第20話「もう一つの」


 リーナは遠くで一つのまがまがしい殺気と圧力が消えたことに気づいた。


 目の前で繰り広げられている戦闘になぜか集中できず、どこか浮ついた状態で戦場をうろついていたリーナは何度も仲間に助けられながらも、かろうじて無傷でいた。


 あの喫茶店で過ごした僅かながらも和やかな時間。それがいつまでもリーナの枷となって腰に下げる武器に手をかけることを許さないでいる。


「・・・無様ね」


 自信にそう小さく呟くリーナの瞳には戦場を駆ける敵味方が区別できなかった。


 本当に彼らは敵なのか。本当に殲滅しなければいけないのか。共存することはできないのか。己の中の葛藤に表情を歪ませる。


 弾かれ火花の散る金属同士。切り裂かれ、肉が断裂し鮮血の飛び交う接近戦。


 どちらかの意識がなくなるんで殴り合う打撃戦。


 そんな血なまぐさい戦場がどこまでも続いている中、一際綺麗な戦場があった。


 視線を巡らせ、その中心に立っている女性を捉える。彼女の白い団服には一切のシミはなく、砂埃ひとつついていない。


「さ・・さすがは結界の天才・・」


 最後にこんな言葉を残して倒れている敵の数はすでに六体をこえ、一歩も動いていないサキュエルは退屈そうにあくびをしていた。


 そんな時ふとサキュエルは顔を上げ、まるで獲物を見つけた蛇のような鋭い視線を向ける。


 視線の先には大柄な獣が一匹いた。胴体は馬、上半身は人間。裸の上半身には槍と縦という原始的な武装を施し、その武器にはすでに血が滴っている。


「ケンタウロス・・・Sレートのおでましよ」


 部下に道を開けるように指示をしたサキュエルは初めて自ら前に進んだ。


 敵のボスを視界にとらえたケンタウロスは一声うなり声をあげると地面をけり、一直線に駆け出した。


 距離にして15メートル。


 馬の馬力、速度をもってして数秒とかからないその距離を一気に縮めたケンタウロスはその鋭い槍を突き出す。


 古い鉄でできたその矛先は風を引き裂きうなりながらサキュエルに迫る。しかしその刃が彼女に届くことはなかった。


「結び姫、というあだ名は伊達ではなかったようだ」


 低い声で呟いたケンタウロスは眼前の空中でスパークを起こしている矛を一度下げると一定の距離を保ち、後退した。


「あら、あなた少しは頭が回るようね」


 サキュエルは残念そうにそう言うと右手の人差指を軽く振った。


 その直後今まで不可視だった結界の形が一瞬にして浮かびあがった。球状に展開されたその結界は絶えずその表面に描かれた文様を回している。


「対妖結界の中でこれだけ動き回れる、というだけでも感動するけど」


 そう言いながらサキュエルはその妖艶な体に指を這わせ、うっとりとした瞳でケンタウロスを見つめる。


「ねえ、一つだけ質問いいかしらぁ?」

「なんだ」


 再び槍を構えなおしながらケンタウルスは不愛想に返事を返す。


「あなたほどの妖怪がなんであんな老いぼれヴァンパイアの下なんかについているの?もっと自由に生きたらいいじゃない」


 その問いかけにケンタウルスはしばらくの間沈黙し、やがて口を開いた。


「・・・お前にはわからんかも知れんが、戦いというものは心を蝕む病と同じだ。その病に楔を打ち込んでくれたのがユーリだった、ただそれだけだ」


 不愛想にそう言うと槍を握り直し、ケンタウルスは姿勢を低くする。


 いつでも飛び出せる体勢になりながら両の眼は敵であるサキュエルを静かに見つめていた。


「あら、ごめんなさぁい。私にはわからないわぁ。戦いって、ゾクゾクしてとてもいいものよ」

「交渉決裂、だな」


 その声と同時に地面が爆ぜた。


 両方が同時に地面を蹴り、刹那の間に肉薄する。


 圧縮された時間の中でケンタウルスの瞳の中にははっきりと変形する結界が見えていた。


 自ら形を変える結界、厄介だなとケンタウルスは思う。


 突き出された槍のような鋭い突きを、胴をひねりかわしたケンタウルスは低くうなる。


 四本の足でサイドステップを踏むかのように左に体を移動させ、下から突き上げるように結界に槍を突き出した。


 接触した槍と結界が反発しあい、火花を散らす中ふとサキュエルの表情を見たケンタウルスは背筋が凍るような感覚に襲われた。


 なにか、死神のような強大な力に首を絞められるような圧迫感。そして悟った。罠だと。


 結界を見えるようにし、そしてわざと会話をすることでほかのことに気を回させないように巧みに誘導する。そう判断した時にはすでに遅かった。


「・・・う、動け・・・」


 急に体に電撃のような一撃が走り、ケンタウルスの体は硬直したかのように動きを止めた。そしてそれを浮かび上がらせるかのように光る地面の模様。


 それはいつの間に用意したのか、あるいは最初からそこにあったのかは定かではない。


「古い文献でも載ってない、とっておきの魔法陣よぉ。あのヴァンパイアのためにとっておいたんだけどぉあなたの雄姿に免じて見せてあげるわねぇ」


 そう言うと両手を広げ聞いたことがない言語で長い言葉を紡ぎだした。


uoht raet eht sdne汝引き裂き地 fo eht htrae og ot果てに眠り行く peele luos魂よ、 seod eviver蘇らん


 その直後地面に描かれた魔法陣は激しい光を発し、ケンタウルスを包み込む。


 明滅する光の嵐の中、数秒後にケンタウルスの短い悲鳴が響くと同時に直径五メートルほどの魔法陣の内側が地面を抉ったような跡を残し消滅した。


「さあ、悪い子は地獄の烈火でやかれなさぁい」


 不吉な笑顔を浮かべたままそう言ったサキュエルはしばらくの間その跡地を眺めている。


 そしてしばらくすると表情を変え、部下に素早く伝令を呼び、二言ほど告げると近くの宿舎の中へと消えていった。


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