第八章 江戸・一八一七(文化十四)年六月―十月 伊藤文

 どこにいるのか、皆目見当がつかなかった。

 薬種問屋の帰り、突如二、三人の男に襲われ、駕籠に乗せられて来た。

 運び込まれた部屋で目隠しを外された私は唖然とした。生まれてはじめて見るものばかりだった。

 日の光を透かす玻璃の窓。窓に吊り下がった白い布。床に敷かれた赤い毛皮。脚の長いお膳と腰掛。その一つに私は縛りつけられていた。

 武家姿の女中が銀のお盆を運んで来て、ぎやまんの盃を二つ、お膳に並べると、私の縄と猿轡を外して言った。

「動いてはなりませぬぞ。じき、お見えになられますゆえ」

「どなたが? あの、ここはいったいどこでざいますか」

 返事のかわりに扉が閉じる音がした。白い布が蒸し暑い風に揺られている。突然、扉が開き、白髪頭のお年寄が入って来た。きらきらした金色に真紅を重ねた唐人服を着ていたが、恰幅のいい体つきと、えらの張った四角い顔には見覚えがあった。薩摩の御隠居様だと気づくなり、私は毛皮の上にひれ伏した。

「快起来(クワイチーライ)、請座(チンズオ)」

 何を言われたのかわからず、頭をいっそう低くしたが、

「面をあげよ。座ったらどうじゃ」

 御隠居様は腰掛に座り、向かいの席を私に示した。従うと、女中が現れて壜を傾け、ぎやまんの盃に赤い血のような液を注いだ。

「下去吧(シャーチーバ)」御隠居様が何やら声をかけると女中も、

「是(シー)、大人(ダーレン)」

 耳慣れぬ言葉を返して姿を消した。私が目を伏せてかたくなっていると、

「ハッハッハ」

 笑い声が沈黙を破った。

「わしは華音(かいん・・・中国語)が好きでのう、家来にも覚えさせて、よう使う。蘭語も学び、この建物などは阿蘭陀風に作ったのじゃが、どうも唐風になじんでおってな、あちらの礼服などをたまに着ておる。並みの大名なら咎めも受けようが、わしは将軍の岳父じゃから誰も文句は言えん、ハッハ。ところで、ここはどこじゃと思う?」

 一つしか考えられなかった。

「・・・・・・高輪のお屋敷でございましょうか」

「その通り、さすがじゃ。ここは江戸高輪の薩摩藩下屋敷よ。格式ばった三田の上屋敷と違うて、世にも珍しき西洋式花園に葡萄棚、大石盤の日時計まで有しておる。三十年前、わしが隠居したときに改造し、一度火事に見舞われたが見事立て直した。今いる建物は弄玉亭というて阿蘭陀の香炉、楽器、画集などが山と収蔵されておる」

 血の色の液体をすすり、

「わしは若い頃から海外の文化を少しでも我が国に広めようとしてきた。望遠鏡や簡天儀を備えた天文館である明時館、医学院や薬園なども設置したが、その関係で新しい学者を我が藩に引き抜くのが趣味のようになっての」

 真顔を向けた。

「その方はおなごにして医術を学んでいるそうな。いかにも珍しい。よって、我が藩に取り立てる」

 私は息をのんだ。

「おなごの病を研究してもらいたい。藩には婦人病の専門医がおらぬ」

 炯炯たる眼光が私の目を貫いた。

「表向きはわしの側室にして部屋を与える。公儀にはすでに届けを出した。その方は家老中村甚右衛門の養女ということにしてある」

 動悸が高まった。

「あの、夫は・・・・・・」

「辻元周庵か。もはや藩医ではない。斉興の気に入りだったゆえこれまでは許していたが、あやつは終わりじゃ。今やその方の夫ですらない。離縁を申しつけた」

「・・・・・・」

「その方の実家なら心配はいらぬ。わしが手当てを与え、中風の父親は藩医に往診させる」

「・・・・・・もったいなき幸せに存じまする」頭を下げるよりなかった。

「その方にも部屋住料を与え、成業したらば本禄をさずけよう。ゆくゆくは藩医にとりたててもよい。穢れあるおなごが医者になるなどもってのほかというのが世間の考えじゃが、わしはそうは思わぬ。その方には能力を最大限伸ばしてもらいたい。そして我が藩の役に立ってもらいたいのじゃ」

