03

 女性が仔猫を抱えて去って行くのを見届けた四人の小さな冒険者は生垣から出てくる。


「ようやくだな」


 綿を入れたモコモコのトレーナーを着たやせ気味の男が芝居掛かった感じでつぶやく。

 猫を追い払うために通行人に小石を投げつけるという作戦は、幾度かの失敗を経て最大級の成果をあげた。

 当初の予定では人が近づいてくることで猫が逃げるのを期待したものである。生垣の中を覗かれてその人に気づかれてしまうリスクはあった。それでも他に彼らに強い興味を惹かれて動こうとしない猫を追い払う方法が思いつかなかったのだ。

 第一投は人に当たりこそしたが腰の辺りと低すぎて気づかれなかった。そこで顔に当てることにしたのだが、これが思いの外難しかった。猫に襲われないように生垣の茂みの中から投げるという行為がそもそもにおいて難しく、最初のうちは枝葉に邪魔されて歩道に投げることにも失敗した。高さも難易度を上げる要因だった。生垣は通行人の鳩尾みぞおちほどしかなく、投げ上げる角度と対象への距離が中々掴めなかったのだ。そして、当たってもこちらに注意を向けてくれる人がいない。当たったところを気にする人はいてもつぶてが飛んで来た方に目を向ける人がいなかったのだ。

 そこで、礫を複数回当てる作戦に戦略を変更してようやく彼女が猫に気づいてくれた。だけでなくこの冒険旅最大の脅威を連れ去ってくれたというわけだ。


「時間がかかりましたが、おかげで私の体力が大分回復しました。サァ、先を急ぎましょう」


 黒いローブを着た小太りの男が、鼻にかかった妙に節のついた話し方で言う。


「夜も更けて冷えてきたでござる」


 黒い忍者姿の男が覆面でくぐもった低い声でボソリと言う。綿入りトレーナーやふくらはぎの下まであるローブと比べ、彼が最も薄着と言えるだろう。もう時期冬になる東京の夜はさすがに上着なしで出歩く時期ではない。そんな彼の姿を(夜に黒の忍者衣装は思ったより目立つなぁ)などとぼんやり思っていた中国拳法着の少年は、トレーナーの男に促されて後を追う。

 交差点に出た冒険者たちは呆然と立ち尽くす。もちろん、人目を避けた物陰である。

 主要幹線道路は夜更けた事もあって歩行者こそまばらだが、車の流れが途切れない。これでは人知れず横断歩道を渡るなんてとてもじゃないが不可能だ。


「お手上げだ。どうすんだ? ゼン」


「……参りましたね」


 ゼンと呼ばれたローブの男もそう絞り出すのがやっとだった。


「参ってたって先に進めないぜ。なんとかしないと…」


「そう言われても……サスケにはいい案、ありませんか?」


「この状況のどこに活路が見出せるというのでござるか?」


「…ですよね……」


 ゼンもそれきり言葉が出ない。

 この主要幹線道路さえ越えられれば、目指す目的地までは純然たる住宅街だ。個人商店はあっても夜も遅い。オフィスや歓楽街のあったこれまでの道程よりずっと安全に移動できるはずだった。

 しかし、この幹線道路が超えられない。


「どうすりゃいいんだ……」


「ジュリー…」


 震えて膝をついたジュリーの背中にゼンはそっと手をおいて、彼の震えが絶望からだけのものではないと知る。綿入りのトレーナーは彼の汗だろうか冷たく湿っている。この状況は危険だ。このままでは体温がどんどん奪われていくだろう。


(なんとかならないのだろうか?)


 いちの望みにすがるようにゼンが拳法着の少年に視線を送る。彼は盛んに何かを確認しようとしているようだった。


「ロム。何を探しているんですか?」


「現在位置がわかるもの」


 彼らはミクロンシステムによって十分の一に縮小されているため道路標識やがいひょうばんを確認することが非常に困難になっている。


「そうか!」


 ゼンは自身の置かれている状況を忘れて大きな声を出すとガバと天を仰いでロムにならう。そんなゼンが歩行者に気づかれそうになるのをジュリーとサスケが抑え込む。


「どうしたでござるか? ゼン」


「現在位置ですよ! ここまで来れば我々の記憶が有効に使えます。どこに公園があるか? どの道を通れば帰れるのか!」


「そ、そりゃあ…」


「なるほど、正確な位置がわかれば攻略ルートを見つけることができるかも知れないということでござるな?」


「わかった。それはオレとロムに任せろ。二人はできる限り正確な地理を思い出してくれ」


 サスケは手甲の裏に隠していたシャープペンシルの芯と襟の中に縫い付けていた紙を取り出し、我が家と目の前の幹線道路を対極に記してゼンとともに出来る限り詳細に地図を書いていく。

