第36話 別視点:エレーナ・オスマンサス⑥

 その墓はあまりにも簡素で――まるで旅の道中で見つけた死体を弔ったかのようなみすぼらしいものだった。

 盛り上がった土に細い木の枝が1本刺さっているだけのそれは、例え花が添えられていたとしても言われなければ人の墓だとは思わないだろう。


「……屋敷の者にまで反対されてしまい、これが精一杯だったのです。本当に申し訳ございません」


 フェルディナンド様がまた私に頭を下げる。

 私は墓の前に跪いた。


「フェルディナンド様のせいではありません。それに、何度も謝ってくださったのでしょう?」


 墓の前の地面は硬くなっていた。他の場所は柔らかい土だというのに。

 この墓を訪れる人間はそんなにいないだろう。

 墓の前だけ硬くなるようなほど何度も墓を訪れ、長時間そこで祈りを捧げる人など、フェルディナンド様以外にありえない。


「墓を作っていただけただけで有難いのに、愛する弟から毎日のように墓参りされるなんて、隊長は幸せ者ですね」

「エレーナ様……しかし、私は」

「確かに貴方は隊長を殺しました。ですが、それは致し方のないことです。私の知っている彼ならば、そう言って貴方を赦したでしょう」


 私は隊長に祈りを捧げた。

 どうして隊長があそこまで変わってしまったのかはわからない。

 でも、彼はきっと、弟を赦している。

 本来の彼は自分の非を素直に認め、改善しようとする人だった。

 領主時代の自分は愚かだったと、ああするしか止められなかっただろうと、そう思っているに違いない。

 だから、弟であるフェルディナンド様を責めるなんて、ましてや恨むなどしないだろう。


「エレーナ様……」


 私はスッと立ち上がり、フェルディナンド様の方を振り返る。


「本日はありがとうございました。隊長に会うこともできましたし、私はこれで失礼致します」


 そう言って、元来た道を戻る。

 フェルディナンド様の声が聞こえた気がしたけど、気の所為だと思うことにした。

 私は足早に雑木林を抜け、彼の屋敷の者達にも挨拶をした後、すぐさま屋敷を出た。

 そして、逃げるようにリーリエ家の領地を去った。


 その後、休暇はもう少し残っていたが、私は隊舎に戻った。

 隊長の家に行くことは伝えてあったので、隊員達から質問攻めにあった。

 私は包み隠さず、自分が向こうで知ったことを教えた。

 隊員達の反応は様々だった。

 隊長の死を嘆き悲しむ者、何故殺されるようなことをしたのかと憤る者。

 しかし、大抵の者は領主となった隊長の様子がおかしいと思っているようだった。

 本当に隊長がそんなことをしたのか、誰かに騙されたのではないか、誰かが隊長のせいにしたのではないか。

 そんな憶測が飛び交っていたが、どれも根拠は無い。

 皆、そうであって欲しいと思っているに過ぎない。

 でも、私達がそんな話をしても、世間での彼の評価は変わらない。

 彼は、戻って来ない。


「エレーナ隊長? どうかされましたか?」


 隊員の一人にそう話しかけられ、私はハッとする。


「……ちょっと疲れが出たみたい。部屋で休んでくるわ」


 そう告げて、私は未だ興奮している隊員達を残して宿舎の自分の部屋へと向かう。

 部屋に入るなり、私はベッドに倒れ込んだ。

 目を閉じて眠ろうとするが、隊長のことが頭に浮かんで離れない。

 初めて会った日から今までの思い出が浮かんでは消えを繰り返す。

 最初は確かに嫌いだった。

 でも、いつからか彼の背を追っていた。彼の隣で戦いたいと思った。彼に背中を預けて貰えるようになりたいと思った。

 彼と、ずっと一緒にいたいと思った。

 ――この込み上げてくる気持ちは何だろう?

 何故、胸がこんなにも痛むのだろう?


「うっ……ううぅ」


 私は枕に顔を埋め、溢れ出る涙と嗚咽を堪えようとする。

 けれど、一度堰を切ったように流れ出した涙は留まることを知らず、どんどん枕を濡らしていった。

 ――今ようやく、隊長に対して抱くこの気持ちが何なのかわかった。

 生まれて初めて抱いた感情は、実ることなく失われた。

 もっと早くに気づけていれば、彼は死なずに済んだのだろうか?

 今も彼と、この部隊で働くことができたのだろうか?

