第4話 主に影響されただけですよ。

 私が目覚めたとき、従者は囲炉裏端で何か飲んでいた。


「召し上がりますか? 熱くて美味しいですよ」

 ああ、そういえば鉄瓶を掛けて置いたか。いつの間にか炭も追加されているし、これは助かったな。

 起きあがった私に差し出されたそれも、やはり白湯……ん?


「昆布茶か?」

「はい」

 ごく薄いが、昆布茶だった。急須で入れるのはどうかと思わなくもないが、まあ陶器だし、いいとしよう。塩も棚から見つけ出したか。まあ、使うこと自体は構わないが…本当に好きなんだな、昆布。


「おもしろいですよね、昆布って」

「ん?」

「鰹節はお茶になりませんけど、昆布はお茶になります」

 …それは好きだからか。それも面白いから好きなのか?


「……まあな。梅干しとか入れると、尚旨いな」

 気になるところだが、まあどうでもいいか。ずず、とお茶を啜る音だけが響き、静かな森の朝のようだ。


「で、アルジェントはどうした?」

「いますよ?」

「両目とも赤いようだが?」

「眠ってますから」

 それはいると言わないと思うんだが、どうだろう。というか、何をやらせた?


「術自体は使えるようになりましたが、魔素を吸収出来ないんですよ。わたしが離れたら、まるきり術が使えなくなります」

 ああ、そのことか。…使えないとなると、なんだ、せっかく覚えたのに痛覚遮断が出来ないということか。意味がないな。


「なので、魔素を吸収する回路を構築させようとしたんですが、駄目でした」

「ダメって?」

 ふう、と溜息をついてから、真赭が答える。


「私が構築することは出来ますが、アルジェントだけだと出来ないんですよ。作った回路も、主導権を渡した瞬間に壊れましたし、そういう特性かもしれませんね」


 ふーっと昆布茶を冷ましながら、真赭が応える。すするときはけっこう幸せそうなので、まあさほど煮詰まってはいないようだ。

 しかし…、主導権を渡した瞬間にとなると、確かに手がない……ん、いや、待てよ。


「……”畏域”で、私の魔力を持って行ったよな? あれは誰がやった?」

「それはアルジェントですね。一応、わたしにも出来ますが」

「……それでいけるんじゃないか?」

 本来、妖魔の術は「魔素を吸い上げて魔力として練りあげ、術を発動させる燃料とする」ものだ。莫大な魔素を消費するが、その分自由が効く。魔素を吸い上げられなくても、魔力を奪えるなら術が使えるし、…やり方次第でけっこうな凶悪さだぞ。

 まあ、前兆なしで発動する術の魔力を奪えればの話だが。


「やろうと思えば、練り上げた魔力を奪って不発に出来るだろ、それ」

「可能ですね。実際、わたしも……」

 ふっと真赭の気配が消える。瞳が光を失い、まるで人形のように動きが止まった。


「真赭?」

 落としかけた茶碗を受け止めて、顔を覗き込む。ほどなくして、光は戻った。自分がそうなったことに、戸惑っているようだ。


「どうした?」

「…あの、……わたしは今、何を……?」

「何かを言い掛けてたぞ? 相手の魔力を吸い上げて術を不発にさせるとか、そういう話だろ?」

「え? そんなこと、出来るんですか?」

「おいおい」

 真赭の表情は、冗談や嘘の類には見えなかった。…まあ、わたし相手に嘘などつけるはずもないし、理由もない。本心と考えていいだろう。ただし。


「ああ、アルジェントなら可能かもしれません」

 思い出した、と真赭が呟く


「トゥエリアスさまの魔力を簡単に吸い上げてましたし。…でも、どの程度の距離からなら可能なのか、やってみないとわからないですね。もしかしたら、”畏域”だったから出来たのかもしれませんし」

「お前は?」

「え?」

 そのままぶつぶつと算段を立てようとする彼女の思考に、私は割り込む。


「私の魔力を吸い上げて、持っていけるか?」

「……そんなこと、出来ないですよ? あれは、アルジェントだから出来た真似です。わたしはただ、彼女が吸い上げて変質させた魔力を制御しただけですから」

「……そうか」

 …本人が意識していないだけで、記憶に鍵を掛けられたと見ていいな。可能性としては、掛けられているという術の効果か。…だが、こんな妖しいロック方式で役に立つのか?

