07

 少女は同居の女性と三人連れだって午下りの街を歩いていた。


「レイナちゃん、最近雰囲気が明るくなったよね」


 唐突にマユに言われて少女は戸惑った。一緒に歩いていたヒビキがレイナに代わってマユに問う。


「レイナはいつも笑顔でいるでしょ? どこが違うの?」


「スズちゃんはこういうことにはホント鈍感よねー、レイナちゃん」


 そういうマユもこのところだいぶ落ち着いてきたようで以前のような穏やかな微笑みを浮かべるようになっていた。今日は自分から出かけたいというので三人で歩いている。


「そうだ。行ってみよう」


 とマユが言う。「どこへ?」とは二人も聞かない。互いに顔を見合わせた後ヒビキは顔を上げて視線をそらし、レイナは俯いてやはり顔を赤くする。どこへ行こうと誘っているか察しがついているからだ。


「いいのか?」


 とヒビキが訊く。


「もちろん」


 とマユは少々意地悪く微笑んで見せる。おそらくヒビキの問いとマユの返答は意味が違う。レイナはそれを苦笑いで受け流した。


 サイクロプスが三体現れた最後の戦闘から五日が経っていた。街は大幅に再編されて三日がかりの引っ越しが行われた。さながら民族大移動といった様相だったがその作業はあらかた落ち着いている。それまでその事実に半ば目をそらして普通の生活を装ってきたこの街は、完全な戦時体制に移行した。南門東に作られていた畑はそのまま残されたが、畑に隣接する形で医療区が設けられ医療班のメンバーが家を割り振られた。町の西側は職工区とされ、職人たちの住居が工房の近くに充てがわれた。西側には他に中央広場沿いに市場を作り食材だけでなくパンなどの加工品も製造する工房を隣接している。北門そばの東側が自警団の居住区であり、西側のスラム地区は手付かずアンタッチャブルで決着している。女性陣は人数が少ないことと安全のため引き続き集団で住むことを原則としていたが、希望があれば自由に住む場所を選ぶ権利も保障されており、アリカはネバルと同居することを選択していた。


「スズちゃんもコーちゃんと一緒に暮らせばよかったのに」


「なっ……」


 耳まで赤らめ絶句するヒビキを楽しそうにからかいながら、マユは目的地へと軽い足取りで歩く。その手を不意にヒビキがつかんだ。

 マユが危うくぶつかりそうになったのは通りの角から姿を現したシュウトである。彼は短く舌打ちをすると三人を睨む。途端にマユの表情が曇り小刻みに震えだしたのが握った手を通して感じられた。

 この辺りを彼が歩いているなど想定外のことだった。普段の彼はスラムから滅多に出てこない。訝しそうにヒビキが様子を伺うと彼の後ろからヒロノブが現れたので事情を察する事が出来た。おそらくクロかイサミに呼び出されたのだろう。


「どうした? 喧嘩売ってないで先を急げよ」


 ヒロノブに促されて歩き出したシュウトはすれ違う際に下卑た視線でレイナの体を眺めて行った。その様子にマユの記憶がフラッシュバックしたのか、膝から力が抜けて崩れるように座り込んでしまう。


「大丈夫か?」


「……大丈夫。大丈夫……」


 言葉とは裏腹に顔は蒼白となり呼吸が早く浅くなる。


うちに戻ろうか?」


「ここからならコーちゃんの方が近いから……」


 マユの言う通り、確かに家に戻る道のりの半分に満たない距離だ。ヒビキはともすればしゃがみこんで動けなくなってしまいそうなマユを支えてコーとロムの家に急ぐ。


 ドアノッカーが三度叩かれたのに気付き、コーが玄関を開けると具合の悪そうなマユを抱きかかえたヒビキとレイナがいた。


「どうしたんだ?」


「あとで説明する。まずは家に上げてくれないか?」


「あ、ああ……」


 レイナと代わろうとしたコーは彼が触れた瞬間ビクリとマユの体が強張ったのを感じ一瞬躊躇したが、すぐに何事もなかったように彼女を抱えてリビングに運び入れた。


「レイナ、ロムを呼んできてくれるか? 二階の奥の部屋だから」


「判った」


 ソファにマユを横たえるとコーは台所へと消える。レイナは階段をのぼり奥の部屋のドアをノックする。


「どうぞ」


 声に促されてドアを開けると、そこには上半身むき出しの格好で腕立て伏せをしているロムがいた。頭をこちらに向けているが視線を落としているため彼女に気づいていないようだ。やがて二百と短く呟いてロムが顔を上げる。そこにはスラリとした白い女性の足があり、彼は誰だろうかとさらに視線を上げ期せずして健康的な太ももを見上げてしまうことになった。


