第五章 江戸・一八一七(文化十四)年六月 辻元文(つじもと・あや)

 梅雨で肌寒く、月事の身にはこたえるゆえ、生薬を煎じていたら、夫が台所に駆けこんで来た。

「おうい、あのな、たった今、三田のお屋敷からお使い番が見えてな、病人を診に来てくれとのお達しだ」

「何ゆえあなたが」

 屋敷には通常、侍医がいる。侍医が留守の間は宿直の番医がかわりを務める。同じ藩医とはいえ、普段は町医者で、番医より格下の夫が呼ばれるのは異例だった。

「わからんが、出世の好機だからの、おまえも今すぐ用意してくれんか。ほれ、今日あちらに届けるものがあると申しておったろう、ともに向かえば一度で済む」

「ともに」といっても、私を医者用の御免駕籠に乗せないつもりであることは、わかっていた。

「私はあとで参ります」

「それはならぬ。おまえには駕籠の横に歩いてもらうことになるがの、荷物は供の者に持たせるゆえ。ささ、早く、今なら雨もあがっておる」

 私を強引に連れて行きたがるわけは、察しがついた――。

 夫の名は辻元周庵。医者を稼業にしている。すでに六年も連れ添っているが、好きで一緒になったのではない。辻元は父のかかりつけの医者だ。強欲な癖に診察料もろくに払えない家に通いつづけたのは、私が目当てだったためという。私が十八のとき天茶屋に暇を出されて実家に戻ると、ここぞとばかりに縁談を申し込んだ。両親は喜んで承知したが、総髪の醜い中年男に嫁ぐなど、いやでたまらなかった。

 それでも従ったのは、思いを寄せていた豆腐屋の次男が親戚を嫁に迎えたので、やけになっていたためだが、理由はほかにもある。辻元周庵の力に期待するところがあったのだ。

 私は天茶屋に意趣返しがしたかった。

 それには茶殻の使い道を暴くのが一番だったが、私は店を追い出された際に出入り禁止を言い渡されていたゆえ、自分で調べるのは難しかった。そこで辻元と結婚するなり、天茶屋に行って買い物をしてほしいと頼んだ。

 ところが辻元はなかなか応じなかった。催促するたび、いちいち言い訳をするので、何か隠しごとがあるのではないかと勘ぐった私は、夫が留守の間に診療所を探った。すると薬棚の奥から天茶屋の茶筒が出てきた。辻元は天茶屋には一度も行ったことがないと言っていたにもかかわらず・・・・・・。

 驚くのはまだ早かった。茶筒の中には、福安湯と書かれた紙包みが入っていた。中身は、見覚えのある針のかたちの茶葉だった。

 何ゆえ辻元がこれを・・・・・。

 疑惑がわきあがり、問いつめたくなったが、下手に動くのは得策ではないと思い、懸命に自分を抑えた。

 ところが結婚二年目の文化九年、意外な事態が起きた。天茶屋が茶葉に煮殻をまぜて売っていたことが思わぬところから暴かれ、店の主人が召し捕られるとともに、辻元の関与が明らかになったのである。

 店主の申し立てによると、辻元は、天茶屋がまだまっとうな商いをしていた頃、品物に鼠の糞がまじっていたと言いがかりをつけ、表沙汰にされたくなければ茶殻を買えと高額で売りつけた。詮方なく言う通りにしたが、一度ではすまなかった。辻元は茶殻をただ同然で仕入れては、天茶屋に大量に買わせるようになり、主人も内証が苦しくなると出来心を起こし、茶殻を売り物にまぜるようになった。これが客にばれるどころか、旨いと評判になった。主人はやめようにもやめられなくなったという。

私はおののいた。

 奉行所に密告した人間は、只者ではなかった。与力と親しい呉服屋に聞いたところ、その者は陽隆といい、四十代半ばの真言密教僧で日本橋の宝生院の住職らしい。その兄、日啓は日蓮宗の僧侶で千葉の智泉院の住職。四人の子どもがおり、長女は畏れ多くも上様の御側室で、姫君を三人もうけているお部屋様だそうだ。

