14日 木曜日

 期末考査四日目は滞りなく終わった。後ろから前へ答案用紙を集めて教卓へ置けば、後は担任からの連絡を残すのみ。あとは付け焼き刃で試験対策をするか、もはやこれまでと諦めて遊ぶか、二つに一つだ。

「では、気をつけて下校してください。日直さん、鍵をお願いしますね」

 言い置いて、木下先生は答案用紙とともに教室を出て行った。日直であるあたしは、クラスメイト全員が教室を出て行くまで残っていなければならない。教室の奥の方で騒ぐサル連中に心の中でにらみを利かせていると、背後から名前を呼ばれた。日比谷さん――優姫の声だ。

「これからうちで勉強しない?」

 どうやら優姫さんの家は、学校の近くにあるらしい。徒歩十五分と聞くと、毎朝一時間近くかけて通っているあたしとしてはうらやましい。ハルの家がこの辺にあればいいのに。

「優姫さんの家か……」

 優姫さんとは、一昨日の出来事以来の仲。実際はフった側、フラれた側なんだけど、あたしは他に好きな人が居るから、気持ちには応えられないって、ちゃんと優姫さんには話をしている。

「じゃ、お邪魔しようかな」

「よかった」


 二人で教室を施錠して職員室に鍵を戻しに行くと、あたしは木下先生に呼び止められた。

「村瀬さん、支倉さんとはどう?」

 ハルが言うには、あたしがひばりヶ丘で同棲できるようにしてくれたのは、木下先生が手を回してくれたおかげらしい。頼りなさげな見た目なのに、中身はアツい。そんな先生だ。

「通学時間は長くなりましたけど、とても楽しいですよ」

「よかったわ。あ、もし引っ越しとか考えてたら私に相談してね。友達に不動産屋さんが居るから」

 木下先生はやけに顔が広い。ハルはこの手で、あたしを住まわせることになったんだろうな、なんて思うと内心おかしかった。水商売と、お客さん。ある意味、割り切りな関係は今も続いているみたいだから。


「仲いいんだね。詩織さん」

 職員室を出ると、優姫さんは悲しげにつぶやいた。一年半思い続けたあたしへの気持ちが一昨日否定されたのだから、無理もない。あたしが優姫さんの立場だったらきっと耐えられないと思うし。

「なんかごめん、悪気はなかったんだけど」

「ううん、いいの。これから、私のことも知ってほしいから」

 優姫さんはあたしの手を引いて正門を出た。今日の優姫さんはやけに積極的だ。あたしが朧気に知っていた彼女とはまるで違ってる。

「優姫さん、そういうキャラだっけ?」

「実は私も、隠してるモノがあってね……?」

 もしかしたら、日比谷優姫もを使っているのかもしれない。


 蓮華ヶ丘から徒歩十五分。中野駅近くのマンションが、優姫さんの家らしい。鍵を開けてドアを開くと、立川のマンションとは違った温もりがあった。

「うち、共働きで誰も居ないから遠慮しないでいいよ」

「ん。お邪魔します」

 リビングに通されたあたしは、ふかふかしたソファに座った。三人家族らしい日比谷家の写真が飾られているのを見ると、なんとなくうらやましい。一家団らん、みたいなものはあたしには縁遠いものだから。

「ちょっと待ってて。すぐ済むから」

 そう言って、優姫さんは扉の奥に消えていった。部屋着に着替えるのだろうと思ったあたしは、近くに置いてあった雑誌を読むことにした。


「お待たせ」

 しばらく待っていると、声がしてドアが開け放たれた。そこに居たのは――

「お帰りなさいませ、お嬢様!」


 ――メイドだった。


「誰……?」

「ゆきぽって呼んでくださいね!」

 あたしは混乱した。

「……待って」

「待ちますよ~」

 一言そう告げてから、あたしは考え込む。

「……優姫さんの妹さんですか?」

「違います」

「じゃあ姉? 従姉妹とか……?」

「違いま~す」

 メイドのゆきぽさんは、正解発表とばかりに黒縁の眼鏡を掛けてみせた。すると、三年間同じクラスで見慣れていた、眼鏡女子の顔が目の前に現れた。

「優姫さん……なの……?」

「あったり~!」

 優姫さんはあたしの目の前で、ひらりと回ってみせる。フリルとリボンが眩しい。

 あたしの頭の中にあった日比谷優姫=真面目星の真面目星人という図式は、今日をもって完全に崩壊した。

 彼女が隠していたこと、優姫さんのの裏側に潜んでいたもの。

 それは、コスプレイヤーだった。


「そっか……そういうことか……」

 あたしがようやく納得できた頃には、メイドの優姫さんがお茶とお茶菓子をテーブルに出してくれていた。本格的な白磁のティーポットから紅茶を注ぐ姿を見ていると、本物のメイドさんなのかもしれないと思ってしまう。

