Numb~reverse~
運動部からの勧誘は昔からよくあった。
180センチを軽く越す身長は、やたらと目立ち、歩いているだけで目を引いた。
元々、あまり目立つのは好きではない。だから無意識に猫背になる。わずかでもその身長を縮めれば、人目に付かなくなるような気がして。
友人はいつもその背の高さを羨むが、切り取って渡せるものならばとっくにそうしていた。
運動も、競争も、争いも、みんな苦手だ。
そして身体に反比例するかのように地味で内気な自分自身も。
教室の後ろで、楽しそうな笑い声がはじけた。みんながその方向に目をやって、その声の持ち主を確認し、納得する。
クラスでも目立つその集団の中に、ひときわ整った顔。華奢で小柄だが、態度だけは誰よりも大きく、それを許されてしまう存在。
彼は俺の憧れだった。
入学したての頃、バスケ部とバレー部に同時に誘われた。教室の前で両部のキャプテンらしき人が、当の本人の俺を放って争い始めた。俺はおろおろとするだけで、二人を止めることもできず困っていた。
部活に入るつもりはありません、とはっきり断ったつもりだったのに、二人ともなかなか諦めてくれなかった。仮入部だけでも、という誘いがどちらからかけられたのかも覚えていない。いつの間にか二人は俺を取り合うように口げんかを始め、その争いは殴り合いに発展しそうになっていた。
穴があったなら、そこに入ってしまいたい。そしてそのまま埋めてほしい。
俺がその猫背をますます丸くしようとしたとき、背後から声がした。
「邪魔」
入学したての一年生が、運動部のキャプテンである3年生に、平気でそんな言葉を投げた。二人はぴたりと争いをやめ、呆気に取られたように彼を見た。
「お前も、邪魔」
彼は俺の背中をばんと叩いた。
俺が少しよろけるくらいに、その力は強かった。
「はっきり言え。嫌なら嫌って」
入部の意思がないことは告げていた。俺が困ったような顔をしていたのを、彼はつまらなそうに見ていた。俺は拳を握り締め、二人の上級生に、入部はできません、ともう一度告げた。二人は顔を見合わせ、ばつが悪そうに去って行った。
「あの、ありがとう」
教室に入る彼の背中に向かってお礼を言った。彼は振り向きも、返事もしなかった。
助けてくれたわけではなかったのだろう。本当に、ただ俺たちが邪魔だっただけなのだ。
けれどその日から、俺は彼のことばかり考えている。
それは、一年が過ぎた今も、変わらない。
同じ教室にいるのに、とても遠い彼の存在を、いつも目で追う。その姿を視界に入れて、安心する。
今日も彼は、誰よりも目立ち、そして誰よりも光っている。
内向的な俺とはまるで正反対。生まれながらにして自ら輝きを放ち、人を引きつける人がいるんだ、と初めて知った。どこにいても彼は目立つ。見た目はもちろん、存在自体が特別だった。華があるというのは、こういう人のことを言うのだろう。
その視線に気付かれていないはずはなかった。
最初はただの羨望だった。けれど俺の視線は日に日に別の意味を持ち始め、いつしか欲望を滲ませた。危うさを濃くしていくたび、自分でもその危険さに不安になった。
彼にその意味を知られたら、きっと俺の人生は終わるんじゃないか、とさえ思っていた。
だから、ある日、彼が俺を呼び止めたとき、その終わりがやってきたのだと思った。もう観念するしかない、と思い、俺は振り返った。
彼はだらしなく見えない程度に制服を着崩していて、野暮ったくきちんと制服を着込んだ俺とはまるで別の服を着ているかのように見えた。女子生徒が色めきたつくらいに整ったその顔が、どこか意地悪い笑みを浮かべていた。
俺は放課後の空き教室に連れてこられ、しばらく黙って彼を見ていた。彼は机に寄りかかり、来い、と言った。だから俺は彼の正面に立った。
座れ、と言われ、その場に膝をついた。
最後通牒を突きつけられるのを待っていた。
罵られ、蔑まれるのを覚悟した。
──気付いてるぜ。
彼の口から出てきた言葉は、俺を震わせた。俺は身体が熱くなるのを感じた。思わず頭を下げて、ごめん、と謝った。もう見たりしない、と。
彼がどんな顔をしているのか、とても気になった。怒っているのか、それとも、気味悪がっているのか──彼のきれいな顔をゆがませるのは罪なことのように感じた。
しばらく、黙っていた。
彼が俺をどう思っているのか、そして、どうしたいのか、震えながら回答を待っていた。
彼がようやく口を開いた。
──許してやってもいい。
俺は顔を上げた。
信じられなかった。彼の厚意に感謝したくなる。
けれど、その次に続いた言葉で、俺はその考えを撤回せざるを得なかった。
その代わり──
彼は冷笑を浮かべて、言った。
鳴け。
そんなことはできない。そんなことに一体何の意味があるんだ? そう思った。
床に正座した膝の上で握り締めていた拳が震えた。
