第5話 記憶がほしいなら、作ってやろうか?
「……トゥエリアスさま?」
ふと顔をあげると、アルジェントが私を見ていた。
「何かずっと、呟いてた」
「ああ、悪い。気になることがあってな。ま、そのうちに思い出すだろう」
なんとなく、その頭を撫でて見る。何か、そうしたほうがいいような気がして。
不思議そうに私を見るが、嫌ではないようだ。
「後は何か、聞きたいことはあるか?」
「……」
考えるかのように小首を傾げてから、アルジェントが答えた。
「わたしのこと」
「お前の?」
「わたしは、だれ?」
不安と混乱。それが混ざったような表情で、アルジェントが呟いた。私への問いかけと言うより、ただの独り言のようにも聞こえるけれど、それは、予想された問いの一つだ。
「アルジェント。私が名付けた、私と契約をしたメモリア。それでは不足か?」
そう答えはしたものの、その程度で納得するならそもそも、こんなことは聞いて来ないだろうな。
メモリアの特性に、「記憶を欲しがる」ことがあげられる。
まるで人間のように、「自分が何者なのか」を知りたがるらしい。自分がかつて何者かであって、記憶をなくしただけなのではないか。そういう不安が付きまとうそうだ。
メモリアも同様の存在なのだが、その知識に妖魔の情報がない。故に自覚しようがない。教えたけれど理解に至らず、自分が人間の生まれ変わりではないかという結論に達した者もいるらしい。
まあ、アルジェントもそれだろうな。
さて、どうするか。どう答えたところで、納得はしないだろうし。
アルジェントの瞳が揺れる。……不安かね、そんなにも。
「……記憶がほしいなら、作ってやろうか?」
「え」
ふと思いつき、記憶の捏造を試みる。ゼロから作るのは厳しいから、私の記憶を改変してみた。あの館で彼奴と過ごしたときのことを、兄妹として過ごしたときであるかのように思えるだろう。それをアルジェントに流し込んで。
「──…おにい、さま?」
びっくりしたような顔で、アルジェントが私を見る。
ふむ、そう来るか。それなら、仲間外れは可哀想だな。
「姉のことを忘れていないか?」
術の使い過ぎで倒れたときのことを、真赭とアルジェントに置き換える。あのときは彼奴と、……誰が来たのだったか。
私は大切なことを忘れながら、記憶を追加する。
「──……っ、姉さま…っ」
……そこは変わらないんだな。まあ、かまわんのだが。
「ほかにはどんな記憶がほしい? ”畏域”へは単独でしか行かないから、さすがにそれは無理だが……ああ、妖皇宮の中も面白いかな」
初めて妖皇宮を訪れたとき──流石に細かいことは覚えていないが、そのときに二代目の妖皇と出会った。面白そうに私を見たことを覚えているが、それをアルジェントに置き換えようか。共にいたのは……彼奴だったような気がするが、まあ、私でいいだろう。
館へ帰ってから、何故か魔王になるのだと決めていたが……そう言えば、あのときは何を話したのだったかな。
「…、違う、これ…っ、これじゃ、ない…っ」
頭を振り、アルジェントはそれを否定する。…ふむ、もう一押しか。
ついでに幾つか、料理を失敗したときの記憶を追加する。とびきりすごいものに仕上がったあの記憶は、忘れようにも忘れられない失態である。
「──……やだ…」
ふふん。面白いだろう。苦しみつつも笑わずにいられないそれは、傍らで断固として食べなかった別の友人とアルジェントを置き換えた。その脳裏には、責任を持って食べようとしている私と、悪ノリしたからと義務感で必死に食べようとしている彼奴が映っていることだろう。
……味覚を切ることも出来るのだが、それはやはり食材への冒涜だということで、自分たちが作った物に関してはやらないことにしているから、かなりの悶絶だったな。
「記憶なんてそんなものだ」
記憶は生きた証などと言っても、この程度である。妖魔の手に掛かれば、記憶の改竄など簡単なのだ。
…ただ、記憶の整合性を取り損ねると、心が壊れる。そして記憶という奴は本人も忘れているようなことが多々あるので、どこで矛盾が発覚するかわからない。──だから、面白そうでも手を出さないのが通例だ。
私か?
