第十一章 長崎・一八二四(文政七)年十月 伊藤文


第十一章 長崎・一八二四(文政七)年十月 伊藤文


 シーボルト先生が鋭く見守る手術室で、塾生の石塚宗廉が患者の枕元に立った。まだ若いが、江戸で医者の経験を積んでいるだけあって落ち着いていた。

 手術室に入ることを許された塾生は九人。その中で一番優秀なのは中山慶之助だが、執刀医に選ばれたのは石塚宗廉だった。

 患者は五十代の婦人。麻酔もなく体を切り開かれる不安で顔面蒼白だ。痛みに耐えかねて暴れだしたときのために塾生の高野長英と伊東玄朴が手足を押さえた。患部を岡研介と高良斎がカンテラで照らし出す。

室内に緊張が走った。

 石塚宗廉は患者に声をかけるかわりに私の目を見つめ、

「これより乳癌の摘出手術を開始致します」

 宣言すると、隣の中山慶之助に指示した。

「小刀(メス)」

「・・・・・・」

 中山は動かなかった。その手にある小刀は、玻璃障子から射しこむ秋の陽を漫然と跳ね返していた。

「小刀」

 石塚が繰り返した。横顔を中山は睨みつけた。

「ケーノスキ(慶之助)!」

 シーボルト先生が怒鳴った。

「早ク渡スノダ」

 中山は小刀を差しだした。石塚が後ろ手で受け取った。刹那、

「うあっ」

「ドウシタ。ケーノスキ、刃ヲ向ケタノカ」

 石塚の手からは鮮血がしたたり落ちていた。

「傷ハ浅イガ、手術ハ無理ダ。私ガ執刀スル」先生は青い目をむいた。

「ケーノスキハ出テイケ」


「何ゆえあのようなことをなさったのです、慶之助さま」

 岬からは、扇形に広がる出島が小さく見渡せた。その上には阿蘭陀の三色旗が風にはためいていた。

 夕陽を浴びた長崎の港はまばゆく輝き、海は穏やかに波立っていた。時折しぶきがかかるが、あたりに人気はない。私たちはよくここに来て二人きりになった。

「あなたが塾から追い出されるようなことにでもなったら、私はどうしてよいかわかりませぬ」

「確かに軽率であった。俺とてここから離れたくはない。先生ほどの師がほかにあろうか」

 フォン・シーボルト先生は塾生にとって神様のような存在だった。

 年は二十代後半と若いが、内科、眼科、産科、薬学科ならびに博物学、地理学の大家で、一年前に阿蘭陀商館附き医官として日本に赴任するなり、失明しかかった船員に外科手術を施して開眼させたのをきっかけにその名を広め、出島の外で町の人の診療を行うことを特別に許され、普通の日本人が夢想だにしなかった腹水穿刺、陰嚢水腫、兎唇の手術などの画期的な治療を次々に施して大勢の病人を救った。

 先生の噂を聞き知った蘭方医は各地から続々と長崎に集まり、教えを乞うた。そうして今年夏に鳴滝塾ができた。外国人が出島の外に学塾を開くなど本来許されないことだが、先生の名声と人望が幕府に前例を破らせたのだ。

 鳴滝は出島から歩いて二刻ほどの緑豊かな丘にある。学舎は、諏訪大社の給仕の別荘だった瀟洒な二階建て。外国人の先生が自由に寝泊まりすることまではかなわぬが、週に数度出島の居宅から通うことを許可され、西洋の先進的な医術と学問を惜しみなく授けて下さる。

 授業を解するには、相当の蘭語と医学の知識が必要だ。塾生は必然的に優秀な者に限られる。

 その中におなごの私が入れたのには、わけがある。

 七年前、二十四歳のとき、薩摩に遣わされた私は、薩摩藩お抱え通詞の松平元綱先生の指導で蘭語を勉強した。四年がかりで会話と読み書きを習得すると、長崎の吉雄幸載先生の元で蘭方医学を学んだ。

すべては薩摩の御隠居様の意向だった。私をシーボルト先生のもとに送ったのもそうだ。

 阿蘭陀人と付き合いのある御隠居様は、今年の夏に鳴滝塾ができたと聞くや、シーボルト先生にひそかに書状を送り、私を塾生として推薦した。私は女中として学舎に住み込みながら、男たちの末席で最新医術を吸収できるようになった。先生は私が医者の寡婦で、御隠居様が手をつけた女と思い込まされたようだ。

