マーキング 後編

 瀬名先生達が部屋に入ってきた!


「あけおめー」

「遙香ちゃんあけましておめでとー!」


 ノックもせずやってきたのはハルの高校時代の同級生で、あたしの高校のカウンセラーだった人、瀬名結衣先生。もこもこダウンコードに下はスウェットというラフすぎる出で立ちなのがいかにも瀬名先生らしい。オシャレとは無縁な人だから。

 もうひとりは知らない女性。瀬名先生とは真逆で、白と茶色のグラデーションがきれいなラテコーデ。トレンドをしっかり抑えたファッションで身を固めている。

 一方、ハルは――


「あは、は! ふたりとも久しぶり! あけおめ! あけおめ!」


 目に見えて焦っていた。なんたって、直前まで裸同然の格好をしていたから。

 今のハルが身につけているのは、山積みになっていた福袋の中身を見繕った適当コーデ。あたしが着ない薄手のフリル付きブラウスにミニスカートという激甘な仕上がりになっている。


「うわー! 遙香ちゃんそのカッコ超かわいい! すっごい男ウケしそう!」

「あ、いやこれは試しに着てみただけで……!」

「近くで見ていい!?」


 ハルの友達の瀬名先生じゃないほう――あとで名前を聞いたら、樋口茜音さんというらしい。ぐいぐいハルに迫っていて、なんとなくイラつく。チラッとハルを見ると「まんざらでもない」みたいな顔してるのが余計に腹立つ。

 その時になってあたしは、焦って白のブラウスを着せたのが失敗だったと気づいた。

 白のブラウスは透けるのだ。

 ――濃い色の下着をつけている時は特に。


「そ、そのカッコじゃ寒いしカーディガン着たらどうですか?」


 福袋から引っ張り出したカーディガンを着せてあげつつ、あたしはハルの耳元で囁いた。


「……ごめん、下着透けてる」


 悟られないようにカーディガンをゆっくりと羽織らせて、ブランケットで足元を覆った。すると今度はハルがあたしの耳元で囁く。


「……ベッドの枕、うまく隠して」


 告げられてベッドを見る。シングルベッドに枕が二つ並んでいるということは、つまりそういう関係の誰かが居るってこと。

 別にいいじゃんって思ったれど、瀬名先生はともかく、樋口さんに説明するのは面倒くさそうだ。だってあの人、陽キャっぽいから絶対面倒くさい。

 手早く怪しまれないように枕を隠したところで、樋口さんの猫撫で声にびくりとした。


「あれ? 遙香ちゃん、その子は?」

「しおちゃ――詩織ちゃん! 私の従姉妹。だよね、詩織ちゃん!?」


 泣きそうな顔したハルがあたしを見ていた。

 あたし達に理解がない人に説明するときの、従姉妹の設定だ。


 仲のいい、ただの従姉妹。恋人でもパートナーでもない、単なる親戚。


 この設定を持ち出されるたび、最悪の気分になる。どうしてウソまでついてごまかさなきゃいけないのって。あたしはハルが好きなだけなのに、世間の目なんて気にしなきゃいけないのって。

 そんな風にぐるぐる悩んでいると、それまで黙ってた瀬名先生が割って入ってきた。


「で、あたしの元教え子。だよな、村瀬」

「えっそうなんだ! すごい偶然! よろしくね、詩織ちゃん!」

「……よろしくお願いします」


 その場はなんとか収めたけど、もやもやした感情は晴れない。この先もウソをつき続けないといけないと思ったらイヤになる。


「じゃああたし、外に出てますね。後は皆さんでごゆっくり」

「ううん、お気遣いなく! ていうか昔の遙香ちゃんの話聞きたいな? 従姉妹だったらいろいろ知ってるよね?」

「む、昔ですか……?」


 消えようと思ったのに、樋口さんはあたしを逃してはくれない。

 あたしの気も知らないで――知らないのは仕方がないことかもしれないけど――余計にウソの設定を掘り下げてくる。


「あんまズカズカ踏み込むなよ、茜音。だから橘に愛想尽かされたんじゃね?」

「もーやめて! 忘れようとしてたのに……!」


 瀬名先生の一言で、樋口さんはテーブルの上に倒れた。瀬名先生はあたし達の関係を知っている。だからだろう、アイコンタクトをとった瀬名先生は、口パクで「ごめん」と謝っていた。

