第3話 アルジェント。お前、妖瞳《ヘテクロミア》だったか?

 ごそごそと何かが音がした方を見る。どうやらアルジェントが目覚めたようだ。

 うん、なぜアルジェントだと分かったかは簡単で、また布団の中に戻ったからだ。どう考えても、あの真赭がそんなことをやるとは思えない。

 さて、この場合は……うん、あれにしようか。


「ほら、冷めるぞ」

 器に茸をよそい、囲炉裏の縁に置く。ああ、間違っても布団からは絶対に届かない位置だ。アルジェントの場合は術が使えないので安心だが、一応は術を弾くよう、結界も張ってみた。

 じっと、布団の中からこちらを見ている。

 ……ン? 茸ではなく、私を見ているのか?


「あの、姐さまから伝言です。昆布は残して置いてくださいねって」

「……そうか、承知した。取り分けて置くから、安心して食べに来い」

 なんとなく、彼女が椀に手を出さなかった理由が分かった気がしたので、そう誘ってみる。まったく、真赭も先に言い置いていけばいいものを、かわいそうに。


「……いただきます」

 アルジェントが食べ始めたところで、私は椀を置く。いや、まあ味見と称して既に食べているし、真赭の分を取り分けておいたほうがいいだろうと思ってな。…冷めるのを避けるか、煮詰まるのを避けるか、それが問題だが。


「…美味し」

 びっくりしたような顔で、アルジェントが私を見た。…悪い気はしないな。


「魔王なんて称号を持ってるが、泉守なんてやってると暇がありすぎてね」

 唯一の楽しみ…とまではいかないが、まあかなりの分を占める趣味だな。そう言えば彼奴もいろいろ作っていたはずだが、今頃は何をしているやら。

 …いや、彼奴が泉の異変を見逃すはずはない。なら、…案外悔しがってるかな、アルジェントを手に入れ損ねて。魂が排出された時点で異変は収まるはずだから、たぶんもう、気づいてはいるだろう。

 うん、面白いかもしれない。連れて行ってみようか、彼奴の館へ。彼奴なら、メモリアを利用したいなんてこと、考えないしな。

 そんなことを考えている間にアルジェントは食べ終わっていて、ちらちらと鍋を見ていた。言い出すまで待ちたいところだが、今日くらいは甘やかしてもいいかな。

 椀を奪い取り、茸をまた盛りつけて、押しつける。顔を輝かせて食べる辺りが面白くていいな。


「甘やかすのは今日だけだぞ?」

「……はい」

 二杯目もぺろりと平らげて、アルジェントは椀を置いた。そうして置いて、気持ち居住まいを正す。気持ち、なのはきっちり正座で食べていたせいだ。


「ごちそうさまでした。それと、助けていただいて、ありがとうございます」

 深々と頭を下げられて、私が混乱する。なんだ、いきなり? というか、今更?


「姐さまに教えられました。放置されて当然のわたしたちを、自分が消滅する危険を冒してまで助けに来て下さったのだと。だから、ありがとうございます」

 ああ、まあ確かにそう言うことにはなるな。

 だが…それが私の役目で、あの館を譲り受ける条件だったということは妖皇国にそこそこ知られているはずなんだが……?


「役目……ですか?」

 首を傾げる様子からすると、教えられていないのか。いや、もしかしたら真赭も知らないのか?


「ああ、それが泉守の役目だ。気にするなとは言わないが、改めて礼を言われるほどのことでもないぞ? 後、アルジェント。お前、元の口調に戻せないか? 真赭と被ってわかりにくいんだが」

 まあ、そのしゃべり方でなんとなく区別はつくんだが、同じ身体=同じ声なわけで、双子とかそういう次元とはもう別なのだ。


「あ、ひどい。失礼がないようにって頑張ったのに」

「あ、それそれ。それでいい。真赭はあのままでいいからな」

 ひどくはないだろう、かなり無理をしている様子もあったから互いにその方が楽なはずだし。


「では、改めまして──メモリア・アルジェントです。まずは鎖から抜け出すまで、よろしくお願いします」

「魔王・トゥエリアス。出来るだけ早く、鎖から抜け出してくれることを希望するよ」

 しつこいようだが…、変態扱いでからかわれるのは御免だからな、切実に。


「善処します。後、…もう一つ姐様から申しつかったことがあるんだけど」

「真赭から? 聞こうか」

「わたしの知る術は、誰にも教えるなって」

 ああ、なるほど。先回りされたか。

 私の苦笑の意味を取り違えたか、アルジェントの顔が強ばる。


「それでいい。本来は私が言うべきことだが、真赭が気を回したようだな」

 見る間に強ばりが解ける辺り、このメモリアに腹芸は難しそうだな。まあ、させるようなことはないし、本人の自覚があればいいか。


「お前からは、何か聞きたいことはあるか? わかるかぎり、答えるぞ。真赭も可能なら、一緒に聞いておけ」

 はい、と声が聞こえたような気がした。

 