 私が薩摩の使いであることは鳴滝塾の誰も知らない。

 お加恵の方様亡きあと、私には二つの使命が与えられた。一つは七年以内に子宮の血塊の治療法を発見すること。

 最適の治療は摘出手術という結論に達したが、期限が三か月後に迫った今になっても私は自分では試していなかった。手術を希望する患者が見つからないせいもあるが、それは言いわけにすぎない。小刀を執るのが怖いのだ。私は治療を手伝うたび、不器用なのを痛感させられた。女の癖に針仕事がまともにできないだけあって簡単な縫合にも四苦八苦し、縫う必要のないものを縫い、縫うべきを外したりする。

 私はおのれに期待されるほどの素質がないことに気づきはじめていた。自慢だった頭脳も、全国から集まった優秀な医者や学者、通詞たちに比べたら大したことはないと知ってしまった。

 二十四の頃は、無知だっただけに自信にあふれていた。男たちに馬鹿にされてもはね返す気力があった。だがそれから七年、勉学一途で生きるうち、疲れを感じるようになった。

 二年前に家族全員を虎呂利で亡くしたせいもある。江戸の両親、姉、甥の四人が病に倒れたとき、私はそばにいてやることもできなかった。何が医者だ、私は人間の道に反したろくでなしではないか。同じ年の女たちが母親として立派に子を育てているときに、私は学問をしてきたが、何の役にも立っていない。この七年はいったい何だったのか。三十六で自ら命を絶ったお加恵の方様のことが思い出されてならなかった。朝晩冷たい水で洗い物をするたび、下腹が鋭く痛むせいか、「しこりばかり育って・・・・・・」という言葉が耳の奥から聞こえてくる。私の子宮はここ数年、目に見えてふくれ、月事の十日前ともなれば妊娠五か月のように張る。触ると硬く、月水の出血量も以前とは比較にならぬほど増え、毎度貧血で倒れそうになる。三十を過ぎてから血塊は予想以上に大きくなっているようだった。それこそ摘出手術を試すべきであり、治療法を発見する絶好の機会と思う。シーボルト先生に伝えれば、きっと喜んで挑戦して下さるだろう。だが私は手術をされることが怖かった。おのれが手術を手がける以上に。

 体を切られると思っただけで心臓が縮みあがる。麻酔は西洋でも発明されていない。紀州の華岡青洲が二十年前に開発した薬の成分は限られた弟子しか知らず、世間には秘密にされている。手術中の患者が痛みのあまり呻き暴れるのを見てきた私はとても受けられそうにない。もとより治療法を発見できぬことで御隠居様に仕置きを受ける方が、よほど恐ろしいにはちがいなかった。だが私はその点に関しては、変に楽観していた。

 手術をしなくとも薬で血塊を散らせそうだからだ。西洋薬学を取り入れた薬を、私は開発中だった。

「どうしても我慢できなかったのだ。あの石塚が、執刀医に指名されただけでも気に食わぬのに、いざ手術をはじめんというときに、おまえの顔に見とれたものだから、ついかっとして・・・・・・」

 中山慶之助が言った。私は驚いてみせた。

「石塚殿が、私の顔を・・・・・・?」

 私にはもう一つの使命が与えられている。公儀隠密を特定することだ。薩摩藩は上様の秘密を知るため、幕府に遣わされた隠密を探ろうとしている。

御隠居様は私に言った――長崎に医者もしくは医学生に扮した幕府の犬がおる。それが誰かをつかむよう。

 ひとくちに長崎といっても広いので容易ではなかった。だが鳴滝塾に入り、怪しいと思える男に一気に二人も出会った。

「あ、おまえ、今顔が赤くなったぞ。ひょっとして、石塚に気があるのではないか?」

「まさか。私はあなたのものでございますよ」

媚びるように中山の腕にしがみついた。

 中山慶之助、三十一歳。阿蘭陀通詞の子として生まれ、通詞となってのち、公務の余暇に阿蘭陀人について医学を修め、蘭方医について外科を学ぶ。シーボルト先生の来朝時、大通詞石橋助左衛門の下に小通詞末席として同輩とともに尽力。先生が植物採集のために出かける際にはしばしばその案内者となる。蘭語に堪能で、先生にかなり信用されている。

