうしたことか。文芳の名が出てから黙りこくっていたことも不審だった。

 先生は文芳があの女だと知っているのではなかろうか。それゆえ過剰反応を示したのではなかろうか。

 あの女――伊藤文は文政七年の暮れ、突然長崎から姿を消した。

 鳴滝塾で出会った夏から冬にかけて、俺たちは交際した。俺は本気で惚れていた。嫁にもらうつもりだった。誰とも添い遂げないと決めていたこの俺が。

伊藤文は俺がそれまで出会ったどの女ともちがった。女でただ一人、鳴滝塾に参加していることからしても特別だと思わせるには十分だった。

根からの書物好きで賢かった。決して人なつこくはなく、むしろ人見知りだったが、いざというときには物怖じしない。真っ直ぐな気性だった。あの女なら江戸で名を売り、大奥に取り立てられることも、十分あり得る。

 女医者文芳は、月水を薬に用いるという――。

 文は塾から消える前、患者の月水を集めては、シーボルト先生の研究室に一人でこもっていた。何をしているかは尋ねても教えてくれなかったが、ある程度の見当はついた。文の子宮には血塊があった。直接聞いたわけではなかったが、交合時に痛がるのと、下腹に触れた感覚でわかった。それゆえ血塊の治療方法を研究しているのだろうと考えていた。月水は薬の開発に使っていたのか――。

 文芳が文なら、会いたい。

 この一年半、あいつのことが頭を離れたことは片ときもなかった。黙って去られ、恨んだとはいえ、憎みきれない。俺はいまだに惚れている。

 文芳が文だと、どうしたら確かめられるか。

――薩摩だ。

 俺は文の過去は知らない。語りたがらなかったから、あえて尋ねなかった。言葉使いからすると関東育ちのようだ。その文が長崎で薩摩屋敷に入るのを俺は何度か見たことがある。薩摩出身とは思えない文が何ゆえ薩摩屋敷に出入りしていたのか。薩摩の隠密ではないか、と疑ったことは一度や二度ではなかった。そのたびに、まさか文が、と打ち消したが、石塚宗廉に関心を持った理由は、ほかに考えられなかった。文はあの男に気がないとわかったからだ。文が穴弘法寺を探ってまもなく石塚が行方不明になったのは、あいつが薩摩の隠密だということを証拠づけてはいないか。女の身で鳴滝塾に入れたのも、薩摩という後ろ盾があったためではなかろうか。

薩摩とシーボルト先生も一種特別な関係にあるにちがいない。

 そのことをうかがわせる出来事があった。

 今朝、阿蘭陀使節一行はまだ川崎にいた。朝六つ半に宿を出て六郷川を越え、蒲田を過ぎ、大森の休憩所である旅宿に入った。するとそこには思いがけずも薩摩侯と中津侯が待っていた。お二方は使節が休息することになっていた部屋にいた。一行が日本流に畳に正座し平伏すると、薩摩侯は椅子を運ばせてそこに座るよう命じた。

薩摩藩元藩主、島津重豪公は、歴代商館長と親交がある、いわゆる蘭癖(阿蘭陀狂い)大名だ。すでに八十歳を越えているが六十代にしか見えない。心身とも衰えをみせず、家督を孫に譲った今も藩の実権を握っている。

 中津藩元藩主、奥平昌高公は薩摩侯の次男で、急逝した中津藩主奥平昌男の養子として六歳のときに家督を継いだ。養家も実家も蘭学好きの影響を受け、薩摩侯以上に阿蘭陀に心酔し、シーボルト先生と交際するためだけに隠居したのは先に述べた通りだ。

 薩摩侯は話好きだった。専属の通詞がいたが、自ら時々阿蘭陀語をまじえながら歓迎の意思を表した。使節との会話が終わると、侯はシーボルト先生に体を向けた。

「私は最近、丹毒(琳巴管炎)にかかった」右手を示し、

「鉛丹膏を塗っておるが、まだ一箇所口が開いておる」

 先生は膝行して侯の手をおしいただき、目をすえた。

「鉛丹膏はこの場合、効かないようです」

「そうか、薬が合わんか」侯の厚手の唇に笑みが浮かんだ。

「必要な薬を調合してお送り致しましょう」

「それは重畳。ドクトル・シーボルトの薬が頂けるとは光栄」

 薩摩侯は先生の目を意味ありげに見つめた。そして次の言葉を口にした。

「早まらんで正解じゃった。娘が気に入っている効果抜群の万病薬を使うか、迷っておったが」

 今思い返すと、あのとき老公が口にした万病薬とは、痾拉勝丸のことではなかろうか。娘とは、将軍家に嫁いだ寔子様のことにちがいなかった。御台所寔子様は、文芳の信奉者とのことである。

