第29話 家族の事情29


「息子の事情29」


 俺が雫に引きずられて不審者を追いかけた(そして逃げられた)次の日、つまり初めて不審者を見かけてから3日目のこと。


 バイトが終わって家に帰ってくると、リビングから母さんが顔を覗かせて、手招きしていた。


「あら、啓太。おかえりなさい。リビングに不審者さんが来てるわよ」


 な、なんだって!?


 俺は心臓が止まるかと思うくらい驚いた。だって、おかしいだろ? 家を監視していた不審者がリビングでくつろいでいるとか。でも、母さんはニコニコ笑いながら「不審者さんは、啓太にも用事があるみたいよ」と言う。


 俺に用事? と言うか、俺が目当てだったのか? 


 無意識に音を立てないように廊下を歩く。リビングをそうっと覗くと、リビングのソファーに座っているのは和泉ちゃんだった。


 俺は自分の頭が回っていないことだけは分かった。意味が分からない。母さんは「リビングに不審者が来ている」と言った。リビングには和泉ちゃんがいる。ということは「不審者=和泉ちゃん」ということか。


 念のため、周りを見回してみたけど、和泉ちゃん以外には誰もいない。そのままの姿勢で固まっていると、和泉ちゃんが俺に気づいた様子で「あ、お兄さん……」と呟く。


 俺は「こんにちは?」とやや疑問形でそれに答えながら、リビングへと入っていった。和泉ちゃんはうつ向いてしまい、じっと自分の足元を見つめている。


 反対側のソファーに座りながら、俺はどうしたものかなと思った。一体どういうことなのかは分からないけど、ここ2日間、家を見張っていたのは和泉ちゃんだったということだ。改めて見ると、着ているバーカーにも見覚えがある。手にはマスクとサングラスが握りしめられている。


「ええっと。和泉ちゃん?」


 俺はどう言って良いのか分からずに、とりあえず声をかけてみた。それを待っていたかのように、和泉ちゃんは顔を上げて口元をキュッと結ぶと、俺を見ながらこう言った。


「ふっ、ふつつ……、不束者ですが、どうぞよろしくお願いします!!」


 ……これはもしかして、この前の返事、という解釈で間違いないのだろうか? 和泉ちゃんが俺の言葉を誤解して、俺が和泉ちゃんに告ったことになっている答え。


 何か視線を感じて右に目をやると、リビングの入り口から母さんが半分顔を覗かせて、ニヤニヤと笑っていた。いや、ちょっと、楽しんでないで助けて欲しいんだけど。




「父の事情29」


 修羅場。


 どの程度の状況をそう呼ぶのかは、人により様々かと思う。ちょっとしたことでも修羅場という人もいるだろうし、とんでもなく追い込まれたり追い込んだりする状況をそうだと言う人もいるだろう。


 また修羅場というのをどういう状態のことかと言う議論もあるかと思う。一般的によくあるのは「浮気がバレた」とかいうパターンだ。旦那が愛人と一時のロマンスを繰り広げている所を、奥さんに見つかったとか。


 考えただけでも背筋が寒くなる思いがするが、修羅場という言葉にはそういう光景が当てはまる気がする。


 私はいたって普通の人間であるから、修羅場感に関してはそういう認識をもっている。しかし、先程も言ったように、修羅場というのは人それぞれ。色々なパターンがあるのだと思う。


 それを確認した上で言うと、今目の前に広がっている光景は、間違いなく修羅場そのものだった。


 部屋でラノベの下書きをしていると、何やらリビングの方で人の話し声が聞こえた。声の主はどうやらお母さんと啓太のようだったが「不審者」という単語が聞こえた気がした。


 私は「また出たのか!」と思い、部屋を飛び出すと階段を駆け下りた。そして、廊下からリビングを覗いているお母さんの姿を見て、私もその横から中の様子を伺ってみた。


 そこには、ソファーに腰掛けた少女がひとり。彼女が着ている服には見覚えがあった。例の不審者が着用していたものと同じものだ。と言うことは、この子が不審者だったのか? 


 今にして思えば、背格好は確かに華奢だったし、女の子だったような気がする。その時は「不審者」というキーワードが先行していて、そういう考え方ができなかった。


 いずれにしても、その不審者が我が家のソファーに腰掛けていることに驚いた。しかし、それよりももっと驚いたのが、その子の前でカーペットに頭を付けて土下座している啓太を見たときだった。


 本来、立場的には逆のような気がするのだが、どういうわけか啓太が不審者に謝罪しているようにしか見えない。


 私は一体どういう状況なのか理解しかねて、お母さんに「これは?」と尋ねた。お母さんは口元に人差し指を当てて「しっ、今良い所なんだから」と言う。


 ますます意味が分からない。




「娘の事情29」


 玄関を開けて「ただいまー」と言おうとすると、その先の廊下に、お父さんとお母さんが立っていた。リビングの入り口から中を覗いているようだった。


 私がスリッパに履き替えて「どうしたの?」と言うと、お父さんが人差し指で口を塞ぎ「静かに、今凄いことになってるから」と言うの。


 私は一体何が起こっているのか、と思って中を覗こうとした。でもお父さんとお母さんが邪魔で覗くことができない。仕方がないので、床に膝を付けてしゃがみ込みながら、そおっと中の様子を伺った。


 リビングのソファーに誰かが座っていた。顔をお父さんの足の間に突っ込んで、もう少しよく見てみたら、それは和泉ちゃんだった。


 えっ? なんで和泉ちゃんが?


