第30話 家族の事情30


「息子の事情30」


 一体どうしてこんなことになっているんだろう……。


 俺はリビングの床に座って、ソファーに座っている和泉ちゃんに向き合っていた。廊下に繋がっているリビングの入り口には、母さんが様子が気になるのか、顔だけを出しているのが目に入る。


 話を整理しておこう。


 先日、バイト先に立ち寄った和泉ちゃんを捕まえて、色々と話をした。その際に、どうやら俺が告ったことになっているらしかった。完全な誤解なんだけど。そして数日間、我が家の周りをうろついていた不審者は和泉ちゃんだったことが判明した。更に、その和泉ちゃんが今、目の前にいて、俺に「よろしくお願いします」と言っている。


 これは告白(誤解だが)に対する答えなんだろうか?


 非常に不謹慎ながら、俺的には和泉ちゃんにそう言われて悪い気はしなかった。正直に言うと、先日母さんに「啓太が告白したと思われているんじゃない?」と言われてから、少なからず意識してしまっていたのも事実だ。


 和泉ちゃんは見た目も可愛らしい。仕草なんかも実に女の子らしいし魅力的だ。ちょっと変わっていると言えなくもないのと、雫の友達っていう所が引っかかるが、それらを差し引いても決して悪い話じゃない。


 ただ、問題は誤解から始まっていること。誤解に乗じて、っていうのは、なんとなく嫌だし、まずはそれを解かなくちゃならない。そこで俺は、丁寧に事情を説明することにした。話をしていると、和泉ちゃんの顔色がドンドン変わってくるのが分かって、俺は焦った。


 なるべく和泉ちゃんを傷つけないように、と思っている内に、気がついたら土下座していた。なんでなのかは自分でも分からない。


 必死説明しながら、ふと廊下を見ると、いつの間にか親父と雫まで顔を覗かせている。ちょっと、本当に見ないでくれるかな!? 見るんだったらフォローしてくれないかな?




「父の事情30」


 私の知らない少女が、うちのリビングにいて、うちの息子がその子に土下座している。お母さんはその様子をリビングの入口からこっそり覗き込んでいるし、そこに今は私と雫も合流している。


 その女の子の名は、お母さんが「和泉ちゃん、頑張って」と呟いたのを聞いて知ったのだが、どこかで聞いたような気がする。


 確か雫の同級生で、ヨメカケでのライバルになった女の子の名前ではなかったか? ただ、なぜその子がうちの周りで不審者まがいのようなことをしていたのか、そしてなぜ啓太が土下座しているのかは、さっぱり分からない。


 なんとなく啓太の口調から、その和泉とかいう女の子に釈明をしていると言うのは理解できる。それもどうやら色恋沙汰のような話だ。それでもどう繋がっているのかは、やはり分からないが。


 私自身はその方面に関して専門的な知識があるとは言えないが、それでも同じ男として、啓太の置かれた立場を考えると、思わず同情したくなってくる。頑張れ啓太、よく分からないが、どうやら正念場っぽいぞ。


 心の中で声援を送っていると、突然お母さんがリビングへと入っていった。啓太と和泉さんの視線がこちらに向き、反射的に私と雫は壁に隠れた。


 お母さんは「はいはい、その話はちょっと後にしましょうねぇ」と言って、和泉さんの隣に腰をおろした。


「和泉ちゃん、先に他の用事を済ませた方がいいかもね」

「……」


 一体何の話だろうか?




「娘の事情30」


 さっきまで私を制止していたお母さんが、ひとりでリビングへと入っていった。お兄ちゃんと和泉ちゃんの視線がこちらに向いて、別に悪いことをしているわけでもないのに、慌てて隠れてしまう。


 中を覗くのが怖くなって、声だけを聞いていると、どうやら和泉ちゃんは何か話があるらしい。私はお兄ちゃんが、私が頼んだ話を口実にして、和泉ちゃんに何か酷いことをしたんじゃないかと思っていた。


 ただ、ふと和泉ちゃんが来ていた私服、あのパーカー。そう言えば不審者が着てたのと似ている気がする。もしかして、和泉ちゃんが不審者の正体だったんだろうか? もしそうなら、酷いことをしたお兄ちゃんに復讐する機会を伺っていたのかも……それはないか。


 だったら、どうして和泉ちゃんはあんなことをしていたんだろう? 私は色々な疑問の答えが知りたくて、リビングで行われている会話に耳を傾けた。


「和泉ちゃん、先に他の用事を済ませた方がいいかもね」


 和泉ちゃんは何も答えない。お母さんの声だけが聞こえてくる。


「和泉ちゃんはね、私に小説のアドバイスをして欲しくて、ここに来てたのよ」


 え……?


