第7話 全てを知る者
叡知とは、この世の過去・現在・未来を俯瞰して見、記憶するもののことである。
叡知とは、この世の全てを記録するものである。
ティーナはゆらゆらとたゆたう水面の真ん中に寝っ転がっていた。水面に次々と映し出される光景を飲み下していった。
両親から惜しみない愛情を注がれる幼子の姿があった。
――――化け物と罵られ実の親に捨てられる幼子の姿があった。
希望を胸に未来へ踏み出す少年の姿があった。
――――生きる為求められるがままに道を踏み外す少年の姿があった。
国を救う為立ち上がった青年の姿があった。
――――国の為だと言い聞かせられその身に呪いを宿した青年の姿があった。
斯くして、二人の現在は交わった。
お前がいる限り、我が国に平和は訪れないのだと青年は剣を振るう。
――――何故お前だけ国の為に戦うことが許されるのかと青年は拳を打ち付ける。
お前を倒し、英雄となるのだと青年は剣を怪物の心臓に突き立てた。
――――お前も所詮、怪物となり得る運命なのだと道化の首に手をかけた。
ああ、やはり。
彼を蝕んでいた呪いは、他でもないこの国に蔓延っていたものなのだと、ティーナは意識をさらに沈める。この国に生まれた子は皆、そうなる可能性を持っている。昔々に、生まれてくる赤ん坊の半分以上を襲った恐ろしい呪い。
時代の流れの悪い部分全てを押し付けられて、無念の内に大地に骨を埋めた魔女の呪いだ。この国に生まれてくる子供に幸福を与えてなるものかと、様々な不幸を与えた。国中の魔術師が集められ、確かに呪いは収められた。腕の良い魔術師達により、何十にもかけられた結界は、一片の隙も無く呪いを封じた。しかし、確かに魔女の骨はこの国の大地の下に眠っている。今か今かと、自らを閉じ込める魔術の綻びが出来るのを待っている。
…………不幸だった。
彼に、また彼の両親に、非が有るわけではなかった。
偶々、彼の家が立っていた場所が魔女の骨が埋められた墓地の近くにあった。
恐れが全ての目を眩ませた。
悪魔の子が生まれたと両親は信じて疑わなかった。悪魔を産み落としたと知られれば、自分たちがどうなるか分からないと国境近くの河に子供を捨てた。
呪いを解く方法は、確かにあった。
その呪いが国を脅かしたのは幾千年も前のことで、知るものはごく僅かだった。
そう、そうだ。
呪いを解く方法は、有った。存在していた。
そして、この叡知を有するものはその数少ない内の一人なのだとティーナはゆっくりと瞼を持ち上げる
光に目が眩む。
再び瞼を閉じて、徐々に光に慣らす。少しして、ゆっくりと瞼を持ち上げれば視界に飛び込んできたのは心配そうにこちらをのぞき込む、ルークの姿だった。
「ティーナ! 無事か!」
身を乗り出したルークの首元にチャキリ、と槍先が突き付けられる。ゆっくりと両手を挙げて、ベッド脇の椅子に腰掛けたルークはホッとしたように微笑んでいる。………兵士に槍を突き付けられている人間がする表情ではない。
今は一体、どういう状況なのだろうかと辺りを見回せば厳しい表情をした男がこちらへ歩み寄る。その男の少し後ろには深々とフードを被った魔術師と思しき人物が控えていた。
「………このような状況だ。しかし、だからこそ先ずは自己紹介を。我、名をエリオット・スクリムジョー。現在、悪魔を討伐せよとの命による部隊の隊長を任されている。非礼と、無知を詫びよう偉大なる賢人よ。クロノス殿の助言がなければ、我は間違いなく英雄を連行し、裁判にかけ、その命を奪ってしまっていただろう」
深々と頭を下げる男にティーナは慌てて起き上がり、頭を上げるように言った。そして、助けを求めるようにルークに視線を向けた。それを見たフードの男が一歩前に進み出る。
「状況ならば、私が説明を。残念ながら、彼の疑いは完全に晴れたわけではありません。勿論、そうなる可能性の方が高いのは重々承知の上ですが、こちらも国を預かる身ですから最悪の想定をしながら事を進めなければならないことをどうか承知して頂きたいのです」
老人ともとれるほどの厳かな喋り口調に、背筋が伸びる。ティーナは声が震えないように努めながら、返事をした。
「ええ、勿論」
何が起きたのか知りたいと、返事をすればすっと額の前に手をかざされる。驚いて僅かに身を引いたティーナに男は言う。
「見ようとしてはいけない。貴方の力は、唯でさえ見えるものが多いのだから、余り頻繁に目を懲らしていては持ちませんよ。絶対に、貴方の力でなければ知ることが出来ず、更に絶対に知らなければいけないことが出来た時にだけ目を懲らすのです。そうしなければ、人間の目などたちまちに使い物にならなくなってしまう。ましてや、貴方は魔術的な訓練を受けたことが全くないのだから」
了承の意を込めてティーナが頷けば、男は語り出す。
眠りへ誘うような話し口調に、ティーナは耳を傾けた。
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