第3話「甘いココア」


 YATAGLASSの入るこの建物は三階建てで地下室兼中地下一階を店として利用している。その上にある二階は大部分を書斎が占めており、一万冊を超えるあらゆる国の書籍が連なりちょっとした図書館だ。


 その書籍目当てでくる客もおり、限定の客にのみ解放されている。


 その他には従業員たちの更衣室や休憩室などもあり、日常的に使用される空間だ。そして三階に当たる部分は住み込みの従業員や結城の生活空間となっている。


 そのうちの一室が今回のような相談事を持ってくるお客のために事務所のような場所になっており、様々な資料も置いてあった。


 そんな部屋で向かい合って中央に置かれたソファーに腰を下ろす三人。


 一人は喫茶店の制服を着て、組んだ手を膝の上に載せている。それに向かい合う形の二人のうち小さい少女は、どこか落ち着かないのか隣に座る男の袖をぴんと引っ張っていた。


「さて、本日の用件は、そちらの御嬢さんにかかわることかな?」


 そう切り出した結城は先ほど美乃利が持ってきた紅茶に手を付けながら切り出した。


「気付くか?」


 短く切り返した男の反応は少しばかり驚いたものだった。


「鋭いものなら気付くだろうね」


 少し認識が甘いとばかりに辛口で返した結城は少女にどうぞと紅茶を薦めた。すると怯えながらも手に取ったカップをゆっくりと傾ける。


「・・・sweetあまい


 一口飲んだ少女はそう言うと二口目に入った。それを傍らで見届けると男の顔に笑みが浮かぶ。美乃利が届けたのは少女ようにココアだったようだ。


「それにしても公安局員である君が直々に保護するなんてね。上層部からの圧力も相当だったろうに・・」


 向かいに座る結城はそう呟くと傍らの少女に目を向ける。


 少女はすでにココアを飲み干し、一緒に運ばれてきたパウンドケーキに取りかかっていた。


 柔らかい生地にフォークをうまく使い、小さく切り取ったケーキを口に運ぶ。まるでリスのように頬張らせている姿は非常に可愛らしいものだ。


「・・・それにしても真祖クラスですか」


 そう呟く結城の視線の先には小動物のように可愛くケーキを頬張る少女がいる。


「ああ。世界で七人しか存在しない真祖その七番目らしい。まだ覚醒はしてないが時々その兆候が現れてな。もう俺だけでは育てきれん状態になってな」


 そうですか、と短く呟くと結城は再び紅茶を口に含んだ。そしてそれを全て飲み込み、ゆっくりと口を開いた。


「・・・第七真祖・・・このよう妖力からして、太古から日本に住むといわれる妖狐その大妖怪“玉藻御前たまもごぜん”通称九尾きゅうびか。尾っぽの数はその転生した数だと言われているが・・・確認できたのかな?」


「いや、まだだ」


 そう言った男の表情は硬かった。


「だからこそお願いしに来た。これまでいろいろと便を図ってくれたことには感謝してもしたりんが、そこを何とかお願いしたい。一度は一区の狼の所や九州の鬼の所も考えたんだが、安全面を考えるとやはりここが一番だと、そういう結論にいたった。すべての妖怪の頂点に立つ第一真祖である吸血鬼“ユーリ・カレイテッド・ブラッド”、あんたの元がね」


「やめてくれよまき。それにユーリは昔の名だ。今は千葉結城ちば ゆうきと名乗ってるんだから」


 そう言うと第一真祖こと千葉結城は立ち上がり、壁一面に並ぶ本棚に足を運んだ。


 あらゆる言語で書かれた古い書籍を指でなぞっていく。そしてふと止まると、一冊の本を手に取った。


 厚い表紙には幾重もの傷が重なり、一種の模様のようになっている。


「・・・随分古い本だな」


 結城の持つ本を座ったまま見た牧は率直な感想を述べる。


「ああ。一〇〇〇年近く前の本だね。題はなく、中もメモのような走り書きになっていてとても本とはいえないものだよ。これは以前日本に現れた時の記録が断片的にだが記されていてね」