 私は驚いて思わず声を上げそうになったんだけど、もっとびっくりすることがあって、それすらできなくなってしまった。


 なんとお兄ちゃんがその前で土下座しているのだ。


「ええっと、だからあれは誤解で、そういう意味じゃなくって」


 何のことかサッパリ分からないけど、お兄ちゃんが必死で何かを説明しようとしているように見える。和泉ちゃんはうつ向いているけど、ちょっと涙ぐんでいるようにも見える。まさか、お兄ちゃんが和泉ちゃんに酷いことをしたんじゃ……。


 そう思ってリビングに行こうとしたんだけど、今度はお母さんが「駄目よ、面白……今、大切なところなんだから」とささやくように言うの。今、面白いって言いそうになってなかった?


 しょうがないので、そのまま見ることにする。


 お兄ちゃんはまだ必死で弁明している。


「俺としては、さっき言ったように、そういうつもりじゃなかったんだ……あっ、いや、そうじゃない。そうじゃなくって、ええっと、和泉ちゃんのことをなんとも思ってないとかそういうんじゃないんだよ。ただ、今回のあれは、そういう意味じゃなかったってことで、決して和泉ちゃんに興味がないとか、どうだとかそういうのじゃなくって」


 和泉ちゃんは今や顔に手を当てたまま何度か頷いたりしているけど、顔を上げようとしないので表情は分からない。


 私は見るに見かねて、リビングに飛び出そうとしたんだけど、お母さんが「駄目よ」と言って私の腕を掴んで制止したの。さっきまで状況を楽しんでいるようだったのに、今はいつになく真剣な顔をしている。


 って言うかお母さん、意外と力強い。腕痛いんだけど。




「母の事情29」


 その日私は、お買い物の帰り道、和泉ちゃんに会ったのよ。


「どうしたの? こんなところで」


 そう言うと、和泉ちゃんは少しうつ向いて「あの……雫はいますか?」って訊くのよ。だから、まだ帰ってきてないみたいって伝えると、今度は「お兄さんは……」ってまた訊くの。


「お兄さん? 啓太のこと?」

「あ、はい」

「啓太も、たぶんバイトから帰ってないと思うけど」

「そうですか……」


 なんだか和泉ちゃんはとっても悲しそうだったのよ。だからなんだかほっとけない気がして「家に来て。どっちもすぐ帰って来ると思うから!」と、和泉ちゃんの手を握って、家の中へ案内したのね。


 和泉ちゃんは「いえ……。ま、また今度にしますからっ」って言っていたけど、なんとなくそれじゃ駄目って思ったの。女の直感ってやつね。


 少し強引に和泉ちゃんを家に上げると、リビングのソファーに座らせてお茶を淹れてあげたの。それを一口飲むと、和泉ちゃんも少し落ち着いた様子だったから、私は訊いてみたの。


「ね? 何か悩み事でもあるの?」


 でも和泉ちゃんはまだ迷っているようでモジモジしているだけなのね。でも、和泉ちゃんの視線がフッとリビングの机に向いたまま止まったのよ。そこにはチラシが何枚か置いてあったんだけど、それを見て「これ……もしかして、小説ですか?」って。


 あらら、そう言えば、昨日晩に久しぶりに小説を書いてみたくなって、ちょっとだけチラシの裏に書いたまま置いたままにしてたの。すっかり忘れてたわ。


 「あらやだ、恥ずかしい」と言って片付けようとしたら、和泉ちゃんは「お母さんも小説を書かれるんですか?」って言うの。そうね、前はちょっと書いていたんだけどね、って答えると「あのっ! 私の小説も読んでみて欲しいんですけど」ってスマホを取り出すのよ。


 あ、そう言えば雫がそんなことを言ってたなぁ、と思い出したの。スマホを受け取って、そこに表示されている小説を読んでみたのよ。でもすぐに、どこかで読んだことあるって思ったのね。


「あれ? もしかして和月ちゃん?」


 私がそう聞くと、和泉ちゃんはとても驚いたようだったの。私は和月ちゃんの小説は読んだことがあるけど、和泉ちゃんのことだとは知らなかったって伝えたの。


 和泉ちゃんはそのことは気にならないようで「で、どうですか? どこか変なところないですか? 気になる所はないですか?」ってすがるように訊いてくるのよ。


「あれ? でも和泉ちゃんって、お父さんに小説を見てもらってるんじゃなかったの?」


 あまり深く考えずに、ふと雫が言っていたことを思いだしたのよ。でも、和泉ちゃんはうつ向いたまま黙り込んじゃった。困っちゃったなぁ、と思って(ちょっと話題を変えた方が良いのかな?)と思ったの。だって、もしかしたらお父さんの話題は、触れて欲しくないことだったのかもしれないじゃない?


 だから「あ、そう言えば、啓太にも用があるって言ってなかった?」って、訊いてみたのね。そっちは、なんとなく深刻そうじゃない気がしたの。女の直感ってやつね。


 和泉ちゃんはハッと顔を上げて、私の方を見たんだけど、どうも目の焦点が合ってないようで、挙動不審になってた。あらら、こっちの直感はあてにならなかったかな?


 そんなやりとりをしていると、ちょうどいいタイミングで玄関から「ただいまぁ」と啓太の声が聞こえてきたのよ。


 本人に訊いてもらうのが良いわよね。

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