第38話 元悪徳貴族、誓う

「君達はもうお祈りをしたのか?」

「いえ、まだです」

「そうか。であるなら、共に祈ろうではないか」


 そう言って近づいてくるフェルから、俺はそっと距離を取った。

 その様子に気づいた殿下が不思議そうに尋ねてくる。


「どうした、ルカ殿。顔色が優れないが」

「……なんでもありません。お気遣いありがとうございます」

「気分が悪いのであれば横になっていた方が良いぞ。なんだったら王宮で休んでもらっても構わない」


 なんか、やけに心配されるな。

 そう思って殿下を見ると、キラキラした目でこちらを見ていた。


「……殿下。お気遣いは有難いのですが、私を送り届けるのを理由に祈るのを避けようとするのはおやめ下さい」

「むう、バレてしまったか」


 可愛らしく仰ってもダメだからな。

 全く、案外ちゃっかりしている方のようだ。


「オリバー、その子を困らせてはいけないよ。観念して一緒にお祈りをしよう?」

「……わかりましたよ。ですが、やったらすぐに帰らせていただきます」


 そう言ってふくれっ面をする殿下は、まだ子供なのだと感じた。

 王族といえど幼い子供には変わりない。

 やりたくないからと嫌がる様は可愛らしい。

 もっとも、嫌がっているのがガイウスの墓へ祈るという行為でなければ、だが。

 いや、殿下に嫌われているのは知ってたけど、今回のことはつまり祈る振りをするのも嫌だってことだよな?

 そこまで嫌われてたのか……ちょっと泣きそう。


「ルカも嫌かもしれないけど、今は陛下や殿下と共にお祈りしようね?」

「う、うん」


 俺はフェルから離れた位置でお祈りをしようとする。

 だが、父さんに背中を押され、俺はフェルの隣に立たされてしまった。

 間に殿下がいらっしゃればよかったのだが、既にフェルを挟んで反対側に陣取っていらっしゃった。

 フェルが膝を折って祈りを捧げ始めたので、俺は仕方なくフェルの隣で祈る振りをした。

 皆が祈りを捧げている時、俺は薄ら目を開けてフェルの方を見た。


「っ!」


 漏れ出そうになる声を、俺は慌てて抑えた。

 フェルは組んでいる両手を額に当て、今にも泣き出してしまいそうな、沈痛な面持ちをしていた。

 ――何故、お前がそんな表情をするんだ。

 お前は俺を恨んでいたんじゃなかったのか?

