第114話「紫電の霧」

彼の存在というのは、この世界にとって大きかった。

かつて化け物と呼ばれた少年は、化け物という面影を思わせる事はもう無い。

『お前と契約してやる。だから生きろよ――ハーベスト・ブラッドフォールン』

声に聞こえないザラザラとした声。

何か電子音のような、水の中に入っているような音が混じっている。

これは、何かの夢だ。

だがそれでも夢にしては、何か現実感が強いと思う。

ここ最近は、頭脳労働を数日間こなしていたから余計なのだろう。

「……ん、んっー!――んぎゃぁ!?」

起き上がりながら伸びをした途端、本が何冊か頭上に落ちてくる。

「何じゃ何じゃ!どういう事じゃこれはぁ!」

すかさず起きて、自分の周囲の様子が変だという事に気づく。

今の今まで、本棚に囲まれた場所で寝泊りをしていた。

だけど今は何故か、人知れず墓地の真ん中に妾は居たのであった――。


――どういう事じゃ、という事だ。これは。

周囲を歩いて捜索してみたが、この場所は魔法で創られている事が判明した。

「……厄介じゃな」

地面に触れれば、水面のように揺れても崩れる事はない。

空へ高く飛んで様子を眺めても、この墓地の姿しか目視出来ない状況だ。

こんな事が出来る知り合いに心当たりがあるといえばあるし、無いと言えば無い。

だが出来る前提で思い浮かべるとすれば、彼女だけだと思う。

逆に言えば、その人物しか思い浮かばないのだ。

「……アモルファス全体を結界で覆った、となればじゃがのう。むぅ~、全く面倒な事をしてくれる奴じゃわい。大方、妾が勝手な行動をしないように監視しとけなどと、あの者に言われたのじゃろうな。……忠義が深いの良い事じゃが」

言葉を止めて、数十秒間。

息を吸って吐いて、ゆっくりと繰り返していく。

集中力を上げるのは瞑想が早い。

やがて呼吸を止め、地面を思い切り片足だけを踏んだ。


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ハーベストは片足を上げ、すぐに力強く地面を踏んだ。

その瞬間、彼女が居る場所から限界まで魔法陣が伸びていく。

拡大に拡大を重ねていき、見えなくなるまで魔法陣は広がって行く。

「……忠義が深いのは良い事じゃがのう。妾を閉じ込めるなら、もう少し術を学んでくるべきじゃったな」

そう笑みを浮かべて呟いた時、その魔法陣を隠すように霧が出て来る。

それはやがて視界を阻み、周囲が白い闇に覆われてしまった。

だが彼女はニヤリと笑みを浮かべながら、口を開いていく。

「……姿を見せぬのなら、力ずくでも引き摺りださせてもらおうかのう。妾にも、やるべき事があるのでなぁ!」

言い終わった瞬間、魔法陣の上から彼女は姿を消した。

この空間を作った者は、周囲の気配を探っていく。

だが気配は読み取れずに、彼女の優勢と局面は変化した。

「……見つけたぞ?」

「――っ」

「動けばその身体を貫く。大人しくこの結界を解除し、妾を解放するのじゃ。言う事を聞かねば、お主とて容赦はしないぞ。――イザベル・フォルネステイン」

短剣を構え、切っ先だけを触れさせる。

間合いが無い以上、その場で魔法を使用しても応戦は困難だ。

たとえ発動が早い魔法でも、突きつけられた短剣より早い技は無いだろう。

「……まさか世が負けるとは。不覚」

「負けを予想してないとは、お主はもう少し自信を抑えるべきじゃな」

負けを認めたイザベルの背中から、そう言って短剣を離したハーベスト。

その瞬間だった。

「……っ!?」

足元から冷気に包まれ、氷の結晶のような魔法陣が彼女を中心に広がる。

まるで狙っていたかのように。

「――あぁ、世の負けだ。世には貴様のような油断は出来んからな。いやはや、良い教訓だった。礼を言うぞ?ハーベスト・ブラッドフォールン」

「……お主、相変わらず性格悪いのう」

「それは褒め言葉として受け取っておこう」

足元から氷漬けにされていき、ハーベストは身動きが取れなくなっていく。

このまま侵食を放置すれば、確実に氷の彫刻となるだろう。

「なぁイザベルよ。――お主、よもや妾が、何も考えずにお主の傍に来たと。そう思っておるのではあるまいな?この程度の事態は、想定内じゃよ」

凍っていく足を放置し、ハーベストは両手を広げる。

その動きに反応し、ハーベストの足元から魔法陣が広がって行く。

紫色の魔法陣は、紫煙を出してその場を包んだ。

「ハーベスト、貴様……何をした?」

「何をした、ではなくじゃ。既にされていたが正しいのう、イザベルよ。お主はもう既に、妾の術中じゃよ」

「……っ?」

イザベルが視線を凝らしてみると、視界のハーベストの姿が歪んでいく。

ユラユラと揺れる彼女の身体を払うように、杖でそれを薙ぎ払おうとする。

だが杖は空を切り、歪んでいたハーベストの姿は消滅した。

「くそっ!世の目を謀ったのか!ハーベスト・ブラッドフォールン、何処だ!何処へ消えたっ!」

「妾の姿を見失った時点で勝敗は決したぞ。お主の負けで、妾の勝利じゃ。お主が自分で作った空間で、せいぜい踊っておると良いじゃろう。――かっかっかっか♪」

ハーベストは笑みを浮かべて、高らかな声をあげる。

笑いながら彼女は姿を消し、イザベルは紫色の霧の中でただ佇むのだった。

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