第37話 家族の事情37


「息子の事情37」


 コンテストが終わるまでもあっという間だったけど、その後最終選考の結果が発表されるまでの期間は、一瞬だった。


 コンテスト終了後から1ヶ月とちょっと経ったある日、突然ヨメカケのウェブサイト上に「ヨメカケ1周年記念コンテスト 結果発表」のバナーが表示された。


 結果を見るのが怖かった。コンテストが締め切られた後、ランキングは固定されたままになっている。ここから編集部による選考があって、後日改めて順位が発表されるのだ。その結果がこのバナーの先にある。


 俺たちは雫と和泉ちゃんの小説が、ランキング上位になれるよう、一丸となって毎日頑張った。コンテストが終わる1週間ほど前、雫と和泉ちゃんから同じ日に同じ内容の相談を受けたんだ。


 どちらも「なんとかして1位になりたい」ということだった。


 俺からすれば、もうコンテストで上位になれているんだから良いじゃないかと思ってしまうんだけど、このふたりにとっては、それでは満足できないらしい。困ったもんだな。それで色々アドバイスをしてみたんだ。とにかく時間がなかったから、かなり付け焼き刃的なものだったし、そんなに効果があるとは思ってなかった。


 でも、そのアドバイスを活かしてふたりが書いた小説を投稿した辺りから、一気にPVが増え出した。コンテストも後数日ということもあって、色々宣伝なんかもされていたし、その影響もあったんだろうけど、それにしても、あの期間の伸びは凄かった。


 順位自体は変化がなかった。でも、ふたりのPVやレビューを見ると、びっくりするくらい増えているんだ。自分の小説じゃないのに、思わず震えてしまうほど。


 だから、少しだけ期待した部分もあったんだよな。これならもしかして行けるんじゃないか。別にコンテストで1位を獲らなくても、編集部の選考次第では書籍化だって、特別賞だってありえる。でも、1位を獲れば間違いなく書籍化が決定だ。


 俺の妹か、その友達。俺達が手伝った彼女たちが1位になれるかもしれない……!


 俺は震える手で、なんとかマウスを動かして、そのバナーをクリックした。


 何も見えない!


 思わず目を瞑ってしまっていることに気がつくのに数秒かかる。


 そして、今度は目を開けるのが怖い。


 開ければ結果が載っている。


 おれは意を決して、一気にまぶたを開いた。


 目の焦点が合わず、ぼんやりとした画面が見えるだけだ。


 少しイライラして、目を細めて画面に顔を近づけた。


 1位は、以前から変わっていなかった。


 雫の小説が2位。和泉ちゃんが3位。


 ヨメカケのコンテストでは、7つあるジャンルごとの順位の1位が、賞金と書籍化の恩恵を受けるのだ。


 2位以下では駄目なのだ。


 一気に力が抜けた。これが腰が抜けるということなのか。20年生きてきて、初めての経験だ。本当に立てないものなんだな。


 そんな変な考えばかりが頭を巡る。


 しばらくすると、やっと体に力が入るようになってきた。まだちょっとふわふわしているけど、なんとか椅子に座りなおすことができた。


 改めてPCの画面を見る。


 でも、まぁ考えてみれば、これだって立派なものじゃないか? だって、ふたりとも初めて書いた小説で、いきなりコンテストの2位と3位なんだぜ。俺なんて、ずっと書いているのに、こんな順位になったことなんて一度たりともないんだから……。


 それに、これで終わったわけじゃないんだ。大きなコンテストは1年に1回だけど、他のコンテストはちょくちょく開催されているし、他にも投稿サイトはたくさんある。公募っていう手だってあるんだし。


 むしろこれからが本番じゃないのか? 一度駄目だったから、あっさり諦めるふたりじゃないだろう。きっともっと闘志を燃やして、次の挑戦に立ち向かって行ってくれるに違いない。


 ようやく頭の整理もできてきた。


 そう言えば雫はもう見たんだろうか。当然見てるよな。大丈夫かな? 俺と違って負けず嫌いのレベルが高いからな。




「父の事情37」


 その日がヨメカケのコンテストの結果発表日だという事は、昨日田中に聞かされていた。朝一にウェブサイトを更新して発表するらしい。


 「そんなことを部外者に話していいのか?」と訊いたら「何言ってるんですかー。武田さんはもう部外者じゃないでしょ?」とサラッと言われてしまった。


 半ばやけっぱちで田中に送ったラノベは、そのまま編集会議に提出されたらしい。それを聞いた時「アホか、お前は」と思わず口にしてしまったのだが、あろうことか編集会議で「いいじゃないか」ということになったらしい。


