05

 やがて五人はドアがなく正面壁際にせん階段が見えるロビーのような空間が見えるところまできた。

 ざわざわと人の声も聞こえてくる。

 サスケの書いていた地図はそこが第三階層の終わりであると告げていた。


「てことはアレを上がるとドラゴンとご対面ってことだな?」


 三列目をロムと一緒に歩いていたジュリーが、レイナとともに先頭を歩いていたサスケに声をかける。


「うむ、拙者の記憶とマッピングが確かなら屋上のドラゴンの前にあった出口の位置と螺旋階段の座標は一致しているものとみられる」


 四人が立ち止まったことで、ロムも意識を現実に戻した。


「上下にセンサーっぽい仕掛け、壁には縦に並んだ穴…あの広間の中に入ったら穴から棒が飛び出して入り口を塞ぐんだろうな」


 ジュリーの説明にロムが視線を向けると確かにいう通りのものがある。

 上下のセンサーというのは不可視の光線か電波のようなものが出ていて、それを遮るとジュリーの言った通り壁から棒が飛び出してくるのだろう。

 分かり易すぎるほどこれ見よがしな仕掛けだった。


「典型的なモンスター待ち伏せ型の仕掛けですね。『ここが最後だ』と、教えているようなものです」


「マップでは、向かって左側面の壁に何かを納める小部屋があるでござる」


「ドラゴンの財宝へ繋がる道を守る守護獣? そんな存在必要か?」


 ジュリーが胡散臭そうに首をひねる。


「確かに最後にドラゴンが待っていることを考えると、ここにモンスターを配置するというのは安田氏らしくありませんねぇ」


 ゼンもその疑問に同意したようだ。

 おそらくロムの言った違和感というのに引っかかってもいるのだろう。

 彼はしばしブツブツと自身の頭の中を整理するために独り言をつぶやくと、ロムを振り返り確認する。


「第三階層は、敵を倒さなくても先へ進めましたよね?」


「だからってここもそうとは限らないだろ?」


 ロムは肩に担いでいた斧を下ろしてそう言った。

 その仕草にレイナは初めてロムが斧を持ち歩いていたことに気づく。


「まぁ、そうなのですが…演出的に考えると行けると思いますね」


「演出?」


「ええ。時代劇やヒーローものによくある仲間を先に行かせて『ここは俺に任せろ!』とかいうあれです」


「なるほど。そりゃクライマックスらしい燃える展開だ」


 ジュリーがニヤリと笑ってロムを見る。


「安田氏らしくはありませんがね」


「そうだな」


 ジュリーもRPGマニアの端くれだ。

 GMゲームマスター安田良のシナリオは色々とやり込んでいる。

 その経験から言えばこんな唐突な仕掛けをするような人では無いと思える。

 ゼンの見立てはもう少し具体的で、ここは安田氏に依頼された時点で既に決定されていたもの。

 つまりこのミクロンダンジョンは目の前の広間ありきで企画されていると考えていた。

 しかも、ここだけが異質なほど唐突であることを考えると安田氏もどんな仕掛けになっているのか知らさせていないだろう。


「斧、持ってきてたんだね」


 レイナは三人がこの先の展開を予想し戦術を練っている間にロムに歩み寄り話しかけた。


「え? あぁ、そう言えば…」


「気づいてなかったの?」


「うん。…なんで持ってきたんだろう?」


 無意識なのだ。

 ロムは、その無意識を瞬時に肯定した。

 戦士の勘がこの場でこれを必要としていた。

 そういうことなのだろうと。


殿しんがりはオレがやろう。状況的に考えて中ボス一体ってパターンだ。オレが牽制している間にレイナ、サスケ、ゼンの順に階段を登るんだ。念のためロムはみんなが登り切るまでサポートしてくれ。あぁ、ランタンは階段下に置いといてくれよ」


