第23話「九尾」


 ユーリが九尾と初めて相対したのは今よりも数百年も前の事だ。


 「なぁ、そろそろやめないか?」


 乾いた荒野でユーリの声が遠くにいる人影に届く。


 逆光と地面の反射で黒いシルエットとがユーリの眼前に浮かび上がる。


 人型、それも女性のシルエットは少しずつ近づき、その輪郭線を鮮明にしていく。


 目視距離で約5メートル。そこまで近づいたときふと女性は歩くのをやめた。


 和風の着物を羽織り、その下には妖艶な素肌をさらしている。齢20とも取れるその女性の後ろからは見慣れないものが突出していた。


「噂には聞いてたけど、七本ですでにこの強さとは。恐れ入るね」


 すでに着ている服の所々から血を出しながらもユーリの口調は普段となんら変わらない。


「わらわもここまで消耗するとは思わなんだ。われ、名はなんと申す?」


 相対する女性はすでに満身創痍ととれるほどの傷を体の各所に負っていた。


「ユーリ・カレイテッド・ブラッド。西の果てに住んでいるヴァンパイアだよ」


 お互いに立っている状態で視線を交差させる。その後ゆっくりと振り向くとお互い無言で背を向け、歩きだした。


「・・・また会う機会があれば・・・」

「・・・また交えようぞ・・・」


 その言葉を残し、荒野から二人の影が消えた。




 「あれから200年くらいかな。2回も転生していると知った時は驚いたものだよ」


 再び現実に戻ってきたユーリの視線の先には九本の尾を振る九尾の姿がある。


 体を刺し貫いていたチューブ等の傷はすでに癒え、虚ろだった瞳には力に満ちている。ただ、その瞳はアリスではなかった。


「おう、おう、お前さんだったかえ」


 ユーリの体を朱色の瞳で見据え、口元には笑みを浮かべる。


「さて、転生後間もないとわらわはちと動き難いてな、そちと少し遊ぼうかのう」


 そう言葉を聞いた瞬間、ユーリは気を引き締めた。


 元々狐の化身として日本に奉られてきた九尾は遊びの妖怪。


 自由奔放な性格に目を奪うほどの容姿で幾重もの男を虜にしてきた。


 知性も兼ね備えているため過去何度かあった討伐作戦でも古の陰陽師たちは苦戦を強いられてきている。


 常に遊んでいる感覚の九尾は戦う時も常に楽しんでいるのだ。


「厄介なのが目覚めてしまったようだ」


 ユーリはそう小さく呻くと抑えていた体の中の妖力を解放した。


 まるで満タンに溜まったダムを決壊させるかのように爆発した妖気は瞬く間にユーリを囲む。そう、さきっきまではこぼれ出る妖気だけど使っていたかと錯覚するほどの量である。