 ジュリーはロムと協力して道路案内標識を手始めに距離や方角を割り出し、遂に街区表示板を探し当てた。


「──つまり、我々の現在位置はここ…」


 と、サスケの書き込んだ詳細な略図を指差す。


「ってことは、ちょっと歩けば歩道橋があるってことだな?」


「そうです。我々はついに攻略のいとぐちを掴んだんです!」


「そうと決まったら急ごうぜ。かなり時間をロスしちまったからな」


 四人は慎重かつ大胆に幹線道路の一本裏を進む。それまで手探りだった帰宅ルートは今やはっきり見えている。幹線道路を左手にして四十五分ほど歩くと彼らの期待通りにそれはあった。


 歩道橋。


 正確には横断歩道橋といい、交通量の多い道路で車両交通を妨げず安全に歩行者を横断させるために架けられた立体横断施設である。階段やスロープで道路の上に登り渡るというこの設備はバリアフリーの観点から老朽化を理由に多くが撤去されてきたが、ここはいまだ健在だった。

 スロープのない階段は一段が十八センチ程だろうか? 登れない高さではないが二十段以上あるとなると見上げるだけでうんざりする。


「一つ一つ階段登るつもりかい? 律儀だねぇ」


 ロムがからかうように三人を見て笑う。


「他にどうするってんだよ?」


「そこ」


 と、ロムは手すりの根元を指差す。


「スロープだろ?」


 そう。階段横、手すりの建てられている部分は段になっていない。錆びた手すりの根元は少々危ないが、身の丈以上の段差がある階段を登るよりずっと楽に登れるに違いない。


「人間、できる限り楽しないとね」


 基礎部分で他の段より高くなっているコンクリート製の一段目をまずは一番背の高いサスケが登る。


「こういう時にこそ、刀が役に立つというのに…」


 などと文句を言っても始まらない。刀の代わりに不安定なゼンの杖を足がかりに登ったサスケは、手を差し伸べてゼンを引き上げる。次にゼンを支え上げたジュリーが二人に手を貸してもらい登ると、最後にロムがひらりと駆け上がるように登って括り付けていたサスケの帯で杖を引き上げる。

 その後同じように階段を二段登った後は当初の予定通り、手すりの下を登っていく。思った以上に急な斜度に手をつき息を切らしながらも登りきった後は、歩道橋の上を歩く。

 途中、少し強い風が吹いて疲労の色が濃いゼンとジュリーがよろめいたので、安全のために橋の真ん中を姿勢を低くして早足で横断した。幸いというのか、当然だったのか、夜の歩道橋は誰も通らなかった。

 最後はまた手すりの下を今度は後ろ向きに手をつき膝をつきつつ降りていく。


 二十センチに満たない小さな冒険者たちは、幽鬼のようにフラフラと暗い住宅街を歩く。ビル崩壊後、非常食で空腹を満たしたロム以外は半日以上食事をとっていない。そんな中を六時間以上、人に見つかるリスクや野生生物に襲われる危険に緊張を強いられながら巨大な人の世界を歩き続けているのだ。とうに体力は尽きている。今彼らを歩かせているのは、なんとしてでも元の世界に戻るのだという意志と気力だけだった。


「公園だ」


 それは普段の熱血漢然とした芝居掛かった力のこもったものではなく、消え入りそうなほどかすかな呟きだった。

 食べる物のない彼らが、せめてと願った水を確保できるはずの公園だ。しかし、そんな希望の公園を目の前にしても彼らの歩む速度は上がらない。まるで体を鉛の服が包んでいるような、確かに足を前に繰り出しているのにちっとも進んでいる感じがしない。そんなもどかしい感覚が彼らを支配していた。


 やっとの思いで到達した水飲み場はしかし、彼らを拒むようにそびえ立っていた。

 無理もない。子供や車いす利用者用に低めに設計されているとはいえ彼ら十分の一世界の住人までを考慮されているはずもなく、見上げる先は体感で7メートル上だった。

 三人はそこで力尽きた。崩れ落ちるように座り込むと、ぐったりと倒れ込む。水飲み場に敷き詰められているコンクリートの冷たい感触にも体を動かす気力がわかない。

 こんな開けたところで無防備に寝そべっていること。それがどれほど致命的なことかそれさえも考えられないほど彼らは疲れ果てていたのだ。

 そして、その時は唐突に訪れた。


「………」


 その男は無言で、仰向けに寝そべっている三人を見下ろしていた。

 最初に気がついたのはゼンだった。水飲み場を照らす街灯の明かりが不意に遮られたことで重い瞼を持ち上げると、目の前に大きな男の顔があったのだからその衝撃はどれほどだったか。