私はまあ──…何か、理由はあったんだろうな。
「ああ、人間だったという記憶がいいか? その方が面白いだろうな、生まれ変わった世界でほぼ何でも出来る妖魔になったという設定だ。楽しめるぞ?」
「い、…らない…っ!」
「では、どうする?」
──過去、そこで”死にたい”と答えた奴がいるらしい。字面通りに受け取って、自我を壊して保護したのが、三代目妖皇だとか──噂の域を出ないけれど、そんな話もある。だから万が一にも彼女がそう答えたら、私はどうするつもりだろう?
どうするつもりだったのだろう?
そんなことを考える間も、術は発動し続けている。次々と、私の記憶を元にして。
流石に、人間だったという記憶を作るのは困難だ。なにせ、私には家族がいない。孤児が一人で生きられる世の中でもないし、矛盾以前に話が作れないのだから。
「も…、いい…っ、やめて…っ」
頭を押さえるアルジェントから悲鳴があがる。…そこでようやく、私は術の発動を止めた。
同時に流し込んだ記憶も消して、まっさらに戻す。とは言え、たぶん噂話を聞いた程度には覚えているだろうな。
まあそのときには、改めて訂正してやればいい。
「なあ、アルジェント。もし。もしも、だ。何年も、何十年も先に、自分が誰か別の存在だったと知ったら、お前はどうする?」
縮こまる彼女から応えがないのは承知で、私は問いかける。
「積み上げたもの、手に入れたもの……それを捨てて、そこへ行きたいか? 過去の自分の居場所へ戻りたいと、お前は思うか?」
あり得ない話だ。あり得ない話だからこそ、考えることに意味がある。
「私は引き留めない。真赭もな。だから、もしそうなったときにどうするかは、お前が決めろ。そのときにな」
「──え」
何を呆けている。もしもの話だと最初からしつこく前置きしているはずだが。
「今じゃない。思い出したときに決めればいい。だがそれまでは、考える必要はない。それにな?」
顔を上げたアルジェントを抱き寄せて、その背中をとんとんと叩く。むずがる子供をあやすにはこれがいいと、誰かに聞いたことを思い出して。
「私はお前の過去に興味はないんだ。お前がこれから何をやらかすか、怖くて怖くて──楽しみでね」
ぷ、と吹き出した声が聞こえた。よし、どうやら落ち着いたな。
「…お兄さまは、意地悪だ……」
「そうか? 物知らずな配下を守ってやろうと思う程度には、出来た主だと……って、おい?」
ちょっとまて、もう記憶は消したよな、下手に混ざってないよな!?
「……お兄さま?」
「いや、……だから……」
まさか術を失敗したか、この私が。本気で妹だと思ってないよな!?
「大丈夫、だよ?」
「だったら──!」
期待と不安の入り交じった瞳で見上げられて、言おうとしていた言葉が霧散する。
「──ああもう、好きにしろ。ある程度の騒ぎは、目を瞑ってやる」
「……うん」
ぎゅっと、アルジェントが抱きついて来る。…子供、と言うには少々成長しているかな。どことはまあ、言わないが。
「末永く、よろしくお願いします、お兄ちゃん」
「──ああ、末永く…な」
……とんでもないことを約束している気が、しなくもないのだがまあ、…妹か。家族ごっこも、面白いかもしれないな。
「では、お兄さま。可愛い妹のお願いを、一つ聞いていただけますか?」
「ああ、言ってみ……ん?」
急に口調が……って、違う、これ、ちがう、アルジェントじゃない……っ!
思い出した、忘れていた大切なことを……!