 ただ、これで部屋を出るチャンスをさっぱりなくしてしまって、あたしは部屋の隅にとりあえず座る。

 話題は、アラサー女性特有の世知辛い話になっていた。


「ねえ遙香ちゃん、いい人紹介して。遙香ちゃんモテるでしょ? 言い寄ってきた人で好みじゃなかった人とかでいいから……」

「いやそれは……」

「お前ハルのおこぼれでいいのかよ、プライドねーの?」

「私は必死なの! だいたいなんで!? なんで結婚したい私にはカレシが居なくて、恋愛とかどうでもいいって言ってた結衣ちゃんが結婚してるの!? どうやったの!?」

「その場のノリ」

「ノリで結婚とかできないから! 収入とか子どもとか将来とかいろいろあるでしょ!?」

「将来のことなんて考えるだけ無駄だろ。金持ちだって死ぬときゃ死ぬし、貧乏人が宝くじ当てることだってあんだから」

「私は! 年収800万以上が! いいの!」


 見てて辛い会話だなって思った。

 なにより悲しいのが、樋口さん以外既婚者なこと。もちろん、樋口さんはそんなこと知らされていない。そう考えると一周回って可哀想になってくる。


「すまんな、ハル。こいつ出来上がってんだ、新年早々迎え酒でさ」

「だろうなと思ってたよ。まあ、別に構わないから」

「だって私の気持ち分かってくれるの遙香ちゃんだけなんだよ!? 昨日もさ、実家で結婚しないのかとか、孫が見たいとかネチネチネチネチ……!」

「あーもう、面倒くせえな。だったら橘とヨリ戻せよ、電話してやっから」

「いやでも、橘くんは……」


 話題は、あたしの知らない人に変わっていた。

 ここが部屋を抜け出すチャンスかもしれない。物音を立てないようにドアノブに手をかけたところで、樋口さんが言葉を詰まらせながら言った。


「橘くん……変態だったの……」


 至ってマジメに語る樋口さん。一方で、ハルと瀬名先生はマヌケな顔を晒していた。そしてそれはあたしも同じ。


「特殊なプレイでも要求されたんか?」

「……コスエッチしたい、って言われて」


 あたしは息を呑み込んだ。それはハルも同じだったようで、ふたりで目を合わせて固まってしまう。

 コスエッチ程度で変態なら、あたし達は――


「いや、最初はね? 気分も変わるだろうしいいかなって思って、ナースとかメイドさんとか制服とか着てたんだけどさ。橘くんも激しかったし……」

「んなコト話すなよ、想像しちまっただろ……おえ……」

「いや聞いてよ!? で、それがどんどんエスカレートしちゃってアレ着ろって言われたの! あの透け透けでもう全部見えてる下着みたいな……」

「ランジェリーか? 乳首もアソコも丸見えの」

「そうそれ!」


 ハルの顔面が凍りついていた。

 あまりに樋口さんの話が悲惨すぎて忘れていたけど、ハルが今つけてる下着は、変態が過ぎるセクシーなランジェリーだ。


「あんなの着れるワケないじゃん!? ていうか着られるヤツどういう神経してんの!? 露出狂かっつーの!」

「ろ、露出狂……」


 ハルの乾いた声に、さすがにあたしも申し訳なくなってくる。


「私のぺったんこな身体にあんなの着せるとか変態以外の何者でもないじゃん!? ね、結衣ちゃんなら分かるよね!?」

「あたしに振るなよ、殺すぞ」


 余談だけど、ハルに言わせると瀬名先生とあたしのシルエットはすごく似ているらしい。特に胸元のラインは見事にぺったんこだ。


「遙香ちゃんはどう!? 好きな人にエッチなこと頼まれて許せる!? ランジェリー着てって言われて着れる!? ていうかそういう人どう思う!?」

「うーん……」


 ハルは俯いて数秒唸った後、顔を上げた。ほんのり顔が赤い気がした。


「好きな人なら私は許せる、かな? 写真撮るとか言われたらちょっとイヤだけど」

「スッゴい変態なんだよ!? 恥ずかしくないの!?」

「そりゃ、すっごく恥ずかしいよ。でも好きな人に喜んでもらえるなら、私は着ちゃうかな。それに――」

「何?」

「……マーキングされてるみたいで、ちょっといいかもって思って」


 ハルの顔はすでに真っ赤だ。

 ドアノブを握ったまま動けないあたしも、はっきり言ってそろそろヤバい。恥ずかしさと嬉しさと申し訳なさが一緒くたになって、頭の中で暴れている。


「マーキングってどういうこと?」

「……。好きな人に、印をつけてもらったって感じ……? もう後戻りできない、引っ込みもつかない。私は貴女あなたのものです、みたいな……」

「なんで性癖暴露大会になってんだよ……」

「……遙香ちゃんドM?」

「いやでも私は……そういうところもひっくるめて、好きだから」


 今度はこっちが顔を真っ赤にする番だった。

 一気に頭がカッと火照って、身体がきゅうっと締めつけられる。こんな形でハルの気持ちを確かめられるなんて思ってなかったから、余計に。

 ふと瀬名先生に視線を移すと、こっちを見てニヤニヤ笑っていた。悔しいけど、何も言い返せない。恥ずかしすぎて!


