第8話「魔女堕ち」

「さて、何から始めようか」

水の大精霊との契約を果たした僕は、アルフの森を歩きながらそんな事を呟いた。

今の今まで逃げていたのにもかかわらず、のんびりと歩いていた。

この森は決して広くはない。

だが何故か、空が暗くなるまで誰にも見つからなかったのである。

正確には、誰にも遭遇しなかったし、探しに来なかったのだ。

空まで届いたあの渦潮があったのに、誰もその場には近づいてこなかった。

何が遭ったのかは知らないが、奇妙な感覚に襲われる。

喉に何かつっかえてる様な、何かが違うところで動いているような嫌な感じ。

僕の気のせいならいいけど……。

「何も考えてないの?」

シルフィが僕の肩でそう言った。僕がこうしてのんびり歩いているのも、先に周囲を見に行ってもらっていたのだ。感知能力があるにしても、直接忍しのんで見に行った方が良いという判断だ。

移動範囲全てでは無く、少しずつ警戒しながらという前提条件だが……。

「僕が考えてるのは捕まえる方法だけ。戦わないで済むならいいけどね」

「サツキが頑張るなら、シルフィも頑張るよ!うん!」

肩の上で、小さい体で元気にそう言った。シルフィには感謝しなきゃだ。

僕も彼女の元気に救われているのだろう。不思議と心が穏やかだ。

「これが終わったら、サツキの事教えてね?」

「良いけど、詳しくは教えられないよ?思い出したといっても、穴だらけだし」

「ちょっとずつでいいよ、ね♪」

「分かった。解決したら、エルフィにも教えなきゃだね」

まだ思い出したと言っても、ほんの一部でしかない。記憶は穴だらけで、僕がこの世界に生まれ変わった理由とリンという神様がいた事だけしか思い出していない。

でもそれだけでも良い。また三人で笑顔で話せるなら、僕は何でもする。

――待ってて、エルフィ……。


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森の中で、小さな灯火ともしびが動き回っている。

エルフの一族が結集し、教会内・教会付近に集まって来ているからだ。

神族の一部である私たちは、風の系統魔法を主に得意とし、優れた身体能力を持つのがエルフ一族である。

神聖なアルフの森での掟を守り、世界の調和と秩序を乱す存在を許さない。

だが今現在――この時を以って、その掟に背く者が現れた。

突如現れ、前触れもなく森の中で寝ていた彼。

人族でありながら、その魔力の量は人族をとうに超えている。下手をすれば、私たち神族、もしくは魔族にも匹敵ひってきするかもしれない。

得体の知れない存在である彼は、かつてのほむらの王に成り得る可能性がある。

そんな彼を見過ごす程、私の目は曇ってはいない。

『エルフィア様、準備が整いました。ご命令を――』

「皆、集っていただき感謝致します。これは我が母、オルフィア・オル・バーデリアに代わり、この私――エルフィア・オル・バーデリアが命じます。この森の秩序を乱し、掟を破りし者に鉄槌てっついを下す時です。――神聖しんせいなる風の導きをっ!」

