そして彼女はバーで――


 その幼女はバーのマスターである。


 彼女の正体は分からない。その姿は幼女だがその口から零れ落ちる言葉は大人。ただの若作りと呼ぶ人も、魔法で歳を取れなくなったと信じるものもいる。だが真相を誰も尋ねることはない。


 仮に問われても幼女マスターは曖昧な笑みを浮かべるだけだろう。


 ただし今宵は普段と違った物語が描かれる。癒されるのは紳士淑女ではなく――



「マスター、もう一杯さっきのを」



 すっとバーカウンターの向こう側から差し出されたのはロングアイランド・アイスティー。飲み口がさっぱりしているがウォッカベースの送り狼御用達レディキラーなカクテルである。


 それを幼女はごくごくと、まるでビールと同じペースで飲み干して、あっという間にグラスは空になった。



「飲み過ぎるなよ?」


「分かっている。自分の限界もちゃんと貴方に教えて貰った」



 身長はカウンターからひょっこり頭が飛びだすくらい。体重はリンゴ100個と少し。髪色は艶やかな黒、夜の森よりも深い黒。ただしそんな彼女がツインテールを揺らすのはいつものバーではなかった。


 何より一番の差はカウンターの外側で丸椅子に座っていることである。今日の彼女はマスターではなく一人の客だ。


 そんな彼女を暖かい目で見つめながら、アルコール度数の低いカクテルを作っているのはバーテンダーという言葉を擬人化したような男だった。歳は20代にも30代にも、ひょっとしたら50代でもおかしくない。


 謎めいた雰囲気と抱擁感は正にバーのマスターと呼ぶに相応しい。



「ねぇマスター、私はちゃんとお客様を癒せているのだろうか?」



 その言葉に込められているのは自虐、もしも自分の容姿がこうでは無ければ、幼女でないのなら――



「さぁね、ただ俺の経験から言わせて貰えば」



 バーカウンターの向こう側で、マスターは冷蔵庫から取り出したプリンにカラメルソースを注ぐ。暖かい間接照明の光がキラキラと甘さを輝かせた。



「才能なんて結果の1割、残りの9割はどれだけ場所を整えられるかだ」


「……あのバーは貴方から譲って貰ったものだ」



 すっと差し出されたプリンを不安な顔でスプーンで唇に運ぶ。その甘みは幼女の心をほんのわずかに軽くしたが笑みを浮かべるまでには至らなかった。



「いいんだよ、俺だって酒がなければカクテルを作ることは無理だ」


「人は一人では何も出来ない?」



 もう一度幼女はプリンを舌にのせる。今度はカラメルソースの苦みが強く踊ったのは恐らく気分の問題だろう。



「一人で何か出来てるように見える奴は、集めて組み合わせるのが上手いんだよ」


「マスターも?」



 彼はニヤリと笑みを浮かべ手を開く、幼女のバーより一回り広いバー。



「そうさ、飲む合間に人の悩みを聞いたりしながら手札を集めて揃えてこの通りよ」



 それは積み重ねた人生そのもの、未だに幼女が届かず欲して止まない星の輝きだ。自分はその欠片を恵んでもらっただけでしかない、そんな思いが胸に広がっていく。



「まぁ実は、この店の半分は借金なんだけどな……」



 しかし幼女が感じた情けない気持ちをマスターは一言で打ち壊す。完全に予想外、自分に店を譲った彼がまさか借金をしているとは夢にも思わなかった。



「だったら何故…… 私に店を譲った?」


「まぁ、色々となぁ」



  説明するには三日三晩語らないとダメだと彼は笑みを浮かべる。自分が抱えた重みを納得して背負った人間が持つ表情。フラフラとただ時間を消費するだけの幼女では絶対に得ることが出来ない輝きに目を細める。



「そうか、ならこれから何度も聞きに来る」


「おっと、これ以上は口にするつもりはないぜ?」


「お前が死ぬ前には聞き出してやる」



 しまったな頭を掻くマスターに、美味しかったとプリンの皿を渡して幼女はドアベルを鳴らし己のバーへと足を向けた。



 この世界のどこかに名も無き幼女マスターのバーがある。疲れた紳士淑女の為に用意された都会のオアシス。もしくは彼女が受け継いだキラ星の欠片。誰も彼も完璧な人生を送っていない。


 けれどだからこそどこか自分を癒してくれる場所を皆は求めるのかもしれない。

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