第12話「訪問」


 夜空を駆けるのは好きだ。


 乱立する高層ビル群の屋上を伝い、人間の動体視力程度では捉えることの出来ない速さで移動しながら結城は思った。


 ここ数十年で発展した建築技術で建物は木の高さを超え、優に100メートルを超えるものが主流になっている。


 中には雲の高さまで到達する超高層建築物もあり、若かった頃と比べると様変わりしたなと実感できる。


 科学技術の発展で移動するのは楽になったが、反対に排気ガスやゴミ類には色々と悩まされた。


 もともと清潔好きであるヴァンパイアの一族は常に給仕に掃除をさせていた。


 そのため東京のゴミの多さには住み始めた当時は相当悩まされたものだ。住み始めた当時はまだ現在のような化学ゴミはなかった。しかし発展と同時に人間は多量のゴミを発生させ、焼却という手段で大気を汚す。


 そう言った公害によって滅びた種族も複数結城は知っていた。


 もっとも汚さはイタリアなどヨーロッパに、特に一九世紀のロンドンに比べればまだましなのだが結城にとっては許しがたい事なのだ。


 だがこうして空を駆けるとき、眼下に移るネオンや外套の明かりは非常に綺麗だった。


 光物を好む種族特性は結城には特に影響しない筈なのだが、それでも時々こうして大会場所から望む光景は美しいと思う。


 闇を裂き、冷たい風を頬に感じながら結城は小さくため息をついた。


 どうしたら人間と仲良く暮らしていけるのだろうか。


 あの街のように。


 随分と昔。まだ電気やガスなどといったものがなく、貧しいながらも自由に生活していたあの頃。


 日々の生活で妖怪や人間がお互いがお互いを信頼し合い、生活していたあの村は結城にとって、いやユーリにとっては楽園と言えたのだ。


 決して裕福ではなく、しかし十分に幸せに生活できたあの村。だがそれもすでに過去の話である。


 そこまで思想にふけっていた時、ふと結城の聴覚が鍵山の声を捉えた。


「着きました」


 10階建ての小さなテナントビルの屋上に着地した二人は視線の先に大きなビルを見下ろした。


 外見からして東京駅のようなレンガづくりで古いものである。


 左右に広く建物の高さも二〇階ほどあり、すでに時刻は午前三時過ぎなのにも関わらず正面に構えられた玄関からは急ぎ足で次々と人が出入りしていることからも眠らぬ街の一員として機能しているだろう。


 それを確認しながら二人はお互いに頷くと地面を蹴った。


 10階、高さにして約40メートルほどの距離を一気に飛び降り地面に音も立てずに着地した二人は何食わぬ顔で教団の玄関へと向かう。普通の人間であれば骨折などは生ぬるい、そんな高さも彼らには階段の1段と大して差異はない。


 真新しいホテルのような大きな玄関には複数の照明が置かれ、ガラス張りのドアの先には広がるエントランスが見える。


 堅牢なコンクリート製の城壁のような囲いを備え外からは内側の様子が宇賀が居にくい造りになっている。見方によっては大使館のような建物にも見える。


 その建物の開け放たれた門扉には日本の国旗ととともに、教団のシンボルである剣と盾の文様が刻まれた鉄製の置物が静かに鎮座していた。


「結界が張られていますね」


 結城よりもすこし後ろを歩く鍵山は声を潜めながら呟く。


 鍵山の視線が向けられているのは建物全体。そして結界というのは教団が外敵=妖怪の類相手に用意した防衛装備であろう。


 そんな結界も様々な種類があり、この教団の支部に張ってあるものは人間と異なるモノを内側に通さない結界である。


 入口まであと一〇メートルというところまで迫ったとき、二人に守衛が気づいた。


 ただでさえ緊張状態に突入している状態の教団で夜中にふらりと現れれば誰だって怪しく思う。


 守衛は至極当然な自分の仕事をしただけだった。ただ、それが不幸にも最強と言われている第一真祖だったことを除けば。


「こんな時間にいったい何の用ですか?」


 教団とはいえ、外門の警備は雇われた一般人なのだろう。どこにでもあるような警備員の制服に袖を通している初老は寒さに震えながらバインダーを取り出し、2人に視線を向ける。


