第5話「影」


 開店十分前のYATAGLASS店内は賑やかに話し声が漏れていた。


 カウンター席には特注サイズの制服を着たアリスとその姿に目を輝かせている咲、そして厨房で下準備をしている結城と渚、そして私服姿の美乃利の五人がいる。


 すでに朝食を終えた五人は今日から働くアリスの話題で盛り上がっていた。


 英語が主体のアリスは今日までの三日間で日本語教師も驚くほどの速度で日本語を習得していた。


 片言であれば話すことができ、すでに店のメニューなどのカタカナや日本語も読めるようになってる。


 これは今日までのほとんどの時間を書斎にある書籍と咲やほかの店員との会話によって習得した部分も多く英語が話せるので問題のない結城や渚は驚いていた。


「にしても上達が早いわねぇ」


 自分の娘でも見るように渚はグラスを布巾で磨きながらうっとりと眺めていた。


 アリス用の制服は服飾専門学校に通っている美乃利が一晩で作り上げたものだ。通常の制服よりもフリル素材を多く取り入れ、所々には花や動物など子供っぽい小さなパッチワークが隠れている。


 短いスカートをくるっと回し造りを確認したアリスは笑顔で親指を立てた。


「ナイス、なしごと、です」


 笑顔で美乃利にそういうアリスは意外と気に入ったのか準備された手鏡で見えないところなどをいろいろと確認している。


 一通り確認し終わるとアリスは渚の手伝いに入る。日本語の勉強と並行してお店の仕事も簡単なものだけだがほとんど覚えていた。


 その隣で変質者の如くデジカメのフラッシュを炊いている咲を軽くあしらいなが渚の手伝いをサクサクとこなしていくのはもう当たり前、とも言えるのではないだろうか。


「咲、いい加減やめて手伝いなさい」


 その時、奥でようやく仕込みが完了したのか甘い香りを纏って結城が現れる。


 はーいと気の乗らない返事を返した咲は観念したようにカメラをなおすとテーブルを拭き始めた。


 その光景を確認した結城は入口まで歩いて行くと立て看板を抱えるとドアの鍵を開け、外へと出る。


 日がビルとビルとの隙間から顔を出し、暖かな日差しが入口に置いてある植物にふり注いでいる。


「今日も一日、始まりだ」


 立て看板を入口に置いたユウキはそう呟くと一回大きく深呼吸すると店の中に戻った。




 もともと平日であったこともあり、比較的少ないお昼の山を越した一同はそれぞれに気の向くままの休憩を取っていた。部屋の隅にうつ伏せに倒れるように座っている咲は深いため息を吐く。


「あまり、はたらき、ないのに・・・」


 その様子を遠目に見ていたアリスはポロリとこぼした。実際に先ほどまでほぼ満席だった店内を駆け回っていたのはほとんどがアリスだった。


 その容姿や歳からもお年寄りなど年配の客からの支持が今日一日でうなぎ上りで、アリスを見るために明日も来るという客は後を絶たなかった。


 名前容姿ともにまるでおとぎ話から飛び出て来たような美少女のアリスは金髪ではなく銀髪だが、多くの客から不思議な国のアリスなどと気に入られていた。


 利用客の年齢の幅も夜間と違い比較的広い昼は学生からお年寄りまで多くのお客が来店する。そんなこともあり、なにか違う緊張感を二時間近く受け続けたアリスは見た目以上に疲れていた。


「まあ、そう言ってあげないで。咲ちゃん今日は学校が開校記念日か何かで休みなのよ。せっかくの休みがバイトの子のヘルプって、ああなるのもしょうがないわ」


 渚はそう言いながら特製の甘いココアをアリスに出しながら言った。


「やすみ、しごと、くべつつけるべき、です」


 あらら、とアリスの思わぬ反撃に目を丸くしながらも渚は滞りなく自分の仕事を片付けていった。


 そんな器用な光景をまじまじと見ながらアリスはひと口ココアを飲む。その瞬間に口の中に広がる甘い味覚が疲れていた体を芯から温めてくれるように感じた。


Delicious美味しい!」

「あら、ありがとう」


 続けて二口目、三口目とココアに夢中のアリスを笑顔で見つめながら渚は言う。そして二つ目のココアを作るとアリスの目の前に置いた。


「?」


 目を丸くしているアリスに視線で咲の方に誘導する。すると気が利くアリスはすぐに理解した。


「りょーかいですっ」


 咲のごとく、素早く敬礼の姿勢を取るとアリスはカップを両手で優しく掴むと咲の座る奥の席へと運んで行った。


 そんな光景を遠巻きに眺めていた結城は手にしていたコーヒーの香りをかぐと一口含み、飲み込む。


 まろやかさと渋みの両方を持ち合わせている特製のブレンドはひと時の安らぎの時間を与えてくれる。しかし二口目に向かう途中、その動作は中断を余儀なくされた。


 少し乱暴に開かれた店のドアの不機嫌そうな音で店内は少し静かになり、全員の視線が入口へと向けられる。


 少しの間のあと階段に踏み出した足音は二つあった。しおれたコートに袖を通す中年の男とその後ろから若い男がまだ真新しい茶色のコートを腕に抱えて入ってくる。


「いらっしゃいませ」


 そう形式的な挨拶をするユウキの顔にはいつもの笑みは見えない。


「すいません、客ではないんですよ」


 そう中年の男は言うとどんとカウンター席に腰を下ろすと古びた手帳と警察手帳を取り出した。その光景をみた結城は視線で渚たちを裏に下げると少し笑みを作りながら話を持ち出した。


