04

 歩き出した四人はすぐに足元の変化に気づいた。

 それまでの道のりはリアリティの追求で風化などが表現されていた人工的なリアリティだった。しかし、この道は実際に手入れされていない空間の持つ圧倒的な現実感がある。もちろん何十年と存在しているなどという施設ではないのだから、レンガの風化具合などは造形師の仕事だろう。だが、そこに生えているコケなどは本物だった。そして、その苔むした通路をいくつかのパーティが通ったと思わしき踏み跡があった。

 やがて通路の先で左に折れる角を曲がると、石の扉の時と同様に聖堂の扉が閉まる音が響く。ここでもまた戻る道が閉ざされたわけだ。


「意図的に管理されていない?」


 自然に苔に覆われるに任せていることの意味をゼンは考えていた。ここは手を入れていないというだけではない。全く手付かずのダンジョンだ。


 ここは冒険者が来ることを前提に設計管理していないのか?


 いいや、それはありえない。

 これまでの道のりを考えればこの先もシナリオの一部であることは間違い無いのだ。冒険者が倒した怪物モンスターを次の冒険者のために設置し直すなどのメンテナンスはどうしているのだろうか? この先には何があるのだろう?


 いつしかゼンはいつもの悪い癖で思考に没入していた。顎に親指を当て鼻に人差し指でトントンと触る。自然、歩く速度が少しづつ遅れ出す。やがておろそかになった足元の苔を踏み誤ってずるりと滑りロムに支えられることになった。


「ああ、申し訳ありません」


 照れ隠しに踏み外した拍子に剥がれた苔の一部を蹴飛ばして見せて不意に立ち止まった。

 その気配に前を行くジュリーとサスケが立ち止まって振り返る。


「何かあったのか?」


 ずるりと滑って転びそうになったのは知っている。ジュリーはすぐに追いついて来ると思っていた二人が近づいてこないことを不思議に思い声をかけたのだ。

 そこには何か重大なことに気づいたらしい青ざめたゼンが盛んにあたりを観察している姿があった。しかし、その奥にいるロムに戸惑っている様子はない。ロムも何かしら気がついているということだ。


「サスケ」


「うむ」


 二人は互いに頷き合って二人の元に戻る。

 ゼンにならって辺りを見回した二人もすぐにその事実に気づくことになる。


「争った跡か」


「ええ、我々の前にここを通ったパーティが何らかの敵と戦ったようです」


 ゼンが踏み誤ったのはその戦闘時に剥がれた苔だったようだ。三人が話し合う間、ロムは行く手の見張りを買ってでる。


「虫の類じゃないんだな?」


「違いますね。でも生き物です」


 人とは違う四つ足の足跡がある。そして、その戦闘で流血があったことを示す赤黒いいくつかのシミ。しかし、ここで勝負が決した証拠はない。三人はほぼ同時に唾を飲み込んだ。

 徘徊する敵ワンダリングモンスターの存在はRPGを趣味にしていれば当然考慮すべき事案ではある。しかし、既存のミクロンダンジョンではほとんどお目にかかることはない。ミクロンダンジョンで徘徊させるのは技術的経済的な面から都合が悪いからだ。しかし、ここでは実際に生き物を野放しにしている。


「安全など無視してよりスリルあるシナリオを追求しているというのでしょうか。ふざけています。冒険者に何かあったらどうするつもりなのか」


「どうするつもりもないのかもしれないな」


 ゼンの憤りに答えたのはいつもと変わらない調子のロムだった。


「現代の倫理観で考えれば確かにふざけているよ。でもプレイヤーが好き好んで危険に飛び込んでいるように、それを見て楽しんでいる奴がより刺激を求めてプレイヤーを追い込む可能性はあるだろ?」


 事実、下町の迷宮亭にしても安全には十分配慮されていたがそれを観戦する客がいたし、狂戦士バーサーカーの墓標亭に至っては好戦的なプレイヤーが快楽のために事情を知らないプレイヤーをなぶり、それを観戦して興奮している観客がいた。さながら帝政ローマの闘技場コロッセオのようだった。


「しかし、ここは下町の迷宮亭のようにダンジョンのあちこちにカメラが仕込まれているわけでも、狂戦士の墓標亭のようにダンジョンを開放型にして上から覗いているわけでもありませんよ」


「何らかの選別セレクションをする場所って考えはどうだ?」


 そう言ったのはジュリーである。

 思うところがあったのだ。


『そのダンジョンに挑むと戻ってこない』


 曰く付きのダンジョンとして有名なここ帰らずの地下迷宮は、人がいなくなる場所であることはもはや事実として間違いない。その理由が何であるかはこの先へ進めば自ずと明らかになるだろう。