「ひとりで小説を書いていると不安になることもあるものね。ちゃんとした感想が欲しい時だってあるし、相談したいことだってあるもの」


 でも、それは……。


「うふふ、私もちょっとだけ小説書いたことあるから、その気持分かるのよね」


 だって、前に和泉ちゃんが……。


 和泉ちゃんはあの日、私にこう言った。


『私ね、お父さんにも相談してるんだ』


『ヨメカケに投稿するって言ったら、すごく喜んでくれて「俺がチェックしてやる」って凄く張り切ってるの』


 だから私、あの時けっこうショックで。


 現役の作家さんが見てくれるなんて、凄い羨ましくて。


 なんとか負けないようにと、私も家族にお願いして、必死に頑張ってきたのに!


 気がつくと私はリビングに飛び出していた。


「和泉ちゃん、お父さんに……広田コウスケ先生に見てもらってるじゃないの!」


 和泉ちゃんは驚いたような顔をして私を見ていた。でもすぐにうつむくと、少し悲しそうな顔になった。


 私は和泉ちゃんがズルいと思った。なんで私の家族のところかまで来て、そんなことをするの? 作家の先生に見てもらっているだけで充分じゃない! 現に凄い勢いで、ヨメカケのコンテストのランクも上がってきてるし、まだ足りないっていうの? そんなことまでして、私に勝ちたいっていうの?


 でも、和泉ちゃんはうつ向いたまま顔を上げない。表情は暗く、なんだか寂しそうにも見える。だから、私もそれ以上は何も言えなかった。




「母の事情30」


 私は、和泉ちゃんがお父さんの話をしたくなさそうにしていたのはなんでなのかな? って考えてたの。理由はよく分からないけど、すぐに言えないことっていうのは、相談したいことじゃないかなって思ったのね。


 だけど、あんまり問い詰めるのも良くないと思って、とりあえず啓太のことを持ち出したのよ。でも、こっちはこっちで結構ややこしい話だったみたい。私は面白そうだなって思ったんだけど。


 あんまり遊んでても啓太が可哀相だったから、とりあえず私が出ていって話を元に戻そうと思ったの。お父さんの話になるのかは分からないけど、私の書きかけの小説を見つけた時の反応なんて見ていると、きっと自分の書いている小説のことを聞きたかったのよね。


 雫も一時期そういうのを気にしていたし、私も少しだけ書いたことがあるから分かるんだけど、自分が書いているものは、自分では面白いと思うけど、人が見た時にどう思うかって気になるもんね。


 だから、そう言って話を進めようと思ったのよ。そしたら突然雫が飛び出してきて「和泉ちゃんは広田コウスケ先生に見てもらっているじゃないの!」って言い出したの。やっぱりそうよね。前に雫がそう言っていたもの。


 和泉ちゃんは何も答えずに黙ったままうつ向いていたわ。それを見た雫も同じように黙り込んでる。困った子たちね。でも、ここは少し待った方がいいのかな。


 そう思っていると、和泉ちゃんはやっと顔を上げて、ちょっと困ったような顔をしながら「ごめんね、雫」と頭を下げたの。


「何を謝ってるのよ、和泉ちゃん……」

「ごめんね、私、嘘ついてた」

「嘘……?」

「うん。小説ね、お父さんには見せてないの。それどころか、ヨメカケに投稿していることも秘密なの」

「えっ……? どうして……」

「うちのお父さんね。私が小説を書くことには反対なの。自分が書いてて苦労しているから。昔ほどお金を稼ぐのも難しくなってきて、小説以外の仕事もやっていたりしているらしくて、そんな苦労をさせたくないって」

「……」

「だから、ずっと前から『小説なんて書くな』って言われてたの。でも、やっぱり好きなものは好きだし、ずっと隠れて書いてた。雫に相談するちょっと前、ヨメカケのことを知って、私も投稿したいって思ったの。それで今まで書いてた小説を元にして、書き始めたの」

「それで、あの時……」

「うん、自分で書いてみたんだけど、誰にも見てもらえなくって、いきなり投稿するのも怖かったから、雫に見てもらおうかなって」

「で、でもっ! だったら、どうして私が投稿してるって言った時、あんな反応だったの?」

「あれはね……。雫だけが見てくれる人だったのに、雫も投稿しているって聞いて、気が動転しちゃったの……。もう雫にも相談できなくなっちゃうって」

「そんなことないっ!」

「うん、そうだよね。後になって思えば、どうかしてたと思う。でも、その時はそう思っちゃったの。そうしたら、なんだか悲しくなってきて……。それに雫も頑張っているのに私は人に聞いてばかりだと思ったら、なんだか馬鹿みたいだなって思ったの」

「そんなこともないよ。私も同じだったもん。私も心配で不安で、どうしようもなくなって、それで家族に見てもらおうって思って……。だから、和泉ちゃんがそんなふうに思うことなんてないよ!」


 あらあら、なんだか青春しているわねぇ。微笑ましくなっちゃった。


 どうやら私たち大人が出てくる幕じゃなかったみたいね。和泉ちゃんと雫は、お互い抱き合って泣きながら「ごめんねー」って、何度も何度も繰り返している。


 一瞬「これは良いネタが……」って思っちゃったけど、まぁこれは駄目よね。

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