第61話「硝子」
「フレア~、いつまで本を読んでいるつもりだぁ?」
僕が本を読んでいると、眠そうな声で聞かれる。
顔を上げてみると、目を擦りながら彼の姿があった。
彼はキールという名前らしい。
この修道院は、行き場の無い子供たちや戦争で親を失った子供がいる。
この世界の僕のように、親に捨てられていたという子供もいる。
キールは少し抜けている所があるけど、話している内に言いたい事はハッキリしているようだ。
だけど考える事は苦手らしく、勉強という事は一切手をつけないように逃げている。
『キール?キールはいますか?』
そうしている内に、室外からシスターの声が響いてくる。
「げっ!もうバレた!フレア、またね!」
「またシスターに迷惑掛けてるのか?少しは勉強しろよ、キール」
慌てた様子で隠れながら、窓から出て行った。
僕の声が届いていたかは分からないけど、なかなか面白い子供だと思った。
「(まぁ、今の僕も子供なのだけど……)」
「あ、フレア。キールは見なかったですか?」
「キールならあっち。さっき逃げて行ったよ」
「っもう、しょうがない子ですね。あ、そうだ。フレアはどうですか?」
両手を合わせて、微笑みながらシスターがしゃがむ。
「なにが?」
「今から皆さんで勉強会を開こうとしているのですよ。良かったらフレアも一緒に。どうですか?」
「みんながいるのに、僕が居ても大丈夫なの?」
僕はそう言いながら、片目を無意識に隠しながら言う。
それによって、シスターはどう意味か察してくれたらしい。
「そう言うと思って作っておきましたよ。はい、どうぞ」
「え、なに?」
そう言って、シスターが僕に手渡した。
僕はそれを見て、躊躇いはしたけど身につける。
「じゃあ、行きましょうか」
「はーい」
僕はシスターが伸ばした手を取り、彼らの待つ場所へと向かう。
「勉強するのに食堂なんだね」
「皆さんが座れる場所は、ここしかありませんから。仕方が無いですよ」
「そうだね。シスターが勉強教えるの?」
「そうですよ、私が皆さんの指導者ですよ」
椅子に座ろうとすると、他の皆が僕の事をじっと見る。
『フレア~、その目を怪我でもしたの?』
『おぉ、なんかかっこいい!』
椅子からガタガタと離れ、僕の方へと一斉に近寄ってくる。
「ち、違うってば、怪我なんかしてないから!」
少し離れた所から見ているシスターが、こっちを見て小さく笑っている。
シスター、これが狙いだったのかなと少し恥ずかしくなる。
ちなみに僕にくれたのは、眼帯である。
眼帯キャラは小さい頃に憧れたけど、まさか僕自身がそれをやる事になるとは……。
「皆さん、勉強を始めますよ?」
『え~、もう少しフレアと話したかったぁ!』
『そうだそうだ~!』
シスターがそう言うと、子供らしい反抗の声が上がる。
僕は溜息を吐きながら、椅子にこっそりと座る。
「良かったね~、フレア。人気者だね」
「キール?何してるのさ」
座った瞬間、キールが下から声を掛けてきた。
「――勉強会から逃げてたんだね。君が嫌がる訳だ」
「嫌がってたらここにはいないよ。でもフレアが面白い事になってるから見に来た」
「僕は好きでああなってた訳じゃないよ。――シスター、キールがここにいるよ!」
「あ!フレア!それはダメだってば!」
「おやおや、キール。そこに居たのですね~。やっと見つけました」
キールは慌てて逃げようとしたが、シスターとそれを真似するように他の子たちが出口を遮る。
「あー、みんなひどいなぁ!」
笑い声が流れて来る。この光景を眺めるのが好きだ。
けどそれと裏腹に寂しくもあるのは、隠さなければならない。
ああいう風に、僕もあの頃は笑えていただろうか。
ドクン――!
記憶を巡ろうとした途端、身体が跳ねるように脈を打つ。
「……ん、フレア?」
「ご、ごめん。シスター、みんなも、やっぱり僕は寝ようかな、あ、あはは」
「フレア、どこへ!?」
『???』
僕はまた逃げるようにして、皆から離れる。
シスターが何か聞いていたが、そんな事すら耳に入らない程に落ち着かない。
幸せじゃない訳じゃない。不幸な訳でもない。
ただ、今の状態が続いたら忘れてしまいそうになるのだ。
忘れてはならない。そう思えば思っている程、ふとした時に忘れそうになる。
本を読んでいる時、皆の様子を見ている時、シスターと話している時……。
その一つ一つを幸せという時間を覚えた瞬間、過去の事を忘れそうになる。
「……ダメなんだよ。忘れちゃ……だめ、なんだ……」
空を見上げれば、月が出ている。
暗い空に昇る明るい月が、まるでスポットライトのように僕を照らす。
これは夢ではなく、紛れもない現実なのだ。
時間は進んで行き、止まる事は許されないのが現実だ。
名前は覚えている。だけど顔は思い出せなくなっているのが現状だ。
時間が進むのに連れて、この世界に身体が馴染んでいくように記憶が剥がれて行く。
「――フレア、泣いているの?」
「……キール?どうして?」
僕は隠すように顔を腕で擦る。
「様子がおかしかったから、見に来たんだ。いつものフレアじゃなかったから」
様子がおかしい……?
そうか。今までの僕が、この世界ではいつもの僕なのだろう。
「いつものってなに?」
「え――」
僕は何をして来て、何をしたいのかが分からない。
「僕の事を知らない癖に……」
「ちょっと待ってくれよ、フレア――」
この世界での僕は、僕であって僕ではない。
「何も知らない癖に、気安く近づいて来るなよ!」
「!――――」
「……あ……えっと」
……僕は今、何を言った?
違う、そんな顔をさせたかった訳じゃない。
「ごめん、フレア。……あっち行ってる」
「……あ」
止めないといけない。
でも止めてどうする?何も思い浮かばない。
去っていくキールの背中を見て、僕は感じてしまったのだ。
続けて叩かれたヒビの入ったガラスは、その一撃を浴びた瞬間に崩壊する。
そんな感覚が、僕の頭の中で響いたのだった――。
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