第28話 家族の事情28


「息子の事情 28」


 一瞬、母さんに相談したのが間違いだったか、と思ったけど、確かにそう考えれば、昨日の話の流れは説明できる。


 あまり詳しく覚えてないんだけど「好き」とか「運命」と言ったキーワードを口にしたのは、記憶にある。思い返せば、あれが誤解の元だったのか……。


 元々雫と和泉ちゃんの誤解を解くために一肌脱ごうと思っていたのに、いつの間にか、もつれていた糸をもっと複雑にもつれさせてしまった気がする。


 バイトをしながら「今日も和泉ちゃんが来たらどうしよう」と考えてしまう。どんな顔をして会えばいいというのか。とは言え、もし本当に誤解を与えてしまっているのなら、早い内にちゃんと話しておく必要があるのかもしれない。


 どっちにしても、もう一度和泉ちゃんに会わないといけない。そして誤解を解いて、その上で雫とふたりで話しをさせて、そっちの誤解も解かないと。


 ……凄く、面倒な話になってしまったな。


 とりあえず和泉ちゃんの家の場所は分かったので、今日バイトが終わったら行ってみよう。速攻で行けば、下校時間に間に合うはずだ。


 と思っていたんだけど、バイト時間終了間近になって、高校生のバイトから「すみません、ちょっと風邪引いちゃって」と電話がかかってきた。ちょっと待て。お前昨日「新作ゲーム買ったんですよ〜」って満面の笑みで言っていただろ。絶対、ゲームのためのズル休みだろ!


 ガツンと言ってもらおうと店長に電話を代わったら「いいよ〜、お大事に〜」と、あっさりOK。俺はもっとしっかりしてくれよ、と思ったんだ。考えてみれば身勝手な話だけど、チョロいのは俺の時だけにしてくれよと。


 まぁいいか。夕方のラッシュ、店長頑張って下さいね。そう言おうとしたんだけど、店長は「啓太くん?」とニコニコしながら俺を見つめる。「あ、いや。俺も今日はちょっと用事が……」と、タイムカードを手にするが、店長はその手をガッチリ握ってこう言った。


「お互い様、だよね?」


 かくして、俺は夕方のラッシュを一人で乗り切るということになった。17時過ぎから、お客はとめどなくやってくる。とにかく最速でレジを打って、捌き切ることだけを考える。夜のシフトの人が来るまで、2時間。何度も怒られながら、何とか乗り切った。


 「やっと帰れる」と一息つく。でもレジのチェックやら、在庫の補充やら、本来やっておかないといけなかった仕事ができてないので、仕方なくそれもこなす。夜シフトの人が手伝ってくれたお陰で、なんとか30分で済ませて、クタクタになりながら店を後にした。


 辺りはすでに薄暗くなってきている。さすがに和泉ちゃんはもう帰ってしまっているだろう。明日にするか。明日は来いよと、後で高校生バイトに釘を打っとかなくちゃな。


 そんなことを考えていたら、あっという間に家に着いた。自転車をしまおうと門を開けていると、視界の隅で何かが動いた。咄嗟にそちらに目をやると、電柱にしがみつくように誰かが立っていた。街灯で輪郭は見えるが、誰なのかは分からない。


 俺が見ていることに気がつくと、その人物は慌てて走り去ってしまった。一体なんだったんだ? この辺は閑静な住宅街で、不審者が出るというのも滅多にないけど、今の時代、何があるか分からない。変質者かもしれないし。


 雫とお母さんにも、気をつけるように伝えておかないとな。




「父の事情 28」


 校閲・校正の仕事というのは、結構神経を使うものだ。今回は誤字や誤用に加えて、文脈上のおかしいところも見てやっているので、何度も見直してチェックをしなくてはならない。ただ幸いなことに、家族の中でやっているので、普通の校正作業に比べれば、時間的にはそれほどかからないのも確かだ。


 雫は毎日新しい小説を送ってきていたが、それを入念にチェックしても、半日程度しか掛からない。ほぼ毎日、午前中には作業を終えてしまっていた。


 残った時間は自分の小説の執筆に当てることにした。


 まずはペンネームを「よしひろ」とした。これはお母さんがツブヤイッターで私の名前をこう書いていたから、そのまま拝借した。実名なのがかなり気になるが、ひらがなだし、個人情報とまではいかないだろう。さようなら「京極院雅也」。