 我が古巣ながら、本当に大丈夫だろうかと危惧してしまう。


 当然、いきなり書籍化はされず、来月辺りからヨメカケのウェブサイト上で「公式連載」という形でテストされるとのことだ。そういうわけで、今は田中の指示の元、原稿の手直しの毎日となっている。


 正直、テストされるのも、手直しの指示をされるのもまっぴらだと思ったが、お母さんが「凄いじゃない、義弘さん! ソンケーしちゃう!」とか言い出したものだから、引っ込みがつかなくなってしまった。


 まぁ、考えようによってはこれを足がかりと捉えることもできなくはない。デビューがラノベ作家だったとしても、大ヒット作品に仕立て上げれば、やつらは「先生、先生」と私の言うことを聞かざるを得なくなるのだ。


 そうなった時に自分の書きたい小説を書けばいい。


 今はまず、このラノベの手直しをしなくてならない。


 田中が言うにはハーレム分が弱いとのことだが……。




「娘の事情37」


 その日、私は部屋でひとり泣いていた。


 布団に包まって、枕に顔を埋めて、泣いていた。


 もう夏休みに入っているから、学校へは行かなくていい。


 いっそ学校に行かなくちゃならなければ、涙を拭いて立ち上がるところだけど、そうじゃないから余計に泣いた。


 部屋のドアが開く音がする。


 きっとお兄ちゃんだ。いつもは私がノックしないで開けたら怒るくせに、今日は自分がしないんだから。こんな姿見られたくないのに。


「雫……」


 ほら、やっぱりお兄ちゃんだった。私は必死でパジャマの袖で涙を拭って「なに?」と精一杯答えた。それ以上口を開けば泣いていることがバレそうだった。


 お兄ちゃんは「ご飯、食べないのか?」と訊いてくる。ちょっとは空気を読んで欲しいんだけど、相変わらずその辺は下手だよね。私は少し息を整えてから「いらない」と、また一言だけ答えた。


 お兄ちゃんはしばらく無言になった。


 何か言うか、出ていって欲しいという気持ちと、いかないで欲しいという気持ちが混じり合ってた。でも、こんな顔を見られるのは嫌だ。さっきまで泣きじゃくっていたのに。和泉ちゃんが家に来たときも泣いたけれど、あの時は一緒だったからまだ良かった。今は違う。


 ひとりで泣くのは辛いんだ。


 お兄ちゃんがカーペットの上を歩く音が聞こえる。こっちに近づいてきている。ギィっという音が聞こえて、マットレスの端が沈み込むのが分かった。隣に座っているんだろう。


「コンテストのことだけど」


 小さい声でお兄ちゃんが言う。


「ええっと、どう言えばいいのかな?」


 困っている様子だ。


「上手く言える自信がないんだけど」


 言わなくてもいいよ。


「何と言うか、あれだ」


 あれって何よ。


「残念だったな」


 私は布団を持ち上げて、ガバッと起き上がった。


「は?」


 お兄ちゃんは呆気にとられた顔をしていた。「は? ってなんだよ」と言う。


「何が残念なのって聞いてるの!」

「いや、だってほら。1位獲れなかったし」

「うん、それはそうだけど。でも残念じゃないでしょ!?」

「……っえ?」

「え……?」


 どうも会話が噛み合わない。


 私はベッドから起き上がると、机の上に広げっぱなしにしていたノートパソコンを手に取った。少し前まで使っていたから、スリープモードになっているのを戻して、画面を表示させると、お兄ちゃんの顔の前に突き出した。


「特別賞! 審査員特別賞! 獲れたじゃない!!」


 そうなのだ、私と和泉ちゃん。1位は獲れなかったけど、審査員特別賞というのをもらえたのだ。これはすぐには書籍化にはならないけど、担当さんがついて、手直しして、書籍化の検討がされるという賞なの。


 今朝、目が覚めてこれを見て驚いて、和泉ちゃんに電話して、お互いよかったね、よくやったねって喜びあって、それから感極まって、布団の中で泣いていたのだ。もちろん、1位を獲れなかったのは残念だったけど、賞をもらえたというのは素直に喜ぶところだよね。


 お兄ちゃんは、まだ状況が飲み込めないのか、ノートパソコンの画面を何度も何度も確認している。しばらくすると、やっと分かってきたのか「そっか、おめでとう!」と言ってくれた。

 

