遠景・机・透明になりたい・霧

空は霞んで薄れて消える。境目には街がある。私の街と同じように広がっている。そこでは私のまったく知らない人たちが、私と同じように生きている。彼らは私のまったく知らない場所へ行き、私のまったく知らない人と話す。笑いあって手をつなぐ。私の街は彼らの街から遠く、空との境目に位置している。





一昨日から続く雨が、街中をしっとりと包み込んでいた。まだ人気のない校舎の中、遠く響いてくる金管楽器のロングトーンを聞きながら階段を上り、私はいつもよりずっと早く教室へ着いた。窓を開けると雨の香りがふわりと漂った。私は彼の席にこっそり座る。湿気た机の表面を、静かに、指で撫ぜてみる。





彼に抱きしめられているのが、急にとても嫌になった。何も考えられなくなるほど不快だった。彼の部屋の臭いが嫌だった。彼の吐息が嫌だった。彼の生温い体温が嫌だった。それら総てがわたしの服にもわたし自身にも、まとわりついて染み込んでいってしまうみたいで、思わず彼を突き飛ばして部屋を出た。





辺りに人は見えない。私は茫洋とした心持で立ち尽くしている。私は何処にいるか。それは中央分離帯であり、駅のホームであり、アパートの屋上、航空障害灯の明滅の隣であり、学校の昇降口の前であり――とにかく、私はそこから一歩踏み出す必要があった。ゆっくり右足をあげる。私は、透明になりたい。





この雨がいつから降り出したのか定かではないが、少なくとも、澄んだ空は遠い記憶に残るのみだった。往来では、外套の襟を立てて忙しなく歩く姿が朧に滲み出しては灰色に溶けて消える。胡乱げな視線を座り込む私に向けて通り過ぎていく。街に煙る霧のような細雨の下、私はただどこにも行けなくていい。

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