「あ」


 ラッキースケベの直前、その状況に気づいたレイナが小さな悲鳴をあげてスカートを抑える。


「ごめん」


 魅力的な太ももから強引に視線を剥がすとロムは立ち上がって改めてレイナを見る。レイナの方でも羞恥に顔を赤らめつつロムを見るが、今度はその鍛え抜かれた上半身が視界に入ってまた顔を上気させることになる。


「ああ、悪い。今上着着るよ」


 言って彼が背を向けたことでこちらも期せずして左肩の傷痕を見ることになった。げっるいに噛まれた傷である。兄達からここに来るまでの経緯は聞いた。その中に生死をさまよったドブネズミとの死闘の話はあの日のハイライトのひとつとして強くレイナの感情を刺激している。彼自身からは具体的な戦闘経過は語られていないものの実際にその傷を見ればいかに深く噛みつかれていたかが想像できる。


「その傷……」


「ん?」


 着かけた手を止め、レイナが左肩の傷痕に手を触れるのをされるがままにしてくれる。


「あの日」


 言いかけたロムが口をつぐむ。長い沈黙が二人を支配し、ようやくロムは続きを紡ぎ出した。


「助けられなくてごめん」


 レイナの目から涙がこぼれる。こんな大怪我を押して彼は最上階に上がってきた。レッドドラゴンに攫われたレイナを助けようと力を振り絞って手を伸ばしてくれた。あの日の指先に触れたロムの指先の感触は今も思い出せる。レイナは今、この瞬間はっきりと自分がこの目の前の青年に恋心を抱いていることを自覚した。


 二人で階下に降りて来ると、コーとヒビキがマユを落ち着かせていた。


「何があったんですか?」


 事情を知らないロムがコーに訊ねる。


「ん? ああ……」


「ちょっと過呼吸でここに運ばせてもらった」


 事情を説明しそうなコーを遮るようにヒビキが現状だけを語る。そのちょっとした機微を察したロムはそれ以上立ち入ることなく様子を見守ることを決めた。ヒビキはありがたい反応だと好意的に捉える。

 ようやく落ち着いたマユはみんなに礼を言うと目を閉じ小さく微笑んだ。


「顔色が悪いからもう少し休んでいくといいよ。使ってない寝室があるから一眠りするといい」


 ロムが言うと、「そうさせてもらう」とコーに先導される形で二階へ向かう。


「いい男だな、君は」


「なんですか? いきなり」


「いや、そう思っただけだ。コーちゃんも君くらい配慮できる男ならあたしも……」


 と言いかけて慌てて顔を赤くしながら話題を変えた。


「ところで先日の試合の怪我はもういいのか?」


「おかげさまで」


 怪我といっても大袈裟なものではない。打ち身と打撲で二、三日腫れて熱を持った程度だ。ヒビキの方も負っている。


 五日前の会議の後、クロたちの立会いのもとで二人は拳法家として試合をした。結果だけを言えばヒビキが勝利を収めている。実力自体は拮抗していた。勝敗を左右したのは実戦経験の豊富さだったと言えるだろう。ヒビキはアクション女優として仲間内では天才と呼ばれていたが、天稟てんぴんなら彼のほうがひと回りもふた回りも上だとあの試合で知らされた。まだまだ強くなる。そのことに軽い嫉妬をしている自覚もあった。


 武器のない格闘ならヒビキとロムが怪物に対抗できる程度。武器を持たせればクロが頭一つ抜けていてヒビキ、ロムあとはシュウトがサイクロプスと一人で戦えるだろう(最も危険を冒すような愚かな戦術は取らない)。他に一人でも戦えそうなのはコーとレイナ。この二人なら戦場でも広い視野で上手に立ち回れそうだとやっさんはゼンとクロを交えて話し合っていた。

