第23話 元悪徳貴族、盗み聞きする

 ハルシャと再会してから3日が経過した。

 父さんは王都での仕事があるため、日中は俺とは別行動だ。

 この日も、俺は1人でハルシャの屋敷へと向かっていた。当初は子供1人で歩くのはどうかと思ったが、父さんの借家は屋敷が立ち並ぶこの場所の近くにあり、周辺一帯の治安も王都の中では1番良いらしいのでとりあえず安心した。

 そろそろ屋敷が見えてくる頃だなと思っていると、ハルシャの屋敷の前に豪奢な馬車が停まっているのが見えた。


「……あの紋章、王家のものじゃないか?」


 大きなお屋敷が並んでいるような場所でも目立つ荘厳な馬車には、月桂樹のリースに剣と盾が描かれた紋章が刻まれていた。

 シンプルながらも精巧なデザインのそれは、紛れもなく王家のものだ。

 ちなみに王家の紋章は王国で運営している組織でも使われており、王立騎士団の鎧にも刻まれている。

 立ち止まってじっと見ていると、馬車の扉が開いて中から人が降りてくるのが見える。

 遠目からではあったが、その人物は年配の女性のようだった。

 顔は確認できないが、その身に纏う雰囲気に俺は覚えがあった。

 彼女に続いて、簡素ながらも一目で上質なものとわかる衣服を身にまとった子供が馬車の中から現れる。

 年の頃は今の俺と同じくらいに思えたが、その堂々とした足取りからは王族としての風格のようなものが感じられた。

 2人を下ろして馬車が去っていくのを確認した後、ハルシャの屋敷に近づいていく。

 気配を消して物陰からこっそり覗くと、屋敷の入口でハルシャが2人を出迎えていた。


「殿下、わざわざ御足労いただきありがとうございます……あれ、なんで君までいるの?」

「なんだい、来ちゃいけなかったかい?」


 女性の声は多少しゃがれていたが、凛としたよく通る声だった。

 ――懐かしい。

 聞いた瞬間、そう感じた。


「ハルシャ師匠。私が無理を言ってお連れしたのだ。魔術と剣術を組み合わせた訓練がしたいと」

「てなわけさ。まさか王族の馬車に乗せられるとは思ってなかったけどね」


 王族の馬車に乗れる機会など、従者にならない限りはあるはずがない貴重なものだ。

 しかし、女性は小さくため息をつき、微塵も興味が無さそうだった。むしろ、迷惑がっているようにも見える。


「うわぁ、貴重な経験したってのにエレーナちゃんは相変わらずだなぁ」

「ちゃん付けするな。軽々しく淑女の名を呼ぶなんて失礼な奴だね」


 エレーナと呼ばれた女性は心底嫌そうに答えた。

 やはり、彼女がエレーナらしい。

 ――エレーナ・オスマンサスは、俺が王立騎士団第一部隊にいた時、副隊長をやっていた女性だ。

 確か、俺が騎士を辞めた時は18歳だったはず。ハルシャの話によると俺の死から50年は経過しているようなので、今は70歳を超えているだろう。

 しかし、しっかりと背筋を伸ばして立つその姿は70歳を超えているとは思えないほど若々しく、後ろで1つにまとめられた銀色の髪は未だに艶があり、当時の美しさを残していた。


「僕が失礼なのは今に始まったことじゃないでしょ。それより、殿下。剣術と魔術を組み合わせた訓練だなんて騎士ですら限られた人しかやらないようなことをどうしてやりたがるんです?」


 エレーナと共に来た子供は、どこか悲しげにハルシャの問いに答える。


「……強くなりたいからだ。魔獣達との戦いで結果を残している者達は皆、剣術と魔術を組み合わせた訓練を受けていたと聞いている」


 その子はともすれば女の子にも見えそうな可愛らしい顔に、どこか憂いを含んだ表情を浮かべている。

 それはまるで、とてつもなく重い荷をその小さな体で支えようとしているようで。

 いくら「殿下」と呼ばれるような立場にいるとしても、あのような表情をあんなに小さな子がするものなのかと、俺は疑問に思った。


「そうは仰いましてもねぇ、殿下。その訓練は殿下にはまだ早すぎると思いますよ。その大切な御身に傷がつこうものなら僕達の首が飛んじゃいますって」

「ほら、だから言ったじゃないか。どうせこの男も反対するだろうから、私を連れて行っても意味ないよって」


 おい、エレーナ。

 王族相手になんて口の利き方だ。ハルシャの方がまだ畏まってるぞ。


「しかし、エレーナ師匠……」

「大体ね、まだ身体も出来上がっていない時期にそんなことしたら逆に悪影響だよ。剣術に至ってはようやく基礎が固まってきたばかりだと言うのに、なんでこんなクソ難しいことに挑戦しようとするかね、このバカ弟子は」


 ちょ、お前、バカ呼ばわりはダメだろ!

