第6話 思い、目覚め
二人が得たのは、何てことは無い。彼らの周りにいた国民達が当たり前のように享受していた日常に他ならなかった。平凡に、平穏に、移ろう季節に思いをはせながら日々を過ごす。ゆったりと、食後の珈琲を飲みながら、ルークが日光浴をしていると洗濯をしに近くの川へ言っていたティーナがどこか沈んだ様子で戻ってきた。
「どうしたんだい? ティーナ。そんなに、暗い顔をして」
ルークが問いかけても、さらに表情を曇らせて唇を噛み締める。普通ではない彼女の様子に首を傾げながらもしっかりと目を合わせてルークはもう一度、どうかしたのかと問いかけた。
「………私、本当に貴方を救えるのかしら」
常々、ティーナの心を悩ませていたのはこのことに他ならなかった。どんなに素晴らしい毎日を送ろうと、ルークの姿を見る度に何も彼の役に立てていない自分に失望し、いつか彼に見捨てられてしまうのではないかという不安に駆られた。彼は優しいから、きっと私を見捨てることはしないだろう。それでも、辛かった。彼に助けられて、それに甘えるだけの存在にはなりたくなかった。
そんなティーナの呟きにルークはそっと彼女の頭に手を乗せた。
「ティーナ。叡知を得る為の強さというのは確かに抽象的すぎて不安になる君の気持ちも分かる。きっとそれは簡単に手に入れることが出来るものではないだろう。でも、焦ることはない。それに、こう言っては何だけれど君とこうして穏やかに日々を過ごすのも悪くはないと僕は思っている。勿論、僕が元の姿に戻れて、街で暮らせるようになって、それで君が隣にいてくれるのならそんな未来があるのなら、それに越したことはないのだけれどね」
悪戯っぽく笑うルークにティーナが微笑みを返す。
「少し不安になっただけなのよ。ありがとう、そう言ってくれて嬉しい。………私、洗濯物を干してくるわね」
そう言って、ルークに背を向け外に出ようとするティーナ。いつも通りの光景だ。
――――突如、乱暴にドアが開け放たれた。
目を見開くティーナ。ルークが取り落としたマグカップが甲高い悲鳴を上げながら床にぶつかり破片が四方に飛び散った。クロノスの魔術師でも連れてきたのか、一瞬で喉元に突き付けられた無数の槍にルークは神妙に両手を挙げる。ティーナは顔を青くしてその場にへたり込んでしまっている。その様子を見て、ルークは一先ず胸を撫で下ろす。彼らの目的はどうやら自分だけのようだ。兵士の中の一人が怪しい動きをしないかと目を光らせてはいるが、ティーナを害する様子はない。
「やっと見つけたぞ。英雄の皮を被った悪魔め! これ以上、ルーカス・マーフィーの名を、我らが偉大なる英雄を辱めることはまかり成らん! お前達、連れて行け!」
雄々しく叫んだ男の声に応えるように、兵士達が僅かに槍を持ち上げ促されて立ち上がる。それを見たティーナが悲鳴にもにた声で叫んだ。
「待って、待って下さい! ルークは、彼は、化け物なんかじゃないわ!」
彼女の言葉に、男達は気の毒そうに顔を曇らせる。先程叫んだ男、恐らくこの部隊の隊長だろう。厳しい顔つきでティーナの前に進み出て、幼子に言い聞かせるように言った。
「大変、お気の毒なことだ。お嬢さん、貴方はこの悪魔に騙されているのだ。貴方の目の前にいる男、貴方と共にこれまで過ごしてきたこの男は、英雄ルーカス・マーフィーではない。………最後の戦いで、英雄は死していたのだ。勇敢にも、たった一人で大いなる脅威に挑んだ英雄はあと一歩、力及ばずその生涯を閉じた。その、あろうことか、その英雄の亡骸に入り込んだ! 英雄の皮を被り、演じ、彼の英雄が受け取るはずだった賞賛を享受し、栄光を、踏みにじった! 遂に、その姿が本来のおぞましい物に徐々に戻るやいなや、君という心優しい女性につけ込み森の中へ逃げ込んだ。これ程非道な悪魔が、次は何をしようとしているのか! 私達は、国を守る物として、止めなければならない! 悪魔の悪行をこれ以上許してはならない! これ以上国民が、英雄ルーカス・マーフィーを化け物だったのだと嘲笑うなど、私には耐えられない! 気が狂ってしまいそうだ!」
ティーナは、何とも言えない複雑な気分だった。ああ、疑いようもない。目の前で、顔を赤くして憤る男性は、きっと、英雄を心の底から尊んでいる。何とかして、英雄の尊厳を守ろうと、模索した結果辿り着いた答えがこれなのだろう。
それが、間違っているとしても一方的に彼を責め立てることなどどうして出来るだろうか。間違えるのが、人間なのだから。
知らなければならない、と思った。
目の前の彼に必要なのは、知ることなのだ、と思った。
そうしなければ、ルークは、罪人にされてしまう。
捕縛されて、裁判にかけられて、殺されてしまう。
今、彼を救えるのは自分しかいない。自分だけが、知る力を持っている。
――――ふっと、心の底に何かが灯った。
途端に抗いきれない眠気がティーナを襲う。でも、これはきっと悪いものではないと直感的に思った。叡知を得る為に必要な物なのだろう。ならば、抗う必要など無い。ティーナはそのまま穏やかな眠気に身を任せた。
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