「敵があのゴーレムだったらどうするの?」


 レイナが心配そうに兄を見る。

 彼は妹の視線にバツの悪そうな笑みを浮かべてこういった。


「その時はロムに手伝ってもらうさ」


 視線を向けられ、戦斧を胸に構えて思わずレイナに笑いかけるロム。

 レイナも微笑み返す。


「みんな、覚悟はいいか?」


 怪我をした左手が不自由でショートソードを鞘から抜くのに手間取ったジュリーが、照れ隠しに語気を強めていつも以上に芝居掛かった言い方をしてみんなを眺める。

 それぞれが小さく頷くのを確認すると大きく息を吸って号令をかける。


「行っけぇ!」


 レイナが飛び出しサスケが続く。

 ローブの裾が長いせいかそもそもの運動不足か、少し遅れてゼンが追いかける。

 ロムはジュリーの隣を付かず離れず軽い足取りで並走する。


 ロムたちが入るとすぐに左の壁、サスケが事前に指摘していた場所の扉が左右に開きだす。

 十分の一の世界で等身大のリアリティを演出するためだろう重い石の扉が開くようなSEサウンドエフェクトが壁から聞こえてくる。

 ロムはその隙間からの気配に寒気を感じ思わず立ち止まる。

 それに気づいたジュリーが歩速を緩めようとした時、背後の入り口が鋭い金属音を立てた棒によって閉じられた。


「予想通りだな」


 立ち止まったジュリーが後ろを確認し、扉に向かって剣を構える。


(まずい)


 ロムの直感、いやすでに勘とも言えない差し迫った事実としての危険が迫っていた。


「くそっ!」


「どうした? 敵はまだ出てきてない。俺たちが階段まで行く余裕は…」


 ジュリーにはわかっていないようだ。

 扉は演出なのか決して早くは開かない。光

 源のランタンは先行するゼンが持っているため壁の向こうの様子がわからない。

 しかし、その雰囲気は生き物のものだ。

 まごうことなき動物のものだった。


「余裕なんかねぇ! あんたも早く階段を登るんだ!!」


「オ、オレも!?」


「早く逃げろ!」


 その声は上半身が天井に隠れていたサスケや、ようやく螺旋階段に取り付き登ろうとしていたゼンにも届く。

 その鋭さ、意味に振り返るゼン。

 訳も分からず命令にも似たその指示に従うジュリーは螺旋階段へ駆け出す。

 天井から「おお!」という低い感嘆の声が降ってきた。

 レイナが現れたことで会場の観客がどよめいたのだろう。

 しかし、ロムの意識は扉の向こうに集中する。

 ゼンは部屋ができるだけ照らされるようにランタンを置く位置を工夫し、良さげな位置に据えると壁を見やる。

 そこにジュリーがやってきて同じように振り返る。

 完全に解放された扉からのっそりと出てきたのは


「ほ、本物ネズミ!?」


「ドブネズミですね。クマネズミと違って肉食傾向のあるネズミです」


 階段の上でしゃがみこんでいたゼンが立ち上がってジュリーに先を促す。


「だ、大丈夫なのか? 助けに……行かなくても………」


 青ざめた顔が下からのランタンの灯りに照らされている。

 声も上ずり震える手で握っているショートソードが螺旋階段にカタカタと当たっている。


「足手まといです。助けるというなら上でスタッフを呼びましょう」


 ゼンも声は震えているがジュリーよりは冷静な判断力はかろうじて残っていたようだ。


「そ…そうだな」


 そして二人は力が抜けるふわふわした感覚の足に無理やり力を込めて階段を登って行った。


(良かったのか? 行かせて)