 あからさまにすぎると思うのは私だけか?


「とりあえず、魔力珠を身に着けさせようと思いますので、ご協力くださいね?」

「……ま、仕方ないな。今は無理だが、館に帰れば幾つかあるはずだ」

 魔力珠とは、読んで字のごとく、魔力を集めた珠である。限界まで凝縮してあるので、魔素から練り上げるよりも効能は高い。実体化しているそれを持たせれば、緊急時に何かと役に立つだろう。


「そう言えば、私は起こせと言わなかったか?」

「起こそうとはしましたけど…身体を揺すった程度ではダメでしたよ?」

 …む、そんなに疲れていたか。そこまでという自覚はなかったんだが、まずかったな。


「…本当に自覚がなかったんですか。瞳の反転って、本当にけっこう大変やばいときにしか、発生しないはずですよ?」

 丁寧なようでぜんぜん丁寧じゃない物言いだ。ずいぶんと砕けて来たな、真赭。


「主に影響されただけですよ。魂だけの身ですからね」

 いや、違うだろう。お前、もとからそういう性格だろう?

 無言の抗議に返事はない。いや、或いはその笑顔が答えなのかもしれないが。


「……ところで外、お気づきです?」

「外?」

「はい。綺麗ですよ」

 嫌な予感を覚えながら、私は戸を開けて。


「…………」

 閉めた。

 何だ、今の。どうして生け垣が、朝顔で覆われている!?


「やはり、昨日のあれですか?」

「ああ、間違いない。まだ目覚めてはいないようだが、あれだ、あの朝顔だ」

 メモリアの確保を命題とする妖花である。

 通常の朝顔が可哀想なので、何か別名をつけたいところだが誰も思いつかず、宮廷でも議題にあがるものの意見が出ないという、ある意味哀れな存在でもある。

 少なくとも私が結界を張ったから、この小屋の中には入ってこないはずだが、…油断は出来ない。いや、だからどうして……どうしてって。

 ふと、鍋が目に入る。中身は疾うに片づいているが、あの茸……。


「わたしが取りましたね」

「ああ、頼んだからな」

 自分で術が使えなくて、木の上にあったあれを取ってくれと頼んだのは私だ。

 そうか。あれだけで反応出来るのか。とんでもない能力だな。きっちり改良出来たら、相当に便利だろうな。魔獣の検出に役立ちそうだし、開発して人間界に売り込んだら面白そうだな。


「現実逃避しないで下さい、トゥエリアスさま。で、どうします?」

 逃避ではない、けっこう現実的な算段だ。


「捕らぬ狸の皮算用」

「うぐ……」

 メモリアは序列を気にしないのが通例だったな……この二人、遠慮がなさすぎる……!


「……どうって言われてもなぁ……」

 下手に彼女を外へ出せば、間違いなく活性化するだろう。おそらくは側にいる私が標的になる。

 結界を張ったままで移動出来ればいいのだが、生憎と扱える結界は少なくて、移動可能なものなどないに等しい。昨日のあれは”畏域”特化だし、そもそもが《”畏域”の魔力を吸った金鳳花》を必要とする。ここに張ったような範囲指定型は移動出来ないし、さてどうするか。

 そう言えば、籠も作っていたがあれはどうだろう。あれにも反応したのだろうか。


「あ、栗はこちらに避けておきましたよ」

「栗? …ああ、そうか。籠に入れたんだったな」

「はい、作りましたからね」

「便利で助かったよ」

 まあ、それは事実だ。それに、きっかけはまず間違いなく茸狩りだろうし…まあ、今は考えずにおこうか。

 小屋にあったらしい笊に、炭の中に放り込んだ栗が盛られていた。……よく気づいたな。


「爆ぜた」

 ぶすっとした声が一言、答えた。いつのまにか、妖瞳に戻っている。目覚めたか。


「痛覚の切り離しが早速役に立ちましたよ」

 くすくすと笑う真赭の目が笑っていないので、私は無言のまま頭を下げた。

 すまん。切り込みを入れ忘れた栗があったようだ。本当にすまない。


「美味しかったから、別にいいけどね」

 食ったか。うん、まあまた集めればいいし、熱々の焼き栗はうまい。どうせ皆で食べるつもりだったし、食べてくれたなら問題はない。

 ぽむぽむと頭を撫でられて、私は身体を起こした。

 と、目の前に向かれた栗が差し出されている。…食えということか?


