04

「このフロアで通路が曲がっているのは初めてですね」


 ゼンの言う通り、第二階層の通路はここまで部屋と部屋を結ぶ直線でしかなかったのだが、ここに来て数ブロック先で左に折れている。


「フラグぷんぷんだな」


 曲がり角まで来たジュリーは抜き身のショートソードを右手に構え、ゼンから受け取ったランタンと一緒にそっと顔だけのぞかせる。

 通路はかなり長いのだろう、光が届かず先が見えない。


「拙者のマッピングが正確なら、この先直線で突き当たりがこのフロアのゴールになるはずでごさる。ただこのフロア、モンスターの制御の都合だと思うが空白が多くてトラップの予測がしかねる」


 書き込まれた地図には確かに通路と部屋の他にいくつもの空白が存在する。

 それは怪物モンスターにつながる制御棒やトラップの仕掛けを用意するための空間(実際書き込まれた地図にはサスケの注釈として「ミサイル発射用の仕掛けのため」などと書かれているものもある)だったり、罠のカモフラージュに配置されている本当にただの空間デッドスペースだったりするのだ。

 ロムが覗き込んだ地図にも通路そばにいくつかの空間が見て取れた。


「仕方ねぇ、『慎重かつ大胆に』それがダンジョンアタックだ」


 ランタンをゼンに返したジュリーはいくぶんこわった面持ちで先に進む。

 ロムは右の壁、折れた通路では背後に当たる壁のレンガを揺れながら遠ざかるランタンの明かりを頼りに目を凝らす。


 地図にはあからさまに怪しいデッドスペースがあった。


 巧妙に隠された縦の線が天井まであるように見えなくもない。

 しかし、それ以上は調べようがない。

 他のみんなはとうに先に進んでいる。

 仕方なく彼らに追いつくべく歩く通路はそれまでの床と違い随分と歩きにくかった。

 それまでの床は怪物が乗せられた台車がスムーズに移動できるようにという配慮もあってか非常に平らフラットで歩きやすかった。

 ところが角を曲がったところからこの道だけは妙に凸凹でこぼこといびつにレンガが組まれている。


(みんなは気づいているのか?)


 それはゆうであった。

 その変化にはちゃんと他の四人も気づいていた。

 あまりにも不自然だ。

 ただ、なぜこんな不自然な細工をしているのかがわからないでいた。


「見えて来たぜ」


 通路の突き当たり、正面に例のキーパッドが見えて来たとき、それは動き出した。

 背後の暗がりで何かが立てるかすかな電気駆動音だ。

 次いで電動自動車のようなモーターとゴムのタイヤで悪路を走って迫りくる音。

 気づいたのは最後尾を歩いていたロム。

 だが最初から警戒していなければロムでさえ気づかなかったかもしれない。


「よけろ!」


 警告した時にはすでに遅かった。

 しかも、突然の鋭い声にかろうじて反応できたのはレイナだけ。

 他の三人は驚いて一瞬体を強張らせ、反応ができなかった。

 迫って来たのは長柄のほうきに乗った魔女だ。

 サスケとゼンはその突進に弾かれて壁に打ち付けられ、ジュリーは左の肩甲骨辺りを箒の柄の先端でしたたかに突き飛ばされる。


「お兄ちゃん!」


「ジュリー!」


 魔女には対物センサーか何かがついているのだろう、行き止まりの手前で停止し、箒を縦に立ち上げてぐるりとこちらに向き直る。


「ヒッヒッヒ」


 と、不気味な声を響かせて再び箒を横に倒してゆっくりとこちらに向かって滑るように走り出す。


「くそっ! お返しだ!」


 ジュリーは落としたショートソードを拾い上げると走る魔女にめがけて打ちおろす。

 しかし魔女はその攻撃をものともせずに走り去った。

 ゼンとロムはその間じっと魔女を観察している。

 台車はそれまでの単なる運搬用の四輪キャスタータイプではなく電動立ち乗り二輪車のようだった。


(おそらく床プロックのどこかが起動スイッチになっていたんでしょう。その仕掛けを回避されないためにわざとガタガタに敷かれたと言うわけですね。そして、その悪路を走破するためにアレだけが特別仕様になっている…なるほど)


