妖艶なる黒


 そのバーのマスターは幼女である。


 体重はリンゴ100個と少し。そんな彼女がグラスを手にして、ツインテールを揺らしながら向こう側を走りまわる姿はただそれだけで客である紳士淑女を和ませる。


 そしてそんな幼女マスターに癒される為、疲れ切った大人達はやってくるのであった。



「マスター、麦茶を頂戴。それもキンキンに冷えた奴」


「ああ、分かった。今日も熱帯夜だからな、そういうオーダーもあるだろう」



 本日、幼女マスターが纏うのはセーラー服。黒の襟袖で飾られたシンプルな装いは夜の街と、大人びたバーには似合わないが何故かこの場にしっくりと来る。10に満たないカウンター席と、2つのテーブル席だけの狭い店内。


 今宵の客は派手な装いの女が一人。出された麦茶で喉を潤して一息つく。見た目こそ美しいが化粧で疲れを隠しているのが見て取れる。この街で働くホステスの一人。



「今日は休みか?」


「生理が重いってね、気分じゃなかったから」


「私には分からない感覚だ」



 この幼女マスターはここ10年見た目が変わらない。まだ女ではないのか、それともそういう類のものと縁がない生き物なのか。この街で既に古株と呼ばれるまで働いたホステスである彼女でも、その真実は分からないし、分かる意味もない。


 この少女は名も無きバーのマスターである。大切なのはその認識だけだ。


 ツインテールを揺らしながら、すっと幼女マスターはみたらし団子を差し出した。特に高級という訳ではない。だがコンビニで手に入る規格の物よりも小ぶりに見える。



「懐かしいわね、昔田舎の駄菓子屋で食べた事があるわ」


「保存料と着色料の塊だ、だが昔を思い出したいときはこういう物の方がいい」



 ぱくり、とホステスは串に刺さったみたらし団子を口に運ぶ。ただ雑な甘みが口に広がり、たまらず麦茶でそれを喉の奥に流し込む。健康に悪い味く懐かしい思いが腹の中にすとんと落ちた。



「ねぇ、マスター…… 私、疲れちゃった」


「もっと休みが取れればいいんだがな」


「ちゃんとお休み貰っても、暗い部屋で惨めに座ってるだけで終わっちゃうから」



 だから彼女は着飾って、夜の街で羽ばたくのである。金で仕事の辛さを忘れようとする男たちの話を聞く時だけ彼女は命の輝きを得る。だがそれもいつまでも続くものではない。


 いつしかそうやって会話でたまった澱みは、心を蝕み、消えない傷を心に残す。だからこそ彼女はこの場所で幼女マスターに対してそれを吐き出すのだ。



「ふふふ、お客様にはこんな風に弱音。吐けないわ」


「今は君がお客様だ、お代のぶんだけ存分に弱音を吐くといい」



 対価なく、ただ漫然と吐き出すことは時間の浪費。彼女もプロであるから理解している。自分の中で止められない辛さを際限なくぶつけるのはただの依存だ。この場所は一時の夢。


 幼女の姿は、暴力的に言葉をぶつけようとする荒んだ人々に自制を促し、それでも止まらない言葉を、マスターという立場で受け止めてくれる。



「ふふ、マスターは疲れた時ってどうしてるの?」


「日が出ている時に街を歩く。目的もなく、ぶらぶらと」



 ホステスは脳裏に、ツインテールので幼女マスターが昼の街を歩く姿を思い浮かべる。かわいい少女でありながら、バーのマスターとしての風格を備える彼女はどうしても光の中に馴染まずにくすりと笑みを浮かべる。



「笑うなよ、あんまり似合わないのは気にしてるんだ」


「もっと可愛らしく笑えばいいんじゃないの?」


「残念ながら、ここに来る前にいた場所に可愛さは置いて来たんだ」



 ツインテールを揺らして幼女マスターは悲しげな笑みを浮かべる。過去に何か悲しい事があったのかもしれない。だが根掘り葉掘り聞かないのがこの街のマナー。ホステスの女にだって探られたくない過去の一つや二つはあるのだから。



「マスターって時々、私より年上なのかもって思うことがあるわ」

 

「女性に年を聞くのはマナー違反だぞ?」


「ふふ、そうかもね」



 ホステスの女は戻った笑顔を抱きしめて席を立つ。



「もういいのか?」


「ええ、生理痛も収まったみたい。お代は――」


「ママに直接請求するさ、細かい勘定は苦手だろう?」



 そうね、ありがとうと彼女は再び夜の街に羽ばたいた。吐いた弱音は記憶に残さず、セーラー服と、そしてその下にうっすらと見えた下着の黒を刻み込み。


 彼女もまた淑女、で幼女マスターが魅せる細やかな隙を糧とし、生きていく存在なのだ。


 ここは名も無き幼女マスターのバー。疲れた紳士淑女の為に用意された都会のオアシス。あなたも本当に疲れた時は夜の街を歩いてみるといい。もしかするとこの場所に、辿り着けるかもしれない。

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