「いえ、これから教団の幹部さんにお話がありまして」


 そう答えるのは鍵山だ。結城は鍵山斜め後ろにいる。


「アポイントは?」


 このような真夜中に訪問者などあからさまにおかしいだろう。それに外部からの雇われ出会っても警備員に事前に訪問者の事は通達される。だが、現在警備にあたっていた山田はそのような報告を受けていない。


 だからこそ、マニュアル通りにアポイントの確認を行ったのだが、その相手にもちろんそれがある筈もなく。


 鍵山の姿は手元のバインダーから視線を上げた警備員の視界から消えていた。残ったのは首元を叩く手刀の鈍い打撃音と地面に落ちるバインダーの音だけだった。


「全く、荒々しいな」


 鍵山は結城の言葉に”申し訳ございません”と丁寧に謝りながらも鋭い視線を前に向けていた。


 軽く前に出した腕に警備員を支え、静かに地面に下ろす。面倒だから素早い手段をとったとは言え、無関係な人間を怪我させるのは好ましくない。


「さて、仕事の時間だな」


 鍵山の後ろから前に出た結城。右手を軽く握り、玄関階段の真ん前で静止させた姿は空手家など格闘技を連想させる。


 そして握った手に力を込めると腕を少し曲げ、そして不可視とも言える速度で突き出された。


 その直後ガラスが砕けるような破砕音が辺りに鳴り響く。そしてその直後、控えめながらも火災報知機のようなアラーム音が建物に鳴り響いた。


「少々手荒な訪問、ご勘弁願いたいね」


 結城が起こしたことが原因で建物内に居た者達は上に下に大騒ぎなのだが、それを外にいる二人が知る由もない。


 普段であればこのような強硬手段を結城が取る事は無いのだが、今回の件は些か彼の機嫌を損ねる事だったようだ。


 何食わぬ顔でエントランスに入った2人は足を踏み入れた瞬間に銃弾の豪雨を食らった。


 四方八方からの鉛の嵐。所狭しと迫りくる銃弾を蹴り上げたソファーやテーブルで防ぎながら結城はため息をついた。


「いつも以上に手厚い歓迎だね」


 倒したテーブルを盾に使いながら結城と鍵山は身を低くしていた。頭上を時折通り過ぎる銃弾は数秒ごとにその数を増している。僅かに顔を出して確認した結城は俗にいうアサルトライフルと言われる銃火器を携帯した教団員を捉えていた。


「先ほどのドアチャイムですと、当然かと」


 結城とは違い、太い柱の後ろに隠れた鍵山は軽くため息を吐きながらおもった。”昔”のようなご様子であると。

 

「さっそく手厚い歓迎を受けてるとこ悪いんだけど、支部長はいるかな?」


 その声は雷鳴のようになり続く銃撃音とマズルフラッシュによってかき消される。しかし、その直後にすぐに銃撃はまるで声が届いたかのように唐突にやんだ。


「いやいや、経費の無駄使いには関心しないなあ」


 結城と鍵山の耳に届いた声は場違いなほどに実に呑気なものだった。


 白を基調とした団服に身を包み、右手でペンをくるくると回しているエルはゆっくりと階段を下る。その光景を顔を上げた二人は確認すると軽く一礼をする。


「おやおや、支部長自らお出迎えとは・・・・お早いお着きですね」


 顔を上げた結城はすぐに視線を鋭いものに変えた。


「いえいえ。第一真祖であるあなたを無下にはできませんよ。先代の盟約もございますゆえ」


 にこにことしたつかみのない笑顔で登場したエルは社交辞令のような態度で話を持ちかけた。


「で、ご用件はいかようで」


 態度を崩すこともなく淡々とした口調で続けるエルは近場の椅子に誘導する。


 ついでに紅茶を、と近くの団員に呼びかけ、すでに銃弾で無傷なものはないが中でも比較的無傷な椅子を用意させ腰を下ろした。


 もちろん結城の分も用意されており、彼も座っていた。鍵山は結城の背後に使用人の様に立っている。


 そして目の前1メートル程の位置でお互いに向かい合い、先に話し出したのは結城だった。


「今日はお願いに来た」


 まるで結城の質問を予期していたようにわざとらしいリアクションをとりながら””とエルは呟き、先を促す。


「ここ数日間に無抵抗とは言わないが、比較的戦闘の意思のなかった僕達の同胞を狩りと称して殺害している一団がいるね?その行為の即時停止、および捉えられている同胞の解放をお願いしにきたんだよ」