 全身をアドレナリンが叩き起こす。早鐘を打つように心臓が全身に血液を送り出し、身体よ動けと筋肉を急かす。しかし肝心の頭が、糖分の不足した脳が指令を出そうとしない。とはいえ十秒ほど経った頃にはどうにか最初の指令が発された。ただし、それまでの間ゼンの脳は時間の経過感覚を引き延ばす。それは数分にも感じただろう。

 最初の指令を受け取った喉は、裂けよとばかりに絶叫した。

 それが同じく仰向けに倒れ込んでいた二人を叩き起こす。しかし、二人も反応出来るまでにややしばらく時を要した。

 それは、ユニバーサルデザインの水飲みをどうにか登ろうと悪戦苦闘していたロムの耳にも届いた。水飲みを挟んで裏にいたことも影響していただろう。しかし、それ以上にロムもこの冒険で疲労していたらしいことが、この事態に影響を与えたことは否めない。


(音もなく忍び寄ってきたのか?)


 おそらくその通りだろう。男はうごめく小さな人影に、こちらも緊張し警戒して静かに近寄ってきたのだ。


「ミクロンプレイヤーか?」


 男はそう問いかけてきた。すぐすぐどうこうするつもりはないようだ。しかし、突然の事態に完全にパニックに陥っている三人は対処できる精神状態にはなかった。意を決したロムが男の前に立つ。


「そうだ」


 言って彼は改めて男を観察する。

 年の頃は四十に近いだろうか? 身なりはそれなりだが若干臭う。髪は整えられていないしぱっと見た感じ四、五日は風呂に入っていないだろう。


(ホームレス?)


 ロムが男を観察しているのと同様、男も彼のことを値踏みしているようだ。


「なぜ外にいる」


 当然の疑問だろう。ミクロンダンジョンは、いやミクロンシステムを民生利用すること自体を政府が非合法としている。それを分かった上で遊ぶ冒険者プレイヤーがいることは世捨て人でなければ知らぬ者はいないはずだ。禁止決議から二年と経っていないし、過去に何度も摘発事件としてニュースになっている。ただでさえそんな危ない橋をわざわざダンジョンフィールド外で渡るなど、それこそ正気の沙汰じゃない。


「夕方、ビルに車が突っ込んだ事件があったのは知っているか?」


「ああ、野次馬しに行った。……はぁん、あそこでやっていたのか。そりゃ災難だな。で?」


「ホームに帰る途中なんだ」


「そこに帰りゃあ元に戻れるのか?」


 ロムは男から視線をそらさず頷いた。

 その頃には三人もなんとか起き上がり、ロムを中心に集まっている。

 男はニヤリと右の口角だけを釣り上げると少し顔を近づけてきて、酒臭い交渉を持ちかけた。






 日付が変わろうとしていた。

 下町の迷宮亭のあるオモチャ屋の地下にはジリジリとした気分をトントンと忙しなくタブレット端末の縁を指先で叩くことで紛らわせている蒼龍騎と、まんじりともせずに繰り返し再生させているニュース映像を映し出すモニタを見つめる店長マスターの姿があった。

 重苦しい空気を破ったのは蒼龍騎のスマートフォンだった。

 表示を確認すると、今や探すのも困難な公衆電話からの呼び出しである。二人は顔を見合わせて互いに頷くと、スピーカーフォンのアイコンをタップする。


「蒼龍騎、オレだ」


 縮小された人特有の甲高い声がスピーカーから流れてくる。蒼龍騎は再び店長の顔を見る。確かにSNSやゲームプレイ中はプレイヤーネームで呼び合うが、電話口で呼ばれたことはない。彼は用心して言葉を選ぶ。


「ジュリーか?」


「ああ、今どこだ? あ・いや、家にいるのか?」


 やはり何かあるのだろう。慌てて言い直す辺り何かある。


「それはこっちのセリフだ」


「すまん。ちょっと頼まれてくれないか……」


 それは彼がここ下町の迷宮亭に来てから六時間、事故からは八時間は経とうとしていた末の安否確認だった。

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