05

 真っ直ぐ飛び込んでくるキメラ目掛けて繰り出したロムの突きは、縮小された世界であることを差っ引いても達人の域に達していたかも知れない。合成生物にも命の危機に反応する本能はあったのか、眉間目掛けて繰り出された棍による突きを顔を背けることで避ける。もちろん急所を避けただけであり、攻撃自体を避け切れたわけではない。しかし、必殺を狙った突きを交わしたことには違いない。大きく仰け反り肩から地面に倒れ込むキメラに対して、ロムはもう一度突きを放つ。彼にしても一撃で倒せるなどと自分を過大評価してはいない。最初から二段突きの構えだったのだ。ただ最初は同じ所を二度狙うつもりだった目標を仰け反り倒れたことによって晒された腹部へ咄嗟に変更している。流石に正確に急所を狙うことはできなかったが、腹部なら内蔵に打撃が通りやすいだろうという判断だ。

 その目論見は半ば当たったが、彼の思っていたほどの効果は得られなかった。

 キメラは外見的には致命的な怪我を負っているようには見えなかった。ダメージは小さくないだろう。攻撃を受けた右目の下を盛んに気にしていたし、痛みのせいか動きが少し鈍くなっているようではある。しかし、姿勢を低くして威嚇する姿勢は崩しておらず、逃走の気配はない。


「逃げないのか…」


「ある意味助かるけどね」


 ロムはジュリーに視線を向けず返す。手負いにして逃すなんて最悪の事態である。

 彼は再び突きの構えでキメラを見据える。


「集中しないと襲われるから気をつけろ」


「オレに来るのか?」


「不利な場面で強いのと弱いの、狙うならどっちにする?」


「うわぁ……」


 ジュリーは言葉にならない呻き声を漏らし、改めて切っ先をキメラに向け直した。実際には時と場合による。事実、目の前の怪物は最初にロムを襲ってきた。最大の脅威が彼だと認識していたからだ。ロムさえ倒せばどうとでもなる。そういう戦力分析だったのだろう。今はこの状況を変える必要があるはずで、逃げる選択をしていないのだから次の行動は弱い方を先に倒すという戦略だろうというのがロムの見立てなのだ。

 そして、再び神経のすり減るヒリヒリとする睨み合いが始まる。が、今度は違った。


 カツン


 という軽い小さな音がキメラの背後で鳴る。

 キメラの耳がピクリと動く。

 ロムはその変化に気づいたが、ジュリーはいっぱいいっぱいだったためだろう全く気づいていない。


 コツン


 今度は少し大きな音がした。キメラの意識がわずかにそちらに動いたのがわかる。あまり間を置かず、今度はパラパラとたくさんのものが落ちる音が同じ場所から聞こえてきた。流石にここまでくればジュリーにも気がついた。隙と言えばこれほど無防備な隙はなかっただろう。しかし、本能だったのかキメラも一瞬、後ろを振り返った。この隙をロムが見逃すはずがない。一撃必殺を狙った突きがキメラの喉笛に入る。


「ジュリー!」


 ゼンの声がダンジョン内にこだまするほどの大きさで彼を呼んだ。

 キメラがダメージから立ち直るよりわずかに早くジュリーが察して踏み込んだ。自身を奮い起こすのと相手を威嚇するために甲高い大きな声を発し大上段から斬りおろした切っ先には外しようのない大きさでキメラの胴が横たわっている。恐怖でわずかに踏み込みは甘かったが、確かに腹を切り裂いた。筋肉と皮膚によって押し込められていた腸が鮮血とともにぶちまけられる。返り血を浴びその鼻をつく臭いに、何も残っていないはずなのに再び込み上げて来るものを強引に押さえ込み、再び刀を振り上げたところでサスケに後ろから止められ、後衛に引き退らせられた。


「止めを…止めを刺さなきゃ……」


「落ち着け! もういい、大丈夫だ!」


 ジュリーを止めているサスケも少し興奮状態にあるのだろう。いつもの「ござる」が出てこない。


「我を失っていては思わぬ反撃に遭います。落ち着いて」


 そういうゼンも決していつもの冷静沈着な真似はできていない。しかし、努めて冷静でいようという努力だけはしているようだ。

 ジュリーがようやく落ち着いた頃、キメラの命も尽きていた。

 その死を確認したロムはキメラを避けて音のした方へ歩いていく。そこには大量の撒菱まきびしがばら撒かれていた。ゼンの指示でサスケが投げた均衡を破る一策であったようだ。ロムはそれを一つ一つ拾い集めていく。そして三人はキメラの死骸を吐き気を抑えつつ検分する。毛並みを掻き分けても継ぎ合わせた手術跡などはない。やはり遺伝子レベルで合成されたもので間違いなさそうである。


「誰がこんなものを…」


 片手拝みに片膝つきで黙祷を捧げたジュリーが呻くように吐き捨てる。遺伝子を操作して生物を創造する行為は、倫理上問題があるとして国際法で禁止されている。穀物などの品種改良でさえ未だに議論になるというのに合成哺乳類を作り出すだけでなく、それをダンジョンに放して冒険者と戦わせるなど狂気の沙汰としか言えない。事実、これまでの探索では冒険者と思われる死体もあったのだ。ミクロンダンジョンが非合法であると言ってもやりすぎではないかという想いは拭えない。