 御隠居様は言った。

「何よりお加恵の病を治してほしい。よいな」

「かしこまってござりまする」

私は意気ごんだ。与えられた機会を生かさない手はなかった。恐れと不安がなかったと言ったら嘘になる。だが喜びの方が大きかった。上様の岳父に見こまれた。辻元から逃れられ、好きな学問の道に進めるのもうれしかった。

 問題がないわけではなかった。子宮のしこりをなくすことができるようになっても、この先一生屋敷勤めになれば、まことの側室にでもならぬ限り、子は作れない・・・・・・。

 考えても仕方がなかった。治療法を見出さないことには、何もはじまらない。まずは御側室の病を治し、三十半ばを過ぎても子を産める体にして差し上げることだ。


 三田のお屋敷でのことがあったから、お加恵の方様は私を快く迎えてくださるとばかり思っていた。ところがお部屋の襖越しに挨拶を述べると、

「診なくてけっこうじゃ。先日借りた帯ならば、新しいものを用意して届けさせるゆえ、お引きとりくだされ」

 切り口上で言われ、会うこともできなかった。

 私をよく思っていなかった人びとはいい気味だという顔をし、橋渡しなどしてくれなかった。

翌日はどうにかお部屋には入れたが、お加恵の方様は私が床に寄ると顔をそむけてつぶやいた。

「御隠居様のお申しつけゆえ仕方なく会うたが、そなたに触れられたら、よけいに具合が悪くなりそうじゃ」

「診察はすぐに終わりますゆえ――」

「けがらわしい。おのれの出世に人の病を使うとは。これ以上利用されるのは御免じゃ」

「利用など、とんでもございませぬ」

「夫を利用して高輪のお屋敷に上りこみ、御隠居様に取り入る腹黒いおなごじゃと皆が噂しておる。さような者に手柄を立てさせるぐらいなら、妾(わらわ)は意地でも治ってはやらぬ」

「お方様・・・・・・」

「所詮すべては無駄じゃ。診るなら、さっさと診て済ませよ」

 本道(漢方)の基本である脈診と舌診を行ったところ、お方様の脈は動きに抵抗が感じられる濇脈(しょくみゃく)で、舌は痩せて薄い痩薄舌にして白みがかった淡白舌だとわかった。いずれも子宮の中に停滞した汚い血、瘀血(おけつ)ができていることの証だと判断できた。

「しこりは瘀血からできます」伝えると、

「だから何じゃ。散らせるものなら散らしてみよと言いたいが、医者でもないそなたが、藩医の治せぬものを治せるはずはない」

「御隠居様は私に治すようおっしゃいました」

「ではそなたに尋ねる。病の名は何じゃ」

「それは・・・・・・」

「わからぬ者に何ができる」

その日から医書との格闘がはじまった。書物はいやというほど運びこまれた。唐の古典、『黄帝内経』も全巻そろっていた。その中の「水腫篇」に次の記述を見つけた。

「石瘕(せっか)は胞中(子宮内)に生ず、寒気子門(子宮の入口)に客し、子門閉塞し、気通ずることを得ず、悪血当に瀉すべくして瀉せず、衃(ハイ・・・凝血)を以て留止し、日を以て益々大きく、状は懐子の如く、月事時を以って下らず」