「わかっておるが、女の塾生はおまえ一人だからの、目を離した隙に奪われそうで・・・・・・」

 色黒で顔立ちも悪くなく、背丈も高く、見かけはいかにも逞しそうなのに情けない声を出す。

「皆若いんですから、こんな年増、誰も見向きやしませんよ」

「おまえには十分魅力がある。塾生は人格者ぞろいとはいえ、石塚はちがう」

「どうちがうのです?」

「あやつは我欲の塊だ。患者が死んでも顔色一つ変えぬ。その癖、女好きときている。妻子がいるにもかかわらず、江戸ではよそに女を何人も囲っているという」

「女のようなあの方が・・・・・・」はじめて知ったふうを装った。

「見かけによらず、きゃつ、狙った獲物は必ず手に入れる。あの男の手にかかると、はじめいやがっていた女でもぞっこんになるらしい」

 中山は疑うように私を見た。

「おまえはあやつに好かれておる。いやな気はせぬはずだ」

 石塚は少しも好みではなかったが、

「そうですねえ、あの方は賢い上に、色白で役者のような男前ゆえ、確かに悪い気はしませぬ」

「な、何。いいか、あやつは得体がしれぬ。おまえも知っておるだろう。あやつが通詞でもないのに出島に出入りしておるのを」

「知っていますが、それだけで不審者扱いとは」

「石塚は夜よく一人で出かける。どうも不審だから、俺は二度あとをつけたのだが、一回目は出島、二回目は坂本町の穴弘法寺に行きおった」

「穴弘法寺・・・・・・?」

「真言宗の寺だ。ここからは金毘羅山沿いに回って歩いて半刻ほどで着く。やつは先日の亥の刻(午後十時)、その寺の本堂に裏から入って行った。何をしているのかと思い、闇に目を凝らすと、戸の前にぞろぞろと人が並んでいた。いずれも男で、皆人目を忍ぶといった様子で、順番に本堂に入っていった。石塚が小遣い稼ぎのために闇医者でもしているのかと思ったが、連中どうも病人らしくなかった」

「それで、何が行われていたのです?」

「わからぬ。中に入ろうと思えば入れたが・・・・・・。それよりあやつ、寺を出たあとに、どこへ行ったと思う?」

「さあ」

「何と奉行所だ。真夜中にだぞ。ひょっとして石塚宗廉は・・・・・・江戸の犬かもしれぬ」

 中山の目の奥が光った。やはりこの男は侮れない。そもそも三十過ぎの私に言い寄ったことからして不審ではあった。私の身元も過去も知らぬ顔をしているが、芝居かもしれない。

「江戸の犬・・・・・・」衝撃を受けた顔をした。

「もはやそうとしか思えぬ。御公儀が厳しく監視している出島に石塚が出入りできるのも、あやつが非人情なのも、公儀隠密と思えば納得がいく」

「でも、御公儀が何のために・・・・・・塾の監視なら役人が表立って行っていますのに、わざわざ塾生の中に隠密を紛れ込ませるなど・・・・・・狙いがわかりませぬ」

「いずれにせよ、明朝には白黒がはっきりする」

「何ゆえです」

「石塚は今夜、きっと出島を訪れる。あやつはシーボルト先生が商館の外科医部屋を留守にするときに限って行く。犬の真似をしておるにちがいない。尻尾をつかんでやる」

「そんな・・・・・・危険です」

「俺は通詞でもある。仕事と言えば、出島には入れる」

「さようなことをして、もしお上に睨まれでもしたらどうするのです」

「心配はいらぬ。外科医部屋を覗くだけだ」

「お上が大丈夫だとしても、先生が知ったら・・・・・・ただでさえ今日のことがありますのに」

「だからこそ行くのだ。俺が石塚を無視したのは、正当な理由があると証明する必要がある。あやつの正体をつかみ、危険人物だと知らせねば」

 そういう中山慶之助こそ危険人物かもしれなかった。寺の話が事実という証拠はどこにもない。中山は私の正体を疑って、罠にかけようとしているのかもしれない。

 だが中山の話が真実で、石塚が本当に隠密である可能性も低くはなかった。

 石塚宗廉、二十八歳。美作の御家人の家に生まれる。父親に勘当されて江戸へ出て、吉田長淑の学僕となって学び、開業。虎呂利病が流行した際、蘭使一行の医について病理治療のことを聞いたことがある。文政六年、シーボルト先生来日と知るや、長崎に赴き、当時の蘭館長ブロムホフの紹介で先生の門人となる。