『――神聖なる風の導きをっ!!』

武器を空に掲げ、雄叫びのように森がざわめく。

こうなってしまえば、もう元には戻せない。

走り出してしまった時間は、急激に加速させ、戻れなくなる。

これは私の決意だ。

間違っていないはずだ。

私はもう進むのみ。進むしかないのだ。

『……この馬鹿共めがっ!!!!』

集結している中心に向かって、空から舞い降りてきた。

砂埃すなぼこりが舞い散り、視界が妨害ぼうがいされる。

瞬時に風の魔法でそれを払い、その場にいた全員がそれを見た。

それは紛れも無いエルフ一族の姿だが、瞳は水のように透き通り、髪も青い。

水のように透き通っていた身体ではない。でもその姿は人であり、紛れも無い彼女の姿だった。

「ウンディーネ様?」

『ウンディーネ様だと?』『まさかそんな……』『だってあれはどう見ても』

そんな声が響いている。声を荒げていう理由はただ一つ。

その容姿ははっきりと実体があり、尚且つそれは私たちと変わらない姿なのだ。

『――水と風よ、我がめいに答えよ』

魔方陣が広がっていく。まるで教会全体に狙いを定めるようにして……。

「……っ!?全員、障壁をっ!」

しかし私の指示は遅く、彼女の魔法発動の方が速かった。

『――アクアスパイラルッ!』

水と風の系統魔法を混ぜ合わせた魔法を放たれ、一部の者たちが負傷する。

致命傷にはなっていない所を見ると、おそらく手加減したのだろう。

『我が名はウンディーネ。守護精霊として命ずる!貴様の行動は、このアルフの森の秩序を乱しておる。無駄な抵抗はやめ、即座に武器を下ろせ!さもなくば――』

彼女はそう言いながら、再び魔方陣を展開していく。

それも一つではなく、地面に大きく一つ。空中に約十を超える魔方陣に、その場にいた一族の全員の周囲に展開されていた。

たった一人で、数箇所への間接魔法。たとえ威力がなくとも、相手は四大精霊の一人。まともに喰らえば、全員が致命傷を負うだろう。

『大人しくしておけ。一つずつ順を追って行こうではないか。のう?……我が主よ』

展開しながら、彼女はそう言って森の奥へと振り返る。

その奥からゆっくりと、灯の光に照らされながら歩いてくる彼がいた。

「お疲れ様。ウンディーネさん……」

水の大精霊である彼女が、彼を主人と呼んだのにも私は驚いた。だがそれ以上に、私は彼の瞳を見て、彼が今までの彼ではない事が理解出来た。

……出来てしまったのだ。

初めて会った彼の瞳は黒く濁りのない瞳だった。だが今の彼の瞳は、彼女と同じ――水色に透き通り、輝いていたからだ。

ジリジリと感じる違和感。今の彼からは、初めて会った頃の面影が消えていた。

……のだが。

「はいはい、どうもどうも~。ちょっと通してくださーい」

何故か笑顔でど真ん中を通り始めた。

――無防備過ぎる!一体何を考えてるの!?

見てみなさい。どうすればいいのか分からなすぎて、皆どうしようみたいな表情になってるじゃない。

さっきまでの空気が嘘のように変化されてしまった。

『おい、お前……もう少し緊張感を持ってやらんか』

「いや僕、気まずい空気嫌いですし」

『それにしたってお前。せっかくの晴れ舞台じゃぞ?初めての魔法じゃぞ?嬉しくないのか?ええ?』

「何でちょっと怒ってるんですか!?あと顔が近いです!」

何やら言い争いを始めてるし……。

何だか知らないが、私も何かイライラしてきた。

「な、何をしているんですか、ウンディーネ様っ!サツキにそれ以上、近づかないで下さい!……あ」

いがみ合っていた彼らの間に入り、私は自分が何をしているのか理解してぽつりと声が出た。

『エルフィア様っ、危のうございます!』

「――っ!?」

風の刃がその声と共に飛んでくる。

その衝撃で、強制的に私と彼の間に線を引くようにして地面に傷がついた。

ここから先は行ってはいけない。そんな事を言われてるような……。

――彼は『敵』だ。そんな事が頭の中で呟かれる。

得体の知れない何かが、私の視界をかすませていく。

『これは……不味い!サツキよ、今すぐ離れるのじゃ!他の者も下がれっ!』

ウンディーネがそう叫ぶ。

「サツキ、危ない!――エア・フィールド!」

彼の前でシルフィが風の障壁を作り出す。

そんな彼らの姿も、徐々に視界から消えていく。いや違う。

遠くなっていってるんだ。私自身が――暗くなっていき、深い水の底に落ちてるのだ。

『ははははっ!完成だっ!新たな魔女の誕生だっ!』


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『ははははっ!完成だっ!新たな魔女の誕生だっ!』

彼女の向こう側から、歓喜の声が聞こえてくる。

「エルフィッ!」

『フレデリックッ!貴様、エルフィに何をした!』

僕に続き、ウンディーネさんが叫ぶ。青だったオーラに赤が混じっているように見える。奥歯を噛み、怒りを抑えているようだ。微かに肩が震えている。

エルフィの容姿が変わっていき、鮮やかだった緑色の髪が白銀はくぎんへと変貌へんぼうしていた。

闇へといざなうような妖艶ようえんさ、黒い装束に身を包み、凍てつくような冷たい風を纏っている。

表情も冷たく、瞳に光が感じられない。まるで人形だ。

彼女の持っていた優しい空気の面影はなく、魂のない抜け殻にしか見えなかった。

「――世は『風月ふうげつ巫女みこ』なり。世の目的は、変革へんかく。数千年の歴史に終止符を……」

『素晴らしいっ!エルフィア様、お待ちしておりました。貴女様こそ、我の王たる御方おかた――オルクスの名において、我々を如何様にも御遣い下さい』

「――っ!?」

『そりゃぁ!』

「サツキィィィィ!」

シルフィの叫ぶ声が聞こえた時、僕の横を一つの輝きを見つける。

研ぎ済まれた刃が、僕を目掛けて振り下ろされようとしている。

そんな最中でさえ、僕は変わってしまった彼女の姿を見てしまう。

このアルフの森の住人は、きちんとしてて……こんな事になってしまう前は、掟の為にちゃんとしてると思ってた。

エルフィは家族だと。はっきりと笑顔で言い切ったんだ。

羨ましいと思えるほど――そう思ったのにっ!

