第7話 トゥエリアスさま、ドレスを作りましょう!

 そして、翌日。


『つまらないです』

『何が?』

『アルジェントがとても優秀で、何を教えてもすぐ飲み込んでしまうんです』

『けっこうなことじゃないか』

 アルジェントに淑女教育を施すのだと張り切っていた真赭からの念話による愚痴を聞き流しつつ、私は各方面への書類を整えた。

 ああ、これは泉守としての仕事の一つでな。保護した妖魔について所属をはっきりさせることと、取りあえずしばらくは”畏域”に繋がらなくなることを知らせる意味合いがある。だが、その書面に彼女がメモリアであるということは伏せた。これ自体は初代からの通達なので、如何に三代目と言えど覆すことは出来ない。

 ──なのに、彼奴はどうしてばれた?

 出来るなら訪ねたいところだが、すでに妖皇宮にいるようだし、アルジェントを連れて長居することは避けたい。やはり、舞踏会当日を待つのが得策だろう。

 ああ、彼奴が妖皇宮にいるという情報は、此奴が持ってきた。

 二代目妖皇の食客、勇者だ。

 何でも二代目に出会ったことで大きく人生を変えたらしいが、私は全く持ってこの男に興味がない。

 何せ、やること成すこと馬鹿としか言いようがないのだ。


 一つ、妖皇への刺客として送り込まれたが、食客に収まった。

    まあこれは、二代目の仕込みらしいが。

 一つ、生まれたての妖魔を保護する施設を作らせた。

    結果、閉じこめられた妖魔たちが爆発し、妖皇宮の一角を破壊した。

 一つ、それでもまた集めて、学校のようなものを作った。

    結果、知恵と力を付けた妖魔たちが人間界へ脱走。居場所すら掴めなくなった。

 一つ、世界各国を巡り、如何に妖皇国が強大で、逆らうのが得策でないかと滔々と語り継ぐ。

    そんなことをするから、人間に畏怖される。

 一つ、クーデターを公言。

    妖皇は相手にもしていない。


 それが出来るだけの力はあるのだが、何しろ思いつきで始める上に力で抑えつけるから、どこかで暴発するのだ。早晩の爆発でさほど悪影響は出ないのだが、出仕していたころは面倒で仕方がなかった。

 特に最後のクーデターが、バカバカしい。勝算はあるらしいが、そのあとの予定を立てていないとか、しかも統治者に押し上げようとしている時期妖皇予定の人物からも相手にされていないとか、見切り発車にも程がある。


「なー、そういうことだからさ。一口乗れって。な?」

「しつこいな。彼奴が乗ったら乗る、何度言わせる気だ?」

 情報と共に、面倒な話も持ってきた招かざる客である。

 妖皇全てが束になっても敵うかどうかわからない相手に、見切り発車のクーデターなんぞ話に乗れるか、阿呆。

 とは、言わずにおいてやる。別に、プライドのせいではない。全ての妖魔が理解していることだからだ、言う必要を感じないためだ。

 もっとも、此奴は妖魔ではないがね。


「彼奴も同じこと言うんだよ。だからさぁ」

 ソファから動かず、言い募る。動けば即座に叩き出すぞと言ってあるからな。いつもなら出すお茶も、今日はなしだ。ま、お茶請けは食い尽くされているので、出しようがないんだが。

 ああ、珈琲に生姜の砂糖漬けとか出したら、面白かったかもな。


「彼奴が乗らないってことは、勝算がないってことだ。やめておけ、首謀者ごと潰されて終わるのが落ちだ」

 ただまあ、勝算があったところで、乗るかっていう話もあるがな。あれでも彼奴は世界中を旅して回っていたし、人間界の政治事情もそこそこ知っている。そこから勘案した結果で、参加しないということは十分にあり得る話だし。てかいや、私を引き合いに出してるってことは、どういう結果でも付き合う気がないということか。

 まあそうだろうな、内政に参加する気があると思えないしな。


「さて、出来た。これから妖皇宮へ戻るんだろう、なら書類これ、持って行ってくれ」

 妖皇への提出用に整えた書類を渡す。というか、押しつける。


「そりゃまあ、預かるけど」

「けどじゃないだろう、お前メッセンジャーなんだから」

 ふざけたことを言う奴である。

 此奴の役目は妖皇と各方面の連絡役だ。誰に鬱陶しがられても気にせずに、きっちりと職務を遂行出来る優秀さから任命されているのだが、それを忘れているとしか思えない。

 なお、この国に郵便システムはない。魔王を拝命している連中は瞬間移動が使えるし、国外書類は基本的に妖皇宮に届けられるし、魔王同士なら何からしらの通信術を用意できるしで、まったく需要がないためだ。