 

 翌日、中山は落胆した面持ちで私に告げた。昨夜出島に入り、外科医部屋を覗くことはできたが、石塚に不審な動きは見られなかった。単に器具を使い、ずっと一人で勉強をしているだけだった。

「勉強とは、どのような?」私はむしろ身を乗り出した。

「薬液の調合ばかりしていたようだな」

「いかなる薬液を使っていたのです?」

 中山の目が光った。

「さようなことを聞いてどうする」

「参考までに。ただの勉強ではないかもしれませぬゆえ」

「ふむ。壜の文字が読みとりにくかったが、俺が見たのは酢酸鉛にグリセリン、硫黄。それとあと一つ、和解(わげ・・・和訳)しにくいが、風味をつけた水だったな」

「それらを石塚殿は、配合していたのですね?」

「うむ」

「何の薬を作っていたのでしょう」

「おまえ、石塚のこととなると目の色を変えるな」

「話をそらさないでください。グリセリンに酢酸鉛と、西洋伝来のものばかりのようですが、それぞれの性質は、あなたならわかるのでは?」

 中山の目に一瞬何かが閃いたが、すぐにかき消された。

「いや、俺にもわからん」

 すべて法螺かもしれなかったが、私は調べずにはいられなかった。石塚が混ぜていたという物質がいかなる薬を生み出すのかを。


 中山慶之助は手術を妨害した罰として、五日間母屋の一つへの出入りを禁止されていた。

 鳴滝塾は外観は和風だが、中は西洋風で、周囲は生垣をめぐらしてあり、母屋が二つある。中山が立ち寄れなくなったのは、門のそばの二階屋だった。そこは主にシーボルト先生の書斎兼研究室として使用されていたが、裏手の書庫は塾生にも開放されていた。ただし書庫の使用は月番の許可が必要だった。

 隣の母屋は平屋建てで十畳間があり、先生の居室と塾生の学習所、病人の診療所を兼ねている。塾生たちは授業後も半刻近く先生を質問攻めにするのがつねだった。その日最後の授業が終わったあと、皆が先生の周りに集まったのを見届けるなり、私は一人書庫に向かった。

 月番の許可は得ていなかった。書庫に行くことが知られたからとて石塚を探っていることがばれるとは考えにくかったが、念には念を入れたかった。

 書庫も板敷で土足のままあがれる。無断侵入のゆえ早まる鼓動を感じながら、薬学の棚から適当な蘭書を引っ張り出し、夢中で頁を繰ると・・・・・・あった。出島の外科医部屋で石塚が調合していたという物質の情報がすべて載っている。