 滞った血が、妊娠四、五か月の身の大きさになるとある。やはり瘀血が固まってこぶ状になったものが、しこりなのだ。ここでは石のしこりと書いて石瘕と呼んでいる。

 一方、平安時代に宮中医官をしていた丹波康頼が編纂した『医心方』の「婦人諸病篇」ではしこりを八種に種別してある。「治婦人八瘕方」の項に、月事のときに血脈の精気が整わないときに生じる八つの病として、子宮が刺すように痛んで黄色い汗が出る黄瘕、腹中に亀状のしこりができる鼈瘕、そのほか蛇瘕、狐瘕、燥瘕、脂瘕、血瘕、青瘕を列挙しているが、お加恵の方様の症状に最もあてはまるのは血瘕だった。

 血瘕は、月事の期間に邪気と血が結集し、経路が阻まれたとき生じ、小腹に気のつもった包塊ができ、急痛し、陰道内に冷感があったり、腰が痛み、仰向いたりうつむいたりすることができなくなるものとある。

 この血瘕を小さくするには、血の塊を溶かして下すのがよいとされ、その薬の作り方が載っていたので、私は早速材料を取り寄せて処方した。しかし一か月以上がたってもお加恵の方様のしこりが減った気配はなかった。

夏が過ぎ、秋になった。私は思いきって、比較的新しい安永二年に出版された早川俊成の『女科摘要』にあった石瘕の処方薬に切り替えた。石の如き腹大に骨立を治し、血を破りしこりを下すには、大黄(タデ科の植物の根茎)、消石(硝石)各六両に、巴豆(トウダイグサ科の植物)、蜀椒(山椒)各一両、代赭(赤鉄鉱)、柴胡(セリ科の植物の根)、水蛭(ヒル)、丹参(シソ科の植物)、土瓜根(多年生のつる草)各三両、乾漆(長期間貯え塊状になった漆)、芎藭(セリ科の植物)、乾姜、虻虫(アブ)、茯苓(サルノコシカケ科の植物の菌核を乾燥したもの)、右十四味を砕いて蜜で丸め、酒にて服す、とあったので苦労してその通りに作り、患者に与えた。

 三日目、お加恵の方様の体調が悪化した。湿疹、下痢、震えが起こり、月事でもないのに陰門から多量に出血した。瘀血が流れ出したものかと期待したが、しこりが小さくなる気配は少しもなかった。脈をみようとすると、

「触るでない!」

 お方様は血相を変えて叫んだ。

「そなたは毒を盛ったのじゃろう? 誰に頼まれた、ええ?」

「滅相もございませぬ。処方したのはしこりを流す薬でございます。劇薬が含まれるゆえ、副作用が起こったのでございますが、かようなご負担をおかけしようとは・・・・・・申し訳ございませぬ」

「黙れ! 偽りはもうたくさんじゃ。そなたも心では笑っておるのじゃろう? ここの女どもと同じように。妾は生まれが卑しく、呪われているゆえ、腹にできた子を石に変えられたと思っておるのじゃろう」

「いえ、そのようなことは決して。信じてくださりませ・・・・・・お方様、私にもしこりがございます」

 お方様の顔に一瞬驚きがよぎったが、

「その腹、少しも出てはおらぬ」

「今はまだ目立ちませぬ。しかしいずれは大きくなりましょう」

「・・・・・・そなたはまだ若い。妾の気持ちはわからぬ。わかるはずがない!」

「そうかもしれませぬ。しかしお方様のお体を治したいと思う心は本物でござります」

「信じられぬ」


薬の服用を中止し、七日が過ぎた頃には、お加恵の方様の体は回復したが、あれ以来、いかなる薬も、飲んでもらえなくなった。血の滞りによって気も変調し、お方様は口もきかぬほど塞ぎこんだかと思えば、突然激しく怒りだすといったことを繰り返すようになった。私が診るようになって状態はむしろ悪化したのである。三月目には、もし治せなかったら、いかなる仕打ちを受けるだろうかということばかり考えるようになった。

