第1章【繰り返された命】

第60話「転生Ⅱ」

『ほらフレア、遊んでいらっしゃい』

「……」

意識が朦朧としている所に掛けられる声。

その声は陽の光のように心地よく、優しい声をしている。

顔も名前も知らない僕の母親が脳裏を過ぎる。

誰なのかはわからないが、凄く懐かしい空気を感じる。

自然と手が伸びて、僕はその顔に触れようとする。

『どうしたのかな?フレア』

「……あ、シスター」

しまった。すっかり油断して、シスターの頬に触れてしまった。

如月皐月という人間は生きているけれど、その名はもう既に無いものとなっている。

代わりに目の前のシスターが僕に名付けた名前は、『フレア』という聞いた事のある名前だった。

シスターの話によれば、僕はこの修道院の前に捨てられていたらしい。

それを拾った彼女が、僕にその名を付けたようなのだ。

聞き覚えしかない名前だけど、不思議と嫌ではない。

こうやって一から育ててくれた人は、僕は知らないのだから……。

『フレアはみんなと遊ばないのですか?』

そう言われて、楽しそうに遊ぶ子供の姿を見つける。

心地よい風が頬を撫でて、穏やかな気持ちになる。

あの日々を忘れてしまったかのように、僕はここにいるのだろうか。

あの世界はどうなってしまったのだろう。

それだけが気掛りで、僕は遊んではいけない気がするのだ。

遊んだ瞬間、僕は全てを失う感覚に襲われるのだ。

「ううん、いいよ。僕は本を読みたいから、読んできていい?」

『そうですか。良いですよ、用意しましょうか?』

「大丈夫。ありがとう、シスター」

僕は半ば逃げるようにして、修道院の中へと入っていく。

部屋を進んでいけば、まるで図書室のような場所があるのだ。

昔と変わらない過ごし方だ。学生の頃も、僕はこんな風に過ごしていた。

そう思いながら、僕は床に座って本を読むのだった。

ボロボロの紙をノートのように使い、『魔法』という概念を理解する為に――。


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ここはニブルヘイムという国と、その反対側のアモルファスという国の間にある村。

くにさかいにある村だが、領地としてはニブルヘイム側にある。

各地では戦争もあり、人材派遣の影響で村から男手が消えていく。

そして知る限りでは、帰ってきた者はいない。

この修道院にも、いつ召集が来てもおかしくない状況だ。

争い事が絶えない領地は、必然と巻き込まれるのが運命さだめだろう。

「主よ、我らをどうかお救いください。血肉を食らわなければいけない世の中だとしても、ここにいる子供たちだけには幸福を。私たちは子供たちが幸福になれるのならば、己の不幸も甘んじて受ける所存です。どうか……どうか……」

どんなに祈りを捧げても、帰って来なかった命は蘇らない。

だけど私は祈らずにはいられないのだ。

この村が貧しくても、それでも幸せと思える瞬間があるのだから……。


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『如月皐月』という名前から、改めて『フレア』という名を授かった僕。