 グリセリンは吸湿性が強く、湿潤剤、粘滑剤として皮膚に外用する。酢酸鉛と硫黄は染料に使われる。

それらを組み合わせて、何ができるか――。

 考えた結果、ある仮説が成り立った。私は興奮と同時に恐怖に襲われた。

 石塚が公儀隠密だとして、その薬を開発するのが使命だとするなら、上様はおそらく・・・・・・。

「誰カ?」

 声がした。シーボルト先生だ。靴音が近づいて来る。あわてて本を戻すので精一杯だった。

「アーヤ(文)、ナゼイル」先生は青い瞳孔を大きくした。

「月番ハ誰モイナイト言ッテイタ」

「か、返す本がございましたので、少しだけならと思い・・・・・・」

「ケーノスキニ頼マレタカ?」

「いえ、これを返しに参りました」

 とっさに付近の棚から別の本を取り出した。

「コノ本ヲ?」先生は驚きを表した。

「はい。先日借りたものでございます」

「マコトカ? 感想ハ?」

「その・・・・・・」

 本の題名を頼りに内容を必死で憶測した。

「阿蘭陀の最新の論理学が実によくわかり、勉強になりました」

 先生は苦笑した。

「アーヤ、コノ本ハ独逸ノ医療記者ガ二十年前ニ出版シタ雑書ヲ蘭語ニ訳シタモノダ」

 返却に来たというのが法螺とばれた。

「・・・・・・申し訳ございませぬ」

「ヨイ、ヨイ。持ッテイキナサイ」

 先生は、私がこの本読みたさに忍び込んだと考えたようだ。

「よろしいのでございますか」喜んだ顔をした。

「コレハ医書デハナイ。日本ニ運ブ書物ヲ注文シタトキ、本屋ガ誤ッテ入レタ。好キナダケ読ムガヨイ」

「ありがとう存じます」

「私ハ薩摩ノ老公カラアナタノ世話ヲ頼マレタガ、大シテ面倒ヲ見ラレズ、悪イト思ッテイタ」

「とんでもございませぬ。先生は学問を授けてくださります」

「シカシ、コウシテ言葉ヲ交ワスコトハナカッタ。モウ三月ガ経ツガ、ドウカ?」

「お蔭さまで大変有意義に毎日を送っております」

「体ノ具合ハドウカ。優レヌノデハ?」

 さすがに鋭い。私は目をそらした。

「特に問題はございませぬ」

「不調ヲ感ジタラ、イツデモ私ニ言イナサイ」

「恐れ入ります」

「アーヤハ、ケーノスキニ診テモラウ方ガイイカ、ハハハ。彼ハ優秀ダ。感情的ナノガ欠点ダガ、実ハ期待シテイル」


その晩、私は石塚のあとをつけた。中山も一緒だったが、例の仮説のことは黙っていた。

山の入口の石段を、提灯の光だけを頼りに延々と昇って行った。あたりには虫の声が聞こえるばかりだった。やがて石段を昇りきると、民家のような木造の平屋建てが、おぼろな灯に浮かびあがって見えた。

 穴弘法寺本堂だった。正面の戸を開けて入った。物音は聞こえない。念のため裏へ回ると、前に中山が話した光景が広がっていた。ぞろぞろと二十人ばかり、裏口の前に並んでおり、戸が開くたび、一人ずつ順に吸いこまれて行く。中で何が行われているのか――私には確信があった。

 相変わらず外から様子をうかがうだけの中山の反対を振り切り、私は単身正面から本堂へ侵入した。

仏壇の蝋燭の炎が辺りを照らしていたが、人の姿は見えなかった。左の奥の部屋は明らかに人の気配がしたが、襖が閉じていた。その襖に私は覚悟を決めて忍び寄ると、そっと手をあて、細目に隙間を開けた。内部から灯が洩れ、糸のような光が廊下に差した。すぐ前に石塚が横向きに座っていた。筆用のものを碗に浸し、男に塗りつけている。終わると患者が入れかわった。私の想像は間違っていなかった。襖を閉めようとした瞬間、一人の坊主が目に入った。

 五十代前後、大柄で色黒・・・・・・見覚えのある顔だった。心臓が喉元まで飛び上がった。

 急いで閉めようとすると、男が視線を動かした。私は金縛りにあったようになった。男がすっくと立ち上がった。近づいて来たと見る間に、襖が内側からいっぱいに開かれた。

 顔を伏せようとしたが、体が動かなかった。

男は私を見下ろし、目を丸くした。

 間違いない・・・・・・いくらか年をとってはいたが、あの男だ。十三年前、上野の桜の下で茶を配っていた。天茶屋の無理な注文に憤り、私とやりあった――陽隆だ。

 何ゆえここに・・・・・・いや、石塚が公儀隠密ならば、いても不思議はない。それどころか私の仮説の正しさを裏づけることになる。

 陽隆は天茶屋の不正を密告したあと、上様が兄・日啓の信者になったのに便乗し、大奥の高級女中に喫茶療法を広めた。そして三年前の文政四年、幕府の奥医師にとりたてられ、今では上様の侍医をしている。