 勇者がメッセンジャーをやらされているのは、返信しなかったり、受け取っても放置したりする輩のためだ。

 どういうわけか、勇者は妖魔の作る結界を壊せてしまう。それも普通に扉をあけるとか、その程度の動作でいいし、クモの巣状に張ったようなやつでも、網みたいに捕らえるやつでも、ある事にすら気付かない様子で壊してしまう。流石に危険なので、私の館の薔薇が咲いている間は近寄るなと言ってあるが、散った翌日に訪ねてくるとか、監視でもしているのかと疑いたくなる。今回はまあ、招待状の件があるから偶然だろうが。

 二代目は何でこんな奴を食客にしたんだろうな。こんな奴と同僚扱いだぞ、私たちは……。


「じゃあな。玄関まで送ろう」

「いやちょっと待ておい、まだ招待状の返事を聞いてないだろっ」

 喚く勇者なんぞ相手にする必要はない。とっとと玄関まで連れて行って追い出そう。


「市への参加権とかあるから、当然出席だよな。パートナーはいるのか? よかったら一人連れていってほしい奴がいるんだが」

「断る。パートナーならいる」

「そうか、いるのか。じゃあ仕方な……はぁ!? いるってお前、えー!?」

 だまされるのは一度きりでいい。この男、知人で独り身の相手に身内をあてがい、妖皇宮へ送り込むという姑息な真似をする。当日になって現地で姿を消した相手が、後日、妖皇宮の仕女になっていたときにその手口を悟った。

 妖皇宮は、初代妖皇が作り上げた宮殿だ。正確には、材料を初代が提供し、建物を人間の職人に作らせたらしい。完成後、その敷地に”畏域”の魔力を流用し、永久的に保存する魔法陣を構築したのだとか。

 問題はその”畏域”の魔力の流用だ。

 ”畏域”への出入りが出来る妖魔が限られることはすでに言ったと思うが、その理由として、魔素の濃さに身体を保てず、意識ごと潰されてしまうことがあげられる。そうだな、まあ空気中の水蒸気程度の濃さの中から、いきなり深海レベルの水圧に放り込まれると考えればいい。耐性があるか、私のように結界を構築出来れば問題はないが、それでも永遠にとはいかない。

 そんな世界の魔力を流用したものだから、妖皇宮内ではある程度の魔力がないと、存在出来ない。しかしそれでは運営に支障を来すし、各国との交流もままならないということで、考案されたのがあの硬貨メダルだ。あれを身につけている者は、周囲の魔素を利用した結界が張られて妖皇宮でも自由に動けるようになる。

 そして現妖皇はまったく無頓着で、そのメダルが回収されなくても気にしない。生産数こそ在位の魔王とそのパートナー、追加で要求すれば付き人の分と限定されるが、それだけだ。

 妖皇宮を出るときの鍵にもなっていて、門をくぐると同時に消えるためでもあるのだが──逆に言えば、門を出なければ、消えないわけで、それを利用して、着々と賛同者を送り込んでいるのだろう。

 今までは気にもしていなかったが、今回はそうもいかない。アルジェントがいるからな。


「いや、嘘だろってか、エー、頼むよ、付き人でいいから連れてってやってよ、俺もうメダル発行して貰えなくてさあ」

「断る。しかも嘘とは何だ、嘘とは。今までにだってパートナーを連れていたことはあるだろうが」

 ”畏域”で魂を保護したら、一度は妖皇宮の舞踏会に連れて行くことにしている。だから、パートナーがいたことも一度や二度ではない。まあ、相手が女だったかというと、負け越しだが。


