第32話 家族の事情32


「息子の事情32」


 雫が抱えていた悩みは「和泉ちゃんと小説を競い合いたいけど、それができなくなっていたこと」。一方、和泉ちゃんが抱えていたのは「小説を誰にも相談出来なかったことと、それを雫に素直に言えなかったこと」。


 つまりふたりが和解して、両方の小説を俺たちが見てやる、という解決策を取る事で、全て万事解決するというわけだ。


 そこまで分かっていたけど、色々あって結局親父に持っていかれた感じだ。でもまぁ、結果として良い方向にまとまったし、俺自身もなんとなく言い出しにくい雰囲気になっていたので、ある意味、GJ親父と言っても良いくらいだ。


 さてと、それじゃ俺はこの辺でお暇して、編集の仕事を……と立ち上がろうとしたのだけど、足が痺れて言うことを聞かない。一刻も早く、しかも違和感なく、この場を立ち去ろうと思って足を必死でさすっていたんだけど、抜け目ない我が妹が「お兄ちゃん、ちょっといい?」と言ってきた。


 俺としては別に悪いことをした覚えはなく、ただ単に誤解だったというだけなのだが、なんとなく気まずくなり「なんでしょうか? 雫さん」と聞き返してしまった。それを聞いて雫の顔がやや曇る。


 しまった。ここは普通に「なんだよ」と言っておけばよかったか。これじゃ、余計に印象が悪くなるじゃないか。しかし、ここで防戦に徹してしまうと、俺が悪いということになってしまう。そもそも和泉ちゃんが早とちりをしてことが原因の一端であって、俺に責任がないとまでは言わないけれど、問い詰められるほどのことはしていないはずだ。


 そんな言い訳めいた考えが頭を巡っていたのだけど、突然和泉ちゃんが雫の腕を掴んで「お兄さんは、悪くないの。私が勝手に勘違いしただけだから」と援護してくれた。俺は思わず「その通り!」と言いそうになったけど、ここは我慢。ここは和泉ちゃんにしっかり誤解を解いてもらうターンだ。


「お兄さんは、そういう意味で言ったんじゃなかったんですよね。私が勝手に思い込んじゃって、すみませんでした」


 うん、そうだね。ちょっともったいなかったかな? という気もしないでもないけど、今は雫の視線が痛いので、こういう方向でお願いしたい。


「私もいきなりのことだったので、ちょっと考えさせて欲しいって思って、次の日の朝にお兄さんの働いてるコンビニにお邪魔したんです」


 あぁ……? そうなの? 


「でも、あいにくお兄さんはいらっしゃらなくて」


 あ、そうだね。最近朝シフトから午後シフトに変わっちゃったからね。お陰で三好さんにもなかなか相談できないんだよな。


「それで、いつならいらっしゃるのかと思って、店員さんに訊いてみたんです。ちょうど雫のお母さんと同じくらいのお年の方だったんですけど、事情を話したら『夕方くらいに家に行ってみれば、ちょうど帰ってくる頃だと思う』って教えてくれたんです」


 三好さんか……。きっとあの人の性格だから、それだけじゃないはず。


「ついでに、お兄さんがヨメカケに投稿していた、って話も伺って……。それで、私お兄さんの小説を読んでみたんです」


 ほら、やっぱり!! 母さんは天然でそういうことをするけど、三好さんは計算で言うからな。


「すっごく面白かったです! 私、ああいう小説書ける人って凄いなって思います!」


 えぇ……えっ!?




「父の事情32」


 和泉さんを我が「家族編集部」に引き入れることで、雫ももっとやる気を出してくれそうだったし、和泉さんの問題も解決できると私は思った。これで一件落着。ここからは、ただコンテストに向けて頑張るのみ。


 だが、話は思いもよらぬ方向へ進んでいる。


 私はどういう事情なのか、今ひとつ理解できていないのであるが、どうやら啓太が和泉さんに告白したとか、それが誤解だったとか、そういう話らしい。必死で誤解を解こうとしている啓太を、同じ男として密かに応援していたのであるが、雫が割り込んできて、かなり劣勢に追い込まれているようだ。もはや風前の灯火か……。


 私としては、啓太に彼女さんができることは悪いことではないと思っている。啓太が高校の頃から、時々その類の噂は聞いたことはあった。しかし、最近ではすっかり音沙汰なしで、父親としてはやや心配になってきていた。


 それに未だに定職に就かず、フリーターなどをしているのも、そういうのがないからではないかとも思っていた。彼女が出来て、その子と一緒になりたいと思って、このままじゃいけないと気づく。


 そういう方向なら大歓迎だと思う。


 誤解から始まる恋だって良いじゃないか。そもそも私とお母さんだって……いや、今は止めておこう。


 しかし、どうやら話は誤解のまま終わりそうな展開になっている。和泉さんは「私が悪かった」と非を認め、謝罪をしている。啓太は少し残念そうにも見えるが、ホッとしているようにも見える。雫は黙って、和泉さんの話を聞いている。お母さんはスマホを手に、興味津々な様子だ。


 これは駄目か、そう思っていた時、話は思わぬ方向へと転がっていった。




「娘の事情32」


 私が、ここ最近のお兄ちゃんに感謝しているのは間違いない。前は高校を卒業してもフリーターをやっている駄目兄貴だと思っていたけど、小説を見てもらうようになってからは、色々と話をした。そして、意外と本気で小説に取り組んでいたんだということも分かったから、ほんの少しだけ見直したりもした。


 でも、私の友人を悲しませるようなことは許せない! 私の問題を解決するのにかこつけて、和泉ちゃんに手を出すとは! 確かに和泉ちゃんは可愛らしいけど、妹の同級生だよ!? ちょっと節操なさすぎじゃない?


