02
「下町の迷宮亭」はその日、改装中であった。いや、先週からダンジョンのリニューアルのための作業を
普段客席にしているひな壇の上に方眼紙に書き込まれたダンジョンマップや配線図、それまでに配置されていた
そんなこんなで、
「よし、第二階層配線終了」
チェック項目を声に出しつつ一つ一つ指差し確認し、バインダーに挟んだチェックシートに赤ペンでレ点を入れて一息ついたとき、呼び出しのインターホンがなった。
「どうした?」
出ると困った調子の店員の声をかき消すように
「店長! 事件です! 入れてください!」
「ちょっ、ちょっと沢崎さん…」
不穏当な発言に店員が焦る声が被る。どうも、連絡が来る前に一悶着あったようだ。しかし、入れてくださいとは随分と不用意な発言だ。
「落ち着いて、冷静になれたら降りてこい。近藤、判断はお前に任せる」
「わかりました」
「ちょっ…」と言う抗議の声は聞こえていたが、店長はそれを無視してスイッチを切る。降りて来ることを許可した以上。ここをこのままにしているわけにはいかないので、最低限の片付けを始める。まずはダンジョンマップとシナリオの書き込まれているファイルを調整ブースに放り込み、ブルーシートで第二階層がむき出しのダンジョンにブルーシートを被せる。話をするのであれば必要だなと思い、ひな壇の一部を座れるように片付け始めた頃に彼はまだ怪我のリハビリ中のようでぎこちない動きで降りてきた。その手には二人分のカモミールティーが持たされている。
店長は蒼龍騎を空けたひな壇に座らせると、そのペットボトルのカモミールティーの一つを受け取りわざとゆっくりそれを飲む。
「で?」
彼自身も蒼龍騎のただならない雰囲気に鼓動が高鳴っていたが、年の功かいつもと変わらない速度と声音で要件を問うた。確かに彼はちゃんと心を落ち着かせてから降りてきたらしい。バッグに入れていたタブレット端末を取り出して渡して来る。
「そこ、帰らずの地下迷宮ですよね?」
映っていたのは災害を伝えるニュース映像のようだ。彼はしばらくそれを見続ける。
アナウンスによれば今日午後四時過ぎに三階建のテナントビルに大型トラックが突っ込む事故が発生したと言うものだ。トラックを運転していた男は助け出された直後に意識を取り戻したものの意味不明の言葉を喚き散らしていたので警察が薬物検査を実施、陽性反応を示したので緊急逮捕。今現在、火災はないがビルがさらに崩壊する危険があるので付近を立ち入り禁止にしているらしい。
店長は自分のタブレット端末を拾い上げると素早く住所を検索して地図アプリを開く。写真モードにしてニュース映像を比較すると確かに当該ビルのようである。彼は心持ち震える唇を飲み口につけ、ゆっくり喉に流し込む。
「そのようだな」
「心配じゃないんですか!」
蒼龍騎は四人の冒険者の目的を知っている数少ない人物の一人であり、今回のアタックも彼には知らされていたのだろう。前回の彼らのダンジョンアタックに参加して大怪我を負っている。安全に充分配慮されたダンジョンフィールド以外の十分の一世界がどれほど過酷なのかを身を以て体験している一人だ。
「心配はしている。だけど、何をどうする?」
蒼龍騎は店長から視線を外して俯いた。出来ることは多くない。捜しに行くとしてどこを探すと言うのか? どう捜そうと言うのか。彼らはおそらくまだ十分の一でいるに違いない。とすれば、世間一般に知られるのは都合が悪いのだ。ギルドメンバーに声をかけて大規模な捜索隊など編成するわけにはいかない。人知れず、怪しまれずに二十センチに満たない彼らを捜すなどなかなかに高難度ミッションだ。
「今は彼らの無事を祈りながら自分たちに出来る事だけをやるのが最良だろう? とはいえ、君の心配もわかる。今日はずっとここにいてもいいぞ」
「……はい、ありがとうございます」
うな垂れたまま蒼龍騎は絞り出すようにそう答えた。
(しかし…)
と、店長はミクロンシステムの筐体に視線を向ける。
(このテの予感は当たって欲しくないと望めば望むほど当たってしまうものなんだろうかな?)