「よし茜音、橘と復縁しろ! お前の貧相な身体喜ぶ男なんて橘くらいだぞ!」

「やだ! 恥ずかしいじゃん!」

「ていうかもうLINE送った! 近所のコンビニで待ち合わせってことになってる! あたしは腹痛いからパス!」

「勝手に送らないでよ!? 私と橘くん二人っきりってこと!?」

「ランジェリーだけ着てコート開けばイチコロだって! どうせまだ手元にあるんだろ?」

「う、ううぅうぅう……!!!」


 逡巡して、樋口さんは部屋を飛び出していった。覚悟を決めたってことだろう。


「さて、と。あたしも邪魔したみたいだし帰るかな」


 告げて、瀬名先生も立ち上がった。そしてあたしとハルの顔を眺めて、ムカつくくらいにニヤけてみせる。

 何も返す言葉のないあたし達に、瀬名先生はダウンコートのポケットをごそごそ漁る。


「んじゃ、お年玉だ。村瀬、手ェ出せ」


 差し出した手に乗せられていたのは、布きれ――いや。

 セクシーなランジェリーだった。


「ちょっ……!」


 ハルとふたり同時に叫んでしまった。そんなあたし達の様子を見て、瀬名先生はくつくつ笑う。


「茜音に見つかったら面倒だと思ってな、部屋に入った時に隠してやったんさ。どうせ新年早々お楽しみの最中だったんだろ?」

「お、お楽しみって、何のこと……?」

「くくく……。にしてもずいぶんとまあ……。あのハルと村瀬がこんなものをねえ……?」


 瀬名先生のよからぬ妄想が表情だけですぐに分かった。それが死ぬほど恥ずかしくて、あたしは思わず叫んでしまう。


「あたしは着てないです!」

「しおちゃんの裏切り者ッ!」

「なるほど、ハルのか。つーことは……実は今も付けてたりして?」


 ハルは反射的に上半身を押さえた。だけどこの場合、押さえてしまった方が逆に、事実を証明していることになってしまう。


「ははは、それじゃ自白してるようなモンだぞ」

「くぅ~っ…………!」

「ま、最初から分かってたんだけどな。髪が乱れてるし、顔も真っ赤だ。ついでにブラウスの肩見てみ、真っ赤なヒモ見えてんぞ」


 瀬名先生の言う通りだった。動転してあたしもハルも気づかなかったのだ。カーディガンで覆ったつもりだったのに、ベビードールの赤い肩紐が顔を出している。


「ま、お前らが仲良さそうで何よりだよ」


 必死に隠蔽したつもりだったのに、瀬名先生にはすべてバレてしまっていた。さすがはハルの親友で、あたしのカウンセラーの先生だ。


「あそうだ、ハル。一個だけ言わせてくれ」

「な、なに……? ランジェリー姿なら見せないからね……?」

「親友の裸に興味なんてねえっての。そうじゃなくてな」


 瀬名先生は頭を掻きながら言った。

 この仕草をする瀬名先生は、だいたい照れくさいことがあるとき。


「あたしの教え子を傷つけたら許さん。あと、村瀬」

「……何ですか」

「あたしの親友を困らせたら許さん。約束できるか?」


 多少子どもっぽくてナマイキでぶっきらぼうでムカつくときはあるけれど。

 瀬名先生はやっぱり、いい先生だ。


「健やかなる時も病める時も、互いを愛すると誓えるか?」


 その常套句が意味するところはすぐに分かった。いろいろな事情からあたし達のために、瀬名先生が神父だか牧師だかを買って出てくれたのかもしれない。

 あたしとハルは目を見合わせて――頬を真っ赤に染めたまま俯いた。