「ほぅ」


 静止している九尾は品定めをするかようにユーリの変貌する姿を見据えている。やがて妖気の嵐が収まり、その中心にいたのは一人の王だった。


 これまで着ていた服装や装飾品は変わっていない。


 しかし、その場で、直立でたたずむユーリの姿は一国の主そのものの姿だった。王としての器、器量、知恵、そして力。そのすべてを併せ持ち、ゆえに王と呼ばれる男。


「それがそちの本気かえ?」


 手を顎に触れ、鑑賞しているかのように九尾は尋ねる。ユーリはその言葉にゆっくりと、だが綺麗な聞き取りやすい言葉で返す。


「ああ、そうだ。200年ぶりだ、全力を持って答えよう」


 その言葉が合図というように突如戦闘は始まった。


 先手を取ったのは九尾だった。


 予備動作なしで弾丸のように飛び出した九尾は一瞬でユーリとの距離を詰める。


 体を横にひねり、尻尾を前に出すように姿勢を変え、攻撃する。音速を超える二本の尾は戦艦の砲弾のように回転しながらユーリの体をとらえ、穿った。


 あたらぬな――――ならば、


「当てるだけよのう」


 体を高速で横にずらしたユーリを感覚で捉え、二度目の突き。


 一本追加され加速する尾はユーリの視界を埋め尽くす。


 今度こそ体をとらえた、九尾はすぐに来るはずの手ごたえを待った。しかし、次に来たのは身を切られるような鋭い痛みだけだった。


「ほう?」 


 痛みに僅かに眉をひそめながら九尾は自分の尾を目視する。


 すると突き出したはずの長さの分だけ綺麗に切断されていた。


「鋼鉄をも穿つわらわの尻尾を切るとは、どこの名刀じゃ?」


 向けられた問いにユーリは反撃で返す。


 両手に握る二振りの刀はその刃に薄い月明かりを反射させ、九尾に肉薄した。


 右手に握る白い刃を持つ刀を逆手に持ち替えたユーリは両手を交差させる。防御態勢をとっていた九尾の尾に刃が当たる。


 すっと抵抗なく、上をなぞるように通過した刀は一歩で距離を取った九尾の尾から離れた。


 しかし、一拍遅れて刀が通った軌跡を追うように赤い線が白い尾にまるで絵画のように綺麗に描かれた。


「くっ・・・・ここまでの切れ味、そしてその白い刃は、もしや白雪ではあるまいな?」


 何かを思いだしたように九尾の顔色が変わる。


「京都 誓願寺せいがんじの本殿地下深くに祭られていた妖刀 白雪しらゆき、別名 妖怪殺し」


 ユーリの端的な説明は九尾が納得するには十分すぎるほどの内容だった。


「よもやあの刀が抜かれようとは・・」


 1000年以上も昔、かの高名な陰陽師“安倍晴明”によって大妖怪土蜘蛛つちぐもを倒し、その強大な力を封印するために地下深く埋められた刀。


 それが妖刀“白雪しらゆき”である。


 妖怪の刀匠によって500年もの歳月をつぎ込み、自らの妖力を注ぎ込んだ名刀はまるで生き物のようにその暴力を振るった。


 世に出てからは何度も主の血でその刀身を濡らし、受け継がれてきた凶暴な刀。


 その刀を歴代の中で唯一使いこなした晴明は土蜘蛛の討伐に成功するもその圧倒的な力に負け病に伏せり、数日後にこの世を去っている。


 美しいほどに白い刀はその時に何重もの封印と結界を施され地下に埋められた。ならなぜその刀がここにあるのじゃ?