あの時の胸騒ぎがこう言う形で現実のものになったことに暗澹たる思いを抱きつつ、彼は今できる最善・次善のための準備を始めた。
「さ、じゃあ手伝ってもらおうか。まずは情報収集からだな。ニュースではミクロンダンジョンについては触れられていないんだな?」
「ええ、時折ビルが崩れるのでまだ現場検証どころではないそうです」
「ビルが崩れる…ねぇ」
「何か?」
「ん? いや、日本の近代建築がそんなに脆いものかと思ってな?」
「手抜きだったんでしょうか?」
店長は腕組みをしたまま唸ってしまう。
「ここで考えていてもラチがあかないな。その件は置いといて、ネットで情報蒐集してくれないか?」
「わかりました。……店長?」
「なんだ?」
「あいつら…生きているとして、どう行動すると思いますか?」
蒼龍騎が泣きそうな心配顔で見上げてくる。彼は、できる限りの朗らかな笑みを作って見せてこう言った。
「ここに向かってくるよ。元のサイズに戻るためにね」
女性巨人が彼らの眼の前を颯爽と通り過ぎて行く。
オーソドックスなベージュ色のストッキングに、かかとにブランドロゴのチャームが付いた青いスエード調のピンヒールパンプスのスラリとした脚を眺めながら、ジュリーがぼんやりと呟く。
「いつになったらチャンスが来る?」
どれくらいの道のりを進んできただろうか?
「今何時だ?」
「さぁ……正確にはわかりませんが日が暮れる頃に出発して四時間は経っているのではないかと思われますので、だいたい九時過ぎくらいじゃないでしょうか?」
「まだ九時かよ。どおりで人通りが絶えないはずだ」
ジュリーがため息をつく。
「日付が変わるまでここで待っているつもりなのか?」
ロムはゼンに問いかける。
「待っているつもりはないのですが、この状況ですからね?」
「とは言えゼン。夜も更けて冷えてきているし、いつまでもひとつ所に留まっているのも発見される可能性が高まるでござるぞ」
「そうですねぇ……悩ましい所です」
「リスク取ろうぜ、なぁ?」
前半はゼンに、後半はジュリーに向けて賛同してもらおうと声を掛けたものだ。
「あぁ、オレも賛成だ」
「しかし、リスクを取るにもキッカケというか、打開策がないと……」
「実は目をつけている案があるんだ」
ロムはいたずらっぽく笑うと、三人を見回して通りの奥を指差す。そこには地面から十五センチほどのところに裾があるだろうフレアのロングスカートを履き、携帯端末を見ながら歩いている女性が近づいて来る姿があった。
「待て待て、いや、え?」
ジュリーが大きくなりかけた声を必死に殺しながら顔を赤くしてロムとその女性を見比べる。
「悩んでいる時間はないぞ。ホラ? さっさと決断」
ロムは行く気満々だ。三人は互いに赤い顔を見合わせると唾を飲み込みながら頷いた。
意を決した冒険者たちはタイミングを見計らってその女性の足元に飛び込む。
「上は見上げるなよ」
「し、しねーよ!」
ロムは自分の言動で動揺するジュリーをよそに交差するハイカットスニーカーの真ん中を器用に避けながら走る。ゼンとサスケは蹴飛ばされないように少し後ろを走るが、そこにもロムの少し茶化した忠告が飛ぶ。
「あんまり後ろを歩くとスカートに触れるぞ。気づかれちゃうから気をつけてくんないと。巻き添えになるのは勘弁な」
都合のいいことに彼女は横断歩道を渡るようだった。赤信号だったのだろう、立ち止まった時にゼンが脚にぶつかりそうになったのをロムが体を張って阻止すると、再び歩き出したのに合わせて慎重に走る。
人間の知覚というのは実に大雑把にできている。実際にはロングスカートの女性の足元を小人が四人まとわりつくように付いて歩いているのだが、すれ違う人々もそれに気づくことなく去って行く。車に乗っている人たちは対向車のヘッドライトに女性自身が消えて見えることがあるくらいだから、こちらも冒険者には気づかなかったらしい。
だからと言って堂々と歩いていても誤魔化せたかと言えば、それは