 車輪の間に渡された土台にはおそらくジャイロシステムや制御系のICなどが組み込まれている。

 そしてそこから垂直の軸に箒がつけられているというブームマイクスタンドのような構造になっていて、箒にわし鼻で大きく裂けた口、歯はノコギリのようで勿忘草わすれなぐさ色の肌をしたおぞましい顔の、それまでと違いちゃんとローブを着せられた魔女の人形が取り付けられている。

 魔女は地上十四、五センチ(体感百五十センチほど)の所を箒に乗ってローブをなびかせながら飛んでいるようにデザインされている。

 駆動制御系はおそらくこの魔女の中に埋め込まれているはずだ。

 魔女は通路の先、灯りの届かない場所で例の不気味な笑い声を響かせる。


「効いてねぇのか!?」


「ジュリー、急いでIDの入力を」


「わかった」


 言って、彼はキーパットに飛びつくように走り寄る。


「レイナ、ロム。どこかにヒットポイントがあるはずです。そこを狙って!」


「どこかってのがわかんなきゃ狙いようがないんだけど」


「無茶な注文なのは承知の上です」


 ゼンはロムがついた悪態にそう返す。

 殴りつけるようにIDを入力するジュリーの上から無常のブザーが降って来る。


「ダメだ、開かないぞ。やっぱアレを倒すのがフラグになってるらしい!」


 それが判っていても彼は、愚直にID入力を繰り返しブザーを鳴らし続ける。


「頭」


「え?」


 ロムの突然の宣言にレイナが顔を向ける。

 瞬時にそれがロムの狙いどころだと悟ったレイナは「じゃあ、しっぽ」と、答える。

 実際には魔女に尻尾などないのだが、ひらひらとなびくローブの裾が尻尾に見えなくもないのだ。


 迫り来る魔女に狙いすましたロムの正拳突きが狙いたがわず当たる。

 レイナは胴を狙ってレイピアを振り下ろし、宣言通りに辺りをヒットする。

 しかし、魔女は構わずジュリーめがけて突進する。

 彼は壁にへばりつくように情けない防御姿勢をとって目をつぶった。


 魔女はさっき同様突き当たりの手前で止まり箒を立ち上げる。


「ジュリー! どこかにスイッチなりセンサーがあるはずでござる! 見つけろ!!」


 言われて彼は、すぐさま観察を始める。

 そこは腐ってもオタクの端くれである。

 反転して笑い声をあげ、再び走り出すわずかの間にソレを見つけ出した。


「箒の先端! 下向きにスイッチがあるぞ!」


 ロムはそれを聞くとしゃがみこみ、目を凝らす。

 なるほど確かに箒の先端から一センチくらいのところに押しボタンがあった。


「心なしか速くなってませんか?」


「うん」


 二往復。

 都合四本の走行でそれは体感できた確実な事実だった。

 おそらくまだまだ速くなるだろう。


「さっきの打撃でもほとんどフラつきもしなかったから倒して押すってわけにもいかないし…」


 上から撃ち下ろした二度の剣撃はともかく横から殴りつけた拳撃にもよろめかないのは電動立ち乗り二輪車の面目躍如か。

 彼はしゃがみ込んだままその場にいた三人を見上げ、彼らが驚くほど自然な声音で穏やかにこう言った。


「俺がやるよ。集中したいから灯りを置いて奥で待っててくれないかな?」


 言われた三人は互いに顔を見合わせ、無言で従う。


 一人残ったロムはランタンを片膝立ての体の前に置き、笑い声が聞こえる暗闇を見つめる。

 今やスピードに乗って走行音が響くほどに聞こえて来る怪物への攻撃チャンスは、彼の見立てでこの一往復だけ。

 全神経を耳と目に集め、右手を軽く開いて小刻みに揺らす。


 それははたから見ればなんでもないような一瞬の出来事だった。


 暗闇から姿を現した魔女が通り過ぎようとする一瞬を逃さず下から、まるでハンカチ取りゲームでもするように無造作にボタンを押す。

 しかし、それはロムという少年の修練と天与の才があってこそのものと言っても過言ではない。

 もし、このパーティにロムがいなければきっとこの局面をクリアできていないだろう。

 実のところ、この魔女にはカウンターがついていて五往復すると終了するフラグが組まれていたのだ。