「――ぜろ」

『ぬぅ!?』

振り下ろされた剣を前にした時、人は何を考えるだろうか。

殺される瞬間とは、何を考えるだろうか。

痛めつけられる瞬間。

傷つけられる瞬間。

人は死にたいとは考えない。

恐怖は新たな恐怖を生む。

それをたりにした瞬間、人族だろうが魔族だろうが関係ない。

等しく頭をぎるのは――『恐怖』のみ。

『うぅううわぁぁあああああああああ!』

自分の身体の一部が消失した瞬間、人間は何を考えるだろう。

聞き慣れてしまった悲鳴が、次々と耳に入ってくる。

「どういう、こと……」

彼の様子と行動を見たシルフィは目を疑うしかない光景だ。

何故なら、今までに見た事のない瞳をしていたからだ。

その感情は、『嫌悪けんお』だ。

決して受け入れたくない現実を直視したくないという、自覚出来る我儘である。

『冗談が過ぎるぞ、全く――が連れ込んだ子供は、相当な化物ではないか』

ウンディーネは、彼の状態を理解していた。

『(マナの流れが異常じゃ。あのままでは通常、力の発動なぞ簡単には出来ないはずじゃぞ)』

通常の魔法発動においての絶対条件は、マナの量と質で決まると言っても過言ではない。体内にある魔力が多ければ多いほど、より循環速度が上がり、強力な魔法を発動する事が出来る。

だが彼の場合は、それを大幅に超えている。

多ければ多いほどの関係なしで、魔法の発動及び循環を可能にしている。

――体内にあるマナが暴走しているのだ。

だが暴走しているにもかかわらず、彼の魔法は通常通り発動した。

マナというものは通常……自然回復の代物であり、力ずくで回復するものではない。

対して彼の――如月皐月という人間のマナは、底がなく量が見えないのだ。

加えて――。

「……剣を下ろしてください」

『くっ……黙れ化物が――はぁああああ!』

「……」

彼が触れた者たちは、まるでそこには最初から居なかったかのように――消失しているのだ。

一歩ずつ、一歩ずつ、前へと進みながら……。

「エルフィ……」

「ほう?世のしろとなっているこの娘の記憶に、そなたの記憶があるなぁ。面白い力よ。そなた――世と共にぬか?」

「君はエルフィじゃない。君とは一緒に行けない」

「ふむ。残念だ。ならば世の宿願の為、その身を散らすが良い!」

僕に彼女は殺せない。

怒りに任せてしまっている事は、とうに理解が出来ている。

自覚は小さくあるんだ。

けど制御が効かないから、僕を止めてくれる誰かに任せるしかない。

それか全てを壊し切るまで、待つしかない。

「……なっ!?身体が動かない、だと」

『如何されました、我が王よ!今こそ、その者に鉄槌を!……貴様ら、己!離せ!』

彼女の背後で声がするが、僕の身体は動かない。

けど誰かが、彼女を変えた張本人は襲われているようだ。

だけど、何も見えない。僕が見えるのは目の前の光景だけ。

視界からもらえる景色だけでは、僕自身の身体を動かす事は出来ない。

この灰色の世界では、何も出来ない。

つくづくあの時とは違うけど、あの時は――神様が止めてくれたっけ。

『離れるのじゃ!サツキ!』

あと少しで多分、僕は彼女に殺されるだろう。

魔法を放たれて、身体を貫くのだろう。

不思議と魔法の内容まで、今は分かってしまう。

だけど何でだろう。

僕は今――何かに衝き動かされるように手を伸ばした。


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わたしは手を伸ばし、近づいてくる彼に手を伸ばす。

見える景色は灰色で、わたしの視界も曖昧だ。

気を抜いてしまったら、闇の中へ引きずり込まれてしまいそうになる。

わたしはどうやら、彼に、サツキに迷惑を掛けてしまっているようですね。

……反省です。

わたしも手を伸ばせば、サツキに届くだろうか?

声を出せば、聞こえてくれるだろうか?

伸ばした手を彼は、取ってくれるだろうか。

わたしの思いは、彼に伝わるだろうか。

想いをのせて――どうか、届きますように。


そしてわたしの意識は、完全に消失した――。





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