「出るぞ」
横断歩道を渡りきり少し低くなっている縁石を飛び越えた後、ロムが声をかける。このまま行けるところまでスカートの中にいるのが安全なようにも思えた。しかし、この女性がどこへ向かっているのかわからない以上、どこで方向転換されるかわからない。何より彼女に気づかれる危険が、考えられる中で最も高いリスクなのだ。
四人は姿勢を低くしてスカートに触れないように注意しながら、素早く建物と建物の間の暗がりに飛び込んだ。
かなりの距離を走ってきた。三人はもとよりロムも心持ち息が弾んでいた。ゼンに至っては手をつき膝をついて荒い息に喘いでいる。
「息が整ったら先に進もう」
「ロム! それはちょっと酷だろ。ゼンの状態がわからないわけじゃないよな?」
確かに感情を殺した言い方で冷酷に聞こえたかもしれない。食ってかかるジュリーをそのゼンが手を引いて止める。
「ロムの考えは理解できます。いえ、理に適っています。我々は汗でびしょ濡れです。ここで汗が引くまで休息をとっていては体温を奪われて余計な体力を使ってしまいかねません」
「しかし…」
「大丈夫…私は大丈夫です。先を急ぎましょう。朝になる前に辿り着かなければなりません」
朝が明ければ月曜日。当然通りには人が溢れて、どんなに隠れようとも見つかってしまう可能性が高いのだ。タイムリミットは通勤ラッシュの始まる前、できれば始発電車が動き出す前に辿り着きたい。事故現場から下町の迷宮亭までは本来のサイズで歩いて三、四十分ほどだった。このサイズでもなんの支障もなければ八時間までかからない。すでに四時間以上かけて移動してきた。途中で何度か休憩を挟んでいるが半分近い距離は稼いているはずだ。まだ六時間以上は猶予がある。
「問題は…」
「何か問題があるのか?」
思考が無意識に音になったらしい。ジュリーが聞き咎めて来る。
「水と食料だろ?」
どうやらロムはただ先を急がせていたわけではなかったらしい。ロムは彼らと合流する前に持っていた非常食で腹を満たしているが、彼らはダンジョンアタック前にとった軽めの昼食が最後だった。すでに十時間近く何も食べていないことになる。
「幹線道路の一本奥に公園があった。あそこなら水が飲める」
その幹線道路というのがこの冒険最大の難所なのだが、今はとにかく進むしかない。
「行きましょう」
ゼンは疲労で重くなった体に
すでに幹線道路は見えている。そこに出るまでに十五分とかからないだろう。都道であり、交通量は夜でも途切れることはない。特に夜は物流を担う大型輸送車が昼より
いや、一人だけしっかり周囲を警戒していた男がいた。
「隠れて!」
圧し殺した、しかし鋭い声が飛ぶ。喫茶店だろうか? 店先の手入れされた生垣に四人が飛び込み生垣の外の様子を伺うと、鋭い目つきの三毛猫がこちらを見ている。
「狙われてたのか?」
「獲物と見られていたかどうかはわかりませんが、興味は引いてしまっているらしいですね」
「野良猫でござるか?」
「首輪がついていないから、その可能性が高いな」
「どうするでござる?」
「とりあえず生垣が切れるまでは生垣の中を進みましょう」
「その先はどうするんだ?」
「その先はその先で考えるしかない。さ、行こう」
こういう時、ロムの行動は早い。ゼンもそれ以外にはないと思ったが、決断を実行に移すのになかなか踏ん切りがつかない。
四人は密度の高い生垣の枝の中を苦労しながら進む。それは思った以上に大変な行軍だった。まず枝が細くて移る枝を選ぶのに苦労した。ジュリーは幾度となく枝を折り落ちかけたため、顔や手など肌の露出している場所が傷だらけになった。枝と枝の距離は短く、運動神経の決して良くないゼンでも危なげなく飛び移ることはできたが、その分自分の体を収める空間が確保しづらい。もっともその密度が彼らを三毛猫から守ってくれているので、文句も言いにくい。
猫は生垣の中には手を出してこないが、追跡を諦める様子もない。
一体何が目的なのか?