「じゃあさ、その子に会わせてよ。ちょっと顔を見るだけとかでもいいからさ、な?」

「見せ物じゃないんだ、断る。舞踏会に出るならそこでいいだろう」

 正直、此奴には会わせたくない。アルジェントもだが、真赭は余計に。絶対に何か、巻き込まれるに決まっている。


『真赭、今どこにいる?』

『中庭側のお部屋に。参りましょうか?』

『いや、必要ない。此奴の前には出るな、二人ともだ』

『承知しました』

 最初は会わせようかという話もしていたからな。やはり会わせない方がいいと確信出来たので、念話で伝えた。やはりこれが出来るようになっていると、楽でいいな。


「さて、玄関だ。門の向こうまで送ってやるよ。じゃあ次は、舞踏会当日にな」

 なんのかんのと喚くのはいつものことなので、気にもならない。門の向こうが見えているから、そこまでの瞬間移動で此奴だけを放り出して、私は瞬間で戻って、終了である。

 ……ああ、裏門だったな、あれ。そう言えば朝顔が放置したままだ──まあ、いいか。彼奴がおそわれることはないだろう。律義な奴だから、少なくとも書類を渡してくるまでは再訪もない。

 さて、アルジェントの様子を見に行くか。


『トゥエリアスさま、ドレスを作りましょう!』

「いきなりだな、お前」

 淑女教育に広い部屋がほしいと言うことで思いついたのが、二階の食堂だ。私は使った覚えがないが、建設当初は使われていたらしい。机の類を片づけてしまえば相当な広さがあるだろうと提供したのだが、うむ。壁の半分が鏡張りとか、どうやったのだろう。


「あの、……まずかったですか、お兄さま?」

 ちょっと不安げにアルジェントが聞いてきた。ということはなんだ、これ、アルジェントがやったのか?


『すごいですよ、アルジェントは。魔素そのものを操って術を発動させられるんですよ』

「魔素を?」

 満足げな報告に、私は絶句した。魔素とは魔力の素となるもの。人間であれ、妖魔であれ、それは変わらない。魔素を素にして魔力を錬成し、それを術や魔法の燃料とするものだ。私のように魔力を自身で生成する妖魔もいるが、魔素そのものを利用するなど、聞いたことがない。


「でも、魔素で使っちゃうから、すぐになくなる」

「え?」

『発生する効果は見劣りしませんが、連発はやはり、厳しいですね』

「……ああ、そうか。消費量が違うのか」

 ごく少量の魔素であっても、そこから錬成することで魔力としては増えていく。特に妖魔の場合は、体内を流れる魔力もあって、無尽蔵に近い。ただ逆に、燃草魔素がなければ錬成自体が出来ないから術は使えない。まあ、魔素が薄くなれば周囲から流入はしてくるはずだが。

 ……”畏域”でアルジェントに術を使わせたら、どうなるんだろうな?


『ね、トゥエリアスさま。アルジェント、すごいですよね?』

「ああ、大したものだな」

 いろいろな意味で、な。

 しかしこれ、どうする気だ。一応食堂なんだが……鏡の中での食事は、ぞっとしないか?


『当分はこのままに。食堂としての利用が必要になりましたら、そのときに戻しますよ』

「……まあ、そうだな。それでいいか」

 今までに使ったことはないし、今後も……まあ、使わないか。彼奴が居着くのは向こうだしな。

 ああ、そうだった。この館には、食堂が二つある。片方はこの広い部屋で、晩餐会などにも利用出来そうな作りをしている。

 もう一つが昨日、アルジェントに菓子を出した部屋だ。厨房に隣接していて、おそらくは使用人用の部屋なのだろう。ここまで持ってくるのも面倒だし、暖炉もあるしで基本、あちらしか使っていない。


『でも、お掃除はしましょうね、トゥエリアスさま』

「……お掃除、大変だったよ、お兄さま」

 あー。いや、なあ。前の持ち主あいつも使ってないどころか、一度中を見ただけだとか言ってたくらいだからなぁ。


「だから、ご褒美ください?」

 上目遣いに、小首を傾げて。私の目をじっと、見る。うん、青灰色の瞳は間違いなく、アルジェントだ。頬が緩むのが、押さえられない。


「お前の仕込みか……!」

『武器は持たせておきませんと、ね?』

 真赭に教育を任せたのは、間違いだった気がする。てかこんなん、武器にしないでくれ。誰を落とす気だ、誰を。


「……お兄さま……?」

 上目遣いをやめたアルジェントが可愛い。まったく、何もしなくてこれなんだものなあ。


「わかったわかった、そんな顔しなくていい。で、何が欲しいって?」

 そもそも、現界したての彼女に欲しいものといって、何があるのか思いつかないんだが。


『昨日も申し上げましたとおり、ドレスや宝飾品一式でございますよ。ね、お仕立てしましょう?』

 私は深く溜息を吐いた。なんかもう、めちゃくちゃ楽しげだな、真赭。お前が欲しいんじゃないのか。

 先にも言ったが、妖魔の衣服は”本人の都合で勝手にその場に相応しいものに変わる”という特性を持つ。ドレスもまた然り、だ。なので実は、衣服を用意する必要はない。ないのだが……。