 IDを入力してエンターキーを押す。

 第一階層同様、奥への通路が開かれる。

 ロムは先へ進む四人ではなく、機能停止している魔女の人形を難しい表情で見つめていた。

 それに最初に気づいたのはレイナである。

 レイナに漫画のキャラクターのような「気」を感じる能力などがあるわけではない。

 しかし、その時のレイナは確かに「気」づいた。

 ロムが付いてこないことに。

 レイナが立ち止まり、振り向いたことで先頭を歩いていたジュリー以外の二人もロムを振り向く。


「どうしたのですか?」


 ゼンが尋ねたことでジュリーも気づいて振り返る。


「ミクロンってのは、こんなに危険なゲームなのか?」


 率直な感想だ。


 それまでの遭遇エンカウント敵キャラエネミーと違い、この魔女は下手をすると怪我どころでは済まない攻撃力を秘めている。

 そんなロムの疑問にゼンは少しズレた答え方をした。


「確かにT社S社E社のミクロンをプレイした経験から言えば最新技術で、よりアクション性を求めたこのダンジョンの難易度は少々高いですね。しかし、試作品というのは往々にしてゲームバランスなど細部の調整が甘いものです。我々のような招待をされた人間は、テストプレイヤーとして不具合を報告する…そんな役割もあるのですよ」


「そーだな、魔女のスピードは難易度が高すぎるって報告しなきゃなんねぇだろう。さ、先を急ごうぜ。時間が勿体無いぜ」


 ロムには釈然としない想いだけが残った。


 STGシューティングゲームを得意ジャンルにしているロムはRPGロールプレイングゲームに関してはそれほど深い知識を有していない。

 ゲームオタクとしては、もちろん大作と言われるいくつかのコンピューターゲームをプレイしているしRPGの面白さの本質くらいはわかっているつもりだ。

 TRPGテーブルトークロールプレイングゲームというジャンルがあることも知識としては知っている。

 その範囲の中であれば確かに特に不自然さはない。

 ゼンの言うようにゲームの試作品にバグや難易度設定に詰めの甘さが存在することも理解している。


 しかし、ロムが感じているのはそれらとは違う。


 そんな漠然としたモヤモヤを抱えるロムなどにお構いなくダンジョンアタックは先へ進む。

 第三階層はロムの感覚から見ても非常にバランスがいい。

 程よく分岐した迷宮ダンジョンと巧妙に配置されるトラップ遭遇エンカウントする怪物モンスターはバリエーション豊かだ。


 サスケの作成する地図が終盤に差し掛かる頃、戦闘が終わった後のわずかな休息中にジュリーが何気なく呟いた一言がゼンを思考モードへと変えてしまう。


「この部屋にもアイテムなしか?」


 それは、倒した怪物を物色しているサスケに対してのものだった。


「うむ、宝箱どころかモンスターからも何も出てこぬでござる」


「変…ですねぇ」


 彼は、眉間にしわを寄せ杖の頭、節くれだった木のこぶのような部分でこめかみをトントンと叩きながらブツブツと思考を声に出し始める。


「ダンジョンを攻略するのにアイテムを必要としない…。RPGの作法からすればアイテムの取得というのもゲームの欠くべからざる構成要素だと思うのですが…最初に手に入れたこのランタン以外、特に必要なものがないなんて…いや、アイテムを仕込む手間を考えればなくは…」


 側から見ると不気味にも映りかねない、いやはっきり不審なそれを横目にレイナに近づいたロムは、彼女にこう訊ねた。


「なぁ、何一人でブツブツ言ってんだ?」


 思ったことをすぐ口にしてしまうのはロム自身よくないことだとわかっているのだが、なかなか治らない癖のようなものだった。

 しかし、時には有効な働きもする。


「ああ、多分『ゲームならこうあるべき』みたいなことを考えてるんじゃないかな? ゼンさん仕事でTRPG? とかいうゲームのシナリオ作ったりしてるんだって。見ての通り戦闘には一切参加してくれないけど、謎解きとか頭を使う場面の担当なの。…独り言はちょっと気になるよね」


