崩壊からの帰還

01

 遠くサイレンの音が聞こえる。

 その音がだんだん近づいて来るのを感じながら若者は目を覚ました。起き上がろうとして身体中が痛むのを感じ、身を強張らせる。痛みによって意識がはっきりと覚醒した彼は、素早く状況を確認し始める。

 怪我の程度はおおよそ問題ない。大多数がすり傷だ。もっとも埃だらけなので衛生上なるべく早く綺麗にした方がいいだろう。

 彼は起き上がって次に辺りを確認する。瓦礫の山の中腹あたり。第一印象だ。


(何が起きた?)


 彼はあたりを警戒しながら記憶を辿る。「帰らずの地下迷宮」と呼ばれるミクロンダンジョンに三人の冒険者仲間と挑戦していた。


(うん、大丈夫だ。記憶はしっかりしていそうだ)


 先に進むたびに危険度が増す仕掛け、敵はコンピューター制御のものから生きた昆虫になりキメラ合成獣、人造人間ホムンクルスになった。


(その人造人間と戦っている最中さなかに地面が崩れたんだ)


 とすると…と、彼は視線を少し上へ向ける。

 空が見える。日の傾いた東京の空だ。西の方が赤く色づき始めている。巨大なトラックが瓦礫に突っ込んでひしゃげている。どうやらこれが崩壊の原因だろう。彼は姿勢を低くして素早く瓦礫の山を下り、人目を避けて物陰に隠れた。


(みんなはどうなった?)


 物陰から改めて注意深く様子を伺うと、野次馬らしい人だかりが遠くに見える。トラックが突っ込んで崩壊したビルが、いつまた崩れるものかと心配そうに遠巻きに見ているのだろう。やがて彼を起こしたサイレンが次々と到着した。まずは警察が規制線を用意し、消防士が中に入って来る。救急隊員もトラックの運転手の安否を確認しに来たようだ。

 (それにしても)と彼は崩壊現場を見渡す。


(脆すぎないか?)


 東京は関東大震災に備えて耐震免震構造のビルが立ち並んでいる。古めの小さなビルだったとしてもちょっとやそっとでこんなに壊れるものなのだろうか? いくら大型トラックで仮に御多分に漏れない過積載だったとして、どう衝突するとこんな被害が出るのかと思うのだ。


(今考えることじゃないな)


 彼はしばらくは動けないだろうと考え、腰から非常食用に持って来たご飯粒と水を取り出し腹ごしらえに入った。






 目覚めた男はあたりの景色にしばし呆然としていたが、やがてすぐそばに倒れていた仲間を見つけて動き出した。揺り起こされた仲間は低く呻いた後、彼を確認してガバと起き上がる。


「いっ…っつ、どうなってるんだ?」


「事故のようです」


 彼が視線をトラックにむけると、仲間もそれを確認する。


「偶然か?」


「でしょうね。それより…サイレンが近づいて来ます。急いでこの場を離れましょう」


 二人は瓦礫に足をとられながらも野次馬の人目を避けながら安全そうな場所まで移動する。


「サスケとロムは?」


「わかりません。そう離れた場所にはいないはずですが……」


「しかしまずいぜ、これからどうする?」


「まずは二人に合流する事ですね。そのあとは下町の迷宮亭に行きましょう」


「元が歩いて三、四十分。その十倍ってことは7時間くらいか? 遠いなぁ…」


「………」


 事はそう単純ではないとゼンは思っている。おそらくジュリーもわかって言っているのだろう。それも今は後回し、まずははぐれた仲間と合流するのが先決だった。それぞれが各々で下町の迷宮亭を目指す方が目立たないだろう。縮小されているとはいえ十分の一。物体としては決して小さいと言えるサイズではない。それでも合流するのは、目立つ以上に困難な下町の迷宮亭までの冒険アドベンチャーの成功率を上げるためだ。