「まあ、十日あれば間に合うか。仕立屋を呼べばいいんだな?」

 うん、ちょっと楽しみだ。作ろう。

 

『はい。当代一の仕立屋をお願いいたしますね。それと、宝飾品などは?』

「彼奴が作った奴があるから、好きなものを見繕え。下手に買うより、いい出来だよ」

 私の部屋においてあるので、二人をそのまま連れて行く。まあ彼奴が趣味と暇つぶしで作ったやつだから数はないが、その宝石の全てが魔力珠だ。万が一の保険にもなるし、下手に本物を用意するよりいいだろう。

 それに、アルジェントの見た目はまだ幼い。あまりゴテゴテしたものよりも、彼奴が作ったくらいのもののほうが似合うしな。


「これはまた……素晴らしい出来ですね」

 ん? 真赭に入れ替わったのか?


「はい、手に取りたかったものですから、つい。……トゥエリアスさまは何を?」

「仕立屋を呼ぶのだろう。ま、午後には来るさ」

 銅仕立ての鷹の置物。普段はそこにあるだけだが、魔力を注いでやると目を覚ます。用件を認めた紙を足の筒に入れて封をして、餌を食べさせる。


『魔力珠が餌ですか。贅沢ですね、それ』

「まあな。けど本物を飼うと世話が大変だし、私がいないときもあるからな」

 そういう理由で、これは私が作ったものだ。人間の国を旅行したときに見つけたもので、羽ばたいたり首を傾げたりと言った機構が組み込まれている。飛べない作りだったのだが、魔力を流すことで動きを滑らかにして、滑空させることで一応、飛べるようになっている。

 ただ戻ってくるまでの魔力を注ぐのはけっこう大変なので、主に一方通行だ。相手から確実に返事が返ってくるときにだけ、使っている。

 今回は仕立屋の呼び出しだから、これを使うことにした。窓から出した程度では、敷地から出るのがせいぜいなので、時計塔から飛ばさなければならない。


「ん? ついてくるのか?」

 うんうんと期待に満ちた目でアルジェントが頷く。それはかまわないんだが、ずいぶんあっさり入れ替わったな?


「飛ぶところが見たかったから、頑張った」

「そうか、すごいな」

 真赭が呆けているところが目に浮かぶようだよ。

 いつの間にか首飾りネックレスを身につけているところを見ると、気に入ったものを見つけて気を抜いたところでやられたんだろうな。

 その機を見抜く観察力も大したものだ。褒めていいのかと思いつつ、期待しているようだったので頭を撫でてやる。

 ……そう言えば、当日の着付けはどうするかな。それも含めて仕立屋に投げればいいか。


「おいで、アルジェント。時計塔を見せてやるよ」

 時計塔は五階建てで、各階層ごとに小部屋が作ってある。時計そのものはネジ巻き式だが、時々魔力を注いでやることで勝手に動く、自動巻きらしい。人間界のとある時計を参考にしたということだったが、詳細は覚えていないな。


「うわ、すごい風」

 風に煽られる髪を押さえつつ、アルジェントが外を見る。石造りの時計塔、その最上階だ。ああ、鐘がつけてあるわけではないので、ここには何もない。ただ見晴らしがいいだけの場所だな。


「だからコイツを飛ばせるのさ」

 鷹匠のように腕に乗せて、アルジェントの前に差し出す。おっかなびっくりでその羽にさわって。


「……金属?」

「ああ、見てのとおりだ。生きてる奴だとけっこう物騒でね」

 狩人に狙われたりということはないが、空を飛ぶ魔物がいる。狙われても逃げきれるように、というのが狙いである。

「──さあ、行け」

 がちゃがちゃと音を立てるわりに、動きは機敏だ。うまい具合に風を捕まえて上昇し、あっという間に見えなくなった。さて、後は返事を待つだけだが。


「あれ? お兄さま、あれは?」

「……ああ、そう言えば季節だったな」

 屋敷と反対側を見て、アルジェントが問いかけた。

 肌寒い、と表現される今は秋。世話をする必要がないからということで、果樹が植えてあることを忘れていた。本気で手入れなどしないので、毎年勝手に花を咲かせて実を付けてくれるんだが、ちょうどいい時期になったようだ。

