第4話「風」

*この話には過激な描写が含まれています。苦手な方はご注意下さい。*




 日が暮れた夜半過ぎ、住宅街が寝静まるこの時間帯でも東京の街は光に包まれていた。


 とっくに営業を終えた企業のビル群とは対照的に歓楽街は酔った仕事帰りのサラリーマンや夜の仕事をしている者たちであふれかえっている。


 綺麗なネオンの明かりに群がるように連なる人々を店に引き込もうと走り回るあらゆる姿の店員たち。


 そんな通りから少し離れたある路地裏で複数の影が漏れてきた光源によってむき出しのコンクリートに映し出される。


 数は三つ。先頭を走る影はすでにふらふらとした足取りで時々壁に衝突しており、遠くからは一見酔っ払いが走っているようにも見える。


 しかし、その後方から追いかける形で二つの影が追随していた。


 黒いフード付きのコートを着ており、なびく布の音からも猛烈な速度で追いかけていることがわかる。


「・・はっ・・はっ・・」


 先頭を走っている女性の履いていたハイヒールはすでに片方なく、足の裏の皮は剥け、ぼろぼろのストッキングには血がにじんでいる。


 残っている右のヒールもすでに折れており、それを無理やりむしり取ると壁に叩きつけるように投げ捨てた。


「な・・なんなのよ・・わたしが、なにしたって・・・」


 息も荒げにそう呟く女性ははだけた服装に目も止めず、再び走り始めた。


 家への帰り道だったのであろう仕事帰り姿の女性は二〇代後半で目尻には涙を浮かべている。


 あちこち破れた服装は鋭利な刃物のような切れ味のある物で切断されたような跡を残しており、所々に赤いにじみが見えていた。



 だが、女性の必死の逃走もそう長くは続かなかった。やがて追いついた二つの影のうち一つが力づくで女性の首元を掴むと無理やり壁に叩き付ける。


 肩で息をし、痛みと寒さで怯えるように肩を縮ませた女性の正面に立つ二つの影。


 古い街灯が照らしだしたその姿は異様なまでに黒い。


 真っ黒に近いグレーの外套を羽織り、深々とかぶるフードの中は影となってその表情を隠している。


 動く際に辛うじて見えたのはひきつるように吊り上がる口元と、その下にある白い歯だった。


 しっかりとした造りをしたブーツ。とてもファッション用に販売されているとは思えず、堅い靴底は湿った地面を叩いている。


「い、いったい何が目的なのよっ!」


 半狂乱に陥る寸前なのか声がうわずり、ひっくり返っていることにもお構いなしで女性は叫ぶ。


 そんな姿を無言で見下ろす二人組。しばらくの沈黙の後、最初に動いたのは女性から見て左手の外套だった。


「game over」


 その声は女性の聴覚に小さく、しかしはっきりと聞こえる。それと同時に右手の外套が少し顔を上げたため地面に座り込む女性からはフードの下側が街灯によって露わになった。


 広く引き伸ばされた口元、それに連なるように並んだ白い歯、そして死神の鎌のように湾曲した刃物の光。女性が見た光景はそれが最後になった。








「まったく、今回の仏さんもご親切に分割されてやがる」


 空が白んできた時刻。早朝の静けさを汚すように警察車両の赤色灯が鋭い光を放っている。


 複数の警察関係者が一堂に覗き込む視線の先には、壁に寄りかかるように並べられた女性と思われる遺体だった。


 頭部、左腕、右腕、胸部、腹部、左脚、右脚にそれぞれ切断され、まるで店に並べられるかのようにきれいに路側帯の上に並んでいる。服ごと、かつ綺麗に切断されていることからもその異常性がうかがい知れる。


 そんな遺体を目前にしながらもベテランである男は揶揄を潜める程度であり、普通の人間とは感覚が麻痺していると言ってもいいだろう。


「どう見てもこりゃ五件目だな」


 関係者の最前列に腰を落とし、まじまじと遺体を凝視している刑事はつぶやいた。古びて年季の入ったコートは入庁時期から着ているのか、男の体になじんでいる。


「例の連続殺人事件ですか?」


 その男の傍らに立つ若い男が真新しい手帳を片手に尋ねた。ペンを握る手は少し震えており、青くしている顔からも新人の補佐官だとうかがえる。


「切断面を見てものこぎりじゃなくて刀かそれ以外の切れ味のいいヤツで一気に切断している。それに遺体の分割の仕方もこれまでのと類似している点が多い。まあ、一番厄介なのが無差別ってところかぁ」


 そう言うと男はよっこらしょと立ち上がり、早くどけよと言わんばかりの鑑識たちの視線をもろともせずに現場を離れた。


 しばらく歩き制服警察官が数人立っている規制線を越え、止めてあった古いセダンタイプの車に乱暴に寄りかかる。その跡を金魚の糞よろしくついきた新人を見やると刑事は声をかけた。