この状態で術を使ったら、真赭に伝わって当然だということを忘れていたとはなんたる体たらく……!
「一つ、頼まれて下さいな」
……朱い瞳に射竦められて抵抗できる者など、……きっと彼奴くらいだよ。
てか、そうか。お前も妹か。妹なんだな、お前も。
※ ※ ※
「……質はまあ、かなり良いものに見えるんだが?」
「はい。でも、一つだけ、変なものがあるんですよ」
「ああ、…うん、これな」
真赭に差し出されたのは、作り上げた魔力珠だった。作成中にアルジェントの精神が乱れたせいで、彼女に使わせるには少々危険な代物が混ざってしまったらしい。それを私に使えということなのだが。
「試すのはかまわないが……ここで使ったら、また朝顔に襲われるぞ?」
「はい。なのでもう、興図を使っていただこうかと」
「……お前なぁ……」
無茶を言う奴である。もう、私からは溜息しか出ないほどの。
他人の魔力を吸うことは、私には出来ない。大多数の妖魔がそうだろう。吸い上げられないということは、その魔力の調整も出来ないということである。本当に最悪の場合、飲み込むなりかみ砕くなりして体内に取り込めば、ある程度の苦痛と引き替えに利用出来なくもないのだが…それをやれと。しかも、興図を起動させろと、今すぐ。
「アルジェントを休ませたいんですよ。ここでは、いつあれに襲われるか分かりませんし。あれ、ずいぶん強引な術でしたよね?」
「む……」
責められているが、事実なので反論はしない。
悪かったな、わたしはああいうのが嫌いなんだよ。過去はどうでもいいんだ。
ま、真赭の一言は真摯な声だったので、他意はないだろう。彼女が言うとおり、ここでは休まらない。本人は気づいていないようだが、そもそもかなりの疲労があることは明白だ。
仕方がない、アルジェントが眠っている今のうちにやるか。
……痛覚は切るぞ、流石に。制御に影響が出るし。
「だが、私が使うのはキャッスリングだ。あの図からすると、隣接の森に出る。間違いなく朝顔に気づかれるから、…時間勝負だぞ」
念のため、そこは確認しておく。真赭は知っているようだったが、たまにキャッスリングの効果を誤解して、王と城の位置交換と思っているものもいるようだからな。
あれは実際のところ、王の隣に城が移動し、城がいた場所の隣のマスに王が移動するだけだ。もしそうだとすると、移動先に初期配置の女王が待ちかまえていて、自殺しにいくだけになるからな。
「はい、承知しています。補助はお任せを。アルジェントに傷一つ、付けたりはしませんよ」
「…頼もしいね」
うん、まったく……本当に頼もしいよ、この姉君は。
覚悟を決めて、興図のロックを解く。チェス盤にあるのは当然、王と城。
私は渡された魔力珠を口に放り込んだ。取りあえずは飴玉のように舐めておく。
「移動と同時に走る。森の中は分かるが、どこに朝顔がいるかは把握してないから、一気に抜けるぞ」
「はい」
頷いた真赭を抱き上げる。今度は抵抗も焦りもなく、逆に自分から抱きついてくるあたり、…うん、頼もしい。
「さて、行くか」
かしり、と口の中で音が響く。魔力珠を噛み砕いた音だ。まるで金平糖を噛んだときのような軽い音が耳に届くより先に、興図が発動する。痛みはないが、全身を巡る衝撃が気持ち悪い。
チェス盤が、薄く透明に引き延ばされる。広く、広く、広く──その端が感知出来なくなるほどまで広がって、ようやく王と城がそびえたつ。
「キャッスリング」
私の宣言で、一瞬にして周囲が変わる。目指した地、予定通りの森の中に出た。さあここからはどれだけ早く館へたどりつけるかだ。
身体強化を施すと同時に私は走り出す。さほど深い森ではないとは言え、道などない。館に近いせいもあって、小屋を用意しておらず、一人で歩くときは術で目印を付ければ済むから、整備しようと考えたことすらないためだ。
「瞬間移動は? 使えないのですか?」
「無茶を言うな、興図を展開しながら出来るか、そんなもの」
瞬間移動自体は難しくないが、魔力は消費する。
真赭は気づいていないようだが、興図は私の脳裏に広がったままだ。チェス盤は白と黒の市松模様だが、それが端から染まり出しているところを見せてやりたいな、黒と白の盤面が、徐々にとは言え赤一色に変わっていくのは、なかなか怖い。
まだ余裕はあるが、森を抜けるあたりで追いつかれそうだな。
「……ちょっと、失礼しますね?」
真赭のそんな声がして、首筋に何かを感じた。そこから生じた違和感は動きに支障を来すほどではないが、確かに何かが起きていることを私に知らせる。
「──ああ、この状態ですか。これは…解く訳にはいきませんか?」
「解けるが、敵の検出が出来なくなるぞ?」
というかお前、何をやった? 術に割り込んだのか?