「ここは、どこ?」

「まあ、休憩用の山小屋──いや、まて、ちゃんと答えるから落ち着けっ」

 とりあえず私の持ち物ではないから壊してくれるな、汚してくれるなと言いたかっただけなのに、今この二人、本気で殺気を放ったぞ、おい。


「そういうことは、順序を考えて発言して下さいね」

「今のでどんな性格か分かった気がする」

 だからって話を聞く必要がないかもとか、呟かないでくれ。地味に傷つく。

 …って、どうやった、今の?

 ふたりがそれぞれに発言したよな?

 それを問いかけようとして、私はあることに気づいた。


「……アルジェント。お前、妖瞳ヘテクロミアだったか?」

 わかっていながら問いかける。片方は青灰色だが、もう片方が朱い瞳を見て。


「んなわけないです」

 だろうな。…だが、自分の瞳の色なんか、知ってるんだろうかこいつは?


「半分だけ、制御を借りたんですよ。今はアルジェントが主人格で、わたしが副人格ですね」

「それは……また難しいことを…」

 それはもう、呆れるしかない大技だ。長く生きた妖魔には、複数の人格を切り替えて難局を越える者も時折、現れる。主にそれは自分を守るための、自己防衛本能の成せるわざだ。

 だが、彼女たちはそれではない。完全な別物の魂が一つの身体に同居して、しかも制御権を融通しあう。そもそもがあり得ない環境ではあるのだが、そこからそれを可能にする術を組み上げるなど、とんでもない能力だ。

 …まあ、”今は”とか前置詞が付いたのは気にしないでおこう。あと、出来る限り早く真赭に身体を用意したほうがよさそうだな、主にアルジェントのために。

 

「ここが何処か、だが──お前たちがいた”畏域”に対しては”現界”だな。現界の中でも、アメイジア大陸の北東にあるエレーミア妖皇国のどこか、だ」

「どこかって?」

「わからん、”畏域”から抜け出すときに想定外の方法だったからな。興図が使えれば楽なんだが」

 この山小屋が分かったのは、単に幾度か利用したことがあるからだ。アルジェントがおぼれかけたあの湖で魚を釣ったりしたこともあるが、ここへ単独で来たことはない。大抵は、彼奴がいたから、興図で移動していたし。


「”興図”──地図術と空間移動術を併せた術。周囲を探査する魔力を放ち、集めた情報を地図に反映する。その後、地図上の空間と居場所をリンクさせることで、地図上での移動を現界での移動に置き換えることが出来る」

「ああ、それだ。いちおう使えるんだが、魔力消費が激しいからな。完全回復の状態でも一気に消耗するし」

「……あれ?」

「どうした?」

「あ、えと…なんか、興図がいっぱい出てきて…」

「まあ、そうだろうな。私は継承したが、大本は初代妖皇作らしいし。それを見て自分で構築した使い手もいるだろうし。たしか彼奴もある程度は自分用に編纂したんじゃなかったかな」

「……そんな術まで識ってるんですか、メモリアは」

 真赭の言葉には、驚き以上に警戒の響きが宿っていた。正解だ、個人の作る術まで知っているとなると、危険度が跳ね上がる。のんびりするわけに行かなくなったな。


「真赭。とりあえず朝までに、痛覚を切り離す術を覚えさせろ。精神は私の契約があるから何とでもする」

「はい、承ります」

「待って待って承らないで!? 怖いから、怖いから説明して!?」

「大丈夫ですよ、痛くはしませんから(わたしの身体でもありますし?」

 うんまあ、拷問にはならないように気をつけてくれ。女性の身体に傷って、私が疑われるからな。

 痛くなければ意味がないだろうって?