 ゼンは用心深く周囲に目配せをすると、野次馬の近くで動く黒い影を見留めた。






 その男が目覚めたのは既に野次馬整理の規制線が張られた後だった。

 幸いだったのか、瓦礫の下敷きになっていたことで誰にも気付かれずにいたわけだが、文字通り身動きも出来ない状況だった。

 男は自分の体が運よく瓦礫の隙間に収まっているだけだった事に感謝しつつ、一旦大きな身体を縮こまらせて空洞の中へ潜り込んだ。瓦礫の天井はうまい具合にいくつかの瓦礫の上に蓋を載せたような格好であり、脱出口は三箇所取れそうだった。問題はいつ、どうやってここから抜け出すかだ。不用意に外に出ると野次馬に見咎められる恐れがある。かといっていつまでもここにいる訳にもいかない。不安定な天井がいつ崩れて本当の下敷きにならないとも限らないのだ。

 彼は改めて出口となり得る三方向から外の景色を観察する。一方は正面に野次馬たちの足が見える。ここは却下だ。次の一方からは反射材が巻かれた脚が行き来するのが見えた。おそらく消防隊員ではないかと推察する。どうもこちらもリスクが高そうだと最後の脱出口を見ると気になる光点を見つけた。


(あれは…)


 と、目をこらすとそれは彼の想定通りゼンの杖の明かりだった。可搬性を追求するため小さな電池一つで連続十二時間以上の持続時間を追求するため光量は小さく、日が傾いているとはいえまだ明るい外界ではよほど注意していないと気にもつかないかもしれないが、このまま暗くなると流石に光源は人の目につく。辺りには警察もいるのでここで発見されるのは最悪だ。そんな事ゼンも承知のはずである。にも関わらず消していないという事は気が動転しているか、あたりの明るさにつけているのを忘れているかのどちらかだろう。

 彼はゼンに知らせなければとその手段を考える。

 声を出すなど論外だが、まずこちらに気づいてもらわなければならない。懐をまさぐってみたが地図と筆記具に撒菱まきびし苦無くないがあるだけだ。人造人間と戦っていた時に持っていた刀と帯の後ろに挿していた短刀も無くしていた。


(撒菱を投げても苦無を投げてもこのサイズでは届かなかろうし、変に音を立てて人に見つかっても困る……さて、どうしたものか?)


 サスケは再び野次馬と消防士たちの方を見る。ゼンとジュリーのいる場所は野次馬の反対方向なので、そちらへ出ても彼自身は死角にに入ることができそうだ。問題は事故現場で行き来する消防隊員や救急隊員の方だろう。灰色のコンクリートの瓦礫から出るには黒の忍者装束は目立ってしまいそうだが、今は人の目を盗んで這い出るより他にはない。


(忍びの腕の見せ所でござる)


 サスケは覆面の下で右の口角だけを上げ、天井となっているコンクリート片を持ち上げてみようと試みる。瓦礫は思った以上に重く持ち上げられそうになかったが、力の具合によってわずかに野次馬側に傾いた。


(崩れて潰されたら万事休す。だが、うまくすれば…)


 彼はコンクリート片を支えている柱がわりの瓦礫の位置を確認すると持ち上げる位置を調整する。やがて彼の思惑通り、野次馬と救急隊から隠れられるもの影を作る事に成功すると、ゼンたちに向かって大きく身体を動かしてみせる。数分そうしていただろうか、ようやくゼンが彼のことを見つけてくれると今度は杖の明かりを消すようにジェスチャーで指示を出す。






 ゼンがサスケを見つけたことがわかると、彼は何かを伝えるべく手をにぎにぎして見せたり胸の前でバツを作ったりの仕草をしてくる。


「何かを伝えようとしていますね」


「ジェスチャーゲームは得意だぜ」


 そう言ったジュリーは野次馬に対するリスクを避けつつサスケにジェスチャーを送る。なるほど得意というだけあるようで、サスケはジェスチャーをやり直し始めた。


「……パカパカ? 何かがダメだってことだな? ………目がどうしたって? お日様が沈むと……目立つって何がだ? パカパカじゃねーな、ピカピカ…かな?」


 そこまで様子を見ていたゼンはハッと気づいて急いで杖を確認すると、案の定杖の明かりがついていた。明かりを消すとサスケから大きな丸が送られてきた。それから彼は自分の体に瓦礫から粉や埃をなすりつけ、手近な瓦礫を背負ってゆっくりこちらに近づいて来る。時折、ヤドカリよろしくよりよさげな瓦礫に持ち替えて見事に合流を果たした。