 と、彼女は屈託ない笑顔をロムに向ける。


「ちなみにお兄ちゃんはRPGは好きだけど考えるのは苦手なタイプ。理系の大学生なのにね」


 そんなジュリーは一人ブツブツと呟き続けるゼンを無視してサスケと何やら話し込んでいる。


「君はどうして一緒に参加してるの? 言っちゃなんだがあの三人と一緒にいるタイプとは思えないんだけど」


 言われてレイナは苦笑まじりにこう答えた。


「佐藤さん…サスケさんもあんな見た目だけど運動が得意じゃなくて……」


「おいおい、年下の女の子用心棒にしてんのかぁ?」


「あ・それ言っちゃう?」


 実際、このフロアの怪物はその大半をロムとレイナで倒している。

 二人は目が合い、クスリと笑った。


「でも…」


 と、ロムは言った。


「このゲームには確かに違和感がある。RPGは専門じゃないからどこかと言われるても答えられないけど、なんか危険な匂いがするんだ」


 そう言われてレイナは少し表情を曇らせた。


 実のところレイナはオタクではない。

 ゲーマーでさえない。

 いたって普通の少女だった。

 ただ、運動は得意でクラスでも割と上位の成績を収めている。

 本人がロムに言った通り、運動が苦手な三人の代わりにこのアスレチックをクリアするために手伝っているに過ぎないのだ。

 もちろん、生まれた時からコンピューターが身近だった世代であり、兄がゲームオタクでもあったので小さい頃からゲームは色々とやってきた。

 が、ただそれだけのこと。ゲーム的な違和感だのと言われても全くわからない。

 しかし、ロムの言葉は気になった。

 彼の身ごなし、強さは格闘技の素養を感じさせる。

 そのロムが違和感を感じるというのだ。

 戦士の勘が警鐘を鳴らしているのである。


「敵キャラも武器振ってるし、怪我しないように注意しなきゃな」


 深刻な顔でうつむいていたレイナは三人に呼ばれて歩き出したロムの後を追う。

 部屋を出た冒険者は通路を進む。一つ二つと角を曲がると突き当たりにドアがある。


「次の敵は何だっ!?」


 叫びながら勢いよく扉を開けるジュリー。

 部屋の中央には大型で石像風の、斧を持った人型人形が置いてあり扉が開いたことに反応したのか目が光り、斧を振り上げ始めた。


「ストーンゴーレムですね」


 ゴーレムは頂点まで振り上げた斧をブンと振り下ろす。

 その瞬間、ロムの背筋を冷たい怖気おぞけが登った。

 まさに「ゾッ」としたのだ。

 しかし、それはやはりロムだけの感覚だった。

 ジュリーは腰に帯びていたショートソードを引き抜きさながらアニメの主人公のように叫ぶ。


「敵は一体、一気に行くぜ!」


 言うと同時に走り出す。

 慣れているのだろう、レイナもレイピアを抜いて挟み撃ちになるようにしなやかに移動する。

 台座に乗せられたゴーレムは自身の身の丈の三分の二はありそうな斧を振り上げながらジュリーを正面に捉えるように回転する。


「こいつ、音か何かに反応してるぞ」


 サスケは少し遅れて正面切って戦うことになったジュリーの側に移動する。

 戦闘力に大きな差のあるジュリーをサポートするためもある。

 そのジュリーは、第三階層でのそれまでの戦闘同様相手の攻撃を鎧で受けつつ牽制し、サスケやレイナが倒すのを待つ作戦を実行しようとした。


「レイナ、オレが気を引くからその間に…」


 それに反応したのはロムだった。


「ダメだ! 受けるなっ、逃げろ!!」


 それまでとは一転、有無を言わせぬ凄みを持ったそれは命令に近いニュアンスが込められていた。

 その凄みゆえにジュリーの気がれ、反応が一拍遅れることになる。