「似合ってなかったかな?」

 普段の優姫さんがそのまま下ろしている黒髪は、ポニーテールに。メイクなんて絶対にしないと思っていた顔には、チークとアイライン。そしてレース編みのカチューシャに、モノトーンを基調にしたロングスカートのクラシックなメイド服。恐ろしいまでにフリフリで、どこからどう見てもメイドだった。それも清楚系。

「いや、まるでイメージになかったから……」

「バレないようにしてるからね。詩織さんみたいに」

 いや、全然違うでしょ、と言いたくなった。いくらなんでも、あたしの猫被りとは次元が違う。

 コスチュームに身を包んだ優姫さんは、性格まで変わっているような気がした。普段はもっと大人しいのに、所作のひとつとっても優雅というか、まるで別人に思えてくる。

「やっぱり、引かれちゃったかな?」

「いや、すごすぎて……」

「絶句?」

「それな……」

 引くとか引かないじゃなく、ただただ圧倒された。あたしにお茶を注いでくれたのは、秋葉原で見かけるようなメイドさんそのものだったから。

「よかった。引かれちゃったらどうしようと思うと、言い出せなくて……」

「それ、女の子が好きってことより大事なこと……?」

「だ、だって見られるの恥ずかしいし……!」

 優姫さんはほんのり頬を赤く染めた。

 どの格好で言ってるんだ、と言いたくなるのを抑えて、あたしは優姫さんに素直な質問をぶつけることにした。

「どうしてあたしにコスプレのこと教えてくれたの?」

 そう尋ねると、優姫はポニーテールを左右に揺らしながら考える。男ウケの良さそうなあざとい仕草だから、ハルが好きそうだなって思った。

「これが私が一番かわいい姿だから、かな」

 優姫さんはそう言って、ソファに座ったあたしの前に膝立ちになった。初めての体験すぎてどうしていいか分からないあたしは、バカみたいに狼狽える。

「好きな人が居ることは知ってるよ。だけど私、まだ諦めてないんだ」

「ちょっと、何言ってんの……?」

 優姫さんは、あたしににじり寄ってきた。


 ――諦めていない。もしかしたら優姫さんは、あたしをハルから引き剥がそうとしているのかもしれない。誰も居ない自宅に連れ込んで、あたしをどうにかする気なのかも。

 ソファから体を起こそうと思ったけれど、できない。ソファの沈み込みが強すぎて、ちょっとやそっとじゃ起き上がれない。

「優姫さん……?」

「詩織さんが好き。だから、詩織さんにも私を好きになってもらおうと思って」

「ま、待って……」

「待たない」

 優姫さんの顔が近かった。もう逃げられない。吐息が掛かるほどの距離で、あたしと優姫さんは見つめ合う。優姫さんの意志の強そうな切れ長の瞳は、あたしを逃すまいとヘビのように睨んでくる。


 ――ハル、ごめん。

 あたしは怖くて目を瞑った。そして、ハルだけに捧げた唇を奪われないように両手で覆った。

 だけど、聞こえてきたのは優姫さんの笑い声だった。

「……なんてね」

「え……?」

 目を開けると、優姫さんは口元に手をやって、上品に笑ってみせた。その姿は委員長ではなく、完全にメイドさんだ。優姫さんにとっては、これが本当の姿なんだと思う。

「襲ったりしないよ。私じゃ、詩織さんの心には届かないから」

「つまり、冗談……?」

「うん。楽しかった?」

 さすがに怖かったとは言えないので、笑ってごまかした。

 なんだか無駄に気疲れしてしまって、あたしの体はずーんとソファに沈み込んでいった。

「私ね、自分を好きになって、詩織さん達を目指そうと思ったんだ」

「あたし達を目指す?」

 優姫さんはあたしの隣に座って、ティーカップのお茶を啜った。そんな姿を見ていると、やっぱり頭が混乱してくる。実はここがマンションじゃなくて、メイド喫茶なんじゃないかって。いや、メイドさんはお茶を飲まないような気もするし。

 どうでもいいことばかり考えていると、優姫さんはゆっくり話し始めた。

「私、女の子が好きなんて間違ってるって思ってた。そんな自分が大嫌いで、必死になってこの性格を直そうとした。だけど、それこそが間違いなんだって詩織さんのおかげで気づけたの」