「先へ急ぎましょう。このダンジョンをクリアして何としても組織の尻尾を掴まねばなりません」


 ゼンはジュリーの肩に手を置いて先を促す。


「ああ……そうだな」






 がカウンターに座り、タブレット端末を見つめている。そこにはいくつかの項目と先ほどまで点滅していた光点の消えた画面がある。それは、キメラに仕込まれていた計測器から送られてくるバイタルデータを示す各種パラメーターである。点滅は心拍をその他の数値はアドレナリンやドーパミン、体温などを十秒ごとに計測していたものだ。項目の横にある数値は今は全て「0」だ。体温も0なのは計測機器が機能を停止していてデータを送ってこなくなったためである。


「やるじゃないか」


 彼は昏い笑みを浮かべて端末を操作してOKをタップすると、アプリケーションを切り替えてどこかへ連絡を取る。


「ずいぶん修羅場をくぐった冒険者のようだし、もさぞ喜こんでくださるだろう」






 四人の冒険者が陰鬱な薄暗いダンジョンを歩いているとダンジョンの奥で何か仕掛けが動いた音が響いてくる。


「なんだ?」


「何かの仕掛けが動いた音ですね」


「なぜこのタイミングで? オレ何かトラップでも発動させたか?」


「それはないと断言できるでござる」


「じゃあ一体……」


 ジュリーが不安げに善を振り向くと、ゼンも原因がわからないらしくいつもの考える仕草で眉間にしわを寄せている。


「このダンジョンは基本的にメンテナンスされていません。おそらくリアリティを追求するため構造的にもメンテナンスできない構造になっているものと思われます。なんらかの方法で外部から怪物モンスターを投入するようになっていて、今の音はその怪物を投入した音なのではないかと思われるのですが、なぜこのタイミングなのか……」


「俺たちがキメラを倒したからだろ?」


 さも当然のようにロムが後ろから言う。


「まぁ、十中八九その通りだと思うのですが…」


「オレたちが倒したって、どうやって知ったんだ?」


「カメラなどは仕掛けられておらぬと断言できるでござるぞ」


「ですよね……」


 ロムは頭をかいて先へ進むことを促す。


「発信機的なものでも仕掛けられてたんじゃないの? キメラに」


 言われてゼンがあっけにとられた表情でロムを振り返る。


「なるほど、わたしはすっかりSF方面に頭が働かなくなったようですね。野生動物の生態調査などに使う体温か脈を発電動力にした発信機付きのバイタル計測器、あれでモニタリングしていたと考えれば納得です」


 冒険者はダンジョンを踏破していく。いくつかの扉を開けるがほとんどが空き部屋であり、彼らの前にアタックしていた冒険者が休憩なのか避難かで利用した跡がいくつかにあったくらいで戦利品の類は一切見つからなかった。

 そして……


「ここが最後の扉…」


 ジュリーが鉄製の扉の前で緊張を隠せない声色で呟く。


「現状最後の扉でござる」


 そういってサスケが扉を調べ始めた。鉄製の扉は無施錠でノブを回して押し開くタイプ。隙間からは奥がのぞけないようになっていて、中の様子は全くわからない。


「要は、開けてナンボってことだろ」


 と、刀の方を抜いたジュリーが錆びた扉を開く。扉の向こうは通路になっていて光の届く範囲で右に曲がっている。感覚を研ぎ澄ますと生き物の気配を感じる。そう遠くないところに何かがいるのだろう。


「前に出よう」


 ロムが、ジュリーの右隣に並び棍を小脇に抱えなおす。

 二列縦隊の四人が通路を二つ曲がると、そこには開けた空間があり、正面に両開きの大きな扉。扉の前に様子のおかしい人影が三体。こちらを待ち構えていたように立ち上がった。

 ゼンの持つ杖の先が照らす人影は見た感じ実寸百八十センチ以上あるサスケより大きく、足が短く手が長い人というより類人猿のようだった。粗末ながら服は着ているが武器は持っていない。肌は青白く目に生気が感じられないので何を考えているのか読めそうにない。


「あいつら…」


 ジュリーが乾いた唇を舐め、眉間にしわを寄せる。


「さしずめ人造人間ホムンクルスといったところでしょうか」


「どう出る?」


 ロムもジュリーも様子を見るためかまだ戦闘態勢は取っていない。もちろん、いつでも迎撃できるような準備は取っている。


「ジュリー、仮に戦闘になったとして一対一で戦えそうですか?」


 ゼンが杖を撫でてスイッチ類を確認しながらたずねる。


「できればやりたかないが、やるしかねぇだろ。あいつらが見た目ほど強くないことを祈るよ」


「あの扉に飛び込むって作戦はダメなのかい?」


「扉の前に陣取っているんですから、難しいでしょうね。どうやら一定以上の知能も持っているようですし、ダンジョンマスターはなぜ彼らをここに配置したのか、何か意図があると思うのですが…」