 蜂蜜はあることだし、焼き林檎くらいなら出せそうだ。他にも幾つかあるんだが、まあ今日のところはそれでいいだろう。


「林檎だよ。取りに行くか?」

 本当は朝顔の排除が先決なのだが……うん。来客仕立屋も来ることだし、屋敷の中で過ごすとしよう。

 見える場所なので移動も面倒だから、瞬間移動で林檎の元へ。今の時期だと……梨もあるか。

 実を言えば、この木々は私が植えたものではない。彼奴が……元の館の持ち主が、世話しなくていいからそのままにしてくれと置いて言ったものだ。

 実際、かなりの成長を遂げていることもあって、よほど虫がうっとうしいとき以外は手入れがいらない。そう言うときは彼奴に声をかけると、喜々としてやってきて防虫・駆除を終わらせる。呼びつけるのはこちらなのに手土産のジャムとか果実酒を持ってくるものだから、こちらも気をきかせてクッキーやらで出迎える。

 まあ、それで一晩飲み食いして眠って、昼過ぎに目覚めて、帰るときには残ったもので手が着いていない分を土産に持たせるという、自分でも何をやってるのか分からない関係だ。

 ていうか、あれで彼奴も魔王なんだ。私と同じく二代目の側近なんだ。以前にそのことを誰かにぼやいたら、なま暖かい目で見られて、閉口したものだ。

 そんなことを話しながら、よく色づいた林檎をとり、いい感じの梨も取る。そこから中庭への通路を抜けて、ドアを開けると。


「え、あれ? ここ、昨日の?」

「そう、ここに出るのさ。面白い作りだよな、ここ」

 上空から見るとわかりやすいのだが、この館は正方形だ。中庭を、つまり”畏域”への泉を中心に建てられた館だということになる。

 居室は二階にしかなく、しかも全て中庭側にあり、廊下は外側だ。そして本来窓であるべきそこは全て硝子で、透明度が高い。夏になると灼熱地獄が発生するので、流石に使わない部屋のほうはポトスを垂らしたり、日除けを張ったりするが。

 ん、自分がいる部屋か? それは別に、冷気を発生させるなり風を抜けさせるなりでどうとでもなる。いや、灼熱地獄で以前に小火を出したからな。あれは焦ったぞ。


『意外と怖いですねこの館』

 ああ、全くだ。設計者は彼奴でもないらしいが、何者だろうな。


「一階は、どうなってるの?」

「ほとんど回廊だな。外側に部屋があって、本来は仕女やらの部屋にするらしいが、私には不要だしな」

 必要な部屋しか使わないし、いついなくなるか分からないし、何より間違ってあの泉に落ちられたら助けようがないから寝覚めが悪い。だから、時々妖皇宮から斡旋される仕女も全て、断っている。いや、何よりもあの妖皇の息がかかっている仕女なんぞ怖くて側におけないという話だが。そう言えば、勇者にも斡旋されかけたことがあったな。あれもまさか、クーデターの一環か? 私を懐柔しようとか考えてないよな。


『ちょうどいいですね』

 …真赭が何か思いついたようだぞ?


『今から何かつくるんですよね?』

「ああ、焼き林檎な。作るというほどのものでもないが」

『それ、アルジェントにやらせましょう』

「え?」

「あー……」

 そういうことか。ま、確かにいい方法ではあるが。


「あの、お姉さま? おにーさまっ!?」

「味付けは私がやるから、手伝え。真赭が言うのはこれだろ?」

 林檎の皮むきを見せてやる。もちろん、手でやるのなら見せる意味はないので、術を使って空中で剥いている。


『はい、それですね。アルジェント、せっかくですからトゥエリアスさまの魔力を頂いちゃいなさい?』

「おいっ」

『あら、駄目です?』

 いきなり飛んでもない提案をする奴だな。だめに決まってる、まだ回復仕切ってないぞ、私は。


「……これやるから、使ってみろ」

 さきほどこっそりと取り出しておいた魔力珠を渡す。何かあったら使おうと言っていたし、これでいいだろう。私がいたらアルジェントが術を使う必要なんぞないしな。


「えっと……?」

「口に入れて、噛み砕けばいい。一気に溢れるから覚悟してな」

『え』

 えってなんだ、えって。当たり前だろう、魔力を圧縮してあるんだぞ?