犬みたいに鳴け。
彼の言葉は冗談には聞こえなかった。その視線も、本気だと告げていた。
俺は首を振る。意味が分からない。俺にこんなことをさせようとする彼の意図が。
はっとしたときには遅かった。彼の足が俺の股間を踏みつけていた。上履きの感触が伝わり、一瞬にして凍りついた。痛みを感じて、俺は思わずうめく。彼は力を入れ、俺を冷たく見下ろしていた。
恐怖感しかなかった。
どうしてこんなに冷たい目をできるのか、分からなかった。
のどの奥に何か引っかかったように、呼吸ができなかった。それでもなんとか息を吸い込み、震える声で、わん、と言った。
彼が満足そうににやりと笑ったのを、俺は愕然として見上げていた。
俺の行いを、彼が誰かにばらす様子はなかった。
何日経っても俺は彼や、彼の回りの人たちから罵声一つあびせられることなく、普段どおりの生活を続けられた。
あの日から、俺はまた、彼を見つめる。
気付かれないように。
無駄なことだと分かっていた。彼にはきっと、ばれている。
俺の意識は彼だけに向けられ、もう一秒たりとも彼から目を離せない。
だから、彼に再び呼び止められたとき、俺は恐怖や絶望と同じくらい、期待をも感じていた。
彼の部屋に入ると、閉まったままのカーテンから細く光が漏れていた。部屋は薄暗く、その細い光だけが散らかった部屋を映し出す。
彼はベッドに座り、あの日と同じように俺を鳴かせようとした。
初めは抵抗した。理由が分からないうちは、それに従うのが嫌だと思った。
彼は一体何をしたいんだ?
俺は彼を見上げて、瞳からその真意を探ろうとした。
彼のつま先が股間を押した。
あの日は上履き越しだった。今は、彼の足の裏の感触を感じた。
身体の大きさだけなら勝っていた。簡単に抵抗し、彼を押さえつけられる。けれど──
彼の目が、一瞬、怪しく光った。その光に、俺は戸惑う。
痛みが増し、勝手に涙がこぼれる。彼が俺の髪をつかみ、顔を上げさせる。近付いた顔は、やっぱりきれいで、どこか妖しい笑みを浮かべている。
その笑みと、目の光を、俺は都合のいいように解釈してもいいのだろうか、と考えた。
ぼろぼろと涙がこぼれる。これ以上は痛みに耐えられない。だから、俺は鳴いた。
「わん」
その瞬間、彼の顔がひく、と引きつった。そしてははは、と笑い出す。それは止まらない。彼は俺を見つめたまま笑う。俺は、確かに、そこに欲望の色を見た。
痛みが引いた。彼の足が外され、ほっと息をつこうとした瞬間、彼にキスされた。顔を固定され、動けない。
彼は何度も、しつこいくらいに俺の口内をまさぐる。
苦しかった。
けれど、彼の酔ったような目を見たら、ぞくりとした。
「どうして」
俺の問いに、彼は答えない。唇は塞がれ、溢れた唾液は顎を伝う。
あの目に浮かぶ欲情を、俺は受け入れていいのか?
手の届かないはずの彼が、こんな目をして俺を見るなんて、想像もしなかった。
「なぁ」
彼が絶え絶えの息で言った。俺の顎を伝う唾液に舌を這わせる。
「もっと鳴け」
それが彼の望みならば。
そうすることで俺を求めるならば。
俺はもう、思考を乱し始めている。
彼の両腕が俺に絡みつく。抱きついた彼の身体は俺よりずっと小さく、大きく繰り返す呼吸がダイレクトに、合わさる胸が上下し感じられた。
「どうして」
俺は再び問う。
彼の口から答えを聞きたいと思ったが、きっとそれが無理だということも分かっていた。
「もっと見ろ。もっと鳴け」
「どうして」
もう、答えなんて聞かなくても分かっていた。
彼は、俺を欲していた。
「死ぬほど興奮する」
彼の目が、尋常じゃないほどの色香を放って俺を捉えた。
俺を服従させようとしていたはずの彼が、全身で俺を求めているのが分かった。
俺は彼の腕を引き、そのまま押し倒す。
俺を見上げる彼の目が、ますます妖しく、俺を惑わす。
「一生お前を、縛ってやりたい」
彼の指先が俺の頬をなぞる。触れるか、触れないか、ぎりぎりの距離で。俺の背中がぞくりと震え、もう、何も考えられなくなった。
いつから、彼が俺をそんな目で見るようになったのか、分からない。
俺はその手をつかみ、指先に舌を這わせ、ゆっくりと口内に導く。
彼の息はもう、熱く、途切れそうだった。
「なぁ、鳴けよ」
彼がふっと笑う。俺は彼の指をゆっくりと引き抜く。唾液に濡れたそれは、てらてらと光る。
早く。
声にならない声が、俺を誘う。
いつの間にか、俺も彼と同じくらい興奮し、息を乱していた。
わん。
一声鳴いたら、彼がびくんと身体を震わせた。
もう止まらない。
熱い。
彼の身体を組み敷いて、俺の思考は、完全に麻痺した。
了
Numb hiyu @bittersweet
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