 藩医たちは嘲笑い、

「われらにも治せぬものを、素人のおなごがどうにもできるものではない」

 それ見たことかという顔をし、助けてはくれなかった。しかし中には口をきいてくれる藩医もいた。

 吉益流の古医方を学んだ御年四十五になる梅村先生で、同じ門人ながら蘭方に進んだ中川修亭と交遊のある、比較的開けた考え方の御仁である。すがる思いで相談すると、

「中川は子宮のしこりを血塊と呼び、手術をすればとり出せないことはないと申していた。十三年前、華岡青洲が開発した麻酔薬を導入して乳癌の手術を成功させて以来、あやつも負けじと外科蘭方を研究し、名医と言われるまでになっておるからな。ただし、いまだおなごの急所の子宮を切り開いた者は、日本にはおらぬ。仮に成功しても一時的なもので、患者の命を縮める結果になる確率が高い」

「腹を切るなど・・・・・・」

 死に等しい、言語道断だと思った。その頃の私は蘭方を異国の妖術のように思い、信じていなかったのである。

「腹を切らぬ手術もあるが・・・・・・百年前、賀川玄悦先生は血塊を持つ産婦に分娩後、再び力ませ、お産の如く血塊を出させたという。もっともこの方法は産婦にしか効かぬ」

「では、どうすれば・・・・・・」

「おぬしが自ら妙術を生み出すほかないが、それはできぬだろう。ま、これも業だ。血塊のもとはおなごの毒。子を産まぬおなごは毒を出せぬ。諦めるのだな」

 梅村先生ですら父と同じ偏見を持っていることに衝撃を受けると同時に、怒りを感じた私は俄然、闘志をわきあがらせた。

 薬を飲んでもらうことから、はじめるしかない。瘀血がひどくなると、感情の調節がききにくくなり、心に異常をきたす。お加恵の方様は御隠居様の前では比較的落ち着いているようだったが、この頃はほかの側室に嫌がらせを受けているという妄想が強くなり、私に会うと敵の一味が来たと勘ちがいし、脅えて部屋の隅に逃げたり、攻撃したりするまでになっていた。それをどうにかなだめすかし、お茶と偽って薬湯を飲ませたが、たちどころにばれて吐き出された。

「また妾で試そうとするのか!」

 言われて私は何をすべきか、気がついた。

 その晩読んだ医書に、強力な駆瘀血剤が紹介されていた。名は大虻虫丸で、水蛭で凝結を溶解し、虻虫で血塊を軟化するという。一回の調整に水蛭三百匹、虻虫四百匹がいる。実に気色が悪かったが、それらの死骸を必死でさばき、成分を抽出してできあがった薬をまず自分で服用した。

 一刻もしないうちに激痛が起こって腹を下し、月事とは思えぬ大量出血がはじまり、とまらなくなった。手足がしびれ、心臓が苦しくなり、頭が朦朧とした。それでも効く薬を与えたい一心で服用をつづけた。

 苦痛をこらえてお加恵の方様の脈をとっていると、体がぐらついて布団に倒れかかった。

「これ、どうした」

 その声でどうにか正気づいたものの、酒に酔ったように呆としたので、

「何ゆえもたれかかる」

問われると、つい本当のことが口から出た。

「新たな薬を、おのれの体で試しておりますゆえ」

お方様は瞳孔を開き、

「下がれ」怒ったように叫んだ。

 部屋から出て厠に転がりこむと、子宮から流れ出す血の中に、魚の内臓のような塊がまじっていた。

 五日後、下腹の今まで硬かった部分の広さが減った。しこりの一部が流れたようだった。薬効があらわれたのだ。喜びが胸をかけめぐった。この上は一刻も早くお加恵の方様に飲んでもらおうとお部屋にあがった。