「警察の方がなんのご用でしょうか?」


 じっとユウキを観察していた男は、おっとと言うと手帳を開きながら返事を返す。


「失礼、私は刑事の葉矢、こいつは部下の森田です。今日はちょっと伺いたいことがありまして・・・」


 そう切り出した葉矢の横で森田が急いで手帳を取り出し、結城に見せる。結城は怪訝な表情を営業スマイルで隠しながら、口調はすぐに仕事モードに入った葉矢の話に耳を傾ける。


「昨日の夜に近くで事件が起きましてね、その聞き込みと言うわけです。とりあえず昨日の午前一時から三時までの間に何か不審な者を見かけたりはしてませんか?」


 手帳を片手にそう尋ねる葉矢は鋭い眼を結城に向けている。その視線を真っ向から受けてポーカーフェイスを崩さない光景を隣で見ていた森田は正直驚いていた。


 かつて森田は取り調べの練習と称し一度だけ葉矢相手に犯罪者役を演じたことがあった。


 できるだけ無罪を主張するひったくり犯という設定だったのだが森田は開始二〇分で葉矢の鋭い視線に負けて自白を余儀なくされた事実があったからだ。


 しかし目の前の自分とそう歳の変わらないように見える若い男は動じるどころか葉矢の視線に何も感じていないかのような振る舞いを見せている。


「そうですか。私は今朝この店を四時に閉めるまで店内で接客をしてましたのでそれらしい方は見ていませんねぇ」


 顎に手を置いて少し考えて返事を返した姿がなぜか様になっていて本当にこの男は若いのか?と頭の中で疑問に思った森田は慌てて自分の手帳を開き、葉矢にならい書き連ねていく。


「どんな些細なことでも構いませんので」


 問い詰めるように身を少し乗り出しながら聞く葉矢に苦笑いを返しながらも結城の表情は崩れない。


「すいません。ほかの従業員たちもその時間はすでに就寝しておりましたので、今回の事件に関してはお手伝い出来かねます」


 そう言うと男の目の前にそっと二つのカップが置かれた。葉矢が覗き込むと中にはコーヒーが湯気を上げながらそそがれていた。


 これは?と不思議に思った葉矢が聞くと目の前の結城は笑顔でこう答えた。


「当店は喫茶店ですのでお客様には何かしらのサービスをいたしませんと。そのコーヒーはこちらからのサービスでございます。ぜひご堪能ください」


 最後まで営業スマイルを崩さないバーテンダーに舌を巻きながらも短く感謝を述べるとコーヒーに手を伸ばす。


「・・・おいしい」


 先に口にしていた森田の感想がすぐに葉矢にも実感できた。タダで出されたコーヒーにしちゃ美味い。そう率直に感じた葉矢はすぐに飲み干すとご馳走様と言うと席を立ち、入口へと向かった。


「・・・今度また来ます。その時はお客としてね」


 そう言いながら部下の森田を引き連れて店を出ていった。その背中に向かって有難うございましたと言いながら軽く会釈をする結城。


 完全にドアが閉まりきって顔を上げた結城の表情は先ほどと打って変わり真剣な表情をしていた。


「最近物騒なことが近所で起こっているみたいだな。きみたちも気を付けて帰りなさい」


 離れた場所で話を聞いていた渚はそうバイトに言うと刑事たちが飲んでいったカップを回収する。それを無言で見ていた結城はふと思い出したように渚に視線を向け、ゆっくりと口を開いた。


「渚さん、今日の夕方頼める?」


 既にいつもどおりの表情に変わっていた結城。その代わり、先ほどにはなかったような雰囲気を敏感な渚は感じ取っていた。


「どこか出かけられるのですか?」


 カップをシンクに入れ、すぐに洗いながら渚は疑問に思った。普段結城は滅多に外出をしない。


 材料などは業者が運んでくるし、日用品などは渚やバイトに頼んで買いに行ってもらっている。理由としては基本的に料理やブレンドを作れるのが結城だけ、ということもあるが、最近ではバイトの子達も随分と仕事を覚えてくれている。


 無意識に不思議そうな顔をしていたのだろう。渚を見ていた結城は少し眉を上げ、困った表情をしながら言った。


「そんなに時間はかからない、と断言はできないけど、なるべく早く戻ってくるよ。ちょっと古い友人に用があってね・・」


 そういう結城の顔には少し影が刺していたことに気がついたものはいなかった。



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