 そこに斧が振り下ろされた。

 振り下ろされた斧は左腕のPSポリスチレン製アーマーを叩き割り、鮮血が飛び散る。

 反応の遅れは結果としてジュリーを窮地から救うことになった。

 斧を受け止めるために踏み込んでいたらどうなっていたか判らない。


「お兄ちゃん!」


 蒼白な顔で叫ぶレイナの声に反応したゴーレムは、振り向きながらレイナに向けて斧を振り上げる。


「レイナ! こっちだっ! こっち向けコノヤロー!」


 後ろからサスケに羽交い締めされながらジュリーは叫ぶがゴーレムは無情にも反応を改める様子がない。

 流血に構うことなくジタバタともがくジュリーを必死に抑えるサスケがいつもの言葉遣いも忘れてジュリーを諭す。


「ダメだ! ターゲットロックされてる!」


 レイナは木偶でくのようにゴーレムを見つめていた。

 体が動かない。

 いや、頭が働かないのだ。

 目の前の出来事に思考が停止し、ただただ斧を振り上げ今まさに彼女に向かって振り下ろされようとしているそれを他人ひとごとのように見つめていたのである。


「逃げろレイナ! 逃げろ!」


 兄の悲痛な叫びも届かない。

 最上段に振り上げられた斧が彼女の脳天めがけて振り下ろされようとしたせつ、ぱぁんという乾いた音が響く。

 ロムの掌底が斧頭の側面を撃ち抜いたのだ。

 ゴーレムは軸がぶれ、斧の遠心力に振り回されるように横倒しにどうと倒れる。

 刃先がわずかにレイナの袖口を掠めていった。

 ゴーレムの倒れた大きな音に我に返ったレイナの目の前には彼女を庇うように立つロムの大きな背中があった。


「完全に動きを止めないとジュリーの手当てができんぞ」


 サスケの声に反応し視線を下に向けるとゴロゴロと地面をのたうちながらキリキリと斧を振り上げては下ろすゴーレムが動いている。

 ロムがかなり無造作に近づき、やおら斧頭を両手で掴むと片足をゴーレムにかけてその握る手から斧を引き抜いた。


「ロム?」


 左前腕の傷口を押さえながら眉根を寄せるジュリーは、ロムの行動に対してなのか痛みに顔をしかめているのか?

 ロムは無言で斧を振り上げると力任せにゴーレムめがけて振り下ろす。

 粉々になるまで何度も何度も振り下ろす。

 サスケはテキパキと傷口を確かめ、腕を動かし、ジュリーに具合を訊く。


「動脈は大丈夫。神経も問題なさそうでござるな」


「助かった…」


 安堵のため息をつくジュリーにサスケは間髪入れずに言った。


「助かってはござらん。応急で止血はするが消毒もできぬし傷が深い。重傷でござるぞ」


 懐から取り出した帯状の布と脚絆きゃはんの裏から取り出した膏薬こうやくらしきペースト状のもので手早く処置する。


「いくら何でも危険すぎないか? この斧、刃が研いであるぞ」


 ゴーレムを破壊し終わったロムが四人の前に近づきながら斧を見せる。

 見た目からして作業用の斧とは一線を画した戦斧だ。

 斧は柄の長さだけでも百四十センチ(実際には十四センチ)はあり、半円形の斧頭は刃渡りで七十センチには達していそうである。


「確かに」


 ゼンがランタンを近づけてまじまじと斧を観察しながら呟く。


「リアリティを追求するにしてもゲームとしての安全性に問題がありますね」


「そういえば二階でこのゲームに違和感があるって言ってたよね?」


 レイナがロムに問いかけた言葉を聞きとがめ、ゼンがロムを見据える。


「違和感?」


「ん? ああ、RPGには詳しくないしミクロンは初めてだからうまく説明できないんだけど…どんなにリアリティを追求していたとしても『ゲームにはゲームとしてのゲームらしさ』ってのがあると思うんだ」