「ん」

 ふむ。まあ、戴こうか。

 目の前にある栗に、かぶりつく。いや、うっかり何も考えずにかぶりついたら、ものすごい勢いでアルジェントに逃げられた。ずざざざざっと音がするくらいの勢いで。


「な、ななななな、ななーっ!?」

 ……あ、しまった。自分の指じゃないんだった。もしかして指を舐めたか?


「おわっ!? ──なんだぁっ?」

 真っ赤な顔と瞳で、真赭が私を睨んでいた。いや、睨まれたと同時に身体の自由が利かなくなって、…どういうことだ、動けないぞ!?


「主への奉仕に、夜伽は入っていませんよね?」

「は? …夜伽?」

 思いがけない言葉で、冷たい声で、笑わない瞳が私を射抜く。これはまずい、かなり本気で怒らせたようだ。


「入ってない、入ってないから落ち着け! 今のも指を舐めたわけじゃないから落ち着いてくれ! すまない謝る、二度としない!」

 頭を下げようにも完璧に固まっていて、首を振ろうにも動かない。真赭の仕業なのはわかるが、これでも魔王だぞ。どうして真赭にそんな真似が出来る……!?


「さあ、どうしましょうね? わたしに解き方、わかるかなぁ?」

 妖しい笑みを口の端に乗せて、真赭が私をのぞき込む。──ぞくり、と背筋を悪寒が走った。やばい。これはやばい、本気でやばい、ガチでやばい、どうにもやばい。

 逆らってはいけない奴だこれは。

 そしてその状態のまま、短くはない時間が経過する。


「……あら、アルジェントは優しいですね。それでいいなら、わたしに否はありませんよ」

 不意に微笑みの質が変わり、恐怖感が消えた。何だ…、アルジェントが何か言ったのか?


「もう二度としないで、だそうですよ」

「ああ、約束する。二度目はない」

 その言葉で納得してくれたのか、身体は自由を取り戻した。

 …怖かった。本気でやばいと思ったのは、彼奴を怒らせた時以来だな…

 ……真赭。まさか元は魔王だとか言わないだろうな……?


「……そこの生け垣に生えてる朝顔って、駆除対象なんだよね?」

「ああ、そうだな。根絶が推奨されているくらいのな」

 この口調だと、アルジェントだな。何か思いついたのか?


「さっき言ってた、魔力を奪う…って、あれ、試してみたい」

「え。…いや、あれは理屈上という話で……」

「うん。だから、出来るんじゃないかなって」

 ……なんで、だからという言葉が出てくる?


「それに魔力を奪ったりすれば、死滅の危機に対して変質する。流石にそんなもの、私も相手はしたくないんだが」

 んー、とアルジェントが首を傾げる。いや、可愛い仕草だがな?


「魔力、奪うとどうする?」

「どうするって、普通は周囲の魔素を集めて錬成しなおすが」

「じゃあその魔素に毒が混ざったら?」

「……は?」

 ……魔素を錬成するには、幾つかの方法がある。

 一つは体外、掌や指先などで錬成する方法だ。これは魔力を作用させやすいから、外傷の手当などに向いている。

 もう一つは体内を巡らせる方法で、これは流体となっている自分の魔力に溶け込ませて、魔力総量をあげることになる。結果、身体の損傷や内部の傷などの直りが早くなる。

 後はまあ、それの合わせ技だな。魔力総量をあげた上で、体外に錬成する。これでかなり純度の高い魔力が得られる。…流石に合わせ技を実戦で使うことはない。せいぜいが、先の話に出てきた魔力珠を作るときに使うくらいだな。

 ああ、いやそうではなくて。


「……体外で錬成するなんて真似は、妖魔だからこそ可能な技だ。少なくとも、妖花程度に出来る真似じゃない。正当に近い可能性としては、……魔素を巡らせるつもりで、毒を体中に回す、だろうな」

「出来る?」

「何が? 何を?」

 今の一言で何か悟れといわれても無理だぞ、おい。


「魔素に毒を混ぜるなら──水銀を気化させましょうか?」

「おいぃぃ!? 生態系を壊す気か!?」

 水銀は毒。その性質は、常温で液体であること。で、当然気化もする。気化すると拡散するし、全てが思い通りに操れるわけないだろうが!?

 てか何処から持ってくる気だ、水銀そんなものを!?