 いや、痛覚そのものを切るから、弱い刺激で十分だろう。…どんな人間も耐えられない拷問の一つに「くすぐり続ける」があるそうだ。痛みと違って気が狂うらしいので、自白よりも苦しめて殺すことが目的だな。

 まあ私たちも同じだが、痛覚を切り離せるから、その手の拷問には強いというか、効き目はない。便利な身体だ。

「あと、アルジェント。自分がメモリアだということ、一切漏らすな」」

 その一言にアルジェントの身体が強張る。少々強引だが、主からの制約だ。言い訳にもなるし、このほうが安全だろう。

「では、早速」

「いや、待て。せっかく出てきたんだ、温かいうちに食べていけ」

 だからどうして二人して私を冷たい目で見るんだ。温めなおしは嫌いなんだが。


   ※ ※ ※


 食べ終わった後、鍋の片づけを済ませた上で、囲炉裏には鉄瓶をかけた。茶葉は流石においていないが、まあ寒い夜だし、水よりは白湯のほうがいいだろう。


「さて、どうやって教えましょうか」

 いつの間にか制御を変わった真赭が呟いた。というか、私に相談しているつもりのようだが。


「…ここでやるのか?」

 実は丸投げするつもりでいたので、何も考えていないし、思いつかないとは言えない。


「はい。身体の操作ですから、深層領域では意味がありませんし。…それに、術自体は使えるんですよ。魔素を吸い上げることが出来ないだけで」

 …ああ、そういえば”畏域”でやってたな。どうやったんだ、あれ?


「私が魔素を中継しました」

 ああ、そうか。…まあ、そうだろうな。それしかないよな。


「…緊急時の対策だ。無茶を承知でいうが、身体の魔力を流用出来ないか? ……いや、出来るよな?」

 実を言えば、妖魔の身体は魔力の塊である。その魔力は、魔素を錬成して変質させたもの。なので、実は魔素の代わりに出来る。ただ、身体を構成する魔力を消費して、どの程度まで無事でいられるかはその魂次第であり、千差万別だ。

 …だが、こいつら、不足した魔素を私の魔力で補っている。他人の魔力を奪える以上、在る程度までは制御可能なはずだ。


「可能です。それは。…ただ、その……」

「?」

「あの、主副の人格を作る術に、使ってしまって……もう、余裕が…」

「……それか」

 納得だが、やはり早急に、真赭の身体を作るべきだろうか。しかし、女性の身体となると流石に経験がないしな……いっそ猫か、黒豹もいいかもしれない。そのうちに自分で人間型に……。


「トゥエリアスさま?」

「すまん、ただの現実逃避だ」

 冷たい瞳が私を刺した。……内心まで読んだか。真赭…恐ろしい奴……!


「アルジェント。とりあえずわたしが痛覚を切った状態にしますから…制御をこちらに」

「はい」

 …まあ、あっさりと相手を放棄されるのも、少々物悲しいものがあるが、まあいい。

 素直な返事を残したアルジェントの目の色が変わる。鮮やかな朱、真赭の色だ。

 そう言えば妖瞳も隠蔽する術は覚えさせた方がいいのだろうか。いや、それは真赭がいるとき限定だから、彼女に任せてもいいな。どの結果を見ても真赭に身体を作らないという選択肢はないんだが、……まあ今は余計なことは考えまい。


「トゥエリアスさま、何か適当に痛みを下さいます?」

「上目遣いで言うな、上目遣いで」

 何やらおねだりする少女のような顔をして、望むのが痛み。……退廃的だな、おい。やらせたのは私だが、へんな気分になるぞ、これ。


「…これでどうだ?」

 でこピンを一発、くれてやる。多少は赤くなるが、どうかな?


「大丈夫ですね、衝撃はありますが痛みは感じません。では、アルジェントに変わりますので…また、お願いします」

 また目の色が変わる。わかりやすくて非常によろしい。…だがまあ二人のプライベートがなくなるから、やはり早急に何とかしよう。

 でこに指を近づけただけで、アルジェントがぎゅっと目を瞑る。……子供じゃないとか言っていたが、本当か?

 実は人間で、七つ八つの子供の魂だとか、そんなことは言わないよな?

 と思いつつ、でこピンは止めない。止められない。やらねばならぬ、何事も。


「間違ってる、それ」

「ああ、知ってる。痛みはないか?」

 気を反らせるつもりはないが、結果的にはそうなったかな?


