第92話「霧の中で」
――早く、ここから出ないと。
そう思いながら、僕は手探りでその中を歩いていく。
でも何も触れられず、何も見つけられずにいる。
自分の立つ場所だけ見えて、その他は何も見えない。
「……落ちないようにしてれば良かったかなぁ」
普段から魔法を使わないようにして、普通の人間というのを演じていた。
それが今、裏目に出た結果がこれだ。
咄嗟の事だったとはいえ、反応出来なかったとは情けない。
身体が
魔法による強化をしているにしろ、見た目では何も分からない。
フットワークを軽くしているとはいえ、僕の身体能力は一番僕が知っている事だ。
把握していなければ、動けないし戦えないだろう。
『――君だけが残ったんだね?』
「……」
再び聞こえてきた声。
その声には含み笑いを混ぜているのか。けど何か、遊んでいるような声だと思った。
そういえばこの声はさっき……。
――試してみようかな。
僕は考える事をやめて、その場で何もせずにただ座った。
「君は誰?言葉が分かるなら、姿を見せて話しをしないか」
霧の中で正体も分からない者に話し掛け、そんな言葉を上に向かって言い放つ。
返事が来るかは分からないけど、僕には予感があった。
何故なら……。
『やっと呼んでくれたね。本当は君じゃなくても良いのだけど、話しやすそうだし構わないか』
「……姿を見せてくれないか?何かを話すなら、対面で話すのが礼儀だろ?」
『それもそうだね。――うん、いいよ』
……何かが来る。
そう思わせる風が吹き、僕の身体をその風が掠める。
目を逸らさずに、この声の主が誰なのかを動かずに待った。
「……お待たせ。初めましてだね、人間」
「――!」
それは目の前で、僕と同じ姿勢で座りながら現れた。
素直に驚いたけれど、僕はその容姿に驚いたのだ。
「…………(どこかで、会ってる?)」
「何かな。ボクの顔に、何か付いているかい?」
その顔は幼く、だがどこか気を抜けない雰囲気をしている。
信用してはならない。それが僕自身から出た結論であり、違和感だった。
「いや……僕は君と、何処かで会った事があるかもと錯覚していたよ。初めまして、僕はフレア。君の名前は?」
「ボクには名前はないよ。付けてくれた名前はあったけども、それはボクの意思でもないものだからね。忘れちゃった。――それよりキミ、面白い事を言うね」
彼はそう言いながら、立ち上がって僕の周囲を見ながら歩く。
その歩く度に、彼の足元では黒い影が帯びる。
まるで生きているかのように、僕の周囲を蛇のように這いずっている。
「……ボクに会った事あるかも、って言ってたね。もしかしたら、それは気のせいじゃないかもしれないよ?」
「え?」
後ろから手を回され、黒い影が僕らを包みだす。
蛇に見えていたそれは、噛み付くように僕の身体に絡みつく。
「な、なにをっ……君はいったい……っ?!」
影が首元に来ないように抑えながら、僕は後ろに居る彼の事を見る。
その瞬間、僕は自分の目を疑った。
それが幻であって欲しいと。
自分の見ているものが夢であって欲しいと思ったのは、いつ振りだろうか。
彼の瞳には、左右で違う光が灯っていた。
長い間、すっかり忘れていたその瞳。
それを僕は知っている。忘れてはならないその瞳の色。
「ボクは『死の神』だから、キミとは合った事があるかもね?」
そう言いながら、見開いた眼と眼を合わせられる。
逸らそうとしても、もう既に逸らす事が出来ない。
「そんな顔をしないで欲しいな。ボクはキミにまた会えて嬉しいよ」
「――――――!」
声が出ない。いや、届かない。
黒い影に覆われ、飲み込まれているのだ。
空間自体が歪んで、僕と彼の間に壁が生じている。
「そんなに暴れたら、ボクの友達がキミをもっと絞めつけるよ?ほら、抗えば抗うほど、それは徐々に恐怖へと変換されていくんだ。キミも知っているだろう?」
「……る……す。お……えは……」
真っ暗な世界の中に、下へ下へと沈んでいく。
それに抗うように、僕は彼に向かって手を伸ばし続ける。
だけど彼には届かず、僕はただ暗闇に飲み込まれるだけだった――。
「……きて……起きて……」
誰かの声が、遠くから聞こえて来る。
それが現実のものなのか、それとも記憶のものなのかは分からない。
だけど、確かに誰かが僕の事を呼んでいる。
「起きて……起きて下さい――仕方ありませんね、失礼しますっ!」
「ごふっ!?」
突然、僕の腹部から全身にかけて激痛が走る。
それによって、まどろみの中から強制的に現実へと呼び戻された。
「な、なにすんのさ、きみは……っ……」
自分のお腹を押さえながら、僕は目の前に居る彼女に言った。
「すぐに起きないのが悪いのです!こんな所で寝ているのが悪いんです!」
「え、寝てたって、誰が?」
「貴方の事を言っているのに、貴方以外誰が居るのですか?」
「あぁ、はい。さいですか」
僕は腹部をさすりながら、先に歩いていく彼女に着いて行く。
馬車の中からフィリスに抱き着かれたけれど、僕は何があったのか覚えていない。
何も思い出せずに居た。とても大事で、忘れてはならないような事のはずなのに。
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「『運命の出会い』などと比喩で使われたりするけれど、その言葉は案外正しいのかもしれないね。生きていると、何かと不思議な事が起こるものだねぇ。そうは思わない?いや、思わないか。――人間が考える事と、ボクたちが考える事は天と地という差がある。まさか、この世界に来ていたとはねぇ……」
そう言いながら、彼は霧の中を歩いていく。
通る場所から徐々に霧が晴れていき、その場にある全てのモノが姿を現していく。
「しかしボクの作った霧の中で、生き残ったのは彼が二人目だ。あはは」
彼は笑みを浮かべて、晴れた霧の中を見る。
その晴れた場所には、血に染まった地面と数多の死体があったのだった。
そして彼は、笑いながら再び姿を消して行った――。
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