 そんな顔をするなんて、まるで俺を殺したことを後悔しているみたいじゃないか。


「兄様……」


 不意に、そんな声がした。

 それは非常に小さな声で、隣にいる俺ですら耳を澄ませてようやく聞こえるようなものだった。


「どうか、お許し……い。呪うのであれば私だけを……この子達には何も……ないで」


 途切れ途切れに聞こえる声は震えていて、胸が締め付けられた。

 恐らく、フェルは意識して言っているわけではないと思う。

 近くに国民がいるのに、一国の王がこんな弱々しい声を出そうとはしないだろう。

 だから、これは無意識のうちに漏れ出た心の声だ。


「どうか、この国の……子供達の未来を、奪わないで……い。怒りをお鎮め……さい」


 フェルの言葉に、俺は歯噛みする。

 呪いをかけたのはガイウスじゃない。

 でも、フェルは俺がかけたと思っている。

 自分が兄を裏切る形で殺してしまったからだと、後悔している。

 ……いっそ、この場で俺がガイウスだと打ち明けてしまえれば良かったのに。

 しかし、そんなことをしても信じてもらえるとは限らないし、仮に信じてもらえても更なる混乱を招くだけだ。

 俺の魂は今もこの地を呪い続けているとされているのに、当の本人は転生してここにいるのだから。

 今の俺が何をしようにも事態は改善せず、むしろ悪化する未来しか見えない。

 もしかしたら、俺は何もしない方が良いのではないだろうか。

 俺が何かすることで呪いの解呪が遅れたら、呪いの影響がより強まるかもしれない。

 それならばいっそのこと何もせず、父さんのように呪いを研究している人達に全て任せ、俺はただの村人として暮らしていた方が――。


「……助けて」


 一瞬、気のせいだと思った。

 きっとフェルが呟いた言葉が途切れ途切れに聞こえたせいで、そんなふうに言ったと思い込んでしまっただけだ。


「助けて……ガイウス兄様」


 けれど、その声は確かに、俺の耳に届いた。

 フェルの言った「助けて」が、何を意味するのか。

 もしかすると情けをかけて欲しいという意味合いだったのかもしれない。

 でも、俺には助けを求める声に聞こえた。呪いにかけられているという現状から救い出して欲しいと言う声に。


「……ルカ、もう大丈夫だよ」


 父さんに声をかけられ、フェルが既に顔を上げて立ち上がっているのに気づく。

 慌てて立ち上がれば、俺はフェルに微笑まれた。


「随分熱心にお祈りしていたね。兄様も……ガイウス様もきっと喜んで下さったと思うよ」


 さっきまで悲痛な表情を浮かべていたとは思えないほど、綺麗な笑顔だ。

 その笑顔を誰が見ても、フェルが心のうちに抱えているものに気づけないだろう。


「……陛下」


 父さんに声をかけ、その場から立ち去ろうとするフェルに俺は声をかけた。

 フェルが立ち止まり、俺の方へ振り返る。


「私はまだ非力な子供です。今の私が何かを成そうとしても、陛下にご迷惑をお掛けしてしまうでしょう」


 話の流れが見えないためか、フェルが怪訝な顔をする。

 その顔を俺は真正面から見つめた。


「ですが、私はこれから強くなります。ガイウス・リーリエよりも強くなります。そして、この国に広がる呪いの連鎖を断ち切ってみせましょう」


 俺はフェルの不安を消すように、ニカッと笑う。


「私が貴方様を助けます。ですから、何も心配しないで大丈夫ですよ」


 俺がそう言った瞬間、フェルの目が驚いたように見開かれる。

 殿下や父さんも驚いていたようだったが、殿下はすぐに口を開いた。


「ふふ。大見得を切ったな、ルカ殿。国王陛下にそう宣言したからには必ず成し遂げねばならないぞ」

「わかっております」

「随分と自信がありそうだが、何か策があるのか?」

「ありません。しかし、諦めなければ必ず解決策は見つかります」

「自信たっぷりの割には無計画なのか」


 殿下が呆れたように笑う。

 しかし、急に神妙な顔になって言った。


「……だが、不思議だな。ルカ殿なら本当にどうにかしてくれそうな気がしているよ」


 殿下が俺の手を握る。

 まだ小さな手には剣の稽古のためか、硬くなっているところがあった。


「私も微力ながら協力しよう。私だって、こんな呪いに振り回されるのは御免だからな」

「殿下、しかし……」

「なに、多少のワガママなら通るさ。それに、私自身が無茶するよりずっと要望は通りやすいだろう」


 そう言って、殿下はフェルをちらりと見る。

 その視線に気づいたフェルは眉を八の字にした。


「協力するのは構わないけど、程々にね」

「わかっております。将来的にルカ殿に必要とされれば手を貸すというだけです」


 殿下の言葉にフェルは肩を竦めたが、俺と目が合うと弱々しく微笑んだ。


「……不思議な子だ。君を見ていると幼い頃を思い出すよ」


 フェルは俺を見つめながらも遠い目をしていた。

 一体、何を思い出しているのだろうか。

 しばらく無言で見つめ合ったが、しばらくしてフェルは視線を逸らして俺に背を向けた。


「呪いを解くと宣言してくれたこと、嬉しく思うよ」


 そう言い残すと、フェルは殿下を連れて去っていった。


「良かったの? あんなことを言って」


 今まで黙って見ているだけだった父さんが口を開いた。


「正体を明かすよりマシだと思ったのだが」

「ルカが何もしなくても呪いは解けるかもしれないよ?」

「それならそれでいいさ。だけど、弟に助けを求められて見捨てるようじゃ、兄失格だからな」


 それを聞くと、父さんは小さくため息をついた。


「ガイウス様は本当にブラコンですね」

「ブラコン? 何だそれは?」

「兄弟愛が強いって意味らしいですよ」


 悪い言葉ではなさそうだが、父さんが言うとからかわれているような気分になるのは何故だろうな?


「でも、ルカのやりたいことが決まったみたいで良かった」

「え?」

「前世を思い出したことで、ルカは目標を見失っている気がしていたんだ。ガイウス様としての記憶に引きずられて未来を考えられなくなっていたらどうしようかと思ったよ」


 ……そんな心配をしてくれていたのか。

 もしや、ハルシャ達に会わせたのもそのためだったのか?


「……心配させてすまない」

「親なんだから当然だろう?」


 そう言って父さんがウインクする。

 イケメンのウインクは本当に様になるな。


「さて、それじゃあルカの目標に向けてやるべき事をやらないとね」

「ああ。明日には帰ってしまうが、残り少ない時間でエレーナ達にもっと鍛えてもらわないと」

「それもあるし、ルカはもう少し呪いについて知っておいた方がいい」

「まだ俺の知らないことがあるのか?」

「ああ。ルカに伝え損ねたことがあってね」


 その時、誰かの気配を感じて振り返る。

 先程は門の前にいた騎士がこちらにやって来ていた。


「スターチス様。そろそろお時間です」

「おや、もうそんな時間でしたか。わざわざ知らせに来てくださってありがとうございます」

「いえ、自分も交代の時間でしたから、そのついでのようなものです」


 何の時間だろうと後で父さんに聞けば、この庭園はずっと開放しているわけではなく、時間を決めて一般に開放しているらしい。

 俺達は半ば追い出されるような形で庭園を後にし、ハルシャの屋敷へと向かった。

 俺はそのままハルシャ達の稽古を受けたため、父さんの伝え忘れたという話を聞いたのはその日の夜だった。

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