「…ん、ない」

 アルジェントの答えを待っていたかのように、真赭がまた入れ替わる。…ああ、主導権を奪ってたな、さっき。


「人聞きの悪い。後でちゃんと返しますよ。はい、どうぞ」

 どうぞって。…やるけどな、でこぴん。


「うー…痛いです」

 涙目である。まあ、力を入れてはいないが、弱めてもいないから、痛いだろうとは思う。


「アルジェントにも遠慮は不要ですからね?」

「わかってるよ」

 苦笑しながら答えたものの、流石に同じ場所に何度もは可哀想なので、少し場所をずらしてみた。涙目になったのは、痛みよりも衝撃のせいだと思いたい。


「今のは、痛覚の伝達をブロックしました。人間が使う痛み止めが、この方式のはずです。もう一つが、いわゆる麻酔ですね。まあ、どちらを使うかは好みですが」


 ……実演と実践は省くが、最終的にアルジェントが選んだのは、伝達をブロックする方式だった。麻酔方式だと、痛覚を元に戻すまでに手間がかかるので、切ったままにするかもしれないという理由だ。

 切ったままにして何が悪いかというと、単純に魔力を消費し続けるので燃費が悪くなることと、…術が解けたときに、ごく弱い痛みにも負けてしまう可能性が出てくるという二点である。

 ごく弱い痛み。…すなわち、痒みである。

 まあ、蚊に刺されることもなく、生体活動ではないから身体が痒くなることもない妖魔にとって、実はけっこう珍しい刺激なのだが。


 ……そして、妖魔にとって一番の敵は、実は睡眠である。

 食事は出来るが、食欲はない。性欲も同じく、興味以上のものになることは珍しい。しかし、睡眠だけは避けられない。特に、術を使った後は尚更である。


 まあ、何がいいたいかというと。

 うん、すまない。私はいつの間にか眠ってしまったようなのだ。

   

   ※ ※ ※

   

 遙かな昔、この世界の魔法は架空の存在とされていた。お伽噺の存在で、作り話でしかないもの。そんな扱いであったという。

 それよりも時を遡れば、国を治める巫女、神の直系を名乗る王族、森に生きる賢者、自然に溶け込む魔女など、数限りない魔法の祖がいたにも関わらず。

 一因としては、化石燃料が十分にあったことがあげられるだろう。それらから得られるエネルギーが十分であったために魔法は必要とされず、研究する者でさえあくまで伝承として、魔法などないとするための研究でしかなかったこともある。

 だが化石燃料を掘り尽くしかけたころ、世界大戦が勃発──過去の大戦が小競り合いと思えるような、世界を幾度でも滅ぼせるだけの兵器が使われて、互いに自滅した。

 そしてその後、一つの大陸となった世界で人々は復興の道を歩み始め、魔法を発展させた。

 魔物の驚異にさらされつつも、世界中へと生息地を増やしつつあるのが、現在の世界である。


 だが、いくつもの謎が残されている。

 人々は、何処で生きていたのか。

 魔法はどのように生み出されたのか。

 妖魔はどうして、生まれたのか。

 それらは皆、新旧世界の失われた鎖環ミッシング・リンクとされている。


「え、待って。旧世界には妖魔はいなかった…そういう認識ことでいいの?」

「まあ、そういうことだな」

 アルジェントの疑問には、私が答えた。ついでに補足しておこうか。


「妖魔に寿命はないとされているが、最年長のものでも数百年しか生きていないそうだし、旧世界が滅びたのは──何百万年も、昔の話だと言われている。それこそ、大陸が形を変えるくらいのな」

「人間に似て非なる存在ものとして敬遠されたり、畏れられたり──たまに崇められたり。妖魔という存在は、人間にとって怖いもの、らしいですよ」

 茶器などを用意しながら、妙齢とまではいかないが、なかなかの美女──真赭が笑った。

 うん、もったいないな。これほどの美女なら、アルジェントと共に側に置きたいものだ。そういえば、彼女も──ああ、真赭と同じくらいの年に見えるのか。たしかに、子供ではないといいたくなるかもしれないな。だが一人歩きなどさせたら、まず確実に厄介なことになりそうな…そう、人で言う二十前くらいの見た目だろうか。

 だが、不思議なものだな。揃いの白いドレスも、なかなかの出来だが──この二人はいつの間にそれぞれが身体を得たのだ?