「展開された興図の表層情報を覗き見してるだけですよ。
いや、そもそも隠蔽なんか考えてないから、これ。そこまで回すような
「敵の検出と回避策はわたしがやります。この森に、あれはいますか?」
「駆除済みだ、そこは保証する」
めちゃくちゃ大変だったけどな、あれ。地下にまで興図を展開して、根の一欠片も残さずに消滅させたんだ。ほかの森からは離れているせいもあって、そのあとは特に見なかったんだが…あー、またあれをやるのか。駆除しなきゃダメだよなぁ……。
「……余裕がおありですね?」
「ないな、そんなもの。ただの現実逃避だ」
「駆除は手伝いますよ。逃げ切れたら、ですけどね」
「メモリアがいると活性化するんでな、おとなしく館に閉じこもっててくれ」
メモリアがいないときは、夏から初冬まで色が変わる花を咲かせ続ける綺麗な雑草なんだがな、あれも。
「雑草なんかに狩られたら、魔王の名折れですね」
「名折れで済めば儲けものだよ」
今の妖皇は、この朝顔の駆除に本腰を入れていない。面倒なだけならいいが、何かあるのかと勘ぐりたい程度には怪しい相手だ。
「──索敵図、展開完了です。周囲五十メートルで検出します」
「なら、興図を解く。結界も消えるが」
「こちらで張りますよ」
呆れたような声が返ってきて、私は思わず苦笑した。悪かったな、結界は持ち合わせがなくて。
そして解いた瞬間に、私の頬を何かがかすめる。
「え?」
「種だ、潰せっ」
私の指示に従い、真赭が種を潰す。……指示通り、ぺしゃん、と。うん、良い反応だ。
「なんですか、今の!?」
「種だが?」
普段は蔓か根で増えていくあれだが、本来は植物なので種がある。まあこれも捕獲用に改悪されていて、絶対に捕まりたくない代物にされているらしいのだが。
「種を最優先で対処しろ。そうそう数はないはずだ」
「、はいっ」
理解が追いつかないようだが、指示に従ってくれればいい。しまったな、朝顔のことを知らないなら種のことなんて思いもつかないに決まっていたな。
「──索敵範囲に追いつかれました。種については可能な限り消滅させます」
「任せる」
そんな会話の間も、私は森の中をひたすら走っている。森が特別広いというわけではなく、出た場所がかなり深い位置だったせいだ。
背後からざわざわと音が迫ってくる。……メモリアの魔力で活性化したな、あれ。作成失敗した魔力珠なんてものを使ったら、当たり前だけどな。
「右へ」
真赭の指示に、私はついた足で地面を蹴る。その先に地面がなく、大木の幹をそのまま駆け上がったところへ何かが進路変更してくるが、見ている余裕などありはしない。ボッと音がして、それで終わった。
…森の中なんだがな、ここ。
「類焼などさせませんよ。このまましばらく樹上を行って下さい」
何だその無茶振り。出来るけどな、人一人抱えての逃避行は、楽ではないんだぞ?