 いくらそんなことを思っても、答えが出ることは無い。彼が死んでしまったという事実は変わらない。

 私はその日、眠ってしまうまでずっと泣き続けた。

 翌日からは何食わぬ顔で部隊に戻った。

 隊長のことを忘れるようにがむしゃらに働いた。

 そのおかげかわからないけど、第一部隊の評価は落ちることなく、むしろ以前よりも上がった。

 だけど、私は彼を忘れることなんてできなかった。




「……ナさん、エレーナさん!」


 甲高い声が私の名前を呼ぶ。

 ゆっくり目を開けると、小動物のような少年が心配そうに顔をのぞき込んでいた。


「……なんだい、ルカ。人が気持ちよく寝てたってのに」

「あ、ごめんなさい。でも、僕にはあんまり気持ちよさそうに見えなくて」


 こうやって見ると、ただの幼い子供だ。

 だが、その小さな身体に秘めた力は強大で、彼の将来に無限の可能性を感じさせる。


「何か、嫌な夢でも見ているのかなと思ってしまって」

「……それはルカの勘違いさ。別に、ただちょっと昔のことを思い出していただけだよ。そんなことより、私に何か用かい?」

「もうすぐ殿下が到着されるみたいです。そのことをエレーナさんにお伝えしようと探してたら、ここにいらっしゃったのでお声をかけました」

「もうそんな時間か。じゃあ、出迎えの準備をしとかないとね」


 私が立ち上がって移動しようとすると、ルカがまだ何か言いたそうにしているのが目に入った。


「まだ何かあるのかい?」

「あ、いえ。エレーナさんが何で今日はこんなにも早くハルシャさんの家に来たのかと気になってしまって」

「早く来ちゃいけなかったのかい?」

「そ、そういうわけじゃないです。本当にただ気になっただけで」


 確かに普段はあのバカ王子と一緒に来るから、珍しかったかもしれない。

 そもそも、私はハルシャの家に来るのは好きではなかった。

 原因はハルシャがウザったいせいだ。故に、私はどうしてもハルシャに会わなければいけない時だけ来ていた。

 では、今日は何故いつもより早く訪れたのかと聞かれると、何か大事な用があったわけではない。

 だから、理由なんて無いようなものなのだが。


「強いて言えば、ルカの顔が見たかったからかもね」

「え?」


 ルカはつぶらな瞳を更に丸くした。

 自分でも何故こんなにもこの子が気になるのかわからない。

 単純に将来的に強くなりそうだからなのか、それとも……。


「ルカ君にときめいちゃってるからだったりして」

「……自分の頭と胴体をサヨナラさせたいのかい?」


 声の方を振り返ると、ハルシャがニヤニヤしながら立っていた。

 誰がこんなガキにときめくって?

 そもそも、この歳になってときめきなんて感じるわけないだろう。


「冗談だよ、冗談。全く本当に可愛げがないなぁ、エレーナちゃんは」

「ババアに可愛げがあったってしょうがないだろ」

「ほら、そういうところ。女性の美しさに年齢は関係ないんだよ」


 可愛げと美しさは別物だと思うが。

 ハルシャはムッとしているようだが、構ってやる気はないので私は無視をした。


「ルカ君だって可愛らしい人の方が好きだよね?」


 それまで黙って私達のやり取りを見ていたルカに、ハルシャが話を振る。

 ルカは、キョトンと目を瞬かせた。


「え? エレーナさんは可愛らしいと思いますよ」

「「……は?」」


 大変不本意だが、私とハルシャは同時にそう言っていた。


「えぇ……それ本気で言ってる?」

「はい。エレーナさんは可愛らしくて、とっても素敵な女性です」


 ルカはニッコリと、純朴な笑顔を私達に向ける。

 その言葉に裏など無く本気でそう思っているのだと、そう感じさせる笑顔だった。


「……ルカ。ちょっとおいで」

「はい?」


 ルカが無警戒にひょこひょこと近づいてくる。

 そして、私のすぐ近くまで来た時。

 私は彼の頭にゲンコツを落とした。


「いったぁ!?」

「全く、老人をからかうもんじゃないよ」


 そう言って、私はルカに背を向ける。

 ……なんて子供だ。驚きすぎて思わず手が出てしまった。

 私が可愛い?

 怖いと言われたことはあっても、可愛いなんて初めて言われた。


「からかってなんかないです。僕は本当に」

「そんなことより、早くしないと王子が来ちまうよ。さっさと出迎える準備をしな」


 視界の端にニヤつくハルシャが見えた気がするが、そんなことよりも早くこの場を立ち去りたかった。

 外の涼しい風に当たって、頬の火照りを鎮めなければ。

 私は背後から聞こえるルカの引き留める声を無視して、足早にその場を後にした。


◇◇◇


 エレーナが去った後。


「……ルカ君は罪な男だね」

「へ? 何の話ですか?」

「無自覚って怖いなぁ。将来、後ろから刺されても知らないよ」

「そ、それはもう勘弁したいというか……」

「『もう』?」

「いえ、何でもないです!」


 そんな会話が繰り広げられていたそうな。

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