 さて心機一転、新しい小説を書く体制はだいたい整った。残っているものの中の一番の問題点は……当然、書くものがラノベだということだ。実は書店での一件以降、もう一度訪れにくかったということもあり、私は始めてネット通販を利用した。売れているラノベを片っ端から買い漁ったのだ。


 全てに目を通すことはできてないが、それでも雰囲気は掴めと思う。文学的な作法から離れてしまう文体を書くのは、いささか勇気が必要だったが、やってみると意外なことにスラスラと書くことができた。


 書き始めてまだ数時間だったが、すでに2万字は書けている。おや? この方面で結構才能があるんじゃないのか?


 とは言え、流石に疲れてきた。時計の針は夕方前を差している。この時間は人気も少ない、絶好の散歩タイムなのだ。ここ数日は何かと忙しく、家にこもりっきりだったので、今日くらいは気分転換も兼ねて、少しブラブラしてくるか。                                                             


 住宅街を抜け、近所の土手を歩く。現役時代を含めて、これまで散々ラノベというものを軽視してきた、と言うよりも無視してきたが、実際に読んだり書いたりしてみると、案外おもしろいものだということに気がついた。


 ラノベの多くは確かにおかしな文章で構成されたりしている。妙に会話が多かったり、風景や人物の描写力も稚拙なものが多い。稚拙というよりも、抽象的でないという言い方の方が良いかもしれない。ただその分、非常に分かりやすい。


 小難しい、行間を読むような文章が文学として成立するのならば、ラノベのようなものも認めなければならない。それでこそ、文学というものの厚みが生まれるというものだ。色々なものが存在することに価値があるのだろう。


 そんなことを考えながらしばらく歩いて、家に帰ってきた。日はすでに傾きかけ、少し薄暗くなってきていた。家の門を開けようとした時、通りを挟んで少し向こうにある電柱に視線がいった。電柱に隠れるように、ひとりの人物が立っている。


 パーカーのフードを目深に被り、マスクをしている。更にサングラスをかけており、ほとんど顔が見えない。まるで絵に描いたような不審者だ。そして、その不審者は私の方をまっすぐ見ている。正確には私ではなく、私の家のようだった。


「おい、ちょっとお前」


 無意識に声をかけていた。そして2歩、3歩と歩み寄る。すると、不審者は慌てて逃げるように走り去ってしまった。あっという間に路地を曲がって姿が見えなくなる。取り逃がしたか。


 ここに引っ越してきてから、こんなことは始めてのことだ。比較的治安の良い地域だと思っていたが、最近はおかしいやつも多いと聞く。家族にも注意するように言っておかなければ。気をつけるに越したことはないだろう。




「娘の事情28」


 その日の夕食時に、例の不審者のことを家族に話したら、お兄ちゃんもお父さんも、同じ人を見かけたらしい。ということは、やっぱり見間違えじゃなくって、私の家を監視しているってことよね。ちょっと怖いな。


 一瞬、お母さんがツブヤイッターにプライベートを公開していることが関係あるんじゃないかと疑ったんだけど、よく考えてみれば、私の恋愛事情だとか食生活だとか、小説の進捗状況だとか、そんなのは書いてたけど、具体的にどこに住んでるとかは書かれていなかった。


 お兄ちゃんは「少ない情報でも、ネットでは特定されることがあるから気をつけた方が良い」って言ってた。でも私の個人情報にしても、女子高生だとか、プリンが好きとか、彼氏はいないとか……。とにかくそういうことくらいしか書かれてないのよね。


 もしそれで特定できるというのなら、ある意味すごいと思う。感心している場合じゃないけど。


 部屋に戻って、もう一度電柱を確認したら、今度は誰もいなかった。もしかしたら、今日までのことで、明日からはもうこんなことはないのかもしれない。たまたま何か理由があって、そうしていただけかもしれないし、気にしすぎだったんだろうね。


 そう思ってたんだけど、翌日学校から帰ってきて小説書いている途中に、ふと思いだして窓から様子をうかがってみたら、昨日と同じ場所に同じ人が立っていた。相変わらずキョロキョロと辺りを気にしながらも、家の方を見ている。