『いえ、そんな大量には必要ありませんから、飴珠みたいに舐めていれば十分です』

「舐める?」

 初めて聞く方法だぞ、それ。そんなこと出来るのか?


『魔力をゆっくり吸い上げる方法で──あら? ご存じない? あらあらあら……あら?』

 ……真赭の知識って、どうなってるんだ?


「とりあえず、噛み砕いてみろ。どんな衝撃が来るか、知っておいたほうがいい」

「お兄様!? それめっちゃ怖いんですけど!?」

「いや、これはさすがに、ぶっつけのほうが怖いから」

 アルジェントが後込みしているが、まあ…な。この館なら相当なことをしても平気だし。


『そうですね、経験は必要です。大丈夫、何かあってもトゥエリアスさまが何とかしてくださいますよ』

 スパルタの割に丸投げか。一応お前は、私の配下のはずなんだがな。まあ失敗した段階で乗っ取ってもどうにもならないんだろうが。


『察しがよくて優秀な主の補助が出来ると、幸せです』

 ……騙されないから、覚えておけ。実体を得たらこき使ってやる。


「ああ、そうだ。魔力消費が大きくて害がなさそうな術、見繕っておくといい。本気ですごい事になるが、消費しきるしかないからな」

「あのー…おにーさまー…?」

『トゥエリアスさま、けっこうスパルタですね』

 泣きそうな顔になるアルジェントに絆されそうになるが、この機会を逃すわけにもいかない。


「命に関わるからな」

 その一言が何に響いたのか、覚悟を決めるかのように、アルジェントは魔力珠に向き合った。


『でも、トゥエリアスさま。魔力消費が大きくて害のない術って、思いつかないのですが』

 うんうんとアルジェントが頷いた。……そうか?


「一つ見せようか」

 私の声を合図に、ふわりと風が舞い込む。花の香りを乗せたそれが吹き抜けると、そこから景色が変わり、春の小川と花畑が現れる。

 舞い散る花びらに空を見上げれば、そこに花吹雪が吹き荒れて、竜巻のように周囲に渦巻いて──唐突に消える。


「──あ、あった」

 その一言に続いて、何かが砕けるような音がした。かしり、と響いたそれは魔力珠を砕いた時の音。

 てか、出来るって何がだ?


「──嘘だろう」

 花の香りを乗せた風、吹き抜けると景色が変わる。春の小川、花畑──舞い散る桜の花吹雪。私が即興で作った術を、アルジェントは、それを再現して見せたのだ。

 なるほど、真赭が言っていたとおり、魔力を直接操ることも出来るらしい。…いや、そうじゃなくて。


『同じ術……に、見えましたが』

 真赭の声が固い。


「同じだな、間違いなく」

 タイミングも何もかも、全く同じ。寸分の狂いも、あったようには思えない。まるで、復元されたかのように。


『それなら、トゥエリアスさまの術をそのまま使ったと見るべきでしょうね』

「即興で作った術をか。メモリアの知識がリアルタイムで更新されるなんて、聞いたことがないが」

『でも、興図のときも「出てきた」って言ってましたし、そう考えるのが妥当ですよ』

 あり得ない可能性を、真赭はあっさりと肯定する。


『私たちが知らないでしょう。アルジェントにはそれが出来る──それだけのことだと思いますが』

 ……確かに、メモリアについては知られていることのほうが少ない。そもそも、人数もいないのだから当たり前だ。今までにいなかったからと言って、これからも出ないとは限らないが──。


「……ま、いいか」

 真赭と話している間に、アルジェントがへたり込んでいた。…流石にあれだけの術をいきなり使ったら、疲れもするか。


「うまく、出来た?」

「ああ、文句のない出来だ」

 見上げてきた頭を抱き寄せて、撫でてやる。ふにゃあと笑みを浮かべるアルジェントが可愛くて仕方がない気分になる。


「真赭。極秘だぞ?」

『……承知しました』

 あきれたような声音に聞こえたが、目の前にいる、可愛い妹を守れればそれでいい。

 ま、……それだけのことだな。

 差し当たっては、焼き林檎か?

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