 シーボルト先生は薩摩侯の言葉を聞くと、侯が言いたいことは理解できた、という目をしてうなずいた。

 あのあと中津侯が先生の手をとり、

「こちらへ来なさい。私に手紙と贈り物をありがとう」

 と阿蘭陀語で声をかけ、別室に移ったことも注目に値する。二人の間でどんな会話が交わされたのか。昼会ったばかりの中津侯が何ゆえわざわざ同じ日の夜、宿の長崎屋まで訪ねて来たのか。

 そういえば中津侯は最前先生に会うなり、「父から大事な伝言があります」と言っていた。


 翌四月十二日朝、薩摩侯から使節に贈り物が届いた。織物、鳥、植物などであったが、先生宛のものは別にあった。夜には中津侯がお忍びでみえた。使節は西洋の音楽やダンスでもてなしたが、そのあと侯は先生の部屋で夜更けまで過ごした。

 十四日午後、薩摩侯の名代が何用かで先生を訪れた。

十五日、薩摩侯と中津侯が使節を正式に訪問。目当てがシーボルト先生なのは明白だった。俺はお二人とともに先生の部屋に入った。先輩通詞がスチュルレルにとられていたので、小通詞末席の俺が先生の通訳にあたることになったのである。

先生は両侯に贈り物を差し上げた。中身はわからない。薩摩侯はそれに対し、天皇から下賜された扇子を与えた。

 薩摩侯は夫人たちを連れて来ていた。先生は乞われるまま御側室の診察をした。その御側室は老齢のため、右胸部が硬化していた。

 その日以降も御側室は診察を受けに来られ、中津侯は中津侯で頻繁に先生を訪れた。長崎屋には医師シーボルトに面会しようと日本中の蘭学者が押しかけ、二階への階段に行列を作っていたが、薩摩侯の関係者がいつでも最優先された。

 先生の狙いは、ある程度察しがつく。幕府に影響力を持つ薩摩侯に頼んで、江戸滞在期間を延長してくれるよう働きかけてもらうつもりなのだろう。

 薩摩侯にも狙いがあるはずだった。先生と親しくすることによって何を得ようとしているのか?

 薩摩侯の御側室が診察を受けたときのことだ。正確な診断を下すには患部の胸を直接診る必要がある旨を先生が説くと、御側室は周りをほかの夫人に囲ませてようやく着物をはだけた。診察中、御側室は目をつぶって耐えていたが、やがて小さくつぶやきだした。

「・・・・・・哀(あわれ)女人のかなしさは呵責せられて暇もなし」

 どこかで聞いた文句のような気がしたが思い出せず、俺は機械的に阿蘭陀語に訳した。

「歌デスカ?」

 先生が日本語で尋ねると、御側室は恥ずかしげに、

「気が紛れるゆえ、つい・・・・・・」

「遠慮セズ、ツヅケテクダサイ」

 御側室はしばらくためらっていたが、ふたたびはじめた。

「其時女人のなく声は 百せん万の雷の 音よりも又恐ろしく 娑婆にて作し悪業が 思ひやられてかなしけり・・・・・・」

「歌ノ名前ハ何デスカ」

「血盆経和讃です」

 俺は、と胸をつかれた。文が長崎でよく口ずさんでいたのも血盆経和讃だった。

「血盆経、知ッテイマス」先生は博学を披露した。

「婦人ガ死後ノ往生ヲ願ッテ唱エルモノデス」

「はい。血盆経を唱えれば、女人でも死後に血の池地獄に堕ちずにすむと申します。私はあまり詳しくは知らぬのですが。女中が唱えていたのを覚えただけでございますゆえ」 

 御側室は胸を見られる気まずさを忘れるためか多弁だった。

「それも十年も昔のことでございます。珍しい女中で医術を身につけておりました」

 俺の鼓動は早まった。

「そういえば、シーボルト先生と同じことを申しておりました。医者に患部を見せるのは西洋では当たり前だとか」

 先生は目をそらした。

「けれどその女中の専門は蘭方ではなかったのでございますよ。元は藩医の妻だったとかで漢方を学び、十年前、ある中臈を助けたのを機にとりたてられ、藩邸で侍医のようなことをしておりました。ところが三月もしないうちに姿を消して――」

「お曽万」

 薩摩侯が口をはさんだが、御側室お曽万の方様は平気でつづけた。

「暇を願い出たのだろうと思っておりましたら、長崎に参って、西洋でもまだよく知られぬ新式の療法を身につけたそうで。去年は浜松町に薬屋を開いて、たいそう人気でございました。年寄が万能薬の痾拉勝丸とやらを買って服用したところ、宣伝通り血の道が軽くなったと申しましたので藩邸に呼び戻し、藩医同様の待遇を与えましたが、そのあと江戸城大奥にとりたてられて。ほんにまあ大した出世をしてございます」