 真赭やばい。こいつ、本気でやばい。


「作れますよ?」

「あのな……、妖魔わたしたちに作れるのは、あくまで魔素を凝縮させたものだ。水銀そのものは作れても、気化はせんだろうが」

「……ああ、そうですね。そうでした…迂闊でした」

 ときどき忘れている妖魔もいるが、物質を無から作っているわけではない。作り上げたものはそれで完成品なので壊れないが、状態変化もない。つまり、水銀を作ることは出来ても気化はさせられないということだ。

 最初から気化した水銀を作ればということにもなるが、それもやはり「気化した水銀」という完成形であり、取り込まれてもその性質は──……。

 ……出来るのか、もしかして。

 消化されるわけではなく、蓄積されるだけ…毒性は…どこで発揮される?


「…確かに、気体では制御が難しすぎますね。ではいっそ、魔素を変質させて毒性を与えましょうか」

 人が考えている傍らで、真赭が考え方を変えたらしい。残念だ、これは後日、どこかで実験するとしよう。


「生態系への影響はないだろうが……出来るのか、そんなこと?」

 ないのはあくまで生態系への影響であって、ここらで魔素を集めるような妖魔がいれば、影響を受けるけどな。まあ、…植物じゃないし、気づくだろう。


「不可能ではありません。ただ、どこまで強い毒になるかは保証出来ませんけどね」

 …まあ、出来るかどうか知らないというより、やったことがないからわからないということになるんだが……真赭。断言するということはお前、経験があるんだな。

 いろいろと気になる過去を持っていそうだな。


「女の過去は探るものではありませんよ?」

「……聞き出す気はないから、安心しろ」

 なんか、とんでもない地雷を掘り出しそうな気がする。


 結局、私の従者たちは主の意向など気にもしないらしい。

 まあな、主面をする気はないんだがな、こうまで蔑ろにされると、何というか……なあ?

 うん、何かさらっと恐ろしいことを言っていたが、今更だな。魔素を変質させるとか、どこの魔王だ、お前たちは。


「……魔王じゃないよ?」

「魔王の従者ですよ?」

 相変わらずの妖瞳ヘテクロミアで、二人が交互に告げる。

 ……たぶん、身体を与えて自由にしたら、魔王が二人、増えるんだろうな。


 結局、アルジェントとしては駆除が目的ではなくて、「相手の魔力を奪い、自分の魔力として使う」が実戦で出来るかどうかを知りたい、ということらしい。そのついでに、駆除対象の雑草を枯らしてしまおうというだけのことだった。

 とりあえずは、結界の中からそれを試し、魔力が満ちたら真赭に変わって周囲の魔素を変質させ、それに反応して妖化した朝顔に毒を吸わせて枯れさせる。ということで、話はまとまった。

 …怖いな、女って。


「どうだ、うまくいきそうか?」

「うー……むずかしいけど……」

 朝顔の花に直接ふれながら、アルジェントが頑張っている。むろん、結界の内側からだ。

 目が反転していない今、魔力を見ることは出来ない。まして私は他人の魔力を制御することなど出来ないし、皆目検討がつかないというところなのが本音だ。

 だが、朝顔の花が…夕方まで咲き続けて色を変えるはずの花が、萎れて始めている。


「あ、出来た」

 やはりそうか。どうやら目論見はうまくいったらしい。

 ──だが萎れるのは花のみで、本体に影響はないようだが……ああ、いや。先端の芽が、どれも茶色く変色し始めている。これの繁殖力を考えればこの程度は枯れたうちに入らないが、魔力を奪ったことで成長出来なくなったと言うところだろう。


「次はわたしですね。ええ、十分な魔力が集まっています──」

 一瞬、空気が変わったように感じた。おそらくは魔素を変質させたのだろう。そして待つことしばし──一瞬だけ妖化の気配を見せた朝顔だったが、一斉に枯れ始めた。おそらくは、その根までも。