 その子はお前の弟子である以前に「殿下」なんだろ!?


「だが、私は早く強くならなければいけないのだ!」

「まだそんなこと言ってんのかい! 焦っても死に急ぐだけだと言ってるだろう。そもそも、あんたには才能が無い。そんな奴が戦いで剣を使うつもりなら、まずは基礎をしっかりしないと通用しないよ!」


 う、うわぁ……王族相手に容赦ないな。

 肝が据わっていると言えば聞こえがいいが、今の言動は心臓に毛が生えているとしか思えない。

 不敬罪に問われたら、極刑間違いなしだな。


「エレーナちゃん厳しすぎ。もうちょい優しい言い方してあげないと」

「中途半端な優しさで甘やかしちゃ、戦闘でただの役立たずになっちまうだろ?」

「でもさぁ、エレーナちゃんの指導についてきてるんでしょ? それだけで充分凄いじゃないか」

「確かにその根性は認める。だけどね、それと才能があるかないかは話が別だろ」


 もう、聞いてるこっちがハラハラしてきたんだが……。

 ほら、殿下が肩を震わせて俯いてるぞ。

 エレーナの言葉は弟子を想う師匠として正しいと思うが、小さい子供に言うには明らかにキツすぎだ。


「殿下、気にしないでください。エレーナは殿下のことが心配で言っているのです」

「……わかっている。師匠達が心配してくださっていることも、私にどちらの才能も無いことも」


 不意に、悔しそうに顔を歪める殿下が幼い頃の自分と重なった。

 笑顔が無くなっていくフェルを救ってやれない己の無力さに、悔しさと苛立ちを覚えていたあの頃。

 そういえば、俺もあんなふうに「強くなりたいからもっと上の訓練がしたい」と言って、師匠から平手打ちを食らったな。

 ……あの子も、助けたい相手がいるのだろうか?

 殿下のことが気になり、もっとよく見ようとした時。


「……っ! 誰だい!?」


 ついうっかり、物陰から身体が出てしまった。

 鬼の様な形相で振り返ったエレーナと、ばっちり目が合う。

 うっ、久しぶりに見たが、やはり怖いな……。

 昔はしょっちゅうこいつを怒らせて、この鬼すら逃げそうな恐ろしい顔で追いかけられていたものだが、よく耐えられたよな俺。

 美人が怒ると怖いは本当だった。


「な、子供……?」


 俺の姿を見たエレーナが、急に慌てだす。

 どうやら不審な気配の正体が子供だとは思っていなかったらしい。

 まあ、あんな顔を子供が見たら普通は泣き出すよな。いや、大人だって逃げ出すか。

 俺は見慣れているから、逃げ出すことも泣き出すことも無い。怖いもんは怖いが。


「あれぇ、ルカ君じゃん。なんでいるの?」

「何故って、ハルシャさんと毎日会うと約束したじゃないですか」

「あー、そういえばそうだったね」


 自分から言っておいて忘れるとは、失礼な奴だ。


「ルカ……?」


 怪訝な顔をするエレーナに、ハルシャが俺を紹介する。


「その子はルカ・スターチス君。カインの息子だよ」

「カインの……ということは、マーラの息子でもあるのかい」


 エレーナはどこか嬉しそうに口元を緩め、獲物を見つけた魔獣のようなギラついた目で俺を見る。

 仮にも子供相手にそんな顔するなよ。俺だから良いものの、ただの子供だったら泣き喚いて大変なことになるぞ。


「初めまして。ルカ・スターチスと申します」

「ほう、礼儀正しい子だね。私はエレーナ・オスマンサス。あんたの母親の師匠だった女さ。ついでに言うなら、あんたの伯父のライアンも弟子に当たるんだけどね」


 フンっと鼻を鳴らす彼女に、俺は頬が緩みそうになる。

 昔から、上司だった俺にもこんなふうに不遜な態度をとっていたな。辛うじて敬語ではあったのだが、傍から見ればどちらが上司なのかわからないくらい偉そうだった。

 とはいえ、俺としては少女が見栄を張っているようにしか見えず、周りから「隊長は侮られている」と言われても特に注意することは無かったのだが。


「カインさんやマーラさんと言うと、高名な呪いの研究者と第一部隊の元副隊長のか?」

「はい、殿下。彼らは僕とエレーナちゃんの弟子なんですよ。殿下にとっては兄弟子、姉弟子になりますかね」

「そうであったか。では、そのご子息であるルカ殿にもきちんと挨拶せねばならないな」


 そう言ってこちらを向いた殿下を見て、俺はハッとする。

 赤みがかった金色の髪に、深い青の瞳。

 今は完璧な金色だが、幼い頃のフェルもこのような赤みがかった色をしていた。

 そして、俺は思い出す。

 フェルは今、この国の王である。そして、殿下という名称は王の息子を指す。

 つまり、この子は、ガイウスの甥っ子だ。

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