「……いや、そうじゃない。そうじゃなくて」

 違う、ここは何かがおかしい。なんだ、この真っ白な部屋は?

 そもそも、私は何故ここにいる?

 あの小屋で彼女たちを見ているうちに眠くなったことは覚えているが……ここは、何処だ?


「あ、気がついた」

「そのようですね。ようこそ、トゥエリアス。まさか、こんなに早くいらっしゃるとは思いませんでしたが」

「あれ、そうなの?」

 にっこりと笑った真赭が、アルジェントの唇に指を当てる。…ふつうは自分の唇なんだがまあ、内緒話の合図だろう。

 いや、それはいいんだが。


「……ここは、何処だ?」

 見たことのない場所だ。真っ白な空間と、真っ白な家具。出された茶器も真っ白で、中身は透明。彼女たちの服も、私の服もすべて白。色彩は──そう、それぞれの髪と、瞳の色だけだ。


「無意識の領域ですよ」

 真赭がそんなことを言うが、…初めて聞く言葉のような気がする。


「妖魔はすべて、”畏域”から生まれる。妖魔の魂はすべて、”畏域”に繋がる。ここは”畏域”の更に奥、白の領域と呼ばれるところですね」

「──白の領域?」

 彼奴に聞いたことがある。彼奴の術だとどうしてもその空間へ出ることになって、そこで魂たちに最低限の教育を施してから連れ出すのだと、言っていなかったか。

 だが…私はどうやって、ここへ来た?


「空間を固定するのに、トゥエリアスあなたの魔力を使っています。たぶん、それに惹かれたのだと思いますよ?」

「空間って…お前……」

 魔王の中にも、それが出来る者は少ない。というより、そんな力があったら即座に召し上げられて、国に隷属させられるはずだ。今の妖皇は、それを躊躇わない。

 周囲を見渡して、実はそこがさほど広くないことに私は気づいた。隣室へ続くらしきドアがあるが、部屋自体は…あの小屋より狭いくらいか。

 窓を見つけて、外を覗いてみる。だが、何も見えない。窓は透明で、確かに向こうには空間があるのに、何も。

 では、隣のドアは?


「あ、それ開けない方が」

 アルジェントの言葉が聞こえるより先に、私はドアを開いていた。そこは──やはり、真っ白なのだ、が。

 私は扉を閉めて、真赭を見る。


「……なんで、拷問部屋があるんだ……?」

 名称を出すのも憚られるような、古今東西の拷問具が所狭しと置かれていた。それらが真っ白であまりにも現実味がないのに、空恐ろしいのは何故だろう。


「私の記憶ですよ。あの人と旅をしていたころ、幾人も助けました。…あれらに捕らえられていたのは、幼い妖魔たちです。貴方もご存じでしょう? 忘れられないので、こんなところに放り込んで置いたんですが……役に立ちました」

「──いつの話だ? 覚えている気はするが……」

 確かに、聞いたことがある。だが、誰に聞いたのだろう。彼奴はずっと館に籠もっていたし、彼から聞いたならその元を話した何者かがいるはずだ。そしてそれは、奴よりもよほど宮廷に顔を出していた私の方が詳しいはず。

 なのに、思い出せない。まるで、……まるで?


