マーキング 前編


 令和2年 1月1日 元旦


「いいかげん起きなさい遙香」

「んあ~……」


 株式会社きららウォーター営業の支倉はせくら遙香はるかは、実家のシングルベッドの上でもぞもぞ蠢いた。

 年末のウォーターサーバー配達――通称・はとにかく立て込んでいる。年末年始の9連休は配達が滞るため、顧客の大半がスペアの10キロタンクの配達を希望するためだ。

 そうなると、きららウォーター配達チームは必然的にパンクする。その皺寄せが向かうのはこれまた必然的に、デスクやコンビニの駐車場で暇を潰す営業職員達だ。つまり。


「腰が痛い……」

「おばあちゃんみたいなこと言わないの! まだアラサーでしょ!?」

「アラサーはやめて……28歳って言って……」

「いいオトナなんだからシャッキリしなさい! 詩織ちゃんと初売りでしょ!? もう準備終わってるわよ、詩織ちゃんは!」

「しおちゃん……マジメか……」


 昨日、大晦日。

 遙香はこの日初めて、パートナーである村瀬詩織を連れて里帰りした。

 詩織のことは、すなわち遙香が同性愛者だということは事前に――何重もの根回しの末に――話は通してあり、外で何度か会食もしている。既に公認済みの仲だ。

 両親は最初こそ孫が見られないことを残念がっていたが、詩織が人間だと知るや否や「いい嫁なんだよ」とご近所の寄り合いのたびに自慢して回っているらしい。

 理解があるのかないのか分からないが、詩織を快く受け容れてくれた両親には感謝している。昨晩など父親から「今後は妻妻ふうふとして頑張っていきなさい」と言われて目頭が熱くなったばかりだというのに、実家に帰ればこの体たらく。社会人・支倉遙香は支倉家のひとり娘に逆戻りだ。


「はあ……実家のような安心感……」

「や、実家でしょ」

「そう思うわよねえ、詩織ちゃんも」


 自室の扉を開いて、遙香の母と準備を終えた詩織がうんうん頷き合っていた。


 *


 寝正月を決め込む両親を残し、遙香は近所のショッピングモールへ車を走らせた。ギュウギュウの駐車場から伸びる初売り客の列を眺めて、遙香はひとり、初売りの約束をしてしまったことを後悔した。


「いま、約束なんかしなきゃよかったと思ったでしょ、ハル?」

「いやあ、だってさあ……」


 開店前にも関わらず、入口には長蛇の列が伸びている。仮にこの列に並び朝9時の開店を迎えたとしても、今度は店舗ごとの列に並ばなければならない。


「ジェラピケの福袋は予約したけど、他は当日販売なんだよ。つまり今を逃すと手に入らない! しかもこんなお得に! 分かる?」

「それは分かるけど……」

「じゃあ分担。ハルはB館の2店舗、あたしはA館3店舗回るから」

「2店舗も並ぶの!?」

「ハルも着るんだからいいじゃん。あたし甘いのとか清楚系着ないし」

「甘系はねー……」


 多くの同年代女性に漏れず、遙香もまたある悩みを抱えていた。

 

 ――《そろそろ若い服着るのしんどくね!?》症候群シンドロームである。


 これは例えば、ミニスカートではなくロングスカートを選んでしまう、オフショルダーではなくスリット程度の肩出しに留めてしまう現象。他にも、衣服の色遣いや小物遣い、はては化粧までなんとなーく地味なものを選んでしまいがちな心理状態を表している。