 上様のお体に秘密があり、石塚がその治療薬を開発しているなら、奥医師陽隆が様子見のために江戸から遣わされることは十分あり得る。

それにしても――。

陽隆の反応は異常だった。私を見下ろすと顔を真っ赤にし、筋肉を細かく震わせた。恐怖を覚えると、

「どうしたのです」

 石塚が近づいて来て、陽隆の横から顔をのぞかせた。ただではすまぬと腹をくくった瞬間、

「この女なら心配いりません」

石塚は言った。

「私を慕ってついてきたのです。今夜は忙しいと言ったのですが、我慢できぬと見えまして」

周りで卑猥な笑いが湧いた。陽隆だけが訝しげだった。

「私からよく言ってきかせます。ほら、向こうへ。そこまで一緒に行ってやる」

 石塚は燭台を手に私を連れて出ると、感情を押し殺したような声でささやいた。

「あなたが何ゆえ来たかは問わずにおきます。そのかわり、ここで見たことは一切他言無用ですぞ」

 強い目を向けた。私は無言でうなずいた。

「では一刻も早く立ち去られてください」

 月光が雲間から射していた。歩きながら、背中に視線がねばりつくのを感じた。石塚ではない。軒下に坊主頭があった。私が振り返ると、男は姿を消した。


「石塚が江戸の犬ということが、はっきりした。陽隆と会っていたのだな?」

「断定はできませぬが」

「おまえの話を聞く限り、その坊主が奥医師・陽隆なのは間違いない」

 中山は私がすべて打ち明けたと信じている。だが私は、本堂内である医療行為を目撃したこと、それによって石塚が研究開発している薬が何か判明したことや、上様の体に秘密がある確信が高まったこと等については伏せていた。

「きゃつの正体を明日、シーボルト先生に告げよう」

「おやめくださいませ」

「石塚の報復が怖いのか? あやつは黙っていても必ずおまえに何かしかけてくる。恩着せがましいことを言って逃がしたのは、おまえをものにするためにちがいない。塾から追放せねばならぬ」

「しかし洩らしたのがあなたと知れたら、危険にさらされます」

「かまわぬ。俺にとっての危険とは、おまえを石塚に狙われることだ」

「あなたが御公儀に狙われることの方がよほど危険です。どうか思いとどまってくださいませ、慶之助さま」

 だが中山は翌日、私の制止をふりきって先生に伝えに行った。戻って来た顔はひきつっていた。

「先生は何と?」

「石塚が公儀隠密に相違ないと申し上げると先生は顔色を変えられたが、こうおっしゃった――『今ノ話、二度トスルナ。ホカノ者ニ言エバ、オマエヲ追イ出ス』と」

「何ゆえ・・・・・・」

「わからぬ・・・・・・ひょっとすると、江戸参府が関係あるのやもしれぬ」

「江戸参府というと、四年に一度、阿蘭陀商館長一行が上様への献上品を携えて江戸へ上るあの・・・・・・?」

「そうだ。次回は二年後で、先生は医官として随行することになるが、その際、江戸に長期滞在することを望んでおられるらしい。一行が帰ったあとも残って見聞を広めたいと」

「それが石塚殿の件とどう関係が?」

「外国人の長期滞在を御公儀が許した例は一度もない。そのため先生は今のうちに幕府に味方を作っておきたいとお考えなのかもしれぬ」

「石塚殿が幕府の手先なら好都合というわけですか」

「いずれにせよ、石塚は追い出されぬ。かくなる上は俺がおまえを守るしかない。あやつが何をしかけて来ようが、断じて思い通りにはさせぬ。勉強でも今にあやつの鼻を明かし、文句を言えぬようにしてやる」

 中山の思いに嘘はないようだ。これではっきりした。幕府の隠密は石塚だ。私は長崎の薩摩藩邸詰めの藩士とひそかに連絡をとり、江戸にいる御隠居様宛ての書簡を託した。書簡には石塚が作っている薬のことも、詳しく記しておいた。

 使命の一つを果たしたが、気持ちは軽くならなかった。石塚が寺での行動を見られながら、何もしてこないのが不気味だった。

 不安から少しでも逃れるため、私は研究に没頭した。そもそも第一の使命はいまだ終えていなかった。年内に子宮の血塊を治療するための薬を完成させねばならない。塾生兼女中として掃除にかこつけて朝晩先生がいない間に研究室を利用できるのが、せめてもの救いだった。

 私は月水を実験に使っていた。月水は薬になるという信念を一冊の書が与えてくれたからだった。題名は『月水の精気』。独逸のアウグスト・ハイドリヒという民俗学者の著書を蘭語に訳したものだ。一般書の棚に見出し、手に取った。御禁制の聖書に関する記述があったので空恐ろしかったが、腹をくくって借りた。