 このゲームはおかしい。

 危険なのだ。

 きっと最上階(このゲームでは〈地上〉と称されている屋上部)には、何かあるに違いない。

 だから、行くなら全員でなければいけない。

 彼の危険に対する経験的な勘がそう叫んでいる。

 しかし、目の前の現実も危険に満ちている。

 実際彼の眼前にはまだこちらに気づいていないとは言え、体感で2メートル越えの生きたネズミがいるのだ。

 しかし、そんな状況を前にしてなお上には得体の知れない危険が待ち受けている気がしてならないのだ。


 ロムは漂う獣臭に軽く頭をふって一、二秒目を閉じた。

 今は目の前に集中しなければならない。


 ネズミは基本的に臆病な生き物だ。

 しかし、雑食で時には捕食者である猫とやりあうこともある。

 決して臆病一辺倒の生き物ではない。

 目の前のネズミは鼻をひくつかせ、自分の置かれた状況を確認している段階でこちらに気づいている節はない。

 そこまで観察したことでわずかに心に余裕が生まれ、斧を握る手に力が入りすぎていることに気づく。

 右手、左手と意識的に大きく開いて握り直し、ちらりと視線を階段に向ける。

 体感距離で五メートル(実際には五十センチ)。

 螺旋階段の上では異様な歓声がどよめいて聞こえる気がする。

 屋上に上がりさえすれば大勢の人間にビビって逃げるはず。

 彼はそう見立てるとジリジリと階段に向かって移動するが、一メートルほど移動したところで砂か何かを踏みつけた音がした。

 ネズミの耳がピクリと反応し、後足だけで一度立ち上がってこちらを向く。


(気づかれた)


 冷や汗が首筋を伝う。

 ネズミは再び四つん這いになってすんすんと鼻をひくつかせながらロムの周りを這うように移動する。


(気づかれただけじゃなく狙われてる?)


 ロムは斧を振り上げ迎撃の体制をとる。

 階段まではおそらく逃げきれない。

 かといってまともに戦って勝てる気もしない。

 相手はネズミだがこちらはミクロンシステムで十分の一サイズになっている。

 体格差で言えばヒグマを相手にしているようなものだ。

 そんなひりつく緊張に押しつぶされようとしている時、


『声を出せ!』


 頭に響いたのは聞き覚えのある野太い声だった。

 小学生の頃、ロムは実践派のカラテ道場に通っていた。

 その時その道場で指導を手伝っていた高校生の声だ。

 ロムにとって嫌な記憶でしかない。


『てめぇら腹から声出さねぇから弱いんだよ! でけぇ声で敵を威嚇すんだよ!』


 男はその言葉通り、実力的に劣っていることがわかりきっている小学生に対し常に威圧的態度で接し子供達が怯える様を見て楽しんでいた。

 ロムは苦虫を噛み潰すような表情で舌打ちをする。


(嫌な奴思い出しちまった。…けど、気に入らないが今はありがたい)


 大上段に振り上げていた戦斧を肩口まで下ろすと大きく息を吸い、唸るような声でドブネズミを威嚇する。

 びくりと体をこわばらせたのを確認すると背を向けて一目散に階段へと走り出す。

 一か八かの賭けに出たのだ。

 逃げるロムを追いかけて迫り来るドブネズミのスピードはロムのそれより圧倒的に速かった。

 そして、今まさに襲いかからんとしたその時、ロムは足を止めて振り返りざまに斧を逆袈裟に振り上げた。





 弘武の左肩がチリチリと痛む。


 あの日の事を思い出すといつもそうなるのだ。

 そして思う、なぜ彼らを先に行かせてしまったのかと。

 確かに状況はそうせざるを得なかったように思える。

 しかし本当にそうだったのか?

他にもっと良い方法はなかったのだろうか?


