第93話「癒しの代償」
「――で?一体なぜ、あんな所で寝ていたのか、本当に覚えていないのですか?」
「まだ疑うの?もう三回目だよ」
馬車で移動するのもひと段落し、僕らは休息を取っていた。
ニブルヘイムから西へと向かう道。
その道を知っていても、入り組んだ道が
その苦労もあって、馬も休ませなければならない。
走り続ける訳にはいかないだろう。
体力を温存しなければ、万が一問題が生じた瞬間に苦悩する事になる。
それは、避けた方が良いだろう。
「疑いはしますよ。私たちが来た時には、貴方が一人であそこに寝てたんですから」
「一人で?僕が?」
「そうですよ。――本当に何も無かったのですか?」
そして今僕は、あの不穏な気配を纏った場所から救出されて今に至る。
その際にあの場所で、僕は一人で寝ていたという事らしい。
本当にそうだったのかと思うのだが、何も思い出せないのもまた事実なのだ。
「何かあったのかもしれないけど、僕は何も覚えてないよ。そろそろ諦めてよ……」
心配しているのか、質問攻めされているのかという曖昧な所だ。
詮索されるのは、あまり好きじゃないんだけどなぁ……どうしたものか。
「はいお兄ちゃん、魚が焼けたよ」
「あ、ありがとう。フィリス――君も食べたら?腹が減ってはなんとやら、だよ」
「ふん。分かってますよ(心配するこっちの気も知らずによくも……)」
焼き魚を食べるように促し、彼女を焚き火の近くでムスッとしながら座った。
何が気に入らないのか分からないけれど、ちゃんと食べてくれないと困る。
道中何があるがあるか分からない以上、ちゃんと出来る事はするべきだろう。
「あむ……この魚、甘い?」
「何て言う魚か忘れちゃったけど、美味しい魚だって話を聞いた事あるよ!」
フィリスは笑顔を浮かべてそう言った。
美味しいって言ったのが嬉しかったのだろうか?尻尾が左右に振られている。
「そっか。フィリスは魚を焼くのが上手だね。ハクとは大違いだね?」
「余計なお世話です。私ではなく、シロが得意ですから平気です」
僕がそう言うと、そっぽを向いたそう言った。
その理屈はなんなのだ。
シロが得意だから平気という事を言って、何が平気なのか分からないけど……。
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焚き火の火が消えて、彼と少女は馬車の中で眠っている。
馬車の中で三人寝れるというのも、なかなか広いと思うが微かな抵抗がある。
目の前の川の流れる音が聞こえ、穏やかな風が吹いている。
静寂の中にも、微かな自然の音が混ざるというのを私は気に入っている。
『何を考えているの、ハク?』
頭の中で彼女の声が聞こえ、心地良い時間から呼び戻される。
「別に、ちょっとした事ですよ。姉さんの心配する事はありませんよ?」
私の今の役目は、眠る事ではない。
このまま彼らを置いて寝てしまっては、もしもの時には動けなくなってしまう。
それだけは避けたい事だ。
『心配するよ?だってハク、全然寝てないんだもん』
「大丈夫ですよ。睡眠なら、姉さんが取ってくれていますし」
『そういう事じゃないってばぁ!もう!ちゃんとハクは寝るっ!お姉ちゃん命令っ!』
そう言われた瞬間、私の意識が反転するように脈を打つ。
視界が遠くなり、今までの風の音が聞こえなくなった――。
――私は無理矢理に、彼女の意識を深層へと引っ張った。
この身体の所有権は私であり、そこから役目を決めて所々で交代していたのだ。
でも今回は、あまりにも彼女が頑固だったから仕方がない。
「ハクは寝なきゃダメ。明日になったらまた移動するんだから、ちゃんと寝て。寝るまでシロが出たままになります!シロが馬車を使うとどうなるか、ハクなら分かってるよね?」
『ぐっ……わ、分かりました……寝ますから落ち着いて下さい』
「ならよしっ!じゃあ寝るまで、外はシロに楽しませてね♪」
『……はぁ、分かりました。ではおやすみなさい』
私たちの身体は二人で一つの状態で、まさしく運命共同体と言ってもいい。
だからこそかもしれないけど、片方に異常があればすぐに分かってしまう。
例えそれが、個人的に隠したい事があっても……。
「……あまり無理はしないでよ、ハク……」
私は立ち上がって、川の中へとゆっくり入る。
魚が驚いて、私の足から咄嗟に離れて行く。
「――癒しの波動よ、この世の者に、安らぎを……」
水の中に足を入れたまま、私を中心に緑色の魔法陣が広がって行く。
この魔法には名前はない。けれど、これは私が皆の為にと思って創った魔法。
少しでも彼らが傷を負っているのなら、それを癒したいと思ってしまうのだ。
それは傲慢な願い。
だけど願わずにはいられないのだと、私は祈り続けるのだった――。
――少女は踊り、水の上で舞い続ける。
それは癒しの波動であり、全ての者の心を癒す事の出来る特別な魔法。
だが特別という事は、それなりの対価が生じてしまう。
だが少女は祈り、舞い続ける。
たとえ、その身が滅びの道を進もうという事を知っていても……。
少女はただ穏やかに、
そして笑みを浮かべながら、舞い続けるのだった――。
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