 アラサーという範囲で括られるようになってから、遙香はこの病気に罹患した。遙香の場合、近くに若妻詩織がいるため余計に身につまされるのである。現実に。


「大丈夫だって。ハル全然若いよ? あたしの大学とかハルより老けてる人いるし」

「見た目がどうこうって話じゃなくてね? 何ていうかー」

「『アラサーなのに女子大生みたいな服着てる』ってバカにされるのがイヤなの?」


 毎度のことだが、詩織の言葉はキレ味が鋭すぎる。

 あまりにも確信を突き抉りすぎて、学校で浮いていないか心配になるほどだ。


「だって私もう来年29よ? 20代ラストイヤーだよ!?」

「別にいいじゃんいくつでも。着たい格好してるだけでしょ、誰に迷惑かけんじゃなし」

「いややっぱTPOとかさ? ある程度落ちついた女性として見られたい願望っていうものが目覚めたりしちゃってね?」

「へえ~? 見られたいんだ~? 落ちついた女性として?」


 詩織の目つきが変わった。

 疑るような睨み付けるような、威圧するような眼力が遙香を射貫く。


「そ、そこだけ切り取るのおかしいでしょ!? まるで浮気みたい――」

「あたしは浮気だなんて一言も言ってませんけど?」

「今のは誘導でしょ!?」

「でさあ? 遙香さんは落ちついた女性ですねって思われたいの? 瀬名先生? 神崎さん?」

「違うから! 神崎は特に!」

「やっぱまだ瀬名先生のこと好きなんだ?」

「いっ、一番はしおちゃんです!」


 必死の遙香の訴えに、詩織はようやく溜飲を下げた。パートナーとなってからの詩織は、以前にも増して遙香をグイグイと引っ張るようになった。

 詩織の性格は、名実共にキャリアウーマンの母親譲りなのだろう。今ごろは遠く海外の地で年越しなんとかをおっぱじめているのかもしれない。


「……まあいいけど。じゃ、ハルはもう1軒追加ね?」

「えー……」


 詩織の気の強さが母親譲りだとすれば、遙香の受身体質は両親譲りのものだった。遺伝子に刻み込まれたネコの血には抗えない。

 遙香は項垂れて、列の流れに身を預けることにした。


 予想通り、ショッピングモール内は初売り客でごった返していた。

 揉み合いへし合い、他の客に押され叩かれぶつけられながらもなんとか目的の福袋を手に入れた遙香は、ようやく最後の三軒め――詩織に追加されたブティックの前で足を止めた。

 足を止めたというより、勝手に止まっていた。疲れた。


「やっと……最後……」


 店舗から少し離れた特設会場で、大量の福袋と万札が飛び交っている。もはや客というより暴徒だ。この中に重たい荷物を抱えたまま飛び込んで、目的のブツを手に入れなければならない。アラサーOLの体力と気力的には、相当ハードである。


「……しおちゃんのためだもんね」


 とはいえ、詩織を選んだのは誰あろう遙香だ。初売りに出掛ける約束をしたのも遙香だし、一緒に里帰りをしようと言ったのも遙香である。

 それに、詩織は遙香の両親に気に入られようとを被り続けている。その努力を労ってあげたいのは、パートナーとしての本心だ。


「あ、いらっしゃいませ! 支倉さん!」


 ――などと決意したところに聞き覚えのある声がした。

 福袋を奪い合う人だかりの中に彼女を見つけ、遙香は声を上げた。


「日比谷さん……!? 何してるのこんなところで?」

「バイトです! 今日は応援にきてまして! 支倉さんはー!?」

「いや、しおちゃんに頼まれて……」

「なんですかー!? 聞こえませーん!」


 特設会場はもはや無政府状態、興奮のるつぼだった。衣服のみならず食料品や日用雑貨、はては枕や布団に至るまで、福袋に詰められて乱れ飛んでいる。


「福袋頼まれたの!」

「聞こえないから裏に来てくださーい!!!」


 特設会場のレジ前から日比谷は消えた。どうしたものかと思いつつも、遙香は言われた通り、会場の裏手に回る。福袋を開けて一喜一憂する女性客達の輪の中に日比谷の姿があった。

 こっそりと、バレないように。ちょいちょいと指先だけで手招きしている。


「お久しぶり……というか、あけましておめでとうございます!」

「あ、うん。あけましておめでとう……って言うか、スゴいね、お客さん」

「ですね。昨日のコミケに比べたらカワイイものなんですけど」


 言って、日比谷は笑った。

 日比谷優姫。彼女は詩織の高校。大学と続く同級生だ。遙香とは過去に、詩織を巡った鞘当て騒動に発展したこともある、一応は恋のライバルである。

 なお、趣味はコスプレだ。


「そうだ支倉さん。福袋ですよね? これ持ってってください」

「え!?」


 日比谷は持っていた大きな紙袋をふたつ、遙香の前に置いた。

 遙香が好んで着るシンプルなセレクトショップの福袋とは正反対の、流麗な筆記体で書かれているオシャレすぎてまるで読めない店名。ピンク・白・茶色のブランドカラー。フリルにリボンにアラベスク模様。

 しかも福袋をよくよく見ると、袋ではなく段ボール製。びっちり入った模様も相まって、トランクケースのような見た目である。


 中身など開けずとも分かった――ゲロ甘系ブランドだ。


「実は予約もらってるんです、詩織さんと支倉さんのふたりぶん。しかもこの福袋は特別でして――」


 ちょいちょい、と日比谷は再び指先を揺らす。そして遙香の耳元で囁いた。


「――してます♪」

「サービス……?」

「バレないように開けてくださいね? お店にもナイショにしてますから。じゃ、詩織さんによろしくお伝えください。ブース戻りますね」

「あ、ちょっとこれ――」


 遙香の制止もよそに、日比谷は戦場へと戻っていった。

 猛烈にイヤな予感がしたが、捨て置くワケにもいかない。


「私のぶんってどういうことよ……」


 新年早々重たい気持ちと福袋を引きずりながら、遙香は詩織との待ち合わせ場所であるフードコートへ歩みを進めるのだった。

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