第22話「覚醒」


 腹の底からこみ上げ、喉元を駆け上がってくるような感覚。それは怒りだった。何十年、いや何百年ぶりだろうか。己を怒らせた存在は。


 しかし怒りに身を任せることはしない。怒れば怒るほどにユーリは冷静になっていった。


 踏み込む右足。


 だがそれに反応するものがいた。


「邪魔はさせませんよ?」


 アリスに向けて動こうとした矢先、進路上にミカエルの姿が現れる。集中していても自身の仕事を忘れているわけではなかったようだ。


「どけ」


 ただ短く吐き出されたその言葉は、まるでその言葉自体が力を備えているかのようにミカエルの体を打ち付ける。その衝撃によりまるで紙屑の様に吹き飛ばされるミカエル。


「だいぶお怒りのようですね」


 悠然と歩いて近づいてくる第一真祖の姿に痛みによる脂汗を流しながらもミカエル立ち上がった。教団の悲願ともいえるこの実験を止める訳にはいかないのだ。


「・・・さて、第零真祖が誕生するまでの一時、お相手願いますかな?」


 まるで社交会でダンスを申し込む貴族のように軽く会釈をするミカエルは、己を加速させた。


 同時に身体強化を最大限にまで高める。全力で挑んでも負け可能性が高い、それが第一真祖である。


 右足を踏み込み、続く二歩目の左足で更に加速する。


 下段に構えた聖剣の切先を地面に当て、前へと進む。三歩目で間合いに入り、ユーリに向かって聖剣が牙を剥いた。


 光のような真っ直ぐな攻撃。音速を超えるほどの攻撃にユーリは、


「あまい」


 ひと振りで防ぐ。右に持つ妖刀 餓鬼。


 黒い刀身を持ち、聖剣フルンティングと似た特性を持つ刀は大妖の膂力によって振るわれた。


 下段からの攻撃を上から押さえ、再び地面へと押し返す。まるで地面に吸い付けられるような力にミカエルは舌をまいた。


 まだまだ余力がありますか、とミカエルは冷静に判断する。


 表情一つ変えない目の前の敵にミカエルは軽く鳥肌を立てながらも立て続けに畳み掛ける。


 抑えられた剣を軸に左足で蹴りを入れる。


 速度に乗り、かつ筋力と関節によって加速した左足は音速を超え、その軌跡に残滓を残しながら敵へと進む。


 あと一五センチ。拳二つ分に迫った時、がら空きだった敵の胴が僅かにズレた。ミカエルにはそう見えた。


 空振りする己の足。それを見ながら冷静に、


「体術も心得ているとは・・・」


 わずかな体重移動によって数十センチ程後ろに後退したユーリは無言で返事と返す。


 残り15秒。


 それだけの時間、日常では僅かな、刹那な時間だ。しかし、


「戦闘では長いんですよね、これが」


 悪態をつくミカエルの攻撃は止まない。


 レイバノン程の威力は無い。だが動作一つ一つに流れが見える。


 わずかな動きだけで徐々に増えるミカエルの攻撃をいなすユーリは少しばかり驚きを得る。人間にこれほどの動きが出来る者が居たのだと。


 弾かれた動作を予備動作とし、次の攻撃へと繋げる。何度弾こうがミカエルの攻撃が止むことは無い。


 さてどうしたものか、とユーリは冷静に敵を観察する。


 おそらくはただの時間稼ぎ。ミカエルには何らかの制限時間リミットがあるはず。だがそれはこちらの負け、ということになる。


 ならば、とユーリは柄を握る手に力を込めた。


「押し通る」


 その瞬間にユーリの妖力が更に跳ね上がった。


 まるで錆びた歯車のような音を出す己の肉体に鞭を打ちながらミカエルはユーリの攻撃を受け止める。


 先程と比べ倍加した膂力。押していたような感覚は文字通り幻覚だったようだ。そう冷静に分析しながらも頭の中ではカウントを続ける。


 あと五秒。


 この位置から祭壇までは16メートル。あと数撃を防げばこちらの勝ちだ。


 内心笑みを浮かべながら聖剣の突きを入れる。


 ミカエルの三度目の斬撃をユーリが弾いたその時だった。