枝を蹴り、次の枝へ。曲芸団のように腕が使えればもっと楽だろうが、あいにくと彼女を抱えている。下ろして走らせればいいと思うかもしれないが、一瞬でも躓いたら彼女だけ捕まって、私が放置──或いは束縛放置されることは確実だ。それを防ごうと思ったら、抱えて走るしかない。そのための身体強化でもあるんだが、流石に余裕はなくなってきたな。
蔓は背後へ迫るが、跳んだ先にはいない。真赭の指示の賜だが、それ以上に張られている結界もかなり優秀なのだろう。
それとも何か、囮でも使っているのか。鋭角移動したときに、元いた場所に何かが巻き付くところが一度だけ見えたし。
移れそうな枝もなくなったきたため、地面に降りる。走り出そうとした私に、また指示が飛んだ。
「一拍止まって、──燃やして!」
悲鳴のようなそれを追うかのように、背後で何かの気配がした。飛んできたのは種で、…さては幾つか同時に飛ばしてきたか。
足下に落ちたそれを凍らせて、踏み砕いて走り出す。悪い、以前に火事を出して以来どうも、森の中での火はダメなんだ。結果としては排除出来たし、問題はないだろう。
ひゅっと風切り音がして、反射的にそれを凍らせる。ぼたりと落ちたそれは、朝顔の蔓だ。
「もう追いつかれたか」
冗談ではない早さである。こっちだって呆けているわけではないんだぞ?
まあ、かまわない。もうすぐ森を抜けるのだし。
問題は、森を抜けてからも館までは少々距離があることだ。それに、出来れば門扉から入りたい。主人の権限としてどこからでも飛び込めるが、それが穴となって修復が面倒なのだ。
「わがままを……」
「ま、冗談だ。森を抜けるときに移動術で跳ぶぞ」
「わかりました。囮を投げます」
やはり使っていたか。だが何を……ああ、魔力珠か。確かにあれには目がないから、有効だな。
その宣言の直後、遠ざかる何かの気配と、それに惑わされない何かの気配を同時に感じる。
だが、遅い。視界が開けたと同時に、私は移動済みだ。視界内しか移動出来ないとは言え、移動術はやはり便利だな。
「──まだ、来ます」
「だろうな」
すでに私は走り出している。距離を稼げはしたが、まだ視認できる距離に朝顔がいることは予想済みだ。
「なんなんですか、あれ」
「魔力珠を吸収したんだろう。ほとんど暴走だな」
土煙をあげながら、朝顔が迫ってくる。ああ、そういえばそろそろ真赭の術を解放しても問題ないんじゃないか?
「…もしかして、メモリアの魔力を?」
「ああ、検出してるはずだ」
また頬を掠めた何かを、そのまま凍らせて今度は放置する。まあ、凍った種が生き残ることはないだろう。真赭は遠慮なく、それらを燃やしているが。
「まあかまわん、もうそこに…っ」
足に衝撃を感じて、私は蹈鞴を踏んだ。真赭が燃やしたはずの種、そのうちの一つが足に食い込んでいた。
チッ…仕方ない。
移動術を二連発で距離を稼ぐ。出来れば温存したかったが、仕方がない。痛覚が切ってあるとは言え、移動に影響が出る。
幸い、それで薔薇の咲き誇る生け垣が見えるところまでは辿りついた。どうにか間に合ったな。そのまま走り、どうにか結界内へ逃げ込んで、倒れ込み、真赭を下ろす。いや、半分放り投げるような体勢だったが、そのあたりには不問にしてくれるようでありがたい。
朝顔は流石に追いつかなかったようだ。
「あの……これ、蔓薔薇……です、よね?」
「ああ、そうだな。香りが魔物除けになってるから、…まあこれも妖花の一種だが」
改良したのは私の知人である。…まあ、そういうことだ。これも元は、初代妖皇の作らしいな。
「ちょっと…、香りがきついですね」
「弱いと魔物除けにならないらしくてな」
頭を押さえる真赭から目を放し、自分の足を見る。破れたズボンの裾から、蔓が延び始めていた。幸い、成長速度は大したものではないが……なんだ、これ。棘か?