 彼は、言葉を選びながら訥々とつとつと自分の中の違和感を自身の感覚を思い出すように説明して行く。


「一階じゃ感じなかったんだけど二階を進むうちに違和感に気づいて…」


「第一階層と第二、第三階層で何か違いがあるということですね?」


「あるな。一つ決定的なやつが」


 ジュリーは応急の治療を終えた左手の状態を確かめるように動かしながら思考に潜りかけたゼンに答える。


「タイムアップのアナウンスだ」


 四人は一斉にジュリーを見つめる。


 通常ミクロンのプレイ終了は、タイムオーバーを知らせるアナウンスによってもたらされる。

 ゲームオーバーを宣告されたパーティは速やかに帰還することを要求されている。

 強制的な仕組みでは無いので残ることも可能ではあるが、パーティのIDがゲームオーバーと同時に無効化されてしまうためそれ以上のゲーム進行が不可能となり、帰還を余儀なくされている。


「第二階層一番乗りに興奮して気にもしてなかったんだが、階段上がってからこっち一度も聞いちゃいないぜ」


 一体、熱血漢然とした普段の態度はどこまでが演技なのか? あの粗暴な行動の陰で彼がこんなにも冷静に状況を把握していたことにロムは舌を巻く。


「言われてみれば…。しかしそれは…」


「リアリティの追求?」


 ゼンの言葉をジュリーがさえぎる。

 疑問形ではあるがその考えに対する否定が込められていることは明らかだ。


「そういえば一階では耳をすませば聞こえていた外の音も聞こえてこないよね」


 レイナの指摘にゼンは沈黙せざるを得なくなる。


「建築は専門外だが、こんなミニチュアでここまで遮音するのは容易ではござらんぞ。確かに気になる事柄にござる」


「しかし、それが違和感とどうつながるのですか?」


 ゼンがネガティブになる思考に抗おうとジュリーに詰め寄る。


「オレに訊くなよ。違和感があるって言ったのはロムだぜ?」


 四人の視線が集まったことに戸惑うロムは申し訳なさそうにこう言った。


「いや…それがわかれば違和感なんて曖昧な表現使わないよ」


「そりゃそうだ」


 気まずい沈黙をジュリーの能天気な声が破る。意図しているのか天然なのか、こういう時のジュリーの芝居じみた言動は場の雰囲気を変えてくれる。


「クリアすれば謎は全て解ける。それがゲームってもんだろ?」


「もう出発する気ですか? 傷の方は大丈夫なのですか?」


「大丈夫もなにも行くしかないだろ?」


 ゼンの心配そうな問いかけにジュリーは事も無げに答える。

 楽天的なのか豪胆なのか、ジュリーには根っからのムードメーカーとしての素質があるようだ。

 包帯を巻かれた左腕を腰に帯びた剣の上に置き、多少血の気のない顔色ながら明るい表情で仲間を促す。

 ゼンはそれに応えるべく大きく息を吐いた。


「隊列は組み直しましょう。その腕では先頭は任せられません」


「うっ…仕方ない」


 そんな中レイナは、真剣な眼差しで自分が壊したゴーレムの残骸を見つめているロムに気がついた。


「やっぱり気になるの? 違和感ってやつ」


「! あぁ、うん。ちょっとね」


 彼はそう言ったきり話そうとはしない。

 言葉にはできないのだ。

 こういった場面ではかえってゲーム初心者の方が敏感である。

 彼はRPGに慣れた人間では気づかない微妙な異常を感じていた。

 もちろんそれを考慮に入れてゲームをデザインする場合もある。

 この〈異常〉なるものを意図的に作り出し〈伏線〉として利用するのだ。

 だがそういった類いのものならば、それを暴くことを生き甲斐にでもしているようなゼンたちマニアが気づかないはずがない。

 いや、むしろ異常に気づいてもらわなければシナリオが進まない。


 そう、これは根源的な異常なのだ。

 シナリオ的な変化ではなくゲームそれ自体の異常。

 だからその異常に気がつかないのだ。

 しかし、ロムは気づいた。

 この異常な雰囲気をロムの武道家としての感覚が、武道に精通した人間特有の経験に基づく危機感がこの異常な事態に警鐘を鳴らしていた。


 「どこかおかしい」と。


(何なんだ? この全身が震えるような危機感は?)


 それはもう、戦士の勘としか言いようが無い。

 その潜在的恐怖と言える感覚が、全くの無意識にゴーレムの斧を担いでダンジョンアタックを続けさせていることにあらわれていた。

 四人も彼が斧を持ち続けていたことに気づいていない。

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