 つまり陽隆は上様の縁戚だ。そのような人物が何ゆえ、一介の葉茶屋の不正を暴いたのか――。

 陽隆は五六年前から喫茶療法なるものをはじめ、境内で茶を栽培し、自ら摘んで製造している。日本茶も多く作るが、唐伝来の茶が主だという。

 それを聞いて私は、以前花見で会った男を思い出さずにはいられなかった。上野の山で唐の福安銀針を福安湯と称し、人びとに飲ませていた。確かあのとき「これぞ喫茶療法」と言っていた。あの男は陽隆にちがいない。

 額に傷を負わせたおなごが辻元の妻だと知られたら・・・・・・。

 生きた心地もしなかった。ところがあれから六年、私はおろか辻元さえ奉行所に呼び出されることはなかった。

 今では当時の事件はほとんど忘れられている。けれども辻元への不審は募るばかりだ。ただでさえ夫婦の会話は減っていた。辻元ははじめの頃こそ私を可愛がったが、いつまでたっても子どもができないので、だんだん離れていった。この頃では何を考えているのかまったくわからない。

 夫が善人でないのは確かだ。しかし悪人にしては意気地がない。しみったれた山師といったところだ。辻元は藪医者ですらなかった。いつも駕籠で唐の医書を広げるが、本当は漢文が読めない。仮名書きの粗雑な医書で薬の効能を適当に覚えて薬籠と薬味箪笥をそろえ、医者の看板を掲げたに過ぎないことを私は嫁いで二年目に知った。

 そんな男に父の治療を任せるのは間違いだとわかっても、医者をかえなかったのは、それまでの借金を払うあてがなかったためだが、理由はほかにもあった。中風にかかったら、どんな医者にみせても元には戻らないと諦めたのが一つ。

 父をさほど慕っていないというのが、もう一つの理由だ。むしろ憎んでいる。寝たきりの父は家族にあたりちらした。私が着替えをさせようとすれば、こう言う。

「痛、痛えって言ってんだよ。もっと優しくできねえのか。女の癖に。そんなんだから奉公先を追い出されるんだ。母さんが仕込ませた武芸や教養、男だったら役に立ったろうが。おめえなんか、ただの出来損ないだ」

 自分の言葉がどれだけ傷つけるかを考えない。

「ほら、ちゃんと持たねえと、こぼすだろ。天茶屋でもその調子でやってたんじゃねえのか。おめえ何かというと血の道を言い訳にしてるらしいがな、人生を真剣に生きている人間、生死の瀬戸際に立たされている人間だったら、ちょっとぐれえ腹が痛かろうが、気にする暇もねえ。血の道なんてのは、要するに我まま病だ。我ままのやつが物ごとが自分の思うようにならねえときに癇癪を起こすだろ、あれと一緒よ」

「・・・・・・でも、我ままだけで頭やお腹が痛くなるものでしょうか」

「心を平(ひら)に持つことができなくなると、毒がわき、体の道を塞いで、それが熱をもって痛みが生じる。つまり我ままは体に痛みを生じさせるってこった。心を平に持てりゃ痛みはなくなる。勝気な女はいけねえ。つねに気を高ぶらせてるから毒がわきっ放しよ。だから、おめえにゃ子どもができねえんだ」

 一番言われたくないことを口にする。

「・・・・・・おとっつあんは、医術に詳しいんですね」

 皮肉は通じない。

「ま、もともと大工にしては博学だったけどよ、耳学問でいろいろ覚えらあな。おめえ、血盆池ってわかるか? 昔々、どこぞの都に夷多羅女(いたらめ)てえ姫がいたんだが、こいつがひでえ嫉妬深い女で、眼耳鼻舌身の五官の欲望である五欲と、貪り、怒り、愚かさの三毒の血を月水として流した。そいつが溜まりに溜まったのが血盆池よ。女は死んだらみんなこの血の池地獄に堕ちると決まってる」

「・・・・・・でも、お坊さんに血盆経というお経を書いてもらって、血の池に見立てた川や池に投げ入れれば、女でも地獄に堕ちずにすむんですよね」

「あんなのは気休めだ。お経を捨てたからって、血が出なくなるわけじゃねえ。女は不浄だ。要するに女てえものは皆毒だ。その毒を皆、男が受けるもんだから、俺がこういう目に遭うんだよ。百害いずれも女より起こる。女は世の障害。おめえらがいる限り、俺はよくならねえ」