「武器を持っていないということがヒントにはならぬか?」


 地図を懐にしまい背負っていた刀を下ろすと腰に差す。抜刀で出遅れないのと居合を真似るためだろうか。


「なるほど、これこそ『帰らずの地下迷宮』の真の謎ということでしょうか。考えられることは一つしかありませんね」


 冒険者は互いに目配せをしてそれぞれに頷く。


「人造人間に捕まるなんで癪だ。どんな目に遭わされるかわかんねぇしな」


「倒して先に進む…ですか?」


「その通り!」


 ジュリーの宣言に呼応して、余人は臨戦態勢に入る。それに応じてか、人造人間三体も威嚇の雄叫びをあげ向かってきた。


「フラッシュ!」


 ゼンが先制のフラッシュ攻撃を人造人間に向ける。強い光を明滅させることで相手を牽制する「フラッシュ」に人造人間が顔を背けている隙にジュリーとロムが左右に散開する。向かって右の一体にロムが、左の一体にジュリーが先生の一撃を払う。真ん中にはゼンが杖を回し、石突きの方を向けてトリガーを引く。


「シャワー!」


 レモン果汁とトウガラシ成分を混ぜた液体を相手の顔めがけて拡散噴射する攻撃だ。ようやく開けた目にシャワーを浴びた人造人間は再び低いうなり声をあげて手で顔を覆う。その鳩尾みぞおちめがけてサスケが刀を突き入れると、その刀に杖の先を添えてゼンがスイッチを押す。


「サンダー! サンダー! サンダー!」


 刀を伝ってカナダの中に流れる電流に人造人間が三度大きく仰け反り、どうと倒れる。


「御免!」


 最後は倒れた人造人間の喉に短刀を当て、震える手を押さえつけるようにサスケが搔き切るとドス黒い血が吹き出す。


 ジュリーが薙ぎ払ったのは太腿だった。本当は一撃で喉を狙いたいところだ。しかし、人造人間とはいえ人型である。どうしてもその決心が瞬時にはつかなかった。フラッシュに顔を背ける際、相手が手で光を遮ろうとしたこともあって首は狙えないと早々に諦めて狙ったのが太腿なのだ。これで未知数な機動力はある程度抑え込めたはずだ。人造人間は痛みに悲鳴をあげる。相手を近づけないようにする防御のためだろうか、長い手を大きく闇雲に振るう。その一撃がジュリーをとらえ、二十センチ(体感で二メートル)近く吹き飛ばされた。


「く、あ…」


 鎧がなければどうなっていたかわからないが、飛びかけた意識をなんとかつなぎとめ、頭を振って正眼に構え直す。


「相手は人造人間ホムンクルス相手は人造人間ホムンクルス相手は人造人間ホムンクルス…お前はここにいちゃいけない。存在しちゃいけないんだ!」


 自分自身に暗示をかけ言い聞かせ、罪悪感を一時的に心の奥に押し込むと振り回されるハンマーパンチを掻い潜って喉に切っ先を突き入れる。

 様々なものが溢れ出した喉からよくわからない音を立てて、人造人間は仰向けに倒れる。


 ロムは加減をしたつもりだった。しかし、十分の一世界は彼の見込みの上に存在していたようだ。こめかみを狙った一撃は案に違わず命中したが、勢い余って棍が握った手元から折れてしまう。


「やべっ!」


 それでも人造人間は今の打撃で脳震盪のうしんとうを起こしでもしたのか、膝をつき前のめりに崩れ落ちた。油断なくその様子に注意しながら仲間の様子を伺うと、ジュリーは太腿を薙いだ後ぶつぶつと呟いた後に泣きそうな声で叫びながら窓に突きを入れていたし、ゼンがこれも覚悟を決めるためだろう武器の技名を叫びながらサスケのサポートを受けて人造人間を倒していた。


「御免!」


 震える手を押さえつけるようにサスケが短刀で人造人間の搔き切り、ドス黒い血が吹き出した。

 どちらの人造人間も致命傷だろう。さて、俺はどうする? と、ロムが倒れている人造人間に改めて目を向けた時、地面が激しく揺れてあの時のように崩れ出したのだ。






 タブレット端末には三体の人造人間のバイタルデータが表示されていた。

 店長が難しい顔でそれを見つめているとやがて、彼らの数値が上昇を始める。戦闘が開始されたのだろう。と、次の瞬間、一体の数値が全て消え、エラーを表示する。


「……何があった?」


 訝しむ間も無く残りの二体も数値が大きく乱れ、一体は死んだらしい。

 ガタリと椅子を倒して立ち上がった店長は、次の瞬間激しい衝撃を受けて倒れ込んだ。


「なんだ? 一体何がどうしたんだ!」


 その日、「帰らずの地下迷宮」のあったテナントビルに薬物使用の男が運転していたトラックが突っ込んできた。

 それが四人にとって幸か不幸かは神のみぞ知ることである。

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