 しかし、ここがただただダンジョンに挑む冒険者を嬲り殺す場所というのはどう考えても思えない。

 もっと奥に意図がある。

 では、その意図とは何だ? ジュリーの考えでは冒険者を選別し、どこかへ連れ去ることだった。


「あの日……」


 と、ジュリーは床に染み付いた血痕に視線を落としながら述懐する。

 なぜ、レイナだけがさらわれたのか? なぜオレたちは取り残されたのか? あの日、最初に赤龍レッドドラゴンに斬りかかったのはジュリーだった。サスケも積極的に攻撃に参加していた。むしろレイナは二人のサポートに回っていた。なのにしばらくの攻防の後、赤龍が掴んだのはそのレイナなのだ。たまたまではない。明らかに狙ってレイナを捕まえたのだ。理由はわからない。しかし、事実として四人の中からレイナを選別し連れ去った。


「ここもおそらく同じ意図で冒険者を選別している。最初のフロアで大勢の洞察力のない冒険者をふるい落とし、このフロアでその実力を確かめているんだ。この先何があるかわからないが、オレたちはゴールを目指す」


 力強く宣言をすると、彼は先頭に立って先を進む。


(この先、考えながら歩くのは絶対にやめなければダメですね。十分に気をつけましょう)


 ロムによくよく注意されていた悪い癖をゼンは改めて反省し、大きく息をついてジュリーの後を追う。






 道の先に黒い塊があった。

 戦闘の跡からしばらく歩いた先の、一つの袋小路の奥である。ぷうんと死臭が漂い。それが何かの亡骸なきがらであることが察せられた。

 四人は一旦立ち止まり、互いに視線を交わす。やがて四人は意を決してその亡骸に近づいて行った。


『彼を知り己を知れば百戦して殆うからず』


 相手がなにものなのか、少しでも情報が欲しかったからである。

 途中でロムが立ち止まる。奇襲を警戒して三人とは少し距離を置いて見張るためだ。

 黒い塊は想像通り生き物の死骸であった。何の生き物だったのかわからないほどに滅多刺しになっていて、辛うじて四足歩行の哺乳類ではないかと推測できる程度だ。

 ジュリーは恐る恐る腰のショートソードを抜いてその死骸をつつき動かす。サスケは素早く地図とは別の紙を取り出し、ラフスケッチをしながらメモを取る。ゼンは辺りの様子に視線を走らせた。

 周囲の状況を見ればここで激しい戦闘があり、この死骸は負けたのだろう。相手は冒険者で間違いない。刺し傷は全て剣のようなものでつけられているのが証拠だ。殴った跡もある。前足は打撃によって折れていた。背中の刺し傷は全て死後のものではないかと推察された。息の根をとめるというより恐怖に駆られてのオーバーキルだったのではないだろうか。致命傷はひっくり返したことでわかった。胸へのひと突きだ。ショック死か失血死かは死後かなり立っているようで判然としない。

 もう一つわかったことは、この迷宮のこの区画が本当にほったらかしであるということだ。これははっきりものぐさな理由ではないことを感じさせた。意図を持ってここに野ざらしにされているとみていい。

 実際、その後あちこちを探索する間に数体の死骸を発見した。あるものは白骨を晒し、あるものは他の何者かに食い荒らされていたが、それらは全て戦い破れたものだった。それぞれに特徴が異なり別種のようであるが同じ特徴を示す箇所もあり、傷みが激しいこともあってどうも判別しがたい。

 何度目かの喉の奥にこみ上げてくるものを堪えつつ、ジュリーはつい今しがた発見した新たな亡骸に近づいていたのだが、その亡骸を確認したところで遂に胃の中のものを吐き出してしまった。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃあない。もし調べるつもりなら、はらに力を入れておけ。あれは…」


 と、背を向けた亡骸へわずかに顔を向け、怯えるように呟いた。


「あれは人の死体だ」


 それは力尽きた男の死体だった。無数の噛み付かれた跡は死後に食い荒らされたからか。むき出しの手足は骨になっていた。鎧に守られていたため一番最初に食い散らされるはずの胴は残っていそうだ。死因は喉笛に噛み付かれたことによるものだったのか、頭は胴と別れて転がっている。幸か不幸かその顔は判別できない。


「まだ怪物は残っていると思うか?」


 憔悴した表情でゼンに尋ねるジュリーはそれでも先に進む意志だけは瞳に宿している。


「いるでしょうね。いや、何らかの方法で補充していると見るべきです。我々もいずれ戦わなければならないはずです」


 そのはすぐに訪れた。

 何かが近づく音が行く手から聞こえてきた。冒険者はすぐさま臨戦態勢をとる。ジュリーもサスケも背中に背負った刃のある刀を抜き放つと正眼に構え、前列に並んで相手が来るのを待ち受ける。後列にはロムとゼン。杖に仕込んだ武器のスイッチを指さし確認しながら落ち着こうとするゼンと、まだ未踏領域を残した後方を気にしながらもいつでも加勢できる体勢で待つロム。

 やがて曲がり角から現れたのは文字通り異形の怪物だった。

 実際の動物や縮小された動物ではない。顔はイヌ科のそれである。鼻づらの長いその印象からハウンド猟犬のようだが胴が犬ではない。太い四肢にしなやかに躍動する胴が山猫リンクスのようであり、尾が蛇のように鱗で覆われている。