「伝吉は男ですよ」姉の息子の名を挙げると、

「あいつはまだ六歳だから、おめえたち三人の女の毒を払うに足りねえ。足りねえどころか毒されてる」

「そんな言い方は、失礼ではありませんか」

「いや、俺のおふくろは、女の悪業は深いとよくわかってた。なにしろ我孫子の女は毎月寺に集まって、女の悪業を仏に詫びるんだからな。おめえらも血盆経の内容を飲み込みゃ、わかるはずだ。聞かせてやろうか」

 そのお経を読み上げられるたび、私は思った。父の偏見を正すために、月水が毒ではないと証したいと。女は毒ではないと。私は毒ではない。自分でもそう信じたかった。

 子どもができないことで、私は自信を失っていた。親子連れを見るたび、自分が不具に思え、胸を切り刻まれるようだった。できることなら授からない原因を突きとめて、治したかった。年々月事がひどくなっていたから、問題は私にあるとしか考えられなかった。

 診療所にあった医書に私は目を通した。仮名書きの簡単なものばかりでなく、書棚に飾られていただけの『黄帝内経』や『傷寒論』などの漢方書の古典も片っ端から読んだ。漢文は子どもの頃寺子屋で学んだから、理解するのは苦ではなかった。勉強の間は嫌なことを忘れられたから夢中になった。

けれども私が最も知りたい婦人病については、どこにも載っていなかった。辻元の持っている医書が少なすぎたのだ。『黄帝内経』も全巻揃っていなかった。買うよう言ったが、聞き入れてもらえなかった。

 辻元は勉強しなくても、診療所はすこぶる繁昌していた。「千人殺さなければ一人前の医者になれぬ」だの、「学医は匙が回らぬ」だのと言って医者を知識よりも人あたりで評価する世の中ゆえだろう。辻元は世辞がうまく機転がきくので人気のある町医者になり、嫁いで三年目には藩医を目指しだした。薩摩屋敷を目標にしたのは、しかし欲のためばかりではなかったようだ。薩摩の御隠居様は上様の岳父、島津重豪(しげひで)公である。御三女の寔子(ただこ)様が、上様の御正室だった。御側室お美代の方の叔父である陽隆に睨まれても、御隠居様の傘下に入れば身を守れると計算したのかもしれない。

 学問もない男が藩医になれるわけがないと高をくくっていた。けれど夫は自宅の台所にかまどを三つこしらえ、薩摩から大量の唐芋を仕入れると、薩摩屋敷に奉公している患者の娘を通して、自分のところで唐芋を焼いているという噂を広めはじめた。すると薩摩屋敷から取次の者がお薬取りと称して挟み箱を持って来たので、自ら胡麻塩をふって焼いた芋を入れて渡した。それが奥女中の間で好評を博し、以後頻繁に使いが来るようになった。辻元は毎日診察を二の次にしてかまどの番にかかりきりになった。私には呉服の仲買をさせて女中連の機嫌をとらせた。

 春には奥女中たちが直接、それも足しげく訪れるようになった。前日に連絡を受けると、辻元は高価な鮨や菓子を取り寄せ、当日は踊りの師匠を呼んで歌舞音曲でもてなした。そうすると女中連はお殿様や御隠居様に会ったときに、辻元周庵は腕のいい医者だと褒めそやしてくれたのである。

 御隠居様には効き目はなかったようだが、お殿様の島津斉興公は女中連の話を真に受けた。それで辻元は三年前藩医にとりたてられ、薩摩藩江戸屋敷に出入りを許されるようになった。私たち夫婦が今まで無事に過ごせたのは、そのおかげでもある。

 しかし藩医とは名ばかりだった。これまで屋敷に呼ばれたのは、宴席に限られていた。滑稽な芸で笑わせるのがお役目。幇間同様だった。

 それが今回はじめて病用で呼ばれた。

 三田の上屋敷は、お殿様斉興公のご住居である。病人はお殿様ではないようだが、責任重大なことに変わりはない。

 私を強引に同行させる理由は、医学の知識があるためとしか考えられない。いざとなったら責任を押しつける気かもしれない。今日お屋敷に呉服を届ける予定がなければ、ふりきったものを・・・・・・。

 辻元を乗せた御免駕籠はお屋敷に向かっている。ついて歩くうちに、降ってきた。供の者に持たせた反物は長持に入れて濡れないようにしてあるから大丈夫とは思うが、小雨でも肌にはしみる。今日は月事の二日目。体が冷えて、出血が勢いを増してきた。替えの下帯など七つ道具はすべて信玄袋につめて携帯している。薬湯もある。しかしいつ出せるか。お屋敷で粗相をせぬか心配でならない。

