5・排他的経済水域にて
――日本国と大韓民国が共に領有権を主張している、あの島の近海にて。
――月の大消失から8ヵ月目。
「えー、陸の警察の報告では、
「電子機器には人工衛星との交信を利用した物も多いはずだろう。一通り動作を点検するように伝えてくれ」
「あ、それなんですが、すでにソウルや
「まったく、一体何が起こっているのやらなぁ……今日の天候は?」
「終日快晴との事です」
「なるほどな、いい事はそれだけか」
午前05時22分。
近海で操業していた漁船から「登録証に無い船舶が島周辺に居る」との通報を受けた韓国海洋警察庁はただちに警備艇一隻を出動させた。
前日午後九時頃から起きた「人工衛星墜落事件」が引き起こした混乱は未だ収束していなかったが、政治的に極めてデリケートなこの海域には依然厳しい警戒態勢が敷かれていたのである。
「しかし、漁船からの通報では無人の漂流船に思えるとの事でしたが、なんだか腑に落ちませんね」
「海洋警察も海軍も常時注視している海域のはずだが、一体何者だ?」
「まさか日本人でしょうか? やつら、騒動の混乱に乗じて我が国の島への不法上陸を目指しているんじゃあ……」
SSAT(海洋警察特攻隊)現場指揮官の
「何処の国の船だろうとどんな事情だろうとまずは我々で拿捕。例え遭難船であっても救助はそれからだ。この海は我が国が主権を持つ領海なのだからな」
午前05時31分。
警備艇が通報の在った海域に到着すると件の船はすぐに発見できた。そこは本当にあの島のすぐ側であった。
船は小型の漁船であり、かなり古い物のようだった。国籍や船名を示す物は見当たらなかった。エンジンも入れずにマッチ箱のように海の上を漂っていた。
「日の出時刻と同時に梯子をかけてターゲットに乗船。私と
緊張した面持ちでSSAT隊員達は拳銃を構えて船内に突入したが、事態はあっけない程簡単に収束した。船内は操舵室や船底の手狭な寝室はもちろん、便所の中にいたるまで無人だったのである。
「漂流船でしょうか? にしても誰も乗っていないのは不自然ですが」
「さあな。しかしまあ、乗っていたのは日本人らしい」
朴警査が顎で示した先に飾られていたのは、日本式の神棚だった。そうしてその周りには中年の女や幼児の写真が飾るように貼られていた。
午前06時02分。
朴警査達が操舵室に残されていた日誌や船舶免許を調べた結果、この小型漁船はやはり日本の物だった。しかし奇妙な事に
考えられる可能性としては日本側にも申請せずに東海周辺で密漁をしていた者か、あるいは近海から漂流してここまで来たのか。しかしどちらにせよ謎が残るのであった。
午前07時35分。
「あの船が密漁船なのか気の毒な漂流船なのかは日本側の問題だ、政治部の連中はあれをネタに日本側に逆捩じを食わせる気だろうが、俺にはどうでもいい。俺が気にかけているのは、何にせよアクシデントで日本国籍の舟が東海側に入り込んできたという事と、船長のムラカミコウヤを始めとした乗員五名は何処に行ったんだ? という事だ」
「エンジンなどは一通り調べ終わりましたが故障などした形跡はありませんでしたね。いきなり船を放棄して全員が降りて行ったとしか思えない状況です」
「海のド真ん中でか? 漁師が財産である船を乗り捨てるとは考えられんし、荒れていたわけでもないのに五人全員が不運にも海に転落したなんてのもばかげてる」
「……もしかして、飛び込んだのでは?」
「はあ? 漁師が急に集団自殺をしたとでもいうのか?」
「ソウルや仁川でも、多数の事故に紛れていますが衛星墜落騒ぎの頃から飛び降り自殺としか思えない転落死が相次いでいるそうで。陸の警察は今大騒ぎだそうですよ。この船の連中もたぶん、見上げていたはずでしょうし……」
「なんで空を見ていただけの連中が自殺するんだよ。バカも休み休み言え」
午前07時44分。
「警査! ちょっと、き、来てください!」
真っ青な顔色をした巡警が食堂に飛び込んでくる。
「なんだ? 一体どうした」
「う、海が……その……いえ、とにかく見てください!」
要領を得ない部下の言葉に、朴警査は訝しみながら甲板へと向かう。
――そして目を見張った。
海面から波が消えていたのだ。まるで巨大な溜め池か鏡のようだった。
そして海上には無数の魚が浮き上がって来ていたのである。そのほとんどが力尽きて死んでいた。甲板から臨む限り四方八方、あの島の周りまで延々見渡す限りが魚の死骸に取り囲まれてしまっていた。
「……おい、なんだこれは?! 海洋汚染か?!」
「か、甲板員の話では数分前から波が急に途絶え、それから大量に魚が浮上してきたそうです。皆死んでいます」
「とにかく調べろ! 海洋水産部に連絡……そうだ、魚の死骸を回収しておけ! おいおい、本当にどうなっちまったんだ……?」
午前07時48分。
警備艇からボートを下ろさせ、変死した魚の死骸を回収させていく。驚いた事に後から後から魚が浮かび上がってくる。
その光景に海洋警察の隊員達が絶句していた頃、韓国が自国の領土であると主張する島に由来する排他的経済水域のラインギリギリの場所に、日本海上保安庁の巡視艇が姿を見せ始めていた。
韓国側はそれどころではなかったがどうやら日本側の海域も同様の様子で、拿捕された日本籍の漁船の事など一切無視しているようだった。海の上にある事になっている境界線には一切かかわりなく、韓国側だけでなく日本側領海でも魚の死骸が続々と浮かび上がってきているのが確認できた。彼らもその確認に追い回されているらしかった。
時には水面を裂くようにして大きな物までが浮かび上がってきた。それはなんと横向きになって浮かび上がったクジラの死骸であった。
あまりに異様な事態に呆れ果てた様子の朴警査はなかなか繋がらない本部との交信を待ちながら、ぼんやりと突っ立って作業の様子を見守っていた。海からは微かな腐臭さえも漂い始めている。
「政治部の連中、こんな海でもまだ日本人と取り合う気なのかね?」
ぼそりと呟いたちょうどその時、朴警査のインカムに通信士からの連絡が入る。
『気象庁から緊急の入電です! 東シナ海に台風が二つと、それに太平洋側にも台風が発生したとの……』
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