 そして、心の底から返事した。


「はい」

「誓います」



 瀬名先生が帰り、嵐はようやく去った。

 部屋で魂が抜けたかのように倒れ込んでいると、何を思ったのかハルが服を脱ぎ始めた。当然、下着の代わりに付けているのはあのベビードールと、役目を果たさない穴あきパンツだ。


「なんかゴメン、ハル……。あたしのせいで恥かかせちゃった」

「いや、大丈夫。私も、茜音ちゃんにウソついたし。しおちゃんのこと」


 その後の展開が急すぎて忘れていたけど、従姉妹の設定を使ったことをハルは告げた。

 樋口さんが理解のある人かどうかは分からない。だけど、ハルがと判断したのなら、それを批判する権利はあたしにはたぶんない。


「ハルが波風立てたくないことは分かってるから。あたしは誰から何言われようとどうでもいいけど、ハルがそうしたいなら、あたしはそれを尊重したい」

「ありがとう、しおちゃん」

「そのかわり」


 だけど、ハルを尊重して自分の気持ちを折るのもなんかイヤだ。

 ハルはあたしを捨てたりしないって分かってるし信じてるけど、確証がほしい。目に見えて、ハルがあたしのものだって分かる証拠が。

 まだ幼いあたしには、これが正しい愛のカタチかなんて分からないけれど。あたしとハルの間でだけ通用すればそれでいい。


「あたしのものだって分かるように、マーキングしとかないとね」


 言って、ベビードールの上からハルの身体を触った。

 指先で優しく、オーガンジー素材の上を滑らせる。おへそから首筋、そして、化粧でちょっとだけ粉っぽい頬まで。


「ふふ。しおちゃんはえっちな格好させるのが好きだもんね」

「あたししか知らないヒミツがある、ってトコがいいんだよ」

「ホントかな? 実は変態さんだったりして?」

「そんなカッコしてる人に言われたくないんですけど」


 なんだか笑ってしまう。

 イタズラ好きのあたしと、Mっ気の強いハル。あたし達はこんなところでも、ジグソーパズルのピースみたいにぴったりハマっている。


「今年もよろしくね、しおちゃん」

「ん。好きだよ、ハ――」


 ハルの名を告げ終わる前に、唇を塞がれた。


 ――あたしはハルを好きでよかった。

 ハルもあたしを好きでよかったと思ってくれていたらいいな――。


「じゃ、次はしおちゃんも着よっか。セクシーランジェリー」

「え、普通にやだ」

「やだって言っても着せますー。日比谷さんのことだから、しおちゃんにピッタリなヤツ選んでくれてるって!」


 言うなりハルは、日比谷さん特製福袋を漁り始めた。ハル用の福袋にセクシーランジェリーが入っているということは、あたしに用意された方もとんでもないことになってる可能性が高い。

 意地でも拒否しないと。


「さあ、オープン!」


 箱の中にぎっちり入っていたのは、際どい水着でもランジェリーでも、はたまた衣服ですらなかった。


 さすがのあたしもドン引きした。

 友達にこんなものを送ってくる優姫さんに、じゃなくて。

 一切口にしたことなんてないのに、ここまで狙い澄ましたプレゼントを用意できる優姫さんの性癖ソムリエぶりに。


「手錠に首輪。鞭と蝋燭。しかもご丁寧にボンテージとハイヒールとは。日比谷さん、恐ろしい子……!」

「……何も言わずに送り返すよ」

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