「──成功したな」

「はい。まだ余裕もあります」

 面白い実験結果だった。結界の中ということもあるのだろうが、メモリアが魔力を吸い上げても朝顔は目覚めなかった。

 その後で真赭が術を使ったら反応した。つまり朝顔にとっては、魔力を吸い上げることは術のうちに入らないということだ。

 …ま、こんな実験結果、何に使うんだという話だが。なにせ、メモリアは数が少ないし、こんな危険なものに近寄るわけがないし。


「これなら、アルジェント単騎になっても大丈夫そうですね」

「……そうか?」

 これはあくまで「魔素は無理だが、魔力を己のものに出来る」という結果なのだ。相手は植物だし、敵意を持っているわけでもない状態で成功させただけ。

 単騎という言い方をする以上、何かしらの敵対行動が前提だろうが、そこで応用出来るかはまだまだ未知数である。


「……完全に、駆除出来たみたいですね」

 生け垣の上に、茶色く変色した茎が萎れている。少し引くだけで千切れるくらいだし、それ以上の反応もないから──とりあえず、この株は駆除出来たものと見ていいだろう。

 呆れるほどの広範囲に渡っていたようだ。


「では、トゥエリアスさま。ご褒美をいただけますか?」

「……まあ、かまわないが…何が望みだ?」

「アルジェントに、興図を見せてやって下さいな。十分、回復されてますよね?」

 ……興図ねぇ。

 まあ出来なくはないが、あれも消耗が激しいから、本当に一晩長くここに留まることになるぞ。

 館へ帰って、整ったベッドで寝たいんだがな、私としては。むろん、布団も悪くはないんだが。


「ああ、そうだ。布団は片づけておかないとな」

「そうですね」

 とりあえず、中へ戻ることにした。まあ布団を片づけると言っても、畳んで元の場所に置いておくだけだし、すぐに済む。

 さて、本題──興図か。まあ、徒歩で帰るのは論外だから、興図自体はいいとして。どうするかな。彼奴の術では消耗が激しいというか、追いつかないし。


「……興図を使えば館まで…いや、魔力が持たないな。どこまでなら使える? …せいぜいが位置関係の把握までだ。実際の移動までは……いや、それなら…」

 興図はそもそも、地域の情報を集めるために作成された術で、地図という意味を持つ。それに空間座標とリンクを追加して、移動可能に仕立てたものらしい。

 逆に考えるなら、術を分離して位置情報を集めるだけという方法も可能だな。

 ああ、そうか。まず情報だけ集めておいて、無理そうなら移動を明日に回せばいいのか。まあ館に人がいるわけでもないし、しばらく留守にしたところで問題はない。

 …ないが……むー……。


「……あれ?」

「どうした?」

「なんか、すごく簡単な興図が出てきた」

「簡単?」

 というかこら。術の内容を他人に話すなと言っただろうが。

 私の契約を気にもせず、アルジェントは言葉を続けた。


「簡易版みたい。かなり範囲が広くて、情報量が少ない感じ。なんだろう、なんか…地図っていうより、目的地までの最短道程を探るための術、みたいな……これでも興図なんだね」

「あ、それでいいのか」

 アルジェントの一言で、私は対処方法を思いついた。術の内容を聞くまでもない、それならこの場で構築可能だ。


「チェスボード」

 空中に白線で描かれたチェスボードが現れる。その上に両陣営の駒も並んでいて、このまま対戦も可能だ。だが、今日は違う。


セット配置・キャッスリング」

 敵領域が消えて、自軍の王と城だけが残る初期配置。通常は戦況後半、王を逃がすための配置として使われる。こんな配置にしたところで、パズルにすらならないが。


「目的・館と王の位置の把握。──探査開始」

 ルークは私の館で、キングは私自身を示す。本来は初期配置を崩していないことが条件だが、私の位置を初期配置の王として盤を構成すればいい。

チェスボードを地図に見立て、城が見つかるだけの情報を集めていく、それだけの代物だ。

 さて、…魔力生成が追いつく間に見つかってくれるといいんだが。


「面白いですね、チェス盤ですか」

「ああ、チェス盤だな。キャッスリングを組み込もうとすると、これが一番楽だったんだ」

「キャッスリングって、キングと城の位置交換ですよね。こんな風に使うなんて、思いつきませんでしたよ」

 まあ、そうだろうな。そもそも興図をチェス盤で起こす時点でおかしいと、彼奴にも言われたし。彼奴は確か、円形の領域を切って、回転移動させるんだったかな。あれだと情報を集めた範囲ぎりぎりまで移動出来るから、便利と言えば便利だな。


「まあ、興図というより、館へ帰る手段だからな。彼奴と違って領土もないし」

 そう、彼奴はけっこうな広さの森……たしか山裾一帯とかいうとんでもない広さの土地を持っているはずだ。そこの異常を把握するために興図を使い、急行の必要が在れば移動も躊躇わないと言っていた。なかなか真面目な奴だ。

