第59話「リセット」

――数時間前。

再び会えたのは、とても嬉しい事だった。

辺りは真っ白な世界だ。

何回も来れば、この世界は僕の世界という事が理解出来た。

そしてその中心にあるのは、世界樹だ。

天界と繋いでるのかは知らないけど、ここでしか彼にも会えないのだろう。

「やぁ、久しぶりだね」

「うん。まぁこっちにおいでよ、皐月」

世界樹の下で、背中を預けて座る彼。

その姿は、どこか衰弱しているように見える。

「リン?」

大丈夫か?と聞きたかったが、何故か言葉が出なかった。

「――さて、ここに来れるようになったって事はだ。もう次の段階へと進もうとしているんだね?」

「次の段階?」

言っている事が良く分からない。

「あぁ、オルクスの能力とボクの能力。その二つが今揃っている。これはもう次の段階へと向かう他無いと思うんだ。それで世界は救われるんだ」

「……世界が、救われる?何を言ってるんだ?」

「皐月。キミはもうボクの加護は必要ないだろう。今まで魂だけで守ってきたけど、これ以上はもう限界なんだ。分かるだろう?今のキミなら――」

リンは自分の身体を見せるようにして、腕を広げた。

その行為に力は無く、瞳にも光がない。

病人のように衰弱し切っている身体だ。

その様子を僕は知っている。

以前会った事があるけど、僕はその人の事を覚えていない。

会った事があるだけで、顔や名前も思い出せない。

でも微かな記憶の中に、この思い出は何だろうか……。

この胸を打つ感情は、この込み上げてくる思いは……。

「……やっとだ。

「恩返しって?僕はリンに何もしてないよ?気をしっかり持ってくれ!」

肩を掴んだ瞬間、僕の頭に彼の考えが流れ込んでくる。

「!?――」

マナと一緒に流れて、僕は咄嗟にその手を離した。

世界樹を見ると、前より小さくなっているようにも思える。

葉の数も少ない。枝と枝の間が見えるぐらいにまで減っている。

そして今の一瞬、彼と触れた途端に流れてきた魔力の量。

それだけで、僕はその場に崩れた。

「まさか、君をこうさせたのは……ぼく?」

「それは違うよ。ボクはあるべき姿に戻っただけだよ。天界に存在していたのが、奇跡と言っても良いぐらいなんだ」

「……あるべき姿?」

「ボクは元々、キミと同じ存在だよ。この世界はボクが創ったんだよ?何も無い所から、ここまで創るのは骨が折れたけどね。あはは」

そう言いながら笑っているが、その笑顔にも力がない。

それで徐々に流れてくるマナは、拒否する事も出来ずに僕の中へと入ってくる。

「僕の魔力をリンに譲る事は出来ないのか?」

「それはダメだね。キミは生きていて、ボクは本来は死んでいる身なんだ。だから天界でも、浮いた存在になっていてね。あの時のボクは結構参っていたんだよ」

あの時というと、僕と彼があったゲームセンターでの事だろう。

僕は放浪するように遊んでいたのだが、彼も同じだったのかと思った。

そんな素振りも気配もなかったと記憶している。

だけど、その彼が自分で言うのだから本当なのだろう。

「ボクの魔力を全部上げる代わりに、キミには頼みたい事があるんだけど」

そう言って、僕の手を彼は掴む。

流れてくる魔力の中で、記憶も一緒に流れ込んでくる。

何もかもが流れ込んできて、僕の頭はパンクしそうになってくる。

彼の過ごしてきた記憶が、僕の記憶と混濁していく。

激しい頭痛に襲われ、僕は意識を持っていかれそうになる。

『――全く以って不愉快な結末だな』

倒れそうになる僕の後ろから、聞いた事のある声が掛けられる。

「やぁクロノス、来てくれると信じていたよ」

『まさかこんな事に遣われるとは思わなかったがな。私を呼んだ意味は、そういう事なのか?』

前に会った事のあるクロノスが、僕に視線を動かしてそう言った。

その言葉に、リンは静かに頷く。

やがて溜息を吐いて、クロノスは僕に近寄る。

『おい人間、私がお前に協力するのはこれが最後だ。リンの記憶が流れ込んでいるのならば、お前ならあちらでも上手くやれるだろう』

「皐月、キミは正真正銘に転生を果たす。不完全な転生をしてしまったから、今のボクでは世界を跨ぐ事は出来ない」

「リン……君が僕を送ろうとした世界は、ここじゃないの?」

「――ここだけど、違うよ。ここであって、ここじゃないんだ。分かってくれると嬉しい。少し辛い思いをさせてしまうけど……ボクが変わりに消してくるから」

そう言って彼は目を瞑り、その身体は力が無くなったようにうな垂れる。

クロノスはそれを咄嗟に支えた。

どうやら僕にはまだ整理出来ていないだけで、彼らにはもう決定している事があるのかもしれない。

またあの時のように、世界が灰色に変わっていく。

真っ白だった世界は、ノイズが混じったラジオのように声がズレていく。

「リン!クロノス!――!」

――もう声が届かないのか?

あの時と同じように足元に大きな穴が空き、その穴からは僕を目掛けて黒い鎖が身体に絡みつく。

「リン!僕に君は何をしたいんだ!答えてくれ!」

引っ張られても、僕はそれに抗って声を上げる。

このままでは、腕が引き千切れる。

そう思わせるほどの激痛が、身体全体に警告する。

「……答えてくれ!君が僕に言った正しい能力の使い方は、出来たのだろうか?あの世界はどうなるんだ!答えろよ、リン!クロノス!」

僕の身体を絡みつけ、縛り付ける鎖の量が増えていく。

「――!」

身体全体を引っ張られ、僕は悲鳴にならない悲鳴が出る。

叫んでいても、自分の声なのかと勘違いする程の渇いた叫び。

僕の身体が抗う力を無くした途端、黒い鎖はゆっくりと僕を引っ張っていく。

真っ黒な空間だ。

ここを通ってしまったら、何かが終わってしまう気がする。

だけど今の僕では、無駄な抵抗だと理解出来てしまっている。

もう指一本動かす事が出来ない程、僕の身体が限界なんだ。

「……リン……みんな……」

消え入るような声で、僕は小さく呟いた。


そして僕は、再び世界から抹消された。

完全に跡形も無く消失した世界。

『僕』という存在の記憶は、恐らくはその世界からも抹消されるのだろう。

確信は無いが、自然とそんな事があると思ってしまう。

仮定の話であっても、『僕』という存在は無かった事になるのだ。

正真正銘の消失だ。隠滅という言葉でもいい。

やがて暖かい光が、僕の身体を照らす。

ゆっくりと目を開けた瞬間、僕は照りつける太陽を手を伸ばす。

伸ばした手は小さくて、かつての僕とは違う手だと理解するまで少し掛かった。

『また捨て子ですか?やれやれ、困ったものですね』

『大丈夫ですよ。この子も私が育てて見せます』

「……あう……あぁあ……」

『あぁ、よしよし。いい子ですね』

『そうですね。名前も無いようですし、貴方が付けてみては如何ですか?』

『そうですね。では――』

その人は太陽のように暖かくて、僕の頭をゆっくりと撫でる。

そして優しい表情で、僕に名前を付けたのだった。


その日から僕の名は、『フレア』となった――。

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