 そこにはこうあった――、

 世界各地には月水を生命の源泉とする思想がある。

 聖書では月水を血の川、または花と表現している。ヨハネ黙示録二十二章に、「天使はまた、神と子羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く生命の水の河を私に見せた。それは都の大通りの中央を流れ、河の両岸には生命の樹があって、年に十二回実を結び、毎月実を実らせる。その樹の葉は諸国の民の病を治す。もはや呪われるものは何一つない」とあるが、ここでいう生命の水の河とは血の川を、樹はおなごを、毎月実る実とは月水を意味する。

 北欧の神トールは月水で満ちた川に身を浸したことで永遠の生命を得たとされ、ヒンズー教の太女神も月水を飲んで天に昇ったといわれている。印度南西部では、太女神の月水の浸みたと伝えられる布は、治癒の呪力を持つものとして今日でも重宝されている。月水は薬としても使われたのである。

 紀元前一五五〇年頃に書かれた埃及の医学書『エーベルス・パピルス』では、月水がおなごのいろいろな苦痛を取り除く治療薬として紹介されており、十世紀末の亜剌比亜の医師アビセンナは『医学体系』で、疼痛部に月水を塗ると痛みがやわらぐと述べている。独逸のバイエルン地方でも月水は炎症を抑える作用があると言われている。

 この書で目を開かれた私は、おのれの月水に種々の洋薬を調合し、実験を繰り返した。もとより簡単には成功しなかった。消えないしこりに触れると、お加恵の方様の言葉が耳の中から聞こえた。

「妾の血は汚れている。これに勝てるのは薬ではなく、より汚れた血ではなかろうか。たとえば性悪なお登勢の方の血。それを妾の子宮に入れたら、瘀血などいっぺんに弾き飛ばすやもしれぬ――弱いものは、強いものによって永久に消される。これ、世の法則であろう?」

 血塊を散らすのに、おのれの月水では弱いのかもしれなかった。より強い血を私は求めた。重い婦人病にかかっている患者を知らぬかと塾生たちに聞いて回った結果、複数の患者を得ることができた。私は彼女たちに症状を緩和する漢方薬を与えるかわりに、月水を頂戴した。うまくいきそうな気がしていた。

 公儀は相変わらず何もしてこなかった。すると突然、石塚宗廉が行方をくらました。

 夜、出かけたきり戻らなかった。皆手分けして探したが、どこにも見当たらなかった。もっとも塾生が消えるのははじめてのことではなかった。授業についていけなかったり、家庭の事情が生じるなどの理由で突然行方をくらました者は少なくない。石塚は優等生だったので皆意外に思ったようだが、日がたつにつれ、あやつもやむをえぬ事情があったのだろうということになり、気にかける者は減っていった。

 しかし私の不安は増す一方だった。石塚は公儀に呼び出されたとしか考えられなかった。穴弘法寺を覗き見した私を始末するよう命じられ、どこかに潜んでいるのではないかと思うと気が気でなく、なじみの薩摩藩士に会いに行った。私と御隠居様の連絡役であるその藩士は小監察という役職を持ち、長崎の奉行所の動きを探る役目を与えられていた。

 私はいつも通り鳴滝塾の現状報告を済ませると、話の合間に石塚宗廉が消えたわけを知らないか、それとなく問うた。すると小監察は別人のように顔をこわばらせ、言った。

「詮索無用」

 その目は明らかに何かを知っていた。薩摩が石塚を拉致したのではないかという疑いがわいた。自国を探る公儀隠密を一人も生きて帰さないといわれる薩摩藩のことだ。

「そなたはおのれの使命を果たせ」

 厳然たる声が鼓膜を打った。

私はおのれの体で必死に実験を繰り返した。だが症状の重い患者の月水を用いても、しこりは消えなかった。それどころか肉の中を蛇がのたうっているかの頭痛や、差し込みに襲われた。ふいに手中の壜を思いきり叩きつけたい衝動にかられた。腹が立ってたまらなかった。十五で奉公に出て以来、十六年間遊びもせず着飾りもせず、医の道に入ってからは勉学だけを生き甲斐にやってきた。それなのに結果を出せない。このままだと命さえ奪われる――。私の人生は何だったのか。

一番楽しかったときのことが胸に蘇った。十四だった私は、友だちのフセと踊りの稽古をさぼって遠出をした。夕陽が黄金色に光り、すすき野原がどこまでも広がっていた。私たちは走った、笑った・・・・・・。