 そう言い、本を牧に渡す。受け取った牧は本の重さに少し驚きを見せながらも埃っぽい表紙を捲った。目次など、一般的な書籍とは異なり真ん中に一行だけ文字が記されていた。


「・・・古に現れし玉藻御前ここに記す・・・」


 小さく声にした牧は結城に視線を向ける。


「気づいた通り、それは原本ではないよ。もともとその時代には本という形の物は日本に存在してなかったからね。巻物、それに記されたものを正確に書き写したものだよ」


 結城の言葉に納得した牧はページをめくる。


 所々破け、年代を感じさせる紙には薄い字で、だが確かに記されていた。


 模写したと思われる玉藻御前の写し絵。古びた紙に描かれているのは女性の姿だった。


 日本画、その代表的な絵柄には見慣れないものが描かれている。頭の上に鋭く伸びる二つの耳。そしてその後ろから伸びるのは七本の尻尾だった。


「以前日本に現れた時には尾が七本だったようですね」


 そう言った結城は牧の持つ本に視線を傾けながら続ける。


「私は一度ヨーロッパで私は玉藻御前と会っているよ。その時、尾は八本。この子を見る限りその時の容姿とはだいぶ違うから、おそらくは転生している。尻尾は恐らく九本、もしくは一本のどちらかだね」


 牧は結城の言葉納得しながら少女を視界に収める。そしてしばらくの沈黙の後、牧は切り出した。


「・・・半年前の飛行機事故、覚えてるか?」


 突然の切り出しにも動じず、結城はすぐに返事を返す。


「うん、山形県の山中でエンジントラブルによって墜落した飛行機事故だね」

「ああ、その事故だ。実はその時の生き残りなんだよ、この子は」


 そう言った牧の表情で結城は当時流れていたニュースを思い出す。


 昼夜問わず流れていたニュース。そのテロップにはどこの局でも一言でわかる説明が書かれていた。山中墜落事故、乗員乗客全員死亡。


 当時この事故は安定していた日本経済に少しならぬ影響を与えたものだ。


「公表していない、裏の事情があるってことだね、その事故には」


 すぐに状況を理解した結城は静かに腰を下ろした。


「ああ、実はあの飛行機の破損部分には妙な傷があってな。専門家が調べてもその理由が分からなかった。そこで俺たちの出番なわけだ」


 そう言った牧の表情からはその後の苦労がにじみ出ている。


「・・・御陵内中央情報部特別対策室ごりょうないちゅうおうじょうほうとくべつたいさくしつ、現代の陰陽師おんみょうじと言われている極秘組織。昔からある組織を政府もようやく存在を認めたと言うことかな」


 その言葉に渋い表情を見せながらも牧はうなずいた。


「まあ、そこで何らかの事故が起こり、この少女だけが生き残った、というのがこちらの最終見解だ」


 そうですか。とだけ小さく呟いた結城は再び少女に向き直った。


「お嬢ちゃん、お名前は?」


 そう尋ねた結城を見て牧はあちゃーと額に手を当て、ため息をつく。その光景を見た結城はすぐに違う言葉で尋ねる。


Princess , お嬢ちゃん、What is your name?お名前は?