野生動物の行動は全く読めない。普段のサイズなら気にもしないが、この大きさで見る猫は猛獣以上の脅威に映る。
やがて冒険者は生垣の終わりに辿り着いてしまった。三毛猫はまだこちらを解放してくれそうにない。
「さて、どうする?」
ジュリーの問いに答えられるものは今のところいない。
戦って勝てるとは到底思えなかった。ドブネズミでさえ命を賭けた戦いになった。今は武器もない。サイズ感で言ってもとても戦う気になる大きさではない。
「こうして見ると物語の主人公というのは、いかに常人離れした胆力の持ち主かと思わされるでござるな」
ドラゴンやサイクロプスなど空想世界の巨大な怪物に挑む戦士たち。RPG好きの彼らにとって自身を勇者に
「感慨にふけっていてもいい案は浮かばないだろ? 考えろよ」
「そういうジュリーに案はないのでござるか?
そう返されて、ジュリーは「うっ」と言葉を詰まらせた。
「ず、頭脳労働は俺の仕事じゃねぇんだよ」
「都合のいい解釈でござなる、戦士殿」
言い合いに割って入ったのはゼンである。彼は二人の言い合いを制して、ロムに問いかける。
「どうも私は考え方が慎重に過ぎるようでなかなか名案が浮かばないのですが、あなたなら何か浮かんでいるのではないですか? ロム」
三人の視線がロムに集まる。長い沈黙ののち、ロムは枝から降りてソフトボール大の石を拾ってくる。
「猫にぶつける気か?」
「このサイズじゃ、撃退するなんて無理だよ」
「じゃあ、それでどうする気なんだ?」
「通行人に当ててみようかと…」
「え?」
思わず声を出したのはゼンだ。
「歩いている人が猫に興味を持って寄ってきてくれたら、猫が逃げるんじゃないかと…どうだろう?」
「リスクを取るのですね。……わかりました。私は賛成します」
「他に代替案もない。拙者も賛成しよう」
「ジュリーの意見は?」
ゼンに問われたジュリーは、ふてくされた表情で枝を降りて行く。
「……石を拾ってくる。一回で成功するとは限らないからな」
その女性はほろ酔い気分で帰り路についていた。
二十代半ば。仕事にもようやく慣れ、独り暮らしのリズムも掴めて生活費も計算できるようになった。最近では金銭的な余裕も増え、飲みに出歩くことも多くなった。今日は週末を利用して上京してきた友達に呼ばれて、大学時代の友人達との久し振りの女子会だった。彼女の帰りの電車に合わせてお開きとなったので心持ち飲み足りない感じもなくはなかったが、残ったメンバーから二次会の話も出なかったので家に帰ることにしたのだ。もっとも明日は出勤日、深酒するわけにもいかないのだから仕方がない。
幹線道路沿いを心持ちゆっくり歩いていると、何かがアゴの辺りに当たったような気がした。そこを指で触ってみたが、当たり前のように何もない。すると今度は襟足の辺りに何かが当たった感触がする。
流石に立ち止まって辺りを見回すと、そこには一匹の三毛猫がいて、彼女の視線に気づいたのかこちらを振り向いた。
子猫だろうか? 実家で猫を飼っていた経験から五ヶ月くらいかと見当をつけると、彼女はその猫に近づき声をかける。
「そこに何があるの?」
仔猫は生垣の中を覗いていた。好奇心旺盛な仔猫は物珍しいものを見つけると興味を惹かれて追いかけることがある。きっとこの仔猫もそんな何かを見つけたのだろう。声をかけられた仔猫は「ナァ」と甘い声で鳴くと、彼女に近づいてきた。
人見知りしない猫だ。幼いこともあるのだろうが野良だとすれば随分人
「お母さんはどうしたの? 兄弟は?」
五ヶ月といえば独り立ちする頃だ。きっとこの仔猫も母猫の元を離れて一人で生きて行くことになったのだろう。そんなことを考えると人知れず目頭が熱くなる。独り暮らしには慣れたつもりだった。就職して東京に出てきた当初は寂しくてよく泣いていたが、今はそんなこともない。つもりだった。それがどうしたことか、今この仔猫を撫でていると無性に泣きたくなったのだ。飲み会で話したそれぞれの卒業後の苦労話で郷愁を誘われたのか、それともこの夏の終わりに別れた恋人を思い出して人肌恋しくなったか?
「うちに来る?」
彼女は涙声で差し出した手の匂いを嗅いでいる猫に声をかける。言葉がわかったのか、仔猫はその手にすり寄り甘えてきた。それを見て思わず抱き上げ頬ずりをすると、
「お酒くさい? ごめんね。アラ? 君、男の子なんだね。よろしくね」
などと言いながら仔猫を連れて足早に去って行った。
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