 アリスの動きがより一層激しくなった直後、ユーリの耳にミカエルの言葉が飛び込んでくる。


「・・・・さあ、第零真祖の誕生です」


 瞬間的に向けた視線の先に、その言葉に従うかのように突如アリスの動きが止まった。


 激しいスパークや音がやみ、広場には一時の静寂が訪れる。


 すべての戦場で戦闘が終了したかのように静まったフロート。しかし静寂はそう続くことはなかった。


「なんです?」


 最初に言葉を発したのはミカエルだった。手元の端末を確認していたミカエルがその変化にいち早く気が付いた。


 計測していた複数の項目がメーターを振り切り許容値を超す勢いで上昇している。その状況にすぐに緊急時の封印ボタンを押すが反応しない。


「くそっ」


 先程までと違い、短く悪態をついたミカエルは再び端末に視線を戻す。


 項目を変え、様々な安全装置を作動させていく。


 妖力の強制注入を止め、簡易結界を複数同時に展開する。それと同時に物理的な結界の役目を担う四角錐の四枚のパネルを戻す。


 ゆっくりとした動作でアリスを機械ごとその中に収めた四角錐の建造物はきっちりとその蓋を閉じた。


「やはり安定するまでは使い物にはなりませんか・・・」


 ため息をつきながらうなだれ、手にしていた端末をポケットに戻した。その瞬間だった。


 突如フロート全体に振動が広がる。戦闘をしていた全ての動きが止まった。それほどの振動だった。


「なっ」


 姿勢を保つために腰を低くしたミカエルは手元の端末が示す数値に目が釘付けになっていた。


 すべての項目において上限を振り切ったグラフはすべて許容量オーバーの警告が表示されている。その項目に目を通しながらミカエルは叫んだ。


「吸収しきれていないだとっ!」


 くそっと悪態をつくが早いか叫ぶ。


「サキュエルっつ!」


 短く叫んだその声は、すぐに返事を受け取る。


 声とほぼ同時に装置を中心とした大規模な術式が光り始めた。


 初めから刻印されていたかのような何十もの刻印。それは古代の言語、現代の言語、現存している言語ではなく唯一理解しているのは彼女のみだ。


 そしてその結び姫はどこからともなく現れた。妖気が吹き荒れる広場の中心、その場所へ。


「全く、人使いが荒いんだからぁ」


 不快な表情を浮かべながら現れたサキュエルは、文句を言いながらも手早く結界を展開していく。


 円を描くように地面に浮かび上がった結界陣はサキュエルの動きに合わせ上昇。その姿を空中に描いた。


 まるで土星の輪のように薄い円盤のような形で浮かんだ光はやがて膨張し、一気に弾ける。


 輪から飛び出た複数の光のロープのようなものは、まるで生きているかのように動く。


 そして開きかけていた四枚のパネルを押し戻すように巻き付き、締め上げていく。


「全く、いつも最後は貧乏くじなんだからぁ・・・」


 軽口を叩きながらもサキュエルの表情は硬かった。


 それにしても、妖力の暴走なのかしら?無駄に垂れ流しているようには見えないし。サキュエルは今までにないほど力を発揮していた。


 第一にこれが一個の個体に出力できる量なのかしら、と考える。


 それに徐々に出力も増えている。特別に組み上げた封印用の結界が押しあぐねているのだ、力技じゃぁどうしようもないとすぐに判断する。


 舌で唇を濡らすとサキュエルは不敵な笑みを浮かべる。


「そう、拒むのなら、力尽くで攻めるわよぅ」


 その直後装置を囲む生きた光のロープが一層光量をあげる。


 ところどころできた隙間からは妖気が漏れ出し、不快な音をだしている。


 拮抗していた結界と妖力。果たしてどちらが先に折れるか。


 結果はすぐに現れた。


「くっ」


 そう苦渋の顔を浮かべ額に汗を流すサキュエル。


 彼女は先程から幾重ともなく新たな結界を展開させている。しかし、展開した結界は即席だということもあり、出した先から破壊されていた。