現実味が無いのが現状だが、どう聞いてもあの人の名前だと困惑する。

僕がここに来る前、目の前に現れた少年の名前。

あれから何も感じないし、気を抜いた瞬間に忘れそうになる。

ここに来る前の事を。あの世界の事を。

この場所は何なのだろうか?僕はいったい、誰という事になっているのだろう。

人格はしっかりしているし、身体も僕の言う事を聞く。

むしろ動きやすくて、違和感を覚えるくらいだ。

漫画やアニメとか、ゲームなどでいう『転生』という事なのだろうか。

「……これが本当の生まれ変わりなのか?リン」

本を読みながら、僕は天井を見上げる。

「やはりここに居たのですか?」

「シスター?なに?」

「夕食の用意が出来たので、みんなで食べましょう?ほら、ね?」

僕の近くまで来て、手を伸ばす彼女。

一度伸ばした手を躊躇したが、ゆっくりと彼女の手に触れた。

そのまま手を繋いだまま、修道院の皆が集まる食堂へとやってきた。

もう食べるのが待ちきれないと言った表情で、手を膝で握ったり、テーブルを叩いたりしている音が響いてくる。

年齢で言うなら、今この場所にいるのは最年長は小学生。小さい子供は、赤ん坊までが暮らしている。

食堂に並ぶ食事は、いつも贅沢とは程遠い物ばかりだった。

水も食糧も足りていない現状でも、ここの子供は笑顔が絶えない。

喧嘩もあったりするようだけど、僕は小さな幸せを持っているように思える。

「シスター、あの子は?」

椅子に座ったところで、部屋の隅で体育座りをしているボロボロの少年が居た。

パンを千切って食べて、見るからに元気が無いように思える。

「彼は新しい子です。近くの道で倒れている所を、村長さんが発見しました」

「…………」

何故だろうか。僕はその子供が、妙に気になってしまった。

何処かで会ったようなと記憶の中で混濁して、曖昧でモヤモヤした感覚が胸を包む。

「――これも食べる?」

その行動を疑うようにして、その場の空気が変化する。

貴重な食糧である物なのに、僕は無意識に椅子から降りて彼に渡そうとしている。

半分であっても、貴重は貴重だ。

「…………」

「?――」

彼はじっと僕の顔を見つめる。その瞳には、僕の姿が映っている。

「――キミ、どうして目の色が違うの?」

それを聞かれた瞬間、僕も今になって気づいた。

彼の瞳に映った僕の瞳は、左右で色が違っていたのだ。

僕は咄嗟に片目を隠した。でも彼は物珍しそうに僕を見る。

違う……これは僕じゃないんだ。

そう思った瞬間、視界が徐々に霞んでいく。

頬に生温かい物が伝い、その場で崩れ落ちる。

この修道院に来て約六年だ。

僕はその時にやっと気づいたのだ。

これが転生……僕自身を抹消したという現実だという事を。

僕は昔のように泣いた。

無邪気な子供と同じように、生まれ変わる前の頃から溜めていた思い。

その全てが爆発した。

「――――!」

声にならない泣き声で、僕はその日に実感したのだ。


そして如月皐月という人間は、世界の記録からも記憶からも消えたのだった――。


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「随分、酷な事をしたなお前は」

「それはキミもでしょ。神様が聞いて呆れるよ」

そう言って、枯れる世界樹に視線を送る。

「逝くのか?リン」

ボクはキミに恩返しが出来ただろうか?

かつてこの世界は、可能性という獣たちが住んでいた。

その獣たちが残したのは、『命』という。

ボクは自分自身と同じ人生を歩み、自分と同じ苦しみを味わった人を救いたかった。

どうしても救えないという時、ボクはキミに出会っているんだ。

生まれ変わりというのは、存外近くにいるものなんだよ。

かつての病室でも、キミは優しい人で真っ直ぐな人だった。

「うん、そろそろ時間かな。クロノス、この世界は崩壊すると思う。後は別の世界に向かった彼を信じて欲しい。無理なお願いかもしれないけど、出来れば……」

「助けろと言うのだろう?お前も人間好きにも困ったものだ。率先しては出来ないが、出来る範囲でなんとかしてやる。お前はもう、休め」

――良かった。クロノスも人間を信じる事にしてくれたようだ。

唯一キミとの溝は、人間を救うか救わないかの価値観だったからね。

最期に分かり合えたようで、ボクは安心したよ。

如月皐月という人間には、両親なんて者は存在するはずがないのだ。

記憶が欠落しているのではない。

それはもう必須条件なのだ。転生という条件は、一つ。

自分の過去を抹消し、リセットする事。

禁忌を犯してまで彼を救う道理は、ただ一つしかないのだけれど。

ボクは別に、後悔はしていない。

かつて友人になってくれた彼は、あの病室が最初の出会いだった。

でももう二度目の最期を迎える時が来た。

来てしまったのだ。

消える前に、あの時交わした言葉を言うとしよう。

それでボク自身の人生には、終わりという完結がやってくる。

でもそれだけじゃ物足りないから、彼の物語が始まるように幕を閉めよう。


――ありがとう。またね、皐月くん。

そして往くがいい。キミがいるべき、本当の世界に――

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