 嬉しかったな。ここ1ヶ月くらい一生懸命頑張ってくれたし、前よりは見直したかも。


「よく頑張ったよな。親父と母さんにも教えてあげなきゃな」


 ちょっと……。せっかく引っ込んでた涙がまた……。




「友達の事情4」


 当然、その日がコンテストの結果発表の日だっていうことは知ってたんだよね。朝早く起きて、というよりはほとんど眠れないまま朝になって、いつも通りパソコンを立ち上げてトイレに行って顔を洗って。


 部屋に帰ってきて椅子に座ったところで、動けなくなっちゃった。結果の想像は付いていた。だって、昨日の時点でまだ3位だったからね。最終日に逆転して1位になれるとは流石に思ってないよ。


 でも、今回の小説は色々な意味で大切なものだったんだ。雫やその家族の皆さんと創った小説、という意味もあるし、それ以外にも……。


 パソコンの壁紙を眺めながら、マウスに手を置いているんだけど、どうしても動かすことができない。きっと怖いんだ。結果は分かっているけど、それを確認するのが怖い。自分ひとりで書いてて、趣味でやっているのなら、こんなに怖くはなかったかもしれない。


 マウスカーソルが小刻みに震えてる。それは私の手が震えているからだ。両手でマウスを掴んで、なんとかブラウザに合わせる。ええい! クリックしちゃえ!


 そう思った時、突然スマホが鳴って、死ぬかと思った。慌ててマウスを放り出して、スマホを手に取ったら雫からの電話だった。恐る恐るボタンを押して電話に出た。


「……和泉ちゃん」

「うん」


 その後のことはあんまり覚えてないんだ。本当だって。特別賞っていうのが獲れたっていうことは雫が教えてくれたから分かった。その賞がどんなものかも、だいたいは知ってた。ただ、全然信じられなくって、しばらく電話越しに雫と泣きながら、お互い何話しているのか分からない状態だったことだけは記憶にあるのよ。


 気がついたら電話を切ってベッドの上に座ってた。涙はもう乾いてて、気分も落ち着いてたけど、頭はぼーっとするし、何も考えられない。


 ただ「私、やったんだ」ってことだけ。




「母の事情37」


 もうね。涙でスマホの画面も見えないほどなの。


 その日がコンテストの結果発表の日だって聞いてたから、0時を回ったところですぐにヨメカケのホームページを見に行ったんだけど、まだ更新されてなかったのよ。おかしいなぁ、と何度か試してみたんだけど、やっぱり結果が出てないの。


 もしかして忘れてるんじゃないかしら、と思って田中さんに電話したら「……今、一体何時だと……」とぼやきながら「更新は朝一でやるはずですよ」って教えてくれたわ。


 そうなの? そういうものなの? 朝一って何時? 7時? 8時? って問い詰めたら「うーん、多分7時くらい……」と言ったまま無言になって、いびきが聞こえてきたのね。あらら、相当眠かったのかしら?


 しょうがないから一旦寝ましょうか、と思ったんだけど、なんだか興奮しちゃっているのか、全然眠れないのよ。困っちゃったな。結局、朝方まで起きてて、いつの間にか寝ちゃったみたい。


 階段を駆け下りる凄い音がして、何事? と目を覚ましたら、雫が部屋に駆け込んできたのよ。


「お母さん、お父さん……」


 そう言って泣き崩れちゃったの。


 それどっち? 嬉し涙なの? 悲しい涙なの? 


 雫の肩を掴んで「どうだったの?」と訊いたら「しん……しん……」って繰り返すばかりなのよ。しん? 「審査員特別賞……」そう言うとまた泣き出しちゃった。


 私も雫たちの結果が知りたくて気持ちが高ぶっていたんだけど、雫の様子を見ていると逆に落ち着いてきたのよね。それにしても「審査員特別賞」ってなにかしら? 隣で寝てた義弘さんも起きてきたので、訊いてみたの。


「あぁ……。そう言えば、そんな賞もあったような」


 そう言ってた。スマホを取り出して、ヨメカケのホームページを開いてみたの。「結果発表」って書いてあるボタンを押してみたら、1位の作品とかが載ってたのよ。ずっと下へ移動してみたら「審査員特別賞」って言うのがあって、そこに「ぴょこたん」「和月」という名前が書いてあったの。


 その賞は今後担当者が付いて書籍化へ向けて活動していくって書いてあったわ。


 さっきまでは冷静だったんだけど、その文字を見た瞬間、不覚にも泣いちゃった。涙がポロポロ落ちてきて、止まらないのよ。自分のことじゃないのに、自分のことじゃないからかな。こんなに嬉しいと思ったのは久しぶりだわ。

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