 一番最初の刻印型の結界だけはかろうじて保っているが破綻は目に見えている。


 それを再度サキュエルの顔を見て確認してた時、ミカエルの顔には不相応な笑顔が見えた。すべてをあきらめた、または投げ出した時に見る顔。


「・・・残念ながら実験は失敗です。おそらく暴走して九尾の覚醒に手を貸しただけだったようですね。それに投与した妖力の方にも問題があったようですが」


 しばらくしてユーリに告げたミカエルはうなだれるように両膝を地面につき、笑いながら座り込んだ。


「威勢の割にはずいぶんと諦めがはやいな・・・」


 豹変したミカエルの様子をずっとみていたユーリは冷たく言い放つ。


「・・・・言うのは簡単です。だが、こうなったらあなたにも止めることはできないでしょう?」


 どこか勝ち誇ったような表情を混ぜながら言う横顔には少しばかり色が戻っている。


「元々注入した妖気を外部から操ることで真祖をコントロールするつもりだったのですが、どうやら母体となった九尾の妖力のほうが強かったようですね。外部からの強制注入は元来その個体にとって生命の危機といえるほどのものです。しかし九尾の妖力を限界まで使用させることでその力を弱め封印するつもりだったのですが、まさかこうなるとは・・・」


 どこか独り言のように呟くミカエル。そしてアリス=九尾の方を見つめながらブツブツと自分の世界に入り込んだ。


「・・・暴走・・いや、これは反転しているのか?」


 すでにユーリには興味を失ったらしく、新たに研究者として興味を惹かれたのか一人中央部に向かって歩き出す。


 封印処置の施された中央の装置は先ほどから激しく振動を繰り返していた。閉じていたはずの四枚のパネルはすでにその接合部を離し、中央の台座を隙間から見せている。すべてがユーリの視界に入るまでそう時間はかからなかった。


 大きな音共に地面に落ちたパネルは落下と同時にガラスのように割れ、粉々に散らばった。


 残る中央部にはむき出しの台座、そしてその上には拘束を解いた九尾そのものが存在していた。


 その直後大量の妖気と共に大気がはじけ突風を巻き起こし、突発的に発生したその風はミカエルとサキュエルを巻き込むと近くのポールに叩き付ける。


 すこし距離を置いていたことが幸いしたのかユーリは数メートル下がるだけですんでいた。


 突風とも言える妖力の嵐が過ぎ、視線を上げたユーリの視界には崩れゆく刻印結界を踏みつけるように立つ一人の女の姿が写っていた。


 胴体部分だけで言うなら人間のそれと同じだが大きく違うところが一つあった。尻尾だ。


 根元から九つに分かれた尾はそれぞれが個別の意思を持っているかのように自在に、しかし統一されたような動きをしている。


 そんな姿を見ていたユーリはいつの間にかミカエルの術式が解けていることに気が付いた。


 先ほどの大きな振動のせいで発電システムか何かに異常が発生したらしい。好機ととったユーリは台座に近づく。


 目前に迫った九尾は驚くほど美しかった。


 顔自体はアリスそのものだが体は成熟し、成人の女性並の体躯をしていた。


 膨れ上がった胸元。何も羽織ってなかったはずの体には鮮やかな西陣織のような着物を羽織っている。


 鮮やかな櫛を刺す髪からは可愛らしい狐耳が二つ飛び出ていた。いつの間にか開いていた瞳は綺麗な藍色、長い睫はその瞳を際立たせている。


「・・・・誰じゃ、わらわを起こしおったのは?」


 それほどまでに高くはない、しかし凛と透き通るような声で九尾が言った。真っ直ぐに見つめる先にはユーリの姿がある。


「・・・・何年ぶりだ?」


 力強く瞳を見つめなおしながらユーリは己に問う。何百年も昔のことを思いだしながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る