「大虻虫丸こそは、しこりを散らします。私が身をもって確かめましたゆえ、どうかお飲みくださいませ」

「そなたのしこりが散ったと?」

 胡乱げに下腹をじろじろと見られ、

「は。外目からはわかりにくうございますが、間違いございませぬ。強力な薬ゆえ、激しい腹痛やめまいなどの副作用はございますが、それにお耐えにさえなりますれば、お方様のお体もきっとようなります」

「そなたも演技がうまくなったのう。本当は毒なんじゃろう」

「いいえ、お方様、このたびは必ず効きます。私、命を賭けてもかまいませぬ」

「まことか。ならば、この場で自害してみい」

 突然抜き取った小刀を渡され、血の気が引いた。

「どうした。命を賭けるのじゃろ? 所詮は法螺か」

「いえ・・・・・・」

 目をつぶって刃の先端をおのれの首に向けた。ひといきに突き刺そうとすると、五指がおこりのように震えた。

「やめい」お方様の声が耳に入った。

「やめよというのが聞こえぬか!」

 全身の力が抜け、小刀がこぼれ落ちた。

「申し訳ございませぬ」

 がばとひれ伏した。涙があふれ、畳にこぼれ落ちた。

「もうよい。顔をあげよ」

 お方様はうつろな目を向けた。

「どうでもようなった・・・・・・妾はのう、ずっと人に劣っていることが耐えられなかった。子を産む苦しみも、育てる喜びも知らぬ・・・・・おのれが人でなしのような気がしての、恥ずかしうてたまらなかった。世の母親が崇高に見えた」

「・・・・・・」

「一方では、見下す気持ちもあった。子を作る行為自体は崇高でも何でもない。快楽に身をゆだねるだけ。それで子を宿したら御生母様と奉られる。かような理不尽はない。身分の低い妾はこの地位に上がるのに血のにじむような努力をしてきた。奥女中としての器量ならば皆に劣らぬ自信がある。さよう、妾は誇り高きおなご。馬鹿にされるのが我慢ならぬ。それゆえ、子が欲しゅうてたまらなかった。だがさような考えは身勝手と思うにいたった」

「・・・・・・」

「子にしてみれば迷惑な話じゃ。親の都合で修羅の世に送り出されるなど。生まれぬ方がかえって幸せではないか。そう思うことにした。産もうとしても産めぬこの体のために・・・・・・」

「諦めてはなりませぬ。大虻虫丸を服用すればしこりは消え、子をお授かりになります」

「妾の血は汚れている。これに勝てるのは薬ではなく、より汚れた血ではなかろうか。たとえば性悪なお登勢の方の血。それを妾の子宮に入れたら、瘀血などいっぺんに弾き飛ばすやもしれぬ――弱いものは、強いものによって永久に消される。これ、世の法則であろう?」

 お方様の目は宙をさまよっていた。また妄想がはじまったと思い、

「さようでございますね」

 軽く受け流すと、お方様は私を見つめた。

「そなたには医術がある。三田の屋敷ではじめて会うたとき、そなたに惹かれたのは、おのれの才覚を信じているところが、妾に似ていると感じたからじゃ。力を妾のためだけに使うことはない。ほかの患者も診られるよう、御隠居様に頼むとよい」

「お方様」

「強くなるのじゃ! この体なら心配はいらぬ。死に至る病ではない。自分でもようわかっておる。それゆえ甘えているのも・・・・・・薬は明日飲む。今日は下がるのじゃ」

 お方様の目には光るものがあった。だが、そのときはさほど気にとめなかった。

その晩、私は自分のしこりが小さくなったと思ったのは、取りちがいだったと知った。大虻虫丸も効かないとわかれば、お方様がどんなに落胆するだろうと考えると、落ち着いて眠れなかった。何度目かで目が覚めたとき、襖の隙間に白い紙が挟まっているのに気づいた。訝りつつ紙を広げ、行灯の火に透かし見ると、お加恵の方様の筆跡で次の意味のことが書かれてあった。