 彼は無意識のうちに左の肩を抑えていた。

 そこには彼に生死の狭間はざま彷徨さまよわせた齧歯げっしるいの歯の跡が刻み込まれている。

 あの日あの時の傷痕きずあとだ。

 恐らく斧がなければ彼は確実に死んでいただろう。

だが、本当の悲劇は彼がそのドブネズミのがいを叩き割った直後に起きた。


  レイナの悲鳴にネズミの死も確認せず、痛む傷を押さえながらフラつく体で螺旋階段を上った彼の瞳が映し出した光景は、ファンタジー映画の一シーンのようだった。


 それは今でも鮮明に覚えている。






 天に向かって火を吐くレッドドラゴンとそれに立ち向かう戦士たちの姿。

 竜の前脚にはレイナが握られていた。

 サスケとジュリーは泣きだしそうな顔で武器を振り回すが近づくこともできず、ゼンは腰が抜けているのか出口の前でおののいていた。

 ジュリーは何かを喚いているのだが何をいっているのかロムには聞き取れない。

 ただ必死にレイナを助けようとしているのだということだけがわかる。

 それを見守る実寸の観客たちはその迫力に感心している者ややり過ぎと憤っている者もいたようだし、コンパニオンも困惑していた気がする。


「どうなってるんだ?」


「わかりません。何をどうすればいいのか? どうやったら止まるのか?」


 全く血の気の失せた顔色でゼンが答える。

 レイナを見ると恐怖に顔を引きつらせている。

 とにかくレイナを助けなければと、赤竜に近づこうとしたその時だった。

 頭から尻尾まで八メートル(実際は十分の一)はあろうかという巨体を立ち上げ、大きく翼を広げたのだ。

 制御用かと思われてたダンジョンとつながっていたゲーブルをブチブチと引きちぎり後足に力を込めたように見えた。

 彼の耳に届いたのは兄が絶叫した妹の名前。

 レンガの床が崩壊し引き千切られたコードが火花を散らす中で悠然と、まるで生きているかのように飛び立つ赤竜の姿。

 彼は崩れゆく床を走り抜け、飛び立つ赤竜の前脚が握っていた少女に手を伸ばす。

 差し出した彼の手にしがみつこうと彼女の手が必死に延ばされていたことを覚えている。

 遠のく意識の中わずかに、指先と指先がほんのわずかだが触れたという確かな感触が今も残っている。


 彼の記憧には残っていないが、ゼンたち三人は知っている。

 彼女が、必死に助けを求めて弘武を呼んでいたことを。

 兄ではなく確かに彼に助けを求めていたことを。






 その日、ミクロンダンジョンは多数の犠牲者を生み、死者すら出た。

 第一階層を冒険していたパーティ十四人で死者三名。

 崩れるダンジョンの中、ゼンたちはともかく気絶した弘武が助かったのは奇跡と言えた。


 あの日からミクロンダンジョンはその危険性を問題視され、ゲームとして合法的に遊ぶことができなくなった。

 それとは逆にあの日から弘武たちの本当の冒険は始まった。

 赤竜にさらわれた玲奈を助け出すまで、恐らくありとあらゆる方法でミクロンの旅は続くのだろう。


「ゼン」


 双眼鏡を覗いていたジュリーが、その双眼鏡を渡しながらいう。


「あいつ、合法だった頃行きつけだったミクロン屋でよく話してたやつじゃないか?」


 受け取った双眼鏡を覗きながら彼のいう人物を確認すると、ゼンはサスケに双眼鏡を手渡した。


「ええ、そうですね。確か別のTRPGコンペでも一緒にプレイしましたね。名前は確か…」


「沢崎和幸。ハンドルネームに蒼龍騎そうりゅうきを名乗っている男でござる」


「蒼龍騎ならSNSでつながってるぞ。あいつがそうだったのか」


「つながっているのですか? ジュリー」


「ああ、最近MMORPGの話題が極端に少なくなってると思ってたんだが…そうか、あいつもミクロン続けてたのか」


「RPGの話題全般は続けているのかい?」


 ロムに訊ねられたジュリーはキョトンとした顔をする。

 質問の意図が理解できなかったらしい。

 代わりにサスケが答えた。


「TRPGのコンペの話はよく出るでござるが、ここ二、三ヶ月は特定のパーティでプレイしている節が見受けられる」


「変ですね? この二ヶ月関東でのコンペは開催されてませんよ?」


 言われてジュリーはパソコンに向かいスリープモードを解除してSNS専用ブラウザを起動する。

 二人はその後ろに立って蒼龍騎の投稿記事を読み漁る。

 ロムはその間もオモチャ屋への出入りを眺めていた。

 そろそろ日も沈むのか空が茜色に染まり出している。

 店に入る客よりも出る客の方が増えいてたが、皆大人ばかりだ。

 彼の背後では三人が記事のいくつかをプリントアウトして内容を精査している。


「やはりTRPGではありませんね」


「ああ、巧妙にごまかしているがこいつぁミクロンダンジョンだ。同じダンジョンに何度もアタックしているぜ」


 そして三人は再び窓際に集まり正面目下のオモチャ屋を見下ろす。


いとぐち、つかめそうですね」

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