 集団戦闘のため現在戦闘に支障がない戦士で三人一組の十六班を編成し、四班一組としてイサミ隊・シュート隊・アリカ隊・サタケ隊の四部隊を作り出した。これが現在やっさんが指揮する軍団の全容だ。これに臨機応変に行動することを許されたクロ・コー・ヒビキとジュリー・サスケ・レイナ・ロムの二遊軍と、頑として指揮下に入らないシュウト隊六人がこの街の現有戦力となる。

 編成に合わせた街の引越しが終わった昨日から軍隊行動訓練を開始したが、もともと陣形行動の経験がある彼らは割と苦もなく演習をこなしていた。


「槍が揃うのはいつ頃になるって?」


 やっさんが問うとクロが答える。


けんやりが予備も含めて六十本だったな。柄になる棒は揃ってる。槍頭は折れたりして使えなくなった剣などから流用するそうで数はすぐ揃うだろうと言っていた」


「問題はなかごにするのにどれだけ時間がかかるかだろ?」


「ここに来る前に確認した時に完成していたのは七本だった」


 製作ペースが維持できるとしても六十本完成させるのにあと三日はかかる計算になる。


「仮に今襲撃された場合、誰に持たせるんですか?」


 ゼンが顎に親指、鼻先に人差し指を当てながら訊ねると、やっさんは椅子の背もたれに倒れかかって腕を組んだ。


「サイクロプス対策としてコーとヒビキには持ってもらいたいな。最悪ロムは自分の棍を使ってもらうとして後五本か……」


「槍の効果を最大限生かすなら一箇所にまとめて配備する方が良いですよね?」


「最悪竹槍のように柄の先端を鋭角にしておいてもらって出撃という手もあるが」


「そりゃ後で槍頭をはめるのに都合が悪いなぁ」


「揃うまでは今まで通り各自の武器で戦うので良いんじゃないのか?」


「あくまでも今襲撃されたらの話だからな。明日になりゃ後十本は増えてるだろ。サタケ隊を槍部隊にして横陣の一列目に置くことにしよう」


「そんな単純な陣でいいんですか?」


「相手は怪物だろ? 見てた限りてんでに突撃してくるだけだし、二列目にシュート隊アリカ隊を並べておいて素早く鶴翼に展開して押し包んでイサミ隊にサタケ隊のフォローをさせればコボルド・オークはなんとかなるさ。犠牲も多くは出ないだろ? 出来れば二段構えになるイサミ隊にも槍を持たせたいがな」


 確かに無秩序に突撃してくるコボルドや直線的なオーク相手ならこの戦術であらかた倒せる気がするなとクロは思った。こういうものの見方、考え方は個人の武技を頼りにする彼やヒビキには出てこない発想かもしれない。特に彼らは映画などで見栄えを優先した演出による個人戦闘的表現に慣れていたため、戦闘陣形の有用性も軽視していたきらいがある。

 やっさんは訓練の最初に「集団戦はできるものに合わせるのではなくできないものに合わせる」と言っていた。「足並みを揃える」とはそういうことだと。クロは今まで「できないもの」の分は「できるもの」が、つまり自分がより多く受け持てばいいとそう思っていた。クロのその態度がコーやネバルたちに無理をさせる結果になっていたのかも知れない。これは生死をかけた戦闘だ。対サイクロプスなど無理をしなければいけない局面もなくはないが、それをいかに少なくするかを考えるのが指揮官というものだったのかも知れないと今は反省している。


「いずれにせよいつ襲ってくるかわからないんだし、人事を尽くして天命を待つだ。明日は午後に槍術訓練と行こうじゃないか」


 パンと響く柏手を打ってやっさんはお開きの合図とした。


 翌日の午後、槍術訓練までに完成した槍は二十三本。合して三十本になった。コーとヒビキ、そしてサタケ隊とイサミ隊に支給したのが二十六本。残りの部隊には昨日同様棒だけを持たせて槍術の稽古が始まった。