 女中すなわち文芳――。

「けれども痾拉勝丸は妾には効きませんでした。妾の病は強いゆえ、特別の薬を調合する必要があるとのことで、江戸城からその女中の薬が届くのを待っているところでございます。その間に御隠居様の勧めで、かようにシーボルト先生に診ていただくことになりましたが」

 女医者――薩摩藩邸にいた文芳が、伊藤文であることは、ほぼ間違いない。元藩医の妻だったというのは初耳で衝撃だったが、別れたはずだと思って自らを慰めた。

 いずれにせよ、文は薩摩と関わりがあることが、わかった。

十年近く前、江戸薩摩藩邸からいったん消えて長崎に行ったとのことだが、薩摩侯が動かしたのではなかろうか。その狙いは、一つには金だろう。シーボルト先生のもとで西洋の最新医術を身につけさせ、よく効く薬を開発させる。薬を江戸で売らせて儲けを藩の財政にあてる。女なら周りが油断し、秘密がばれにくいと考えたか。

 だが薩摩侯の目的は、それだけではないはずだ。

 同じ十五日の面会で薩摩侯は右手を見せ、

「丹毒はだいぶようなった。ドクトル・シーボルトのくれた薬のおかげじゃ。しかしもう一つの病には、例の薬がきくというので、信じてみようかと思うておる」

 謎のような言葉を口にし、先生の目をじっと見つめた。薩摩侯は意味が伝わったとみてとると、さらに言った。

「義理の息子もどうやら同じ病にかかっておるらしい。それゆえ、あの薬をわしが試して効果があれば、奥を通して勧めようと思うておる」

 義理の息子とは誰か。薩摩侯には義理の息子が六人いる。いずれも御息女の夫だが、奥という言葉が出たことからすると、一人しか考えられない。御台所寔子様の夫――上様である。

 しかし上様が病? 御年五十三になられた今も十数人もの御側室のお相手をしているといわれるお方が患っているなど、にわかには信じがたかった。

 だが、あれなら・・・・・・? 俺は前にも上様のお体について思いをめぐらせたことがあった。

 鳴滝塾で石塚宗廉を探ったとき、出島の外科医部屋で何かの薬を作ろうとしていた。目に入った瓶には酢酸鉛、グリセリン、硫黄、風味のついた水のラベルが貼ってあった。それらの薬液を組み合わせると、何ができるか。文には言わなかったが、俺は調べ、考え、ある結論に達した。そして思った――江戸の犬にちがいない石塚がそのような薬を隠れて作ろうとするのは、上様がその薬を欲しているからだと。

 あのとき考えた通りなら、上様は今でもその治療薬を日常的に必要としているはずだ。「あの薬」、と薩摩侯は先生に言った。あの薬とは、文の薬だとする。それを上様に勧めるとはどういうことか。話を聞く限りでは文の薬が、あれに効くとは思えぬが――。

 島津重豪侯の真の狙いは?

事実を適確に把握する必要があった。だが江戸の町を歩いて調べるわけにはいかなかった。阿蘭陀使節の一員は日本人といえども、よほどの事情がない限り外出は禁止されていた。使節一行が次に外へ出られるのは、江戸城で上様に拝謁するときだ。それが終われば長崎へ引き返す決まりになっている。

 情報収集は宿を訪れる客からするしかない。だが俺ごときが口をきける人間は限られている。となるとシーボルト先生に探りを入れるほかないが、その隙がなかった。なにせ先生は朝な夕な客との面会に追われている。二階の応接間までつねに順番待ちの列ができていた。これをスチュルレルがねたんで何かと癇癪を起こすため、先生は息つく暇もない。実際、商館長と先生の仲は日に日に険悪になっていた。江戸城登城のお呼びがいっこうにかからぬのも原因かもしれない。

 幕府は何ゆえか、使節一行が江戸に到着して半月近くがたっても日取りを知らせてこなかった。

 するとスチュルレルが誰から聞いたのか、次のような噂を口にした。

 使節が江戸に到着して十日目に、上様の第十三男斉衆(なりひろ)様が逝去されたので、城は喪に服している。斉衆様の死をめぐって、江戸城大奥でもめごとが起きた。そのため上様は使節との面会どころではないらしい。大奥では今、御側室お美代の方様が権勢をふるっている。このお美代の方様の意向に使節の登城は左右される可能性が高い。

 大奥でもめごと? 俺は不吉な予感にとらわれた。

 文は無事か――。

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