 でもどうやら、それは誤解だったみたい。和泉ちゃんは「自分の勘違いだった」と言ってた。「勝手に思い込んでいた」とも言ってた。一体どういう状況で、そんな誤解が生まれるような話になったのか、さっぱり分からない。それでも和泉ちゃんがそう言って謝っているのなら、そうなんだろう。


 それじゃ、とりあえずこの話はおしまいかな?


 そう思ってたんだけど、和泉ちゃんは話を続けた。


「すっごく面白かったです! 私、ああいう小説書ける人って凄いなって思います!」


 お兄ちゃんは、驚いた顔をしていたけど、同時に少し嬉しそう。ちょっと? 調子に乗っちゃ駄目だからね。


 でもちょっと驚いたかな。和泉ちゃんがお兄ちゃんの小説を読んだこと自体は、いつかそういうこともあるかもしれないと思ってたけど、そんなにお気に入りになるほどだとは……。


 でも驚くのはまだ早かった。


「私はあんな小説を書ける人だったら、お付き合いさせて頂きたいな、って思ったんです」


 和泉ちゃんはそれだけ言うと、うつ向いてしまった。


  ちょっと和泉ちゃん……? えっ? 何? 和泉ちゃんはまんざらでもないって感じなの? でも、この人フリーターだよ? 小説だって、和泉ちゃんはそう言うけど、結構ワンパターンだし、もっと面白い小説だってたくさんあるよ? と言うか、私の小説の方がよっぽど面白いよ?


 頭の中が混乱してきているのが自分でも分かる。ちょっと落ち着け私。深呼吸してみよう。スーハースーハー。


 よし。まだ少しドキドキしているけど、さっきよりは少しマシになってきた。


 もしかしたら、聞き間違いだったのかもしれない。私が先走っちゃっているだけで、和泉ちゃんはそういう意味で言ったんじゃないかもしれない。


 そう思って和泉ちゃんの顔を覗き込んでみた。


 和泉ちゃんは真っ赤になっていた。お兄ちゃんは必死で冷静さを保とうとしてるけど、ちょっとニヤケかけている。お父さんもちょっとだけ嬉しそうだ。お母さんはニコニコしながらスマホを触っている!


 ちょっと待って! 何、投稿しようとしてるの!?




「母の事情32」


 あらあら、黙って聞いていたら、なんだか凄い展開になってきたわね。昔から啓太はそこそこモテる方だったけど、長続きはしなかったのよね。それはきっと啓太がマメじゃない性格だから。


 高校の頃から小説を読んだり書いたりしているのは知ってたの。啓太はそういう自分のしたいことを優先する性格だったから、彼女さんが出来た時でも、放ったらかしにしてることが多かったのよね。


 特に高校を卒業してからは、そういう噂も聞かなくなってきたから、お母さんとしてはちょっと複雑な気持ちだったのよ?


 私がこの前「和泉ちゃんは誤解してるんじゃないの?」って言った時、啓太は「あぁ、なるほど」ってサラッと言ってたけど、顔はかなり嬉しそうになっていて、それを必死で誤魔化そうとしてた。


 だから私は、あの時「これが上手く行けばなぁ」と思ってたのよ。「始まりは誤解でも良いじゃない。啓太が悪い気しないのなら、この状況を上手いこと使えばいいじゃない」とも思っていたの。


 それなのに啓太は馬鹿正直に「誤解だ」って言っちゃったものだから、お母さんガッカリ。せっかく面白……いい話になると思っていたのになぁ。


 でも和泉ちゃんの方が「小説が好き。それを書いている人も好き」って言い出して、話の流れが変わったのよ。ここよ、啓太! 別に結婚しろっていう話じゃないじゃない? とりあえずお付き合いだけでもしてみたら?


 なんとか啓太にそれを伝えたくて、頭の中で必死で念じていたんだけど、突然スマホにメールが届いたのよ。相手は恭子ちゃん。


『どうなってる? 修羅場?』


 なんだか、相変わらず、恭子ちゃんには全てお見通しな感じなのかな? ちょっとおかしくなってきちゃった。とりあえず返信しておこうかと思ってスマホで入力していたら、雫が血相を変えて「駄目ー!」って言うのよ。


 どうやら私がツブヤイッターに今の状況を投稿しようとしてると思ったらしいの。あらあら、そんなわけないじゃない? 今、そんなことをしている場合じゃないってことくらい、お母さんにも分かります。


 そう説明すると雫はホッとしたみたい。「ごめんなさい」って謝ってた。


 うん、分かればよろしい。


 こういう話はあんまり好意的には受け止められないじゃない? いつもの雫情報の方が余程喜ばれるものよ。

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