 お茶を勧められて、あたしもティーカップに口を付けた。ほんのり苦い紅茶が、甘いお菓子とよく合っている。

「詩織さんはって思えてるから。自分のことをちゃんと好きで居られるから、きっと恋人さんとも仲良しなんだろうなって」

 あたしは、ハルが認めてくれたおかげであたし自身を好きになれた。ハルはちょっとがさつで、あたしの気持ちに気づいてくれない時もあるけれど、絶対にあたしを否定したりしない。たしかに一度は別れたけど、今は一緒に暮らしてくれている。

 だから、あたしはハルを信じられる。

 ハルもあたしを信じてくれてる、と思う。


「私も、いつか他に好きな人ができたら、そんな関係になりたい。だから、自分を好きになりたいの。女の子が好きな自分も、コスプレが好きな自分も、私は私だって胸を張って言えるような、強い私に」

「……そっか」

 優姫さんがあたしに隠していたコスプレ趣味を見せたのは、自分を好きになりたかったから。あたしにはコスプレのことはよく分からないけど、優姫さんにとっては大切なことなのだと思う。

 優姫さんはコホンと咳をひとつして、眼鏡を掛けた。委員長モードだ。

「それにね。同性が好きな人は、AB型の人口と同じくらい居るんだって。女性にしたら10人に1人。日本の18歳に限定しても6万人だよ」

「その6万人のうち2人があたし達なんだ」

「結ばれない2人だけどね」

 優姫さんは苦笑して、「だから」と言葉を切って続ける。

「私も巡り会いたいんだ。詩織さんが、好きな人に出会ったみたいに」

 ハルとの事実を隠していることに胸が痛んだ。

 高校を卒業して本当の意味での18歳になったら、優姫さんには真っ先に話そうと思う。あたしとハルがどうやって出会って、どうやって仲良くなっていったか。その真実を。

「優姫さんならできるよ」

「それ、ちょっと上から目線でムカつく」

 優姫さんは「ふふ」と笑った。

「だから、詩織さんが嫉妬しちゃうような美人と付き合って、自慢するの。それが私のささやかな復讐」

「意外と根に持つタイプ?」

「そうかも」

 あたしと優姫さんは笑った。いろいろおっかないやりとりもあったけど、優姫さんのことをよく知れた。優姫さんと友達になれたんだと思う。


 ひとしきり話してお茶を飲んだところで、優姫さんはとんでもないことを言い出した。

「それじゃ、詩織さんも着てみようよ、メイド服」

「え、やだ」

 即、否定した。あたしは甘いファッションとかそういうのは似合わない。趣味じゃないし、フェミニンな格好はどうも苦手だ。きっと、フェミニンの権化みたいな美女が近くに居るからだと思う。

「彼女さん、喜んでくれると思うよ? したことないの?」


 ――したことはあった。イタズラ心でやったはいいけど、思い出すだけで恥ずかしい。


「裸で、エプロンとか……」

「詩織さんの裸エプロン! 見たい!」

 突如身を乗り出してきた優姫さんをやんわり引き剥がして、叫んだ。

「絶対やだ! ハル以外には見せない!」

 あたしは何を言ってるんだろう。恥ずかしくて死にそう。

 優姫さんは「でもせっかくだし」と唸って、リビングから出て行った。直後、ヒラヒラのメイド服を持ってあたしの前にちらつかせる。

 白をベースにピンク・茶色・黒。ヘッドドレスとガーターにサイハイソックス。おまけに、これでもかとばかりにフリルにリボンの大盤振る舞いだ。

「これ、余ってるからプレゼントするね。クリスマスにはちょっと早いけど」

「メイド服って余るの!?」

「余るよ~。特に衣装ってかさばるから収納が大変で……」

「い、いや、いらないから……!」

「まあまあ、遠慮せずに~」

 優姫さんは衣装一式を紙袋の中に詰めて、あたしの足元に置いた。意地でも持って帰らせるつもりだ。

「着たら写真送ってね。楽しみにしてる」

 結局あたしは、衣装入りの紙袋を置いて帰ることもできず、ひばりヶ丘に戻ることになった。


 とりあえず着て、証拠写真だけ優姫さんに送ったらすぐに脱ごう。

 そう決意して慣れない衣装を着て写真を撮っていたら、何故か定時より早く帰ってきたハルに見られた。見つかってしまった。

 メイドあたしご主人様ハルに押し倒されたのは、また別の話。

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