「見事な木遁もくとんの術でしたね」


「オタク知識は役に立つでごさるよ」


「あとはロムだけだな」


「彼のことです。我々がこうして無事なのですからどこかに避難していると思われますが、さて…」


 サスケもゼンもかなり注意深くあたりを観察している。それでも見つからないのだからよほど上手に隠れているのか、もしやと不安もよぎるがその考えはあえて深く沈めておく。


「野次馬には近づかないよな」


 ジュリーが言う。多分隠れている場所にあたりをつけようと言うのだろう。


「まだ崩壊の危険があるトラック周りも避けているでしょうね」


「警察や消防の動線も当然考慮しているはずでござる」


「だからと言ってそう遠くまで行けるとも思えないし、行ったとは思えない」


「とすれば、我々のいる場所の近く?」


 言ってゼンは改めて周囲を見回す。事故現場からは離れたが、ここはまだ瓦礫の散乱する規制線の内側であった。まだまだ隠れられる物陰は多い。何かサインになるものはないか? ロムはああ見えて慎重な性格だ。あとの現場検証などで足のつく可能性があるようなメッセージを残すようなことはしそうにない。同様に不用意に動かない可能性は十分にある。みんながそれぞれ仲間を探して動き回ることのリスクを計算に入れ、探し回るだろう仲間も想定しているに違いない。とすればあとは残らないが仲間が見つけてくれることを前提とした何らかのサインを出しているはずだ。


(どんなサインでしょうか?)


 ロムはあまり荷物を持っていなかった。武器の棍は最後の戦闘中に折れていたし、サスケは崩落の際に両方失くしているようだしジュリーも腰に吊るしているショートソードがあるだけだ。


(あとは非常食くらいでしたか…ん?)


 ゼンは見覚えのある袋が瓦礫片に引っかかってたなびいているのに目を留めた。その非常食が入っていた袋の意味するところは明確だ。


「いました!」


 ゼンが指を指すと二人も視線をそちらに向ける。距離にして三、四メートル先だろうか。


「日が沈んだら見つけられないところだったな」


「日没までまだ三十分以上あるし、日が暮れると今度は緊急車両から照明が照らされるはずでござる」


「そこまで計算していたとすれば、さすがとしか言えませんね。さ、移動しますよ」


 三人はサスケを習って木遁の術を利用して彼の元へ急いだ。


 まだ日の沈みきる前に四人は合流した。

 もう十分もすれば黄昏時だろう。もっとも、東京の表通りに「かれ」と問うほどの暗がりなどほとんどない。それでも街灯の明かりには十分の一サイズになっている彼らが紛れられる程度の暗がりくらいは存在する。


「まずは位置関係を確認して帰還ルートを決めましょう」


「最短ルートじゃダメなのか?」


 ジュリーが問う。


「地図もなく、周りの景色が大きく違って見えるのにどの道が最短ルートか確認するのは難しいと思うけど?」


 ロムもゼンの提案には別の観点から批判的なようだ。


「かといって明るい幹線道路沿いは誰かに見つかる危険性が高いんですよね」


「だが一度は越えねばならぬのも事実でござろう」


 「下町の迷宮亭」に戻るためにはどうしても都道を一つ越えなければならない。


「少し遠回りになりますが、川沿いを行くのが安全なのですが…」


「こっから飯も食わずにいつ野生動物に襲われるか、人に見つかるかっていう危険を冒して『旅』をしなきゃならないんだぜ。そんな道程が倍になるような遠回りできないよ」


「倍になるのはオレも遠慮したいな」


 そんな話をしていると、ガラガラと瓦礫が崩れる音と消防隊員のものらしい怒声が聞こえてきた。


「考えていても埒があかぬ、いつまでもここにいるわけにもいかぬでござるぞ」


「ですね。仕方ありません。いつもの隊列で出発しましょう」


 四人は事故現場を照らす照明が照度を増していくのを横目に移動を開始する。

 「帰らずの地下迷宮」のあったテナントビルは狭い路地に面していた。野次馬は事故現場に意識が集中している。今ならばまだここから逃げ出すことは造作もないだろう。実際、かなり大胆に路地を移動した彼らに目を止めた人はいなかった。