「大丈夫か?」


 青い顔をしている自分の相棒にそう尋ねると男はおもむろに胸元をまさぐると少ししわのよった煙草を取り出した。そのまま流れる動作で部下に視線を向けると男は一言言う。


「吸うか?」


 その男の好意に苦笑いで手を横に振った若い男はその瞬間に頂点に達したらしく、近場の側溝に駆け寄ると盛大にぶちかました。


 そんな様子を遠目に見る男は先ほど取り出した煙草を口に咥えると安い電子ライターで火をつける。


 しばらく吹かしながらまだ薄暗い空を見上げていた男はスッキリしたように帰ってきた部下を確認すると寄りかかっていた車に乗り込みキーを強引にねじ込み、まわした。


 容量の減ったバッテリーにより数秒間の後に老人のようにエンジンが回転しだした。


「そろそろ変えんといかんなぁ」


 部下が乗り込むのを確認した男はアクセルを踏み込みながらそう呟く。


 マスコミが取り囲む現場付近を抜け、しばらくして歓楽街を抜けた車は荷卸し業者のトラック群に囲まれながら国道を走る。


 運転席で二本目になる煙草に火をつけた男は隣の助席に座る部下に声をかけた。


「なぁ森田、今回の該者もやはり無差別に思えるか?」


 自分の上司の問いかけに反射的に返事をした若い男・森田 和彦もりた かずひこはすぐに手帳を取り出すと癖なのか手に握るペンを顎に当てながら答える。


「・・・そうですね。今回の被害者は都内某製薬会社に勤務の二四歳女性で、これまでの被害者たちとの共通点は特に現時点では見つかりません。やはり、この連続殺人は無差別なのではないのでしょうか」


 四〇点。そう辛口で評価する自分の上司に舌を巻きながらも森田は手帳のページをめくる。


「一件目の女子高生は朝の当校中に通学路で何者かによって誘拐され、その後殺害。死亡推定時刻は二〇時三〇分ごろ。これも頭部など複数の部位に切断され発見されています。二件目の被害者は六八歳男性。二二時ごろにコンビニに買い物に行った帰り道で殺害。複数の部位に切断。これまでの司法解剖の結果と重ねてもすべてが切れ味の鋭い鋭利な刃物により生きたまま切断されています。これは猟奇殺人でもありますね」


 眉をひそめながらも森田の話を聞いていた男は短くなった煙草を灰皿に無造作に突っ込むと低く唸った。


「今回の事件、全く目撃者がいない」


 いつもと違う上司の表情に困惑する森田。それに気づきながらも男は話を続ける。


「飛散していた血液を辿ったところ距離にして約一キロ近くを走っている。場所は路地などが多いが、人通りのある通りもいくつか通っていた。なあ森田、不思議だとは思わんか?」


 そう問いかけてくる上司に森田は必死に頭を回転させる。


 確かに時刻的にも人通りが少ないのは判るが、まったくいないのはおかしい。犯行現場となっている場所はどれもそれなりに人通りが多い場所であるのだ。


「時間帯としても確かに人が多くいるような時間ではない。だが、一人もいないって言うのはおかしすぎる。まるでなにかの力が働いて、犯人たちの通る場所に意図的に人を寄せ付けていない、そんな感じだ」


 深く思考に入ろうとするところを背後のトラックの軽いクラクションによってやむなく中断した男は短いため息を吐く。


「・・・上の仕業か?」


 そうつぶやいた小さな声は森田の聴覚が正確に捉えることはできなかった。


 なんです?軽く問を投げる森田。その問いに男は渋い顔を向けながら言葉を紡ぐ。


「いやな、なんか今回の連続殺人についての上層部の動きが不自然なんだよ」


 朝のラッシュの時刻に差し掛かり、車が頻繁に止まりだし渋滞の様子を見せだした国道を睨みながら男はつぶやく。


 組んだ両手はハンドルの上に載せ、だらっとした態勢のまま続ける。


「まぁ、若いお前は知らんだろうが警察組織も一枚岩ではないからな。仕方がないと言えばそれまでなんだが。どうやら今回の件に関してなぜか動きが消極的すぎる気がしてな」


 鋭い視線をフロントガラス越しに外へと向けている男は小さく息を吐くと手にしていた煙草を吸い殻の溜まる灰皿に無造作に突っ込んだ。


葉矢はやさんはどう思っているんですか?」


 隣の森田の問いに、わからんとそっけなく返事を返す刑事、葉矢 光彦はや みつひこの表情はいつもより硬い。


「まあ、少なくとも事件はまだ終わっちゃいないってことだ。さて朝飯でも食って再度聞き込み調査だ」


 その声と同時に不満の声が隣から上がる。


「どうした新人。最初の事件が連続殺人でもう音を上げたか?刑事の仕事で大事な聞き込みを飯の後に再開するぞ」


 そう言い、田舎のガキ大将のような笑みを浮かべる自分の上司に森田は半分ため息を吐きながらまだまだっと強気の姿勢をみせ、背伸びをした。

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