「狐に摘ままれたよう、ですか?」

「違う、そうじゃない…ってか意味違うだろう、それ」

 くすくすと笑う彼女に、現実感がない。そこにいて、確かに言葉を交わしているのに。

 それはアルジェントも同じなのか、どこか戸惑っているように見えた。…いやまあ、あれを見せられたのなら、不思議はない反応か。


「見せたというか、解説したんですよ。どんな風に使われていたのかを、ね」

「…効果覿面だろうな、それは……」

 とても楽しげに、真赭が語る。私にも語る気かと警戒したが、それは杞憂に終わった。


「真剣に頑張っていましたから。…現実味はないですが、ご褒美ですね」

「ご褒美……?」

 ちらりとアルジェントを見れば、顔をひきつらせていた。

 うん、大丈夫だ。彼女の性質は、真赭よりも私に近い。ごく、常識人の反応だ。


「怖かったの……」

 ああ、そうだろうな。……怖かっただろうな。絵で見せられるより、現物で見せられるより──想像させられる恐怖は、いかんともしがたいものな。

 頭を撫でてやると、びっくりしたように私を見て、それから真赭を見た。


「それは、目覚めてからやってあげて下さい。忘れてしまいますよ、ここでのことは」

 微笑みながら、彼女はそう告げた。


「忘れる?」

「はい。ここは”無意識の領域”ですから。ここであったことは、すべて忘れます。…この部屋へ来ると、また思い出すのですけれどね」

 …そんなことは、聞いたことがない。今度、彼奴に確認してみるか。


「…ここへは、いつでも来られるのか?」

「わたしはいつでも。トゥエリアスはどうでしょうね、わたしの魔力に置き換えていますから。アルジェントは…無理だと思いますよ。わたしが放り込んだだけですから、道がわからないでしょうし」

「教えないのか」

「いつか自力でたどり着きます。そうでなければ、…わたしに掛けられた術を再現することなど、出来ませんから」

 それがどんな術なのか、私は知らない。…知る気もないな。それは彼女たちの約束であって、余人が干渉していいことではないのだから。


「ところでトゥエリアス。疲れているのではなかったです?」

「ん?」

「居眠りしてたよね、トゥエリアスさま」

 居眠り? …ああ、したかもしれないな。というか本当に、いったいどうやって私はこんなところへ来たのだろう?


「寝室へどうぞ。作り込んでありますから、気持ちいいですよ」

「いや、流石にそれは」

 いくら部下となった女でも、寝室を奪うような真似は出来ない。…というか、寝室? この領域に?


「でも、帰り道はわからないんでしょう?」

 む。……確かに、それはわからないがどういう意味だ?


「眠っている間に魔力に惹かれただけですから、こちらで眠ってしまえば戻れるんですよ。あの人は、よくそうやって訪れて、帰って行きます」

 …そういう仕組みか。それならまあ…いや、その辺りの寝椅子でも、床にごろ寝でもいいんだが。


「では、アルジェントを送り返しますから、少しお待ちを」

 アルジェントは促されるまま、寝椅子へと座り、そのまま横になった。

 真赭が何故か歌い始めて、まるで子守歌のように優しい旋律が部屋に満ちる。

 ああ、そうか。これは術歌だ。

 私までも眠りに誘うそれは、人間で言う呪文のようなもの。聞かずに入れば耐えられるが、聞いてしまえば魅入られる──そんな、歌。

 歌い終わるより先に、アルジェントはその姿を消した。真赭は私を振り返り、口の端だけで笑う。

「では、──いずれ」

 その言葉を最後に、私は意識を手放した。

   

   ※ ※ ※

   

「……本当に朝までに覚えたな」

 小屋の中で目覚めたとき、真赭が満足げにそれを報告してきた。ほぼ完璧に痛覚の切り替えは出来るようになった、と。寝る間を惜しんでやらせたとは言え、魔素すら吸い上げられなかったことを考えれば、とてつもない早さの成長だ。

 確かめた方法? そんなもの、でこピンで事足りる。

 とは、言うものの。


「二人とも、相当疲れてるな」

 アルジェントは言うまでもなく疲れ切っているし、その身体を使う真赭も相当な疲労らしく、ときおり頭がぐらついている。流石にこの状態の彼女たちを連れ回すのは、無理があるだろう。

 別に予定もないことだし、急ぐ必要もない。


「しばらく眠るといい。正直、私も寝たりないんだ」

 記憶がないところから、一人で勝手に眠っていたと推測される。しかし、何故だか全く寝たりないのだ。魔力生成が出来ないままであることからも、休息が足りていないことがわかる。実を言うと、私自身も魔素を吸い上げることは出来ないので、生成が出来ないと術は使えないままなのだ。


「はい。……いつごろ、発たれますか?」

 あっさりと、真赭から答えが返った。うん、やはり教師役は疲れたか。


「お前たちが目覚めたら、だな。私が眠っていたら起こせ」

「……承知しました」

 何をやらかすか、なんとなく分からないでもないが……すまない、それの対処方法を思いつかない程度に、私は眠い。

 部屋は十分に暖まっているし、…疲労を取るには眠るのが一番なのだ。


「…おやすみ、二人とも」

「おやすみなさい」

「おやすみなさいませ」


 そうして私たちは、眠りについた。

 朝になっても小屋に日が射し込まない、その不思議に気づかずに。

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