 路地を抜け出し広い道に出た四人は朝の記憶を頼りに来た道を戻る。

 もちろん道ゆく人目を避けながら、植え込みやスタンド看板の陰に隠れながらの移動だ。この辺りは事務所が入った雑居ビルなどが多く、土曜の夕方ということもあり人通りはそれほど多くなかったが誰も通らないというほどでもない。それでも街灯による明かりが暗がりを作り出し、そこに紛れることで順調に帰り道を進む。冒険者は一時間ほどでその通りを踏破し最初の難関、交差点の手前までたどり着いた。


「思った以上に大変だな」


 最初に根をあげたのはジュリーだった。他のメンバーと違い、鎧を身につけている分疲労度が高いのだ。秋も深まった季節というのも金属鎧を身にまとっている彼には堪える原因だったろう。


「鎧を脱いだらいいんじゃないのか?」


「戦闘になったら大変だろう?」


「鎧着てても武器がないんじゃ戦いにならないだろうに」


「オレは持ってる」


 ジュリーはベルトに吊るしているショートソードに手を当て、ロムに言い返した。しかし、実際問題この状況で出会う可能性があるとすればドブネズミやクマネズミ、ゴキブリの類に違いない。そんな相手になまくらのショートソードが気休め以上の役に立つとも思えない。


「帰還することを最優先に考えましょう。ジュリー、この後夜も更ければ金属鎧など体温と体力を奪う存在でしかなくなります。愛着もあるでしょうが脱ぎ捨てていきませんか?」


「……だな」


 ジュリーはゼンとロムに手伝ってもらい鎧を脱いだ。


「さて、改めて…どうやって渡ろうか」


 首を回したり肩を回したりと体をほぐしながらジュリーが言う。ここからは目の前の交差点を渡らなければ先に進めないのだ。人通りはともかく車の交通量はそれなりにある。


「タイミングを見計らってダッシュ以外にないんじゃないの?」


 交差しているのはセンターラインのある片道一車線の道路だ。目測で百メートルはない。実際にはあって八メートルと言うところだろうか? どんなに足が遅くとも普通に走れるのであれば二十秒もかからない。


「そのタイミングが難しいのですよねぇ…」


 縮小されているとはいえ十分の一サイズ、背の低いゼンでも十六センチ、サスケに至っては十八センチを超えている。そんな体で横断歩道の手前、点字ブロックの上で待っていると言うわけにもいかないだろうと言うのがゼンの意見だ。


「でもここからってわけにはいかないだろう? せめてガードレールの所までは行っとこうぜ」


「ここはまだ歩行者に見つかるリスクは低かろう。今注意すべきは車でござる」


「車通りだって途切れることがあるし、ここは何とかなるでしょ」


 三人に説得される形で、ゼンは渋々従うことになる。

 ヘッドライトに照らされないように交差点のガードレールまでスルスルと移動し、三度青信号をやり過ごすとそのチャンスは来た。車も人の通りも途切れ、赤信号が青に変わる。


「今だ!」


 ロムの合図に合わせフライング気味に駆け出した四人は、滑る白線の上に出来るだけ乗らないように横断歩道を走り抜ける。その際遠くにヘッドライトを確認したが、運転手には目撃されていないだろう。仮に目撃されていたとしても小動物の類だと思われていると願うのみだ。

 横断歩道を渡りきり、ガードレールにもたれかかるようにゼンが息荒く喘いでいる。


「せめて、これっぽっちで息が上がらない程度には走り込みをしなきゃダメですね…」


 走っているときに見たヘッドライトの車だろう、街の電気屋の軽自動車が何事もなかったように通り抜けていく。この分なら冒険者たちを気に留めたと言うことはないだろう。


「さて、先へ進もう」

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