第91話「遠ざかる空間」

『……むぅ……むにゃむにゃ……』

とある書庫の中で、彼女は寝返りを打つ。

狭い空間になっているのは、彼女自身が招いた結果だ。

本が山のように積まれ、ひとたび揺らせば倒れるだろうという高さのものもある。

それが彼女を囲むように並び、その中で彼女は寝転がっている。

その様子を見るのが、かなり自分自身で気に入っているのが分かっていた。

でもそれは幻で、とうの昔にそれは消え去ってしまっている。

それが結果であり、自分が招いた種なのだから仕方がない。

当然の報いだろうと思う。

『……んん?……フレ、ア?』

寝言で名前を呼ばれた事は何度かあったし、もう慣れてしまった事だ。

だが今は、それを思い出す度にオレは彼女に謝罪を繰り返すのだ。

「すまない、ハーベスト。……あいつが壊れたのは、オレの責任だ」

「ねぇねぇ、君――余計な事は考えない方がいいんじゃない?が自分と話す相手の思考を読む事、忘れていないだろうね?」

「知っている。余計なお世話だ。……お前も来るのか、あぁ――」

名前を思い出そうとするが、ピンと来なくて少々沈黙してしまう。

それを察したそれは、溜息を吐きながら改めて自己紹介をし始めた。

「はぁ……シルフィの名前は、忘れないで欲しいな。シルフィは風使いではあるけれど、精霊のそれとは比べ物にならないよ。比較する事すら、失礼だと思うよ」

「そうか。でも着いて来るんだろ?お前は道案内が仕事だろ?」

そう言って、歩みを進めると後ろから気配も近寄ってくる。

「君がここに来る事は想定してたらしいけど、シルフィには何かの陰謀に思えてきちゃうよ。だってあれは、脳筋のうきんだからね。けどこれだけは守って欲しい事が、一つだけあるの」

それはオレの肩に乗り、耳元で囁くように話す。

足は止める必要は無いのだが、大事な事だと思い足を止めた。

「――彼の前では、攻撃の意志は見せないでね」

「あぁ」

肩に乗る彼女の言葉に従い、そのままオレは炎の中へと足を踏み入れたのだった。


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『ねぇ、君らに聞きたいのだけど……』

突然聞こえて来たその声は、すぐに後ろからのものだった。

だけど振り向いても誰もおらず、周囲を確認する為に馬車を止める。

「フィリス、大丈夫?」

「何もされてない、けど……これ、どこから聞こえてくるの?」

自分の身体を抱くように座り、身を丸くするように耳も塞いでいる。

「ハク……君は平気?」

「ええ。ですが――」

彼女は振り向かずに、前だけに集中している。

まるでそこに誰かいると察知しているように……。

馬車の先頭へ戻れば、何かがいる。それは察知出来る。

でもそれ以外には何も見えない。

ただ分かるのは、その気配だけ。

「こわい、こわいよ、お兄ちゃん……」

フィリスはそう言いながら、震える身体を強く抱き締める。

「――ここは一旦撤退を要求します。このままここに居たら、何かに飲み込まれそうな感覚に襲われます。悪意……いや、それ以上の負の感情に」

彼女は周囲の様子を確認しながら言うが、その身体は微かに震えていた。

「分かった。けど出来るだけ警戒は解かないで欲しい。僕だけじゃ察知出来ないかもだから」

「分かりました。では……はっ!」

彼女は馬を走らせて、その場から出来るだけ離れる。

だがニブルヘイムに戻る事はなく、順路から外れるように迂回し始める。

「……大丈夫?二人とも」

「大丈夫、ですが……」

すぐに返事をしたのはハクだったが、荷車の中から返事はない。

だけどその中で、フィリスの耳は敵を察知していたのだった。

「――――来るっ!こわいのがっ、早く逃げて!」

荷車の中から飛び出したフィリスに、段差を踏んだ直後の勢いが重なる。

そしてそれは、曲がろうとしていた瞬間だった。

「フィリスッーー!!」

少年は少女の手を掴んだと同時に、彼は馬車の中へと引っ張った。

だがその影響で、少年はまるで流されるように馬車の外へと放り出されたのだった。

「お兄ちゃん!?……お姉ちゃん、お兄ちゃんがっ!」

「分かっています!けど駄目です!貴女の精神はもう限界ですっ!」

戻る事は出来ない。そう告げられた瞬間、少女は後ろを確認する。

だけど少女は彼の姿を確認出来なかった。

「……なんで?」

道を抜けた途端にそれは出現していた。

さっきまで明るかった景色は、まるで隠されるように霧に覆われていたのだ。

『ハク……そのまま先に行って下さい』

「(何故です、シロ)」

『あの霧はダメ。人をダメにする魔力が込められてる。入った人間は多分、自我を保つのは難しいと思う』

「(分かりました。まずは彼女の精神回復が先でしょう。自覚してるとは思えませんが、かなりの精神疲労が肉眼で判断出来ます。ここは休んでから、彼を……)」

彼女は彼女とそう言葉を交わし、馬車を走らせ続ける。

馬車を進ませる度に、その霧は濃くなっていくのだった。

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