 私は少し怖くなって、しばらく動けずにいたんだ。そうしたら、その不審者が視線を上げて、私と目が合った。正確には薄暗くてよく見えていなかったんだけど、顔の向きから私を見ているのは明らかだった。


 背筋にゾクッと電気が走ったような感触を感じて、私は更に動けなくなった。怖くて声も出ない。しばらく固まったままになっていると、その不審者は右手を上げて、手招きをした。こっちへ来いと言ってるかのように。


 そこで我に返って、慌ててカーテンを閉めて、リビングに降りていった。一人で確認できる勇気はなかったので、ソファーで私の原稿をチェックしていたお兄ちゃんの手を引っ張って、玄関へと向かう。


 お兄ちゃんは「どうしたんだ? なんなんだ?」と言ってたけど、説明している時間が惜しかったのと、少し混乱していたので「不審者! 出たの!」と片言で説明するのが精一杯だった。それでも意味は通じたみたいで、お兄ちゃんは「お前はここにいろ、俺が確認してくるから」と言ってくれた。


 お兄ちゃんは玄関を出て行ったんだけど、そう言われても私だって気になる。そおっとドアを開けて、門の所まで小走りで行くと、ちょっとだけ顔を出して例の電柱を確認した。


 お兄ちゃんが電柱の方へ走って行くのが見えて、その向こうには慌てて走っていく不審者も見えた。そうとう慌てているらしく、必死で走っているのがここからでも分かる。


 でも、その光景になんかおかしいものを感じたんだよね。なんだろう? なにかが変。




「母の事情28」


 夕食の準備をしていたら、突然雫が降りてきて、啓太を連れて出ていったのよ。10分ほどしてふたりとも戻ってきたから「何があったの?」と聞いてみたら、例の不審者さんがまた出たらしいのよ。


 啓太が追いかけていったらしいんだけど、すごく足が速かったそうで、逃げられちゃったみたい。でも、義弘さんも言ってたけど、危ないから今度からはそんなことしちゃ駄目よ。そう言ったら、啓太はちょっと不満そうだったけど、しぶしぶ同意してくれたわ。


 義弘さんは「明日もいたら、警察に言う」って言ってた。そうよね、少しパトロールを増やしてもらったほうがいいのかもしれないわよね。


 次の日、夕飯のお買い物に出かける時、門を出る前に左右を確認してみたんだけど、怪しそうな人はいなかったわ。家族みんなが見た時間帯が夕方だったから、その時間限定の不審者さんなのかもね? 


 今のうちに、と近所のスーパーに出かけて、お買い物をしていたら恭子ちゃんにばったり会ったの。恭子ちゃんも晩ごはんのお買い物らしいのね。晩ごはんの献立の話から、例の不審者さんの話し、雫の投稿している小説の話なんかをしていたら、あっという間に時間が経ってしまって、私たちは慌ててさよならして急いで家に帰ったの。


 あと少しで家というところで、目の前にある電柱のところに人が立っているのが見えたのよ。私はすっかり忘れてたんだけど、もしかしてこれがあの不審者さん? 不審者さんは、私と家の中間地点にいたから、私に背を向けるように立ってるのよね。


 そこで少し観察していたんだけど、どうも後ろ姿に見覚えがあるようなないような……。上着のフードを被っているから、よく分からないけど、チラッと見えた横顔……どこかで見たような気がするんだけどなぁ。


 あっ! 


 私はふと誰かが分かって、こっそり後ろに近づいて行ったの。不審者さんは、私の家を見るのに必死なようで、私が背後にいるのに気がつかないみたい。私は、耳元に顔を近づけるとなるべく驚かせないように、そっとその名前を呼んでみたの。


「和泉ちゃん?」


 その不審者さん改め、和泉ちゃんは相当びっくりしたらしく「ひゃあっ!」っと声を上げると、その場にヘタっと座り込んじゃった。あらら、ごめんね。


 和泉ちゃんはしばらく座り込んだまま震えてたけど、息を整えるとフードを開けて、マスクとサングラスを取って、私の方を見上げて「あ……雫のお母さん?」って言ったの。和泉ちゃんは何度か家に遊びに来たこともあったし、お互い顔は知ってるからね。


「どうしたの? こんなところで」

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