 あの頃の私はもういない。フセは、どうしているだろう。二歳下だから二十九になっているはずだ。私が奉公に出てまもなく、武家に奉公に出たと聞いたが、今ではきっと子どもに恵まれ幸せな家庭を築いているだろう。私は恥ずかしくて会えない。おなごでも一旗あげられると思ったのは、間違いだった。おのれの作った無用の液体が憎らしくてたまらなくなった。力任せに壜を何度も振ったら、勢いあまって平積みの本にぶつかった。崩れた中から見慣れぬ書が顔を出した。ザームエル・ハーネマン著の『オルガノン』。書庫に無断で入った言い訳に使うため、手にした本。医書ではないと聞き、読もうとも思わなかったが、表紙を開いてみた。投げやりに頁をめくった私の目は、ある文に釘付けになった。和解すると、こうだ。

「より弱い作用は、より強い作用によって永続的に消される」

 お加恵の方様と同じ考え方――。急にこの書に興味がわき、はじめから読む気になった。

「互いに類似した病気は相手を消し去ることができる。似たものは似たものを治す。ゆえに、ある物質を健康な人に投与したときに起こる症状を治す薬として、その物質そのものが有効だ。ただしその物質は、とことん希釈振盪せねばならぬ。希釈振盪、すなわち薄めて振ることを繰り返すほど、その物質は治癒の力を高める」

 薄めるほど効く? その逆だと蘭方では言われるが。

「なぜ薄めるか。薬の原料には毒性が強いものがあるので、そのまま投与すれば副作用を引き起こす。水でとことん薄めることで毒性を消せる。もっとも、それだと薬の成分までともに消すことになる。

 しかし薬の波動は水に残る。波動とは、ある物質固有の運動の型であり、言い換えれば精神のようなものである。この薬の波動こそが、病の根本原因に働きかける」

「波動は振ることで活性化する。活性化とは、自然物質を開け放ち、その内的な治癒力をあらわにさせることである。活性化された波動は、より確実な治癒を可能とする」

 試しに先刻振った薬を飲むと、頭痛がすっと引いた気がした。

―――これだ!

 そのとき戸が開いた。

「アーヤ、私ノ研究室デ何ヲシテイル」

 シーボルト先生が靴音を尖らせて入って来た。

「器具ヲナゼ勝手ニ使ッタ」

「先生・・・・・・」

 険しい目だった。書庫でのようには誤魔化せそうになかった。

「申し訳ございませぬ。研究に使用しました」

「何ノ研究」

「実は、私の子宮には血塊がございます。今まで婦人病の患者を紹介してほしいと皆さんに頼みましたのも、月水を用いた薬を作るためでございました」

「月水トハ経血ノコトカ。経血ヲ薬ニ用イル?」

 先生は興味を示した。

「コノ血液ハ経血カ」

「はい」

 私はここぞとばかりにこれまでの研究過程について説明し、

「近頃は行きづまっておりましたが、先生が下さったハーネマンの『オルガノン』のおかげで、突破口がひらけそうです」

 着想を説明すると、

「面白イ」先生は上気した。

「マサニ異端ノ発想ダ。サスガはーねまん、治療ヲ禁ジラレタ医者ダケアル」

 先生によると、ハーネマンは近代医療に嫌気がさして自ら新たな療法を生み出した。その療法はまたたくまに独逸国内に広まり、危機を感じた医師や薬剤師たちが圧力を強め、政府に働きかけて四年前の一八二〇年、独逸国内での医療活動を禁止させた。今は地方でケーテン公爵の庇護を受けて執筆に専念しているという。

「日本で蘭方医が漢方医にしりぞけられるようなものでございますか」

「イヤ、おるがのんハ非科学的ダ。私モ医学トハ認メヌ」

「しかし先生、私はこの療法が効く気が致します。試しては、なりませぬか?」

「私モドレホド効果ガアルカハ興味ガアル。経過ヲ報告スルヨウニ」

「では、よろしいのでございますか?」

「コノ部屋デ実験ヲツヅケテヨイ。タダシ――」

「何でございましょう」

「体ハ大事ニシナサイ」

 先生の真心にこたえるためにも、何としても結果を出そうと私は誓った。

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