 流暢に、流れるように発音される言葉。元々ヨーロッパ生まれである結城にとって英語など日常会話である。


 自分の通じる言葉で話されたのがよほど嬉しかったのか少女はようやく笑顔を見せた。


Aliceアリス・・・Aliceアリス Philiaフィリア Capenuysカーボナイズ・・・」


 そう小さく呟くと助けを求めるかのように隣の牧へと視線を向けた。牧はその視線を受け取るとしょうがないとばかりに話を続ける。


「まあ、まだ日本語を覚えていないんだが・・・問題ないようだな」


 普通にアリスと話すことのできた結城を眺めると牧は複数のの書類の束を取り出した。A4サイズの用紙に印刷された文字は役所でよく見る書式の書類だった。


「・・・これは?」


 ユウキは書類を手に取り、わかりきった質問を形式ばかりに牧に尋ねる。


「この子の正式な住所の変更等の書類一式。もろもの手続きはこちらで済ませてある。生活費とその他雑費を含めた金額の振り込みも毎月指定の口座に振り込ませてもらう。まあ迷惑料として受け取ってくれ」


 淡々と説明していく牧はそれと、と言うと懐から一通の手紙を取り出す。


「これは別件だがお前さんあてにの直筆の手紙だ。間違いなく渡したからな」


 そう言うと薄いがしっかりとした高級質の紙の手紙を受け取る。


 通常の手紙と違い表記はなく切手なども貼っていない。閉じられた封には封蝋で五芒星の印字が施してある。


 その印字を見た瞬間ユウキの眉が少しばかり動いたが、牧はそれに気付くことはなかった。


「・・・確かに受け取ったよ」


 そう言ったユウキは手紙を懐に直すとアリスに向きなおった。


Nice to meet youこれからよろしくね。,Alice.Come with me,とりあえず空いてI‛ll show you oneいる部屋に案内する of the vacant roomからついて来て


 机に広げられた書類をひとまとめにするとファイルに入れる結城。そして顔を上げると牧に向かって言った。


「この子は責任をもってあずからせてもらうよ。今後のことについてはまた後ほどね」


 営業スマイルで牧に言い放ち、おどおどするアリスを連れて結城は部屋を後にした。


 廊下に出た結城は後ろにアリスを連れ、階段を下る。その途中で前を向いたままアリスに話しかけた。


Since youここに住むこと live here, になった以上、you have to work”働かざるもの食う like a Japaneseべからず”という日本の proverb that is 諺にあるようにIf you won`t働いて you shan`t eatもらうよ. Well, I`ll give youとりあえず、二日くらい about 2days to buyは必需品とかの買い出し something you needに時間を上げるから.」


 古い洋館のような木目調の廊下を窓から差し込む日差しが薄く照らす。靴の踵が心地よい音を立てながら進む結城の後をアリスは先ほどの説明に少しとまどいを覚えていた。


「・・・Ohあっ、,・・thatあのっ・・・」

Hereここだよ


 小さなアリスの声は、すぐに発せられた結城の声によってかき消されることになる。


 二人が着いたのは3階から下った階段のすぐ傍の部屋だった。目の前の木製のドアには花をモチーフにした小さな飾りが取り付けられており、真鍮製のドアノブは曇りなく綺麗に拭きあげられている。


 ドアに二回ほどノックをした結城はアリスに向かって少し笑みをこぼすとドアに向きなおった。するとすぐに部屋の中からくぐもった声で返事が聞こえる。


「咲、入るよ」


 そう言うと結城はドアノブを回し、部屋の中へと入る。


 部屋の中は典型的な寮のような造りになっていた。両側にそれぞれベッドが一つに机が一つ。真ん中には長方形のテーブルが置かれており、その下には木目に合わせたカーペッドがひかれていた。


「う、にゃ?」


 小さな小動物のような声を発した主は右のベッドの中から顔だけを覗かせている。頭はボサボサであり、女の子としてはどうかと思う結城だったが今更である。


「・・・新しい住人だよ。仲良くしてあげてね」


 いつもの光景なのだろう、この時間にベッドにいることについては何も言及せずにアリスを紹介する結城。


 しかしその後ろからアリスが兎よろしくぴょこんと顔を出した瞬間、ベッドの住人は覚醒した。


 時間が停止したように空中に舞うタオルケット。それは先ほどまでベッドの上にあったものだ。そしてそれを身に纏っていた住人はアリスに向けて稲妻のような速さで急接近していた。


Hitt!ひっ!


