第2話「訪問者」


 午前十一時を過ぎたYATAGLASS店内は夜の姿から一変していた。暗めだった照明は光度を上げ、静かだった店内は賑わいを見せている。


 都内の一角に店を構えるYATAGLASSは二つの顔を持っている。


 午前九時から午後六時までは喫茶店、午後八時から翌朝午前四時までは酒場バーとして営業している。


 店内には小料理の乗った皿を両手に忙しく動き回る店員の姿があった。


 膝丈のプリーツスカートとその上に掛けられている白のエプロンにはフリル素材が縫い付けてあり、清楚さの中に可愛さも取り入れている。


 上は七分袖の白のシャツと黒のベストを羽織っており、どこか大人びた雰囲気も持ち合わせていた。


 喫茶店としてのYATAGLASSはなかなかに繁盛している店である。


 15席あるカウンター、4人掛けのテーブル席が6個の計39席の客席が3時間ほど満員になるのだ。


 そんな忙しい昼時を終えたYATAGLASSの店員たちは時計の針がⅡを越えたところでようやく腰を下ろしていた。


「今日は一段と忙しかったですねぇー」


 そう深いため息を吐くのは唯一の男性ウエイトレスである大学生アルバイト、美川義徳みかわ よしのりだ。


 大学生らしく茶髪に染めた頭に170センチ後半と日本人としては高身長と言える背丈であるが、体はがっしりとしておらずむしろ細い方と言っていいだろう。


 眼鏡をかけた好青年の義徳目当てに来店する女性客もいるほどだ。


 そんな義徳よしのりはカウンターの上に置かれているコーヒーを手に取り、ひと口飲み込む。彼にとっての休憩は自身で練習として淹れたコーヒーである。


「まぁ、先輩は基本的に土日は入らないですよねー」


 そう言いながらカウンターの中で食器の後片づけをしているのは女子高生の佐々木美乃利ささき みのりだ。150センチほどの小柄な少女であり、地毛である茶髪の髪を両サイドで結んでいる。


ツーサイドアップという結び方であるが小柄な彼女には非常に似合っているといえる。


 美乃利はアルバイトであり義徳と同じく通いで働いている。


「美乃利ちゃんはキツくないの?」


 そう尋ねるのは従業員の繭樹渚まゆき なぎさである。彼女はこの中で唯一の正社員で時々店に泊り夜の営業の手伝いをしている。


 168センチと女性の中では高身長ともいえる背丈であり、大人の色気もある。後ろ手一つに結ばれた艶やかな黒髪は、美乃利の中で密かに秘訣を知りたいと思っているものでもある。


「んー、もう慣れちゃったかな」


 そんな美乃利の返事に皆揃って苦笑する。飲食店のアルバイトとはそういうモノだと皆心の中で理解しているのだ。


「みんな少し休憩してきていいよ。残りは片しておくから、奥でまかないでも食べてきなさい」


 そう言うのは、奥から手を布巾で拭いながら出てきた若い男だ。180センチ近い身長で細身の体格、大学生の義徳よりもがっちりとした体つきで二〇代に見える青年である。


「やった、店長のまかないだ!」

「腹減ってたんだよなぁー」


 とそれぞれ奥に消えていった店員たちを見送り、一人残った渚は手元の食器を片付けながら店長と呼ばれた男に言った。


 男はこの店の店長でありオーナーである。若いながらにこの店を繁盛させている手腕は同業の者達からも一目置かれているやり手のオーナーである。


「まったく、結城ゆうきさんはバイトの子達に甘いんですから・・・」


 言葉とは別に渚の顔は緩んでいる。そう言われた男は少し肩をすくめると美乃利の残した仕事の続きを始めた。素早く丁寧に洗われていく行程にはその仕事の長さが伺える。


「そう言えば昨日頂いた新作のチョコブラウニー、おいしかったですよ。甘くなくて驚きましたけど、大人の味でお酒に良く合いました」


 昨晩帰る時に結城からもらった紙袋。中を開けるとショートケーキ大のブラウニーが入っていた。その時の感想を言いながら渚は一息つく。


「うん、ありがとう。夜に店で常連に出したんだけど結構好評だったらしいね」


 結城自身は所用で店に出ていなかったのだが、店番をしていた者から聞いていたのだ。


 その時ふと結城が顔を上げ、ドアの方へと視線を向けた。しかしドアは店の構造上カウンターからは見えない位置にある。その為渚は不思議に思った。


 しかし渚がどうかしたんですか、と尋ねる前に結城は声を発した。


「ごめん、渚さんしばらく頼めるかな」


 そう笑顔で尋ねられたら二番目に仕事歴の長い渚とて断りづらいものだ。軽くはいと返事をすると場所を入れ替わり、食器類の片付けを始めた。


 店内にドアベルが鳴り響いたのはその直後だった。


 カウンターからドアは見えていないこともあり、階段を下ってくることでお客は大人一人と十代くらいの女の子が一人と渚は判断することができる。


 ここでの仕事は基本的に楽な仕事だと言っていい。昼食時の十一時から十三時過ぎまでと夕食、仕事帰りの客が集まる夕方以外は基本的に空いている。


 もともと常連客が多いこの店は立地条件や雰囲気から一見さんが訪れにくい。しかし、それが幸いしたのか自然と常連やその連れという感じで徐々に知名度を伸ばしている。


 多種多様なコーヒーとそのブレンドをこの店独自の配合で行っているため、それを好んで注文するお客も多い。


 また店長である結城お手製のサンドイッチなどの料理も評判であり、ご飯時に訪れる客も多いのだ。


 そんな理由もあり、毎日来るようなお客も少なくないので渚は大体顔を見た時点で名前が出てくるぐらいには覚えている。


 しかし、今階段を下りてくるお客にはあまり見覚えがない。


 カシミヤ調の高級そうなコートに身を包む中年男とその傍らで手を引かれている十代ほどの少女。


 長い艶やかな銀髪に人形のように整った顔立ち。その少女の顔立ちからすぐに外国人かハーフかと想像がつく。


 そして傍らで手を引く男の方はというとどう見ても日本人で、さらに体格や雰囲気からも少なくとも親ではないのでは、と渚に疑問を持たせた。


「いらっしゃいませ」


 無意識のうちに観察していた渚は結城の声によって現実へと帰還する。


「マスター、久しぶりだな。今日は少し相談があってな」


 階段を下りてくる男は片手を上げながら軽い挨拶をする。その様子からも結城と男は知り合いであることが分かる。


「うん、言伝は預かっているよ」


 結城は会釈すると奥に設けられた階段に流れるように案内する。入り口から降りてすぐの従業員専用口に手で誘導しながら渚のほうを向いた。


「しばらくかかると思うから忙しくなったらバイト君たちを呼んでね」


 そう渚に告げると、男と少女の後ろから階段を上って行った。


「はい」


 そう返事すると渚は3人の後ろ姿を見送り、自身の仕事が増えたことに今更ながらに気がつくのだった。

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