 そう言えば、今の妖皇と合わないようで、筆頭を下ろされてから、魔王のくせに宮廷に寄りつかないと聞くが…やはりこちらから、様子見にいくべきだろうな。

 まあ彼奴は、筆頭を下ろされてからは仕事なんぞないに等しいとか言っていたし、いつでもよさそうだが。

   

   ※ ※ ※

   

 次々と情報が送られてくる中で、私はそれを精査し、必要な情報だけを反映するように術を組み替え続けた。

 館と小屋の位置関係と距離、そして敵対する可能性のある魔物。…特に、野生化した朝顔は要注意。

 そんなことを組み込んだ興図に出た結果は、…徒歩で三日とか、その程度の距離に館があるらしいということだった。

 まあな、森の中だし。移動手段は徒歩しかないし。術で空を飛ぶのは……無謀だし、そうなるよな。

 そう、妖魔は空を飛べないのだ。まあ、風を起こす術をつかってハンググライダー程度なら可能なのだが、そもそもそれはお遊びであって、本気の移動に使えるものではないし、あくまで高所から飛び立つものなので、平地ではさらに使えない。

 さて、どうしようか。距離的には恐らく、このまま発動させても何とかなりそうだが。


「明日発動させるって言うけど、興図って、このままに出来るの?」

「普通は出来ない。だがこれはチェス盤でもあるから、中断が出来る。…ま、それもあってチェスに仕立てたんだけどな」

 ああ、将棋や囲碁という方法もあるのだが、生憎とまともな試合が出来るのはチェスだけなので、チェス盤にしただけだ。

 おや、幻滅したかな?


「そういう感覚でいいんだ……」

「ああ、そんなものだ。…ま、複雑な術は作れないけどな」

 あははと笑ったアルジェントは、年相応の子供に見えた。そうそう、真赭だが、せっかく魔力を集めたのだから、アルジェント用の魔力珠を作りたいといって籠もっている。引きこもると小さめで明るい部屋があるそうだ。アルジェントもそれくらいのことが出来るようになるといいな。


「まあ、何かあったときのためには真赭が動けると助かるし、戻ってくるまでは待つとしようか」

 とりあえずは、チェス盤をロックする。さて、これでロック解除しないかぎり、私でも触れなくなった。…ここから、どうしようか。


「…そうだな。この国のことを話して置こうか」

「この国?」

「そう、エレーミア妖皇国。今の妖皇は三代目で、…まあ、あまり近づきたい人物ではないな、私的には。お前は特に、存在も知られないほうがいい」

「え?」

 アルジェントが驚いたような顔をする。…ま、驚いて当然のことを言っている自覚はあるが。


「三代目は、メモリアの保護にとても熱心でね。見つけると速攻で囲い込む。一応、妖皇宮に部屋を与えてはいるんだが──」

 私は言葉を切った。そこまでは事実であることは、私が知っている。


「表に出てこない。噂では、別宮へ軟禁状態だそうだ」

「…軟禁……なんのために……?」

「わかるだろう。私たちは、最初に何を教えた?」

 その言葉に、アルジェントは身を竦めた。そう、文字よりも何より真っ先に教えたこと、それは痛覚の切り方。つまりは、そういうことだ。


「まあ、なかで何をされているかは知らないがな。案外と快適かもしれないし、そこはわからない。そう言うこともあって、お前がメモリアと知られるのはよろしくないから、縛ったのさ」

 こくこくとアルジェントが頷いた。


「それから、魔王の数と序列だが──これは不定でね。妖皇の気分一つで序列が入れ替わる程度のものさ。任命自体はこういう徽章があってな。これに灯りをともせたら、魔王の仲間入りだ」

 私は胸につけていた徽章を外して見せた。そこへ魔力をそそぎ込むと、明るく光る。

 この徽章は、とても複雑な図が書かれている。かつて物好きにも調べた魔王がいた。結果、旧世界に於いての魔王とその護符が同じもので、恐らくは初代がメモリアなのだろうという結論で終わっていた。そしてその伝承によると、最大で七十二柱の魔王がいるそうだ。…あの妖皇宮にそんなに妖魔が板覚えはないな。

 ……そう言えば、あれは誰だったかな。私じゃないのは確かだが……。

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