 いきなり飛びついてきた少女はアリスの数センチ手前で急停止していた。


 しかしどれほどのスピードだったのかソニックブームよろしく激しい風がアリスの長い銀髪を揺らしている。


「まったく、可愛い子には目がないのもほどほどにしないと嫌われるよ。それとそのはしたない恰好で部屋をうろつかないように」


 右手で咲と呼ばれた少女の顔面を受けためた結城はゆっくりと部屋の中に戻しながらため息交じりに言った。


 咲の服装はホットパンツに大胆に肩を露出させたオフショルダー。肩からは、ずれ落ちそうな下着の紐らしきものまで見えているしかし結城に見られている現在において彼女が気にした様子はない。


「だってぇ、こんな美少女連れてくる結城さんが悪いんだもんっ」


 顔にめり込む指を一本ずつ外しながら先ほどまでとは全く別人のような口調になる咲。その様子を珍獣でも見るかのようなアリスの視線がちくちくと刺していることを本人は気が付かない。


Well,まあ、 She is like this ,こんなだけど but she is悪い子じゃ a bad girlないから.」


 相変わらず腰にしがみついているアリスにそう言った結城は部屋の中に入る。その動作で必然的に部屋に入ることになったアリスに、まるでネズミに飛びつく猫のような動きで抱き着く咲。


 そんな咲に呆れつつも攫われていくアリスをそのままにしておくわけにもいかず、結城は深いため息とともに咲に視線を向けた。


「咲、程々にしなさい。それとアリスの面倒を見てあげて」

「りょーかいしましたぁっ!」


 兵隊よろしく、つたないながらも素早い敬礼で返事を返した咲はドアから消える結城をそのままの格好で送り、その姿が消えた途端アリスに向きなおった。


「いやぁー、ほーんっとお人形さんみたいだねぇー」


 振り返るなりいきなり品定めをするようにアリスの周りをぴょんぴょん飛び跳ねだした咲に不快そうな視線が向けられる。


「おっと、ごめんよぉーお姉さんこんな美少女とはあんまりご縁がなくてふて寝してたからてっきり妄想のし過ぎで昇天しちゃったんじゃないかって・・・あれ?」


 ハイテンションの早口言葉で意味不明な言葉を並び立てていたサキは目の前の頭に?マークを浮かべているアリスに一瞬の思考停止を余儀なくされた。


 目の前の状況、先ほどの結城とアリスとのやり取り。先ほどまで寝ていた自分の頭を瞬時に通常モードまでに回復させた咲は一つの結論にたどり着く。


――まさか言葉、通じてない?いや、いや、そんなことは・・・・あるか――


 咲の額にじわじわと汗がにじみ出る。目の前にいる美少女はどう見てもハーフか外国人。美少女という枠にしか気づかなかった自分に拳を入れながらも咲は復活することができた。


「えーっと、は、はうあーゆう?」


 咄嗟に出たのがこれかよぉーと自身の無学さに身悶えながらも咲は懸命に頭を回転させる。すると辛うじて通じたのかアリスが小さく口を開ける。


「・・・I,I、m hungry?お、お腹空いた?


 ゆっくりと、小さく少女の口から紡がれた声に咲は飛び上るほどに喜びを見せた。アリスが疑問形だったことに咲は気づきもしていない。


――よぉぉぉっしっ!通じたっ!私の英語が通じたよぉ!――


 しばらくの間部屋中を飛び回った咲はふと思いだしたように、


「よ、よしっ!お腹がすいてるんだよね?おねーさんが何か作ってあげるよぉー」


 そう言い袖を捲し上げると弾丸のように部屋から飛び出していった咲をただ見守ることしか出来なかったアリスは部屋に一人残されることになった。


 そのあと部屋着のまま厨房に飛び込んできた咲に結城の雷が落ちたのは当たり前の出来事である。

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