「キメラ合成生物!」


 思わず大きな声が出てしまったゼンに反応したのだろう。警戒し、唸りだしたその声はアライグマのようだった。

 さっと四人に緊張が走る。

 こんな相手に勝てるのかという弱気がジュリーとサスケの心を支配しかけたが、それは裂帛れっぱくの気合を吐くことで抑えつけた。その声にびくりと反応して一歩退がったキメラはしかし、唸りながら姿勢を低くする。前衛二人が構える武器を警戒してか今の所距離を保って威嚇する以上ではないが、こんな膠着状態をいつまでも続けていられるほどこちら側はタフではない。しかし、相手の能力もわからず異形の敵と相対する恐怖もありこちらから攻撃を仕掛けるというのも危険度リスクが高いと言わざるを得ない。長引けば不利だが拙速も危うい。正に抜き差しならない状態に陥ったと言える。

 ジリジリとした睨み合いが数分続く。


「どっちか俺と代わってくれないか?」


 均衡を破る一手を打つため、ロムが声をかけた。前衛に加わるのもありなのだが戦闘力の低いゼンを一人にすることで後方への守りがおろそかになるのはまずい。そういう判断だった。


「拙者が替わろう」


 キメラから目を離さずに答えたサスケは慎重にロムと立ち位置を入れ替える。入れ替わったロムはキメラを険しい表情で睨みつけながら、隣のジュリーに声をかけた。


「相手の能力を探りたいんだ。協力してくれるか?」


「いい手があるのか?」


「まず俺がちょっかいをかけるからこっちに攻撃を仕掛けて来ようとしたら大きく払って追い散らして欲しいんだ」


「反応を見るわけか」


「身体構造的にある程度予測はできるんだけど、想定外に高スペックだとやばいからね」


 体の大部分が山猫であることを考えれば、おおよその動きはネコ科のそれになる気もする。しかし、肝心の頭が犬なのだから行動・反応が犬のそれになるのではないかとも考えられる。ロムはどちらなのか、あるいは全く別の反応を示すのかを確認しようとしているのだ。


「わかった」


 頷いたジュリーは正眼の構えから脇構えに構え直す。

 構えが定まったのを横目で確認したロムは長い棍を威嚇がてら頭上で大きく旋回させると、低い姿勢で警戒レベルを跳ね上げたキメラに向かって突き出した。

 反応はなかなかに俊敏で体長以上に高く飛び上がると着地と同時にこちらに飛びかかってくる。その攻撃を棍で迎え撃つこともできたのだが、突き出した棍を引き戻すこともせずジュリーがキメラを払う様を凝視する。脇構えから跳ね上げられた刀は着地とともに飛び退ったキメラにキレイにかわされた。

 うまいもんだとロムは感心し、タイミングが悪かったとジュリーは落胆する。ロムは多分よほど不意をついても今のジュリーの斬撃では皮一枚斬れるかどうかだと踏んだ。それほど相手の反応はいい。いや、ジュリーの斬撃が遅いのだ。まだまだ刀に振り回されている。防御に徹すればしばらくは一対一でも凌げるかもしれない。それくらいには上達している。しかし、始動から振り切るまでの速度がまだ足りない。予備動作も大きく斬撃とスムーズに連動していないから見切りやすい。キメラに野生動物の勘が働くのかはわからないけれどもこれだけの反射速度と追随性能があればジュリー一人では勝ち目はない。


(さて……)


 ロムは改めて対キメラの戦略を練る。反応の仕方は犬というより狐に近い。その反応を山猫然とした太い肢体が力強く補強している。明らかに遺伝子操作されたキメラ合成体だが各部位の反応はスムーズで違和感がない。非常に厄介だ。このキメラがこのサイズで実寸なのか縮小されたものなのかは知りようもないが、仮に実寸が本来の山猫リンクスサイズだったとしたら接近戦は御免ごめんこうむりたい所だ。今でもできれば戦いたくない。しかし、倒さなければ先へ進めない。追い散らしてもまた接敵する可能性もある。不意を突かれて襲われたら厄介なので手負いにして逃すなどもってのほかだった。出来れば一撃で倒したい。どこなら出来る?

 ロムは人体の急所である正中線を目の前のキメラに当てはめていく。なるほど四つ足の生き物はうまい具合に急所が隠れている。人類は直立二足歩行をすることで手を空け文明を築き上げてきた代わりに急所をさらけ出すことになったようだ。

 天倒、眉間、人中……直接狙えそうなのはこの三箇所、あとはせいぜい顎を跳ね上げて喉を狙うくらいだろうか。手数が増えれば失敗する可能性も反撃の隙を作るリスクも増える。ロムは狙いを眉間一つに定め、意識をキメラのみに集中する。

 研ぎ澄まされた感覚がキメラを捉える。相手も最大の脅威が彼だと認識しているようで意識の大部分をこちらに向けているようだ。ゆっくりと時間をかけて息を吸い、しばし息を止めていたロムはほんの一瞬ほぅと息を吐く。それを隙と見たのかキメラはタッと彼めがけて飛び込んできた。ロムはそのキメラめがけて予備動作をほとんど感じさせない突きを繰り出した。

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