 まずは三人一組、班ごとに息を揃えて振り下ろしたり突いたりする訓練。様になると四班一組のそれぞれの隊ごとに息を揃える訓練だ。一時間ほど訓練を続けた後、北門外で演習を行うことにした。しょうを打つ数で陣形を変えたり槍を繰り出す訓練だ。それを一時間ほど続けていてさて、そろそろ休憩でもとやっさんが考えていた時だ。物見櫓で見張りを担当していた男が敵影を確認した。


「やっぱり敵さんにこちらの様子は筒抜けらしいな」


 と呟いたのは北門の上で演習の指揮をとっていたやっさんである。左右にいたゼンとクロも頷かざるを得ない。


 北門外で演習を行う。


 やっさんは槍稽古の後の休憩中にそう言った後、二人にだけ聞こえるように「多分演習終盤に敵が来る」と予言めいた発言をしていた。

 どうも確信があったとしか思えない。

 やっさんは素早くゼンに指示を出し三列に横陣を敷かせる。昨日言った通り、一列目にサタケ隊二列目にシュート隊とアリカ隊、三列目にイサミ隊だ。演習のためすでに彼らは防具も着ているし、自分たちの武器も携帯している。

 クロはサイクロプスの数を確認すると門の階段を素早く駆け下りていく。その背中にやっさんが声をかける。


「サイクロプスは遊撃隊に任せたよ」


 クロは小さく右手を上げるだけで振り返りはしない。北門前には遊撃隊の六人がすでに準備万端クロを待っていた。


「物見の報告だとオーク三十二体、サイクロプスが二体それぞれケルベロスとみられる合成獣キメラを連れているということです」


「ケルベロス?」


 コーの報告を受け、クロが訊き返す。それに答えたのはジュリーだった。


「ギリシャ神話に出てくる三つ首の大型犬で『冥界の入り口を守護する番犬』です」


「なるほど、新手を投入してきたということはこちらの戦術を脅威とみなしたんだな」


「こちらの戦術を?」


 ヒビキはその言葉を聞き咎める。


「あとで話す。今は戦闘に集中だ。オレたちの班は右翼から、君たちは左翼からサイクロプスに当たってくれ」


 そう指示を受け、それぞれが了解を示して門を出ていく。


「シュウトたちは?」


 右から展開しながらクロがコーに訊ねると、今日は出てきていないという。


「そうか……」


 と、独り言のように呟くとクロは目の前の戦闘に集中する。


 シュウトは例の建物の中で建物の五階から戦況を見つめていた。

 門の上からの合図で陣形を維持しつつ粛々と前進をした部隊は、オークたちが突撃を始めると前衛が槍を倒して突撃に備え足を止める。槍の間合いにオークが入ってくるタイミングに合わせて槍を突き出すとやりぶすまにオークが縫い付けられた。

 それを確認したやっさんが二列目を鶴翼に展開させる。と同時に後衛が前衛のすぐ後ろについてオークの第二波を受け止める。鶴の翼は速やかにオークを取り囲んで長い柄でオークをバシバシと叩く。殺傷力は低いが追い立てられたオークが槍頭のついた殺傷力のある槍に突き殺される様はまさに袋叩きである。勝負は一方的に決着した。

 一方、右翼を駆け上がった三人はサイクロプスによって放たれたケルベロスを二本の槍が縫い付けてクロが危なげなくほふり、サイクロプスもヒビキが目を、コーが胸をついてクロがとどめを刺す。今までの苦労が嘘のように危なげない勝利だった。

 他方左翼の四人も気に触る男が棍でケルベロスを牽制している間に忍者と戦士が二つの首を刎ねる。とどめを二人に任せて拳法家がサイクロプスへと走り急所である単眼、喉、鳩尾みぞおちと突き上げ、後を追ってきたレイナがサイクロプスの後ろに回り込んで膝裏、アキレス腱と斬りつけて行動不能にする。ケルベロスにとどめを刺して追いついた戦士と忍者がレイナとともにサイクロプスにとどめを刺してこちらも無傷で勝利を収めた。

 今日の戦闘はこれ以上ない完勝であった。

 それを見届けたシュウトは仲間と言葉を交わすレイナをしばらく睨むように見つめたあと、無言で部屋を出て行った。

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