「短い間でしたが、お世話になりました。このたびのことは、先生には一切責任がない由、書き残しておきましたのでご心配なく」

 異様な胸騒ぎを覚え、寝間着のまま私はお方様の部屋に向かい、断りもなく襖を開いた。主の姿はどこにも見あたらなかった。お付きの女中は、何も気づかず寝ていた。声をかけると、ようやく目を開いた。

「お加恵の方様はどちらです?」

 怒鳴るように聞くと、女中ははっとして、私が勝手に入ったのを咎める余裕もなく、

「私ともあろうものが、お方様がお部屋をお出になったのに気づかぬとは・・・・・・」

「どこに行かれたか、心当たりの場所はございますか?」

「たまに眠れぬと仰って、夜風を浴びに出られることはございますが――」

 廊下から中庭に目をやった女中はぎょっとした顔になった。

「あ、あれを」

 池に、何かが浮かんでいた。暁闇の中、二人で中庭に下りて恐る恐る近づいていくと、水面に人が仰向けになっていた。髷が崩れ、黒髪がとぐろを巻いて蓮の葉にからみついていた。

お加恵の方様だった。赤い帯がほどけ、派手な着物がだらりと広がり、蒼白い光に肌がさらされている。

私は激しい動悸を感じながら、水に浸かった手をとったが、すでに脈はなかった。

「そんな・・・・・・」

顔には後れ毛がはりつき、両目がかっと見開かれていた。

「何ゆえ・・・・・・かような・・・・・・」

 お加恵の方様は懐刀を下腹に突き刺していた。子宮が切り裂かれ、柘榴が割れたように肉が剥き出しになっていた。そこに黒い虫が集まり、這い回っていた。

 女中は口を両手で押さえ、木陰に駆けこんだ。私は歯をくいしばって目をそらすまいとした。ふいに血盆経和讃の文句が耳の奥から聞こえた。

  八万由旬の血の池は みづから作地獄ゆへ

  一度女人と生れては 貴せん上下の隔なく 

  皆この地獄に堕なり 扨この地獄の有さまは 

  糸あみ張て鬼どもが わたれ渡れと責かける

  渡はならずその池に 髪は浮草身は沈み 

  下へ沈ば黒がねの 觜大きい虫どもが

  身にはせきなく喰付て 皮を破りて肉をくひ・・・・・・

 総身がわなないた。お方様は身をもって血の池地獄を表したかのようだった。

 私は今まで何をしていたのか。血盆経和讃を父に聞かされるたびに女が毒ではないと明かそうと誓った身で。医者として手を尽くしたと言えるのか。本気で治したかったなら、蘭方も取り入れるべきではなかったか。なのに私は本道に固執した。漢方の薬は効かぬと薄々わかっていたにもかかわらず・・・・・・悔やんでも悔やみきれない。

 起き出した奉公人たちが続々と異変に気づき、騒ぎだした。


「面をあげいっ」

 書院に私を呼んだ御隠居様はつねとは人がちがうように峻厳な声を放たれた。

「このたびのこと、まことに遺憾であった。もはやその方をこの屋敷に置くわけにはゆかぬ」

「は」

 いかなる仕置きが下ろうと身をもって受けようと、覚悟していた。

「加恵が自害したのは、しかし、その方の咎ではない」

 耳を疑った。

「あれの書置きを読んだ。その方は、自らの体を研究に用いて薬を完成させたそうじゃな」

「されど、不完全でございました。漢方で効かぬなら、蘭方を試すべきでございましたのに――」

「その方は、やれるだけのことはやった。加恵には失望した。あそこまで愚かじゃったとは。さんざん目をかけてやったにかかわらず屋敷にけちをつける真似をしおったによって、亡骸はすみやかに片づけた」

 寵愛していたとは思えない冷たい目だった。

「加恵付きの女中には暇をやった。その方は、薩摩に行くよう」

「は」

「今一度機会を与える。九州で使命を果たすのじゃ。期限内に果たせなければ、命はないと思え」

「ははっ」

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