 しばらくの沈黙。しかし、エルの返答には時間はかからなかった。


「残念ですがそれらの行為に関して我々日本支部は一切関与していません。いえ、こういった方がいいでしょう。に対して私が命令しうる権限を持っていないのです。残念ながらね」


 返答はそれだけだった。


 日本支部の団員全員に緊張が走る。誰もがわかるような嘘。そんな嘘を堂々とついたのだ。過去に締結した不干渉条約の破棄がこの瞬間に決定したようなものだった。


「知らないとは、残念だね。まあ、自分の家から出た放蕩者の君には荷が重いと判断されたかな?それとも教団に飼われて牙を折ったのかな、第四真祖鬼人きじんのエル・ヨークラフ・エリクトン」


 その瞬間に会談場となっていたエントランスに強風のような妖気が吹き荒れた。発生源はエル。そしてそれに続くかのように結城の横に立っていた鍵山から妖気がほとばしる。


「おやおや、口調に似あわず意外と短気なところは転生しても相変わらずだね」


 一人だけ出された紅茶に口をつけ、態度を変えない結城は足を組みなおす。


「・・・・・ヨークラフの名前は捨てましたよ。それに今の貴方に昔のことをとやかく言われる筋合いはありません殺戮の王よ」


 先程の口調と変わったエルの瞳はまっすぐと結城を見つめ、一触即発の状況が続いている。


 その状況にありながらも結城はどこ吹く風で、余裕な態度を崩さなかった。長いようで短い時間は結城の動作で流れ出す。


「知らない、ということであれば帰ることにしようか」


 いつの間にか紅茶を飲みほしていた結城は、入れてくれた女性団員に軽く礼を言うと立ち上がった。


「ああ、最後に質問というか確認をいいかな?」


 なんですか、とエルが発音した一瞬の間だった。


 団員の目には結城が消えたように見えただろう。


 正確には音速を超える速さで結城が移動し、手刀をエルの右肩に振り下ろしていたのだ。動きについて行けない下位のものであれば、結城が消えたと思った瞬間には自分の上司の肩に手刀を振り下ろしていた、というところだ。


「・・・訂正します。教団に飼われていても牙は折れてはいないようですね」


 そう呟く結城の手はエルの右肩上数センチの高さで止まっていた。正確に言うと、結城の手をエルが左手で掴んでいたのだ。


 あとから結城が強引に動いた事により発生した風の渦が床に散乱している木くずを巻き上げる。そんな中、結城は落ち着いてエルを見据えていた。


「ええ、ですよ」


 結城の問いに短く答えたエルはゆっくりと敵の手を退かしながら立ち上がった。


 エルの言葉にうっすらと笑みを浮かべた結城は一度頷くと鍵山に”帰りますよ”と言い、いつの間にか脱いでいたコートを羽織りなおした。


 そして入り口へと向かって肩をそろえて去って行く2人に囲んでいた団員たちは静かに道を開ける。


 玄関に近づいたとき2人の背中に声が飛んできた。


「言い忘れていました。別働隊の指揮はしていませんので行動予定などは知りません。なのであなたの周りがどのようなことになろうと私は一切かかわりがありませんので。どうぞそこはご了承くださいな」


 その言葉を最後まで聞かずに二人の姿は日が昇り始め、うっすらと明るくなっていた空に消えていった。


 そんな背中を見送りながらエルはゆっくりと口を開いた。


「例のの居場所が分かりました。に伝えて下さい、獲物は狂暴ですよ、と」


 銃弾とからの薬莢、ガラスを始めとした瓦礫が散らばるホールにてまるで一人だけ異世界にいるようにエルは一人笑みを浮かべていた。

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