「これ、茨ですね」
「茨? …なんで朝顔の種から茨が生えるんだ?」
「わたしに聞かないで下さい。枯らしましょうか」
「ああ、頼む…いや、ちょっと待て」
「あ」
……遅かったか。メモリアの捕獲を命題とした妖花から放たれた種ともなれば、その魔力に反応して当然なわけで。
「うーむ……」
私は一瞬で、茨の檻に捕らわれた。
「あ、あの、あの……っ、ごめんなさい……」
慌てて離れた真赭が縮こまっている。ぺこぺことまるで土下座の体制だが、…何か可愛いと思ってしまうのは何故だろう。というか、真赭だよな?
まあ、いいか。
「枯らせば済むから、少し待ってろ」
これは捕獲専用なのか、檻となった後は成長の気配を見せなかった。
ゆっくりと魔力を送り込み、徐々に根から枯らしていく。
「……痛い、よね?」
「いや、痛覚を切ってるから痛みはない。…何というか、気持ち悪いだけだな、心情的に」
「でも、そうしなきゃいけないくらい、痛いんだよね!?」
……まあ、そういう言い方も出来なくはない、が。触覚を切っているわけではないから、根が徐々に延びようとしていくのが分かるとか、そこから魔力が吸い上げられているのも何となく感じるとか、そんなどうしようもない気持ち悪さだけで済むのだから、楽なものだと思うんだが。
「あれ、お前アルジェントか。真赭はどうした?」
「落ち込んでる」
思わず苦笑を漏らしてしまったが、彼女の心情は察して余りある。せっかくアルジェントを無傷で守りきったのに、安全地帯に逃げ込んでからこれだものな。誇りは高そうだし、まあ、そうなるだろうな。
「……アルジェント、その茶色くなったあたり、掴めるか? 棘を刺すなよ」
枯れたことはわかったが、何しろ全身に絡み付いた茨のせいで、手が伸ばせない。痛みを感じないからって棘を刺しまくるのは御免である。
私が示すと、アルジェントは素直にそこを掴んだ。そのまま引かせて、根ごと抜き取ってもらう。多少は中に残っているが、それは私の魔力に解けて消えるだろう。
アルジェントが泣きそうな顔で、茨から目を反らす。
「ちょっと刺激が強かったかな、目覚めたてのお子さまには?」
「……お子さまじゃないよ、お兄さま」
……本気で続ける気か、それ。
茨が解けていくのを見ながら、私は空を仰ぎたい気分になっていた。
「ねえ、お兄さま。あれはどうなるの?」
「ん?」
薔薇の生け垣の向こうで、何かが揺れている。メモリアを見失った朝顔が、途方に暮れているかのようだ。
近寄ってこないのは、薔薇の香りが効いているからだろうか。
「まあ、すぐただの朝顔に戻るだろう。近いうちに、駆除しないとな」
駆除した上で、あの森まで結界を広げるか。でないと二人は森へ行けない。館に閉じこめるわけにもいかないしな。
「さて、と」
私は立ち上がり、アルジェントに手を差し出した。
すでに昼は過ぎていて、おそらくは午後のお茶の時間だろう。
「甘い物は好きか? 作り置きのクッキーなら、すぐに出せるぞ」
びっくりしたような、喜んだような顔で、アルジェントは私の手を取った。
さて、何を出そうか。クッキーとジャム、それに紅茶……ああ、ビスケットもあるな。サワークリームは用意出来ないか。ああ、蜂蜜と楓蜜があったな。それでいいか。
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