 再度ユーリの攻撃を避けながら九尾は自問した。


 しかし、その答えが九尾の中にあるはずもなく、自然と口に出る。


「どうやってその刀を・・・たしかその刀は人にしか抜けぬはずじゃ」


 その問いにユーリは距離を置き、刀の背を肩にのせる。


「数十年前に、少しね。・・・・・・お互い前とは違うみたいだな」


 二本の刀を持つユーリの瞳は炎で揺らいでいた。左足を前に右足をその後ろにつけるような形で立ち、左に持つ黒い刀をそっと下に構える。


「さて、何本の尾がなくなるかな」


 不気味なほどの笑みを浮かべユーリは加速した。


 ノーモーションでの移動は予測不可能といわれている。


 人間は歩くときに足を引き上げ、前に出し、踏み下ろす、といった具合に様々な予備動作を完了させてようやく歩くことができる。


 それと同じようにすべての動きには何らかの予備動作が現れるといわれる。しかし今のユーリの動きには予備動作はなかった。


 地面を蹴るための筋肉の動き、その指令を出すための脳からの電気信号。そこまで外から見えるのであれば予測できたのかもしれない。


 しかし、そのような人間は存在しない。そう、人間には。


「相変わらず早いよのう。じゃが・・」


 ユーリのからの攻撃を一挙動で受け止めた九尾は笑みを浮かべながら攻撃を左にいなす。その時に生じた金属音と火花で周囲が一瞬だが明るくなった。


「・・・鉄扇か」


 曲芸師のように片手で地面につき前方宙返りをしたユーリは再び距離を取りながら呟いた。


 鋭く伸びる視線の先には五〇センチほどの長さの黒い扇子が九尾の手に収まっている。


「そうよのう。わらわのお気に入りじゃぞえ」


 会話はそこで終わった。次の瞬間にはお互いが地面を蹴り、切り結ぶ。


 ユーリの左上段からの斬撃。


 音速を超え、もはや不可視に近い斬撃は体勢を低くしていた九尾の頭部をとらえていた。


 届け。短く唱えられる願いはすぐにかき消された。


 すさまじい金属同士の接触音と火花が飛び散る。


 その元凶であるユーリの刀はいつの間にか二つに増えていた黒の鉄扇によって受け止められていた。


「それにしても、そちの黒い刀、なかなか折れぬのぅ」


 高速で切り結びながらも九尾の顔は余裕の笑みを浮かべている。その理由は単純であり、先ほどから少しずつ速度と精度が上がってきているのだ。


 九本の尻尾とは厄介な。九尾の笑顔を見据えながらユーリは脳内で悪態をつくと間髪入れず襲い掛かってきた四本の尾を刀の背でいなし、体をひねる。


 そして空中を蹴り、九尾の背後に着地する。


 すでに次の攻撃に入っている九尾の左手の鉄扇が着地と同時にユーリに襲いかかる。


 その攻撃をユーリは足をたたみ、重力によって体を沈めることで回避した。


「ほぉ、やるよのう」


 左手の鉄扇の遠心力で回転し、ユーリと再び相対した九尾は素直に言葉を漏らす。


 その間にも攻撃は次々とユーリを襲った。


 遠心力によって加速した右手の鉄扇の上段からの斬撃にも等しい一撃、同時に掛けられる足払い。


 ユーリはこれらを自らの足を宙に投げ出し、通り過ぎたばかりの左手の鉄扇を足で蹴ることによって後方に飛ぶ。


「君こそ」


 両手を逆立ちの要領で地面につき、高く飛ぶ。近くにあった金属製のポールの天辺に器用に立ったユーリは眼前にいる九尾を見据えた。


「ウォーミングアップは終わったか?」


 汗一つ見せないユーリはまるで子供に言うように九尾に問いかける。


 笑顔で頷いた九尾は直後に高速なスナップをかけた鉄扇で横に凪いだ。


 ユーリまでの距離は直線で15メートル。


 届くはずもないその距離からの一撃は一拍の間の直後ユーリの足元で爆ぜた。


 不可視の一撃を足元、正確にはポール部分に食らったユーリは体勢を崩すまでもなく自然な動作で地上に戻る。


「・・・鎌鼬かな?」


 短く確認の意味として問いかけたユーリは再度の攻撃によって確信をえる。


 高速で放たれる空中への斬撃は直後に発生する真空と風の追撃によって加速し、空気の塊を打ち出す。


 抵抗によって薄く伸びたその塊は高圧の水のように鋭い刃物と化した。本家鎌鼬を凌ぐほどの早さと威力に感嘆を覚えながらもユーリは正確に攻撃を黒刀・餓鬼で弾き飛ばしていく。攻撃力、その正確性どれをとっても


「本家よりも強い一撃だ」


 それは褒めておるのかえ?と余裕のある、まるで遊んでいるかのように問に、再度到達した攻撃を弾くことで応対する。


「これが見えるのかえ?」


 四撃目にしてようやくユーリが勘で避けているのではないと判断した九尾はユーリの無言を返事と受け取ると、素早く次の攻撃に入る。


 鉄扇を横から縦に持ち替え、頭上に二本同時に持ち上げる。


 一瞬の間。


 がら空きの胴に攻撃を入れるべくすぐに懐へと入ろうとしたユーリは直後に己の単純さに悪態をついた。


 すぐに見上げた頭上にはすでに落下を始めた二振りの鉄扇が迫っている。避けることが不可能と判断したユーリはすぐに二本の刀を胸の前で交差させ、地面を力任せに踏み込んだ。その直後に脳を揺らすほどの衝撃と爆風がユーリを包む。


 勢いに任せ数十メートル吹き飛ばされたユーリはすぐに受け身を取り、立ち上がる。


 そこに二度目の攻撃。九尾が眼前にいるわけではない。位置は先ほどと変わらない、しかし攻撃は来た。


 半分勘で避けたユーリはその攻撃を今度はとらえることができた。


 地面を深く抉るほどの攻撃力を秘めた不可視の攻撃の正体は鉄扇を構成している羽だった。


 長さ五〇センチ幅五センチほどの薄い鋼鉄の羽はワイヤーのような線で結ばれ、その射程を延ばしていた。


 蛇のように縦横無尽に走り回る無数の斬撃。まるで鎖鎌のような攻撃にユーリは両手の刀で弾きながら徐々に後退する。


 一歩後退するごとに体に三つの斬撃が追加され、傷を追加していく。一手ごとに増える斬撃はやがて裁ききれないほどの手数に増え、ユーリの顔が初めて苦悩にゆがむ。


 このままでは。敗北のシナリオの一部が頭の中で流れる。その直後にはユーリはすでに動いていた。両の刀でそれぞれ斬撃を正面から受け、そして巻きつける。


「鞭のような攻撃はその動きを止めれば攻撃はやむかな?」


 短く自問自答するかのように言ったユーリは力任せに両手の刀を地面に叩き込む。


 装甲にも等しい鉄製の地面を表面の砂と共に貫いた二本の刀は鉄扇の動きを完全に止めた。


 ユーリはそれを確認するまもなく飛び出した。何も武装を持たないままの突進。しかしそれは重量を軽くしたことにより今まで一番早い動きだった。


 弾丸のように肉薄したユーリは九尾の唯一の弱点である胸部に僅かに露出している殺生石に向けて手刀と化した右手を突き出す。


 あと1メートル。


 圧縮された時間の中で見開かれる九尾の驚きの眼。それをとらえたユーリは勝利を確信したのだった。

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