 寺院や旗本屋敷、町屋の密集した細い道を通ると、薩摩藩上屋敷の表御門前に到着した。

 辻元は病室に私を連れて伺候したかったにちがいないが、出迎えの女中が現れ、私は呉服の間へと通され、夫は二之間へと導かれた。

 侍医も番医も時疫にかかったので辻元が呼ばれたということだが、ほかのことは何もわからなかった。

 病人は誰か。病は何か・・・・・・。

 長持から取り出した反物を納品し終えたとき、廊下から慌ただしい足音が聞こえ、襖の外でとまった。はりつめた声が私の名を呼んだ。至急二之間まで起こし願いたいと言う。

「辻元先生が診察の途中で引きつけを起こされたのでございます。薬箱にお手も届かない状態で・・・・・・お薬の場所は奥様がご存じだと伺いました」

私は心中で苦笑いすると、信玄袋をつかみ、女中についていった。

 辻元は二之間の襖の先に仰向けになり、白目をむいて総身を小刻みに震わせていた。ひと目で芝居だと見抜いたが、薬箱から適当な薬を選んで与えると、辻元は動きをとめて目を閉じた。女中の手前、

「一刻ほどで目を覚ますでしょう」私はそう言うと、

「このたびの夫の不調法、お詫びの致しようもありませぬ」

 ひれ伏すほかなかった。刹那、

「苦しい」奥の病人が呻いた。

「かえの医者はまだ来ぬのか」

 三十代半ばのお中臈である。顔は蒼白、髷は崩れて枕にほつれた髪が広がっている。

「は。先程丸山先生を呼びに参らせましたが――」

「早く、ああ・・・・・・」

病人は布団を突き飛ばした。むっと生臭い匂いが鼻をついた。腰の辺りが真っ赤に染まっていた。辻元が目を回した原因が、わかった。私は決然と、

「憚りながら、私が診てもよろしいでしょうか」申し出た。

 女中は困惑を示した。

「このお方は御隠居様の御側室でございます。間違いがあっては――」

 ためらっている場合ではないと判断した。

「失礼致します」膝を進め、病人の腹部に触れた。

「痛いっ、何をする」

「ここが刺すように痛みますか」

「う・・・・・・」お中臈はうなずいた。

「これを」

 私は冷えをやわらげるために使っていた袋を帯から取り出し、患者の下腹にあてた。

「この臭いは何じゃ」

「灰式懐炉です」

 火をつけた桐灰を入れてあるのでいくらか焦げ臭いが、小さな金属の箱は袋で包んでちょうどよい温かさになっていた。

「温めれば血の流れが良くなり、痛みがある程度やわらぎます。血寒といって血が冷えますと血の流れが滞り、瘀血(おけつ)を引き起こしますゆえ」

「しかし辻元先生は冷やすようにおっしゃいました」女中が口をはさんだ。

「蒸し暑さで体に熱がこもったために出血したと」

「夫は殿方ゆえ、勘ちがいしたのでしょう」

 辻元の閉じた瞼が引きつったのが見えたが、私はかまわずに、

「月事のときは夏でも冷やしてはなりませぬ。お方様、はじまったのはいつでございますか?」

「今日来るはずでは・・・・・・」お中臈は話すのも大儀そうだった。

「中屋敷に着いてすぐでございました」女中が付け足した。

「御主殿にお上がりになる前、突然倒れられ、こちらで横になられているうちにお月事が。あと十日は来ないはずでございましたのに」

「前のお月事から、ひと月経たずにはじまったのですか」

「はい。ここ数年、月に二度のことが、たびたびございます」

 患者の下腹は異様にかたく、ふくらんでいた。私は思いきって告げた。

「子宮(こつぼ)にしこりがあるようです」

するとお中臈は目をかっと見開き、

「知っておる!」部屋が割れるほどの大声で叫んだ。

「どうせ子はできぬ。二十四のときからしこりばかり育って、赤子は宿らぬ体じゃ」

 言葉を失った。他人事ではなかった。私は今二十四で、まだ小さいが子宮にしこりがあった。十年後の自分の姿を見たような気がした。

お中臈は荒い息を吐き、天井を睨みつけていた。瞼が赤い。気血の動きを調節する肝が変調している証だ。

「これをお飲みください」

 私は自分が飲むために持っていた竹筒を差し出した。

「薬湯でございます。肝の調子を整える柴胡と山梔子、気を動かしやすくする当帰と芍薬を煎じました」

 器にうつしかえ、匙ですくったが、患者は首を横にふった。

「どんなものだか知れぬ」

 私は一口含んでみせた。

「実は私も今日は月事でございます。この通り、害はありませぬ。それどころか、温まって参りました。お方様もどうぞ」

 薬湯はどうにか飲んでもらったが、出血の勢いはおさまらなかった。お中臈も普通のおなごと同様、下着をつけていないためか敷布までしみ込み、黒ずんだ色が広がっていた。

「これをお使いになってください。木綿製の丁子帯と、込め玉です」

「こめだま・・・・・・?」

「陰門に差し込んで血を吸収するものです」

出血の多さに悩まされていた私は、遊女たちが赤玉とか赤団子とか呼んでいるものを使っているのを聞き知って自作していた。絹織物を裂いてひもにし、巻いて棒状にしたものである。

「恐ろしい、差し込むなど・・・・・・」

「込め玉の上に丁子帯をすれば、少しでも洩れるのを防げます。替えも用意してございます」

 説得を重ねた末、込め玉を挿入し、丁子帯を締めてしばらくすると、

「どうやら薬湯が効いたようじゃ。痛みがやわらいできた。丸山先生には悪いがもう用は済んだと伝えておくれ」

お中臈は明るい目で私を見て、

「そなたには礼を言う」

「もったいなきお言葉にございます」

「旦那もそなたが妻で安心じゃの」

 辻元はまだ寝たふりをしていた。そのとき、

「御隠居様がお見えです」

 突如、外から声がかかった。私はうろたえた。御隠居様の島津重豪公は高輪の下屋敷にお住まいのため、それまで一度もお見かけしたことすらなかった。

 とっさに平伏した。女中も、病人のお中臈までもが畳に両手をついた。辻元も今正気づいたようなふりをして頭を下げた。

 襖が開いた。

「お加恵、具合はどうじゃ」太い声が耳に入った。

「茶会の最中に倒れたので心配したわい」

「お蔭様で大分ようなりました。御隠居様にはとんだご迷惑をおかけ致しまして、申し訳ございませぬ」

「楽にせい。大事をとって、しばらく横になるがよい」

 布団の汚れに目をとめた様子で、

「これ、褥を改めよ」

「はっ」命じられた女中はそそくさと廊下に駆け出した。

「お殿様のお座敷をこれ以上穢すわけには参りませぬ。私はお暇仕ります。汚れ物はすべて弁償致しますとお伝えくださりませ」

「斉興はわしの孫じゃ。遠慮はいらぬ。今はとにかく休め」

「・・・・・・お心遣い、かたじけのうございます」

「礼などよい。ところで、お加恵を診た医者とは、この御仁か」

「ははっ」辻元がここぞとばかりに声を張り上げたが、

「あの、御隠居様、辻元先生は引きつけを起こしまして、実際に診てくださいましたのは、こちらの奥様でございます。まことに適確な処置をしてくださいました」

「ほほう・・・・・・」視線が私に注がれるのを感じた。

「その方、面をあげい」

「はっ」

 話に聞いていた真っ白な蓬髪が目に入った。肉づきのいい堂々たる体躯と、えらの張った四角い顔は、御年七十二歳には見えないほど精気がみなぎっていた。

「その方、医者か?」

 鋭い目が私を見すえた。

「いえ」

 正直に答えた。ただの女が藩医の真似をしたのでお咎めを受けるかもしれない。だが、もしそうでないならば、これはまたとない機会かも知れなかった。

「私、医者ではございませぬが、医術の心得はございます」

 腹を決めて言った。

「この五年、古今の医書を読みあさって参りました。辻元が女房連れで屋敷にあがったのは、いざとなったら私に助けを求めんがためでございました」

 夫の驚きと怒りが背中に感じられたが、無視した。

「では、引きつけを起こしたというのは」御隠居様の問いに、私は答えた。

「芝居でございます」

「辻元先生は斉興のお気に入りと聞いておったがのう、まことなら容易ならぬ仕儀じゃ」

肩を震わせる辻元を